第4章『追憶のナット 4』

 ひとまずアレックスのことはパウリーネに任せ、ナットとエリー、ミリア、そしてミルカは病院を後にした。


「三人とも。今日はもう遅いし、うちに泊まりにくる?」


 そう言ったのはナットに車椅子を押されているミルカだ。後で聞いたところによると、どうやら彼女は機械義手オートメイルの経過観察を受けにこの病院へ定期的に通っているらしい。アレックスの機械化処置の件もあることから、『ダーク・ガーデン』にあるこの病院は生体工学に関する技師や設備が整っているのだろう。


「いいんですか?」


 ナットのすぐ後ろを歩いていたミリアが言うと、ミルカは車椅子から上半身を乗り出して、後方へ元気よくサムズアップをしてみせた。


「モチよ! 家に帰ってもどうせ一人だけだからね。大勢いたほうが賑やかで楽しくなるもん」

「エリーお姉ちゃん、ミルカさんもこう言ってるし、行く?」

「そうねぇ、他に宛てもないわけだし、お言葉に甘えちゃおうかしら」

「やったぁ! 二人とも、今夜は寝かさないぜぇ〜」


 女性陣の中では最年長であるにもかかわらず、ガッツポーズをしてはしゃいでいるミルカを見て、ナットは内心ホッとしていた。


(あの一件で影を落としてるんじゃないかと思って心配してたが、まぁ、元気そうでなにより、ってやつだな)

「ナットはどう? 一緒にパジャマパーティ」


 ミルカが今度はナットに話を振る。


「いや、俺が参加できるわけないだろ」

「それでもさ、料理ぐらい振舞わせてよ」

「そう言われてもな……。船を降りるエリーとミリアはともかく、俺はすぐにでもコスモフリートに戻らなきゃいけねえし……」


 きっぱりと断ろうとしたところで、ナットは車椅子に座るミルカが寂しそうにしているのを見て、言い淀んだ。もし彼女の誘いを断れば、ナットの良心が傷ついてしまうのは想像に難くない。

 ナットは少し考えた後、ミルカに対して返事をする。


「……わかったよ。今日だけな」

「えっ、いいの……?」

「おう。いいぞ」


 アレックスの治療やピージオンのオーバーホール、疲弊した艦やDSWの修理もあるため、明日明後日でコスモフリートが出港してしまうことはまずないだろうし、今日1日くらい艦に戻らなくても特に問題はないだろう。とりあえず、後でコスモフリートのブリッジに連絡を入れておこう。


「じゃあ、決まりねっ! 今夜は私がご馳走ふるったげるから、期待しといてよね!」


 その後、ナットたちはミルカの案内に従って『ダーク・ガーデン』の街を歩き続けた。西洋の街を彷彿とさせる石造りの街は、夜になると街灯がオレンジ色のあかりを灯す。暖かみのある街並みは、まさにそこに住む人々の気質を表現しているといえた。


(人も場所も、時間が経てば随分と変わるもんだなあ……)


 視界に映る景色を横目に眺めながら、ナットは肌身でそう感じていた。自分の知る9年前の『ダーク・ガーデン』は、今の景色からは想像もできないほどに血生臭く、淡白とした場所だった。


(まあ、あんなのは過去の話。終わったコトだ)


 そんなことを考えているうちに、ナット達はミルカの住む家に到着した。大通りからやや外れに位置するそこは煉瓦造りのアパートメントで、ミルカが住んでいるのは三階の隅にある一室だった。


「みんなは適当にくつろいでて、40分くらいで作っちゃうから」


 部屋に入るなり、三人をテーブルの椅子に座らせたミルカは、ひとりキッチンへと入っていく。もちろん台所は、車椅子に座る彼女の座高に合わせて低く設計されている。

 いくら機械式の車椅子に乗っているとはいえ、冷蔵庫から食材を取り出しては台所に車輪を走らせ、調理器具を取り出してはまた台所に戻るのを必死に繰り返しているミルカの姿は、ナットからすればとても見ていて心が落ち着くものではなかった。それは恐らくエリーも同様だったのだろう。彼女はじっとしていられないといった様子で椅子から立ち上がろうとする。


「ミルカさん、やっぱり私も手伝い……」

「待ってくれ、エリー」


 ナットが制すと、当然ながらエリーは困惑した表情で彼を見返す。無言の彼女の瞳が「どうして?」と聞いていた。


「手伝ってやりたいって気持ちもわかるけど、今はあいつの、ミルカのやりたいようにやらせてやって欲しいんだ」


 ナットは台所で野菜を洗っているミルカを一瞥しつつ、しかし彼女には聞き取られない程度の声の大きさでエリーに答えた。確かに、車椅子に乗る下半身不随の少女が一人で台所に立つというのは、確かに無謀な行為であると言えるかもしれない。ともすれば大怪我の原因にもなり得るだろう。エリーが善意によってミルカを手伝おうとしたのにも頷ける。しかし、他者が彼女に手助けをしてしまえば、それは彼女の自由意志に背く行為であり、彼女に不自由を感じさせてしまうだろう。そして、何よりも彼女の自由を尊重してやりたいというのが、ナットの切なる願いでもあった。

 どうやらナットの真意を理解してくれたのか、エリーはナットの意見に快く承諾してくれた。こういう時、察しの良いエリーとは口論にならずに済むから、ナットとしても非常に助かる。


「それにしても、ミルカさんとナットさんは仲いいんですね。心で通じ合ってるというか……、もしかして本当に婚約してたりとか?」

「っ!?」


 再び席に着いたエリーが、今度はニヤニヤとしながら唐突にナットとミルカの関係についてという話題を切り出してきた。乙女のコイバナの兆候を肌身で感じ取ったナットはつい身構えてしまう。

 エリーのやつ、急にデリカシーなくね? いや、恐らく違う。空気の読める彼女は、あえて空気を読まないという選択肢を選んだのだ。端的に言えば、この状況を愉しんでいる。


「んなわけあるか。どっちかっつーと、あいつは妹みたいなもんだよ」


 少し気恥ずかしくなったナットは適当に誤魔化す。まるで弱みを握られたような気分になるので、この手の話は苦手だ。


「じゃあ次、私からも質問っ!」


 頭を抱えるナットに所構わず、今度はミリアが手を挙げた。一体いつから挙手制になったのだとナットは至極真っ当な疑問を抱いたが、ミリアは指名されるのも待たずに口火を切る。


「二人の馴れ初めについて聞きたいです!」


 当然ながら、ミリアは普通の恋愛トークをするノリで聞いてきた。彼女の表情に悪意の色は微塵もない。


(あー、そういえばこいつらには、何も説明していなかったっけか)


 恋愛話以上に、ナットは自分語りを不得手と感じていた。自分が語れる過去など、悲劇しかないのだから。

 しかしナットはしばらく考えた後、先ほどの間の抜けた雰囲気とは打って変わって真剣な表情で目の前に座る二人に問いかける。


「……なあ、エリー、ミリア。ひとつだけ確認してもいいか?」

「? 何をです?」

「お前たちは船を降りたらこのコロニー、『ダーク・ガーデン』に住もうと思っているんだよな」

「はい、そのつもりですけど……」


 毛色の変わった会話の雰囲気に当惑している二人は、ナットの次の言葉を待ってくれている。ナットは胸の内で決心を固めると、ようやく言葉を紡ぎ出した。


「食事の前にわざわざする話でもないんだけどな。このコロニーに住むってんなら、知っておいたほうがいいだろうから……」


 言いつつ、ナットはキッチンにいるミルカの方へ目をやる。彼女は鼻歌を歌いながら調理に熱中している様子だった。料理が出てくるのにももう少し時間がかかりそうだ。

 再びエリーとミリアの二人に視線を戻し、ナットは続ける。


「話すよ。俺やミルカの生い立ち。それから、このコロニーについて」



 インプラント技術に代表される生体科学の分野は、特に22世紀に入ってから飛躍的な進歩を遂げる。その発展に大きく貢献していたのが、遺伝子工学や生体工学の権威であるゲノメノン社という医療機器メーカーだった。LOCAS.T.C.の傘下である当企業の多大な働きによって、23世紀後半頃にはインプラント技術を一般普及させるまでに至っていた。

 しかし、そのような輝かしい発展の裏では、決まって知られざる“歴史の闇”が存在するのが世の常、人の常というものだ。不幸にも、そんな歴史の闇の中に生まれ、闇の中で死んでいく運命を決定付けられた悲しき者達がこの世には存在する。

 人体実験用体細胞クローン。通称、モルモットチルドレン。人工養殖によってこの世に生を受ける彼らには人権も戸籍もなく、使い捨ての実験用マウスと同等に扱われ、不要になれば即処分されていく。普通の人と同じように喜び、怒り、哀しむことのできる多くのモルモットチルドレン達が、実験の為の道具として生まれ、己の人生を悲観しながら朽ち果ててゆくのだ。大半の個体が遺伝子操作によって意図的に痛覚などを欠損ないし遮断されているため、肉体的な痛みを介さずに死ねることが唯一の救いであるとさえいえた。

 そして、そのモルモットチルドレンによる実験が盛んに行われている場所があった。現在でこそ『ダーク・ガーデン』と呼称されているそこは、当時は名もなきゲノメノン社の人体実験用コロニーであった。一般には公表すらされていないそのコロニーは建造から管理、運営に至るまで全てをゲノメノン社が受け持っており、U3Fの管理体制からは外れた、いわゆる違法コロニーだ。にもかかわらず、当コロニーがU3Fから実質的に黙認されている理由については諸説あったが、おそらく両者のスポンサー的存在でもあるLOCAS.T.C.の圧力によるものというのが有力説であった。

 このコロニーでは、例によって数十万あまりものモルモットチルドレンたちが、研究者たちに実験という名の拷問にも等しい非人道的な行為を強制されていた。一応、社員用の居住区や市街なども建てられてはいるものの、スペースの半分近くを研究施設に割り当てていることから、まさにコロニーそのものが巨大な実験場であるといえた。

そして、その実験場の中で、ナットやミルカは生まれた。より厳密に言及するならば、当時の二人にはまだ名前などなかった。物心ついた時には既に実験場にいた彼らは、識別番号と呼ばれるアルファベットと数字の羅列で呼ばれ、研究者たちに管理されていた。

 そこでの生活はまさに地獄だった。悪趣味な教育係に鞭を入れられ、反抗すれば即射殺される。実際にそれで何人かの仲間が殺される現場を見てきた。そうでなくとも、研究者たちに選ばれ、連れて行かれた仲間たちが、翌日になって黒いゴミ袋に詰められて帰ってくることもあった。それを見る度に、『次は自分の番かもしれない』と、誰もが恐怖した。中には、恐怖に押しつぶされるあまり精神を病んでしまった仲間もいたくらいだ。

 いや、そうではない。その場にいる全員が狂っていたのだ。

 非人道的な実験を遂行する研究者も、実験を当然のものとして受け入れるモルモットチルドレンたちも、人として正常な筈がない。それが動物の本能なのだとしても、それではあまりにも残酷すぎる。

 そんな狂気に満たされたコロニーであったが、9年前に転機が訪れた。

 このコロニーの存在を察知した宇宙義賊コスモフリートが、ゲノメノン社の研究施設を強襲し、モルモットチルドレンたちを解放したのだ。これにより壊滅的な打撃を受けたゲノメノン社の財政は大きく傾き、ついに数年後にはLOCAS.T.C.に見限られる形で倒産してしまう。さらに、非道な人体実験が行われていたという事実が公表されることを恐れたU3Fは下手にこの件に介入することができず、結果としてこのコロニーは廃墟として長らく放置されることとなる。

 数年後、宇宙難民や裏稼業の人間たちが流れ着いたことにより、この廃墟コロニーは『ダーク・ガーデン』と名を変えることになるが、それはまた別の話である。



 全てを語り終えたナットはふぅ、と一息吐いて、力んでいた肩の力を抜いた。話を聞き入ってくれていたエリーとミリアは、ひどくショックを受けているのか、顔が少し青ざめているようにもみえた。


「そんな……。ナットさんやこのコロニーに、そんな経緯があったなんて……」

「ねえ、エリー、ミリア。どうしてナットがわざわざこんな話をしたのかわかる?」


 落ち込んでいる二人の背中に声をかけたのは、料理の乗ったトレーを運んできたミルカだ。皿の上には、魚介系の具がふんだんに乗ったパエリアや、色鮮やかなサラダなどが盛られている。

 テーブルの上に皿を配っているミルカに対して、ミリアが恐る恐る尋ねる。


「ミルカさん。その脚に残った後遺症って、もしかして……」

「うん、そうだよ。これは“実験”の名残。ついでに言うと腕もね」

「……あの、変なこと聞いて、ごめんなさい」

「謝らないで。ミルカは何も悪くないもの」


 言って、ミルカは丸くなっているミリアの背中を優しく抱き寄せる。


「ナットが話したのは、別に同情されたいわけでも、悲観してほしいからでもないの。ただ、知って欲しかったのよ。このコロニーにとっての“平和”の意味を」


 まるでナットの意思を代弁するかのようにミルカが語り、ナットも内心で少し驚いてしまっていた。先ほどエリーに言われた『心で通じ合っている』という言葉を思い出し、また気恥ずかしくなってしまう。心なしか、動悸が少し早くなっているようだった。


(“平和”の意味、か……)


 ミルカの語った言葉。普段の天真爛漫な彼女から出た言葉とはとても信じがたいものではあったが、故にナットの中では強く印象に残った。彼女の言う通り、この『ダーク・ガーデン』に訪れている平和は、かつてのコスモフリートのクルー達が勝ち取ってくれたものである。たとえ助けられた側のナットや直接関係のない住民たちからしてみれば、それは“与えられた平和”かもしれないが、だからこそ、その平和の価値を見誤らずに、大切に維持していくべきなのである。


(アレックスがこの場に居たら、きっと聞き入ってただろうな)


 今は病院で眠っている金髪の少年のことを思い出す。出会った当初、彼は普通の民間人であったにもかかわらず、彼の“平和”と“戦争”に向き合う時の眼差しは、民間人のそれとは違っているようにみえた。実際に戦場に身を投じている戦士のものともまた異なる彼の眼は、思想家か哲学者といった表現が適切だといえるだろう。


(別に俺はあいつみたいに、戦争行為そのものに対して疑問は抱いちゃいない。そういうことは、人として仕方のない事だと思ってる。それでも……)


 ナットは、ちょうど全員に皿を配り終えた様子のミルカに目を向ける。それとほぼ同時に、不思議と彼女もこちらに視線を向けてきた。ミルカはこちらを見るなり、にこっと微笑んでみせる。


(あいつの“平和”だけは、俺が守ってやらなくちゃな)


 心の片隅で、ナットはそう決心した。


「凄い、ミルカさん! こんなに美味しそうなパエリアを作れるなんて!」


 サフランのいい香りを漂わせるパエリアを見て、エリーが感激のあまり手を合わせて褒め称える。確かに、料理に関しては素人のナットから見ても、この皿に盛られたパエリアはとても美味しそうに見え、つい唾を飲んでしまう。いや、コスモフリートでもよく炊事を担ってくれた料理上手のエリーが賞賛するくらいなのだから、これは絶品の料理に違いない。


「えへへ、それほどでも……あるね」

「否定しないのかよ」

「それじゃあ、冷めないうちにご賞味くだされっ」


 ミルカが言うと、ナットとエリー、ミリアはそれぞれのスプーンを手に持つ。


「いただきます!」


 ナットは勢いよくパエリアの黄色いライスと大きめに切られたパプリカをスプーンですくうと、それを口に運ぶ。


 刹那、ナットの両目が大きく見開かれた。


(ッ!! これは、この味は……ッ!!?)


 想像の遥か上を往く味だった。もう一度味を確かめるべく、再びパエリアを一口、二口と口へ運んでいく。何度も舌で味わっていくうちに、段々と味の全貌が露わになってきた。


(まずライスッ! 本当に炊いたのかわからないくらいに芯が残っている! 次にパプリカや玉ねぎなどの野菜ッ! そのどれもに火が十分に通っておらず、苦味や辛さが抜けきっていない! 塩と砂糖を間違えるというお約束みたいなミスもしている! 極め付けは上に乗っかっているエビッ! 今ちょっと動かなかったか……ッ!!?)


 もう一度いおう。このパエリアは想像の遥か上を往く味だった。正確にいえば、遥か斜め上を往く味だった。


 端的に言うと、クソまずい。


「どう? おいしい……かな……?」


 もじもじとこちらの感想を訊いてきたミルカに、ナットの肩がビクッと震える。こういう時は、どう返答するのか正しいのだろうか。ありのままに不味かったことを伝え、努力を促すべきだろうか。いやしかし、そんな不躾すぎる発言をしてしまえば、彼女は泣き出してしまうんじゃないか。それは非常に困る。

 などと思考を張り巡らせているナットより先に、エリーが答えてしまった。


「おっ……いしいわ! すっごく! ねっ、ミリア、ナットさん!」

「……!?」


 あろうことかミルカのパエリアを賞賛しだしたエリーに、思わずナットは彼女の味覚を疑ってしまった。エリーは満面の笑みを浮かべて、パエリアを美味しそうに頬張っている。それも、不自然なくらいの笑顔で。


(いや、違う)


 にっこりと笑っているエリーだったが、その表情はどこか血の気が引いているようにみえた。これではまるで病人の痩せ我慢だ。

 とはいえ、エリーが先陣を切ってしまった以上、こちらもうまく合わせるしかない。ナットはミルカに気づかれないようにミリアとアイコンタクトを取ると、エリーの後に続くように不味いパエリアを精一杯褒め称える。


「お、おおおおいしーっ! さっすがミルカさん! よっ、一流シェフ!」

「う、うめぇよ! ミルカ! このパエリア、何杯でもいけそうだぜ!」

「ホント!? よかったぁー。おかわりもあるから遠慮せずに食べてねっ!」

「おか……わり……!?」


 その後も三人は、おそらく生涯でもっとも長いディナータイムを過ごした。

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