第5話 新たな方向性

 事務所の扉を開けて中に入ると暖かな部屋にホッとする。

「ふぅー……」

 昼間とは打って変わりやはり日が沈むと体が冷えてくる。ホットコーヒーを飲もうと柳が顔を上げてコーヒーメーカーを見やるとソファーで片肘をついて寝そべっている拓海が視界に入った。

「おかえりー。遅かったな」

 スマートフォン片手にゲームしていた拓海が体を起こした。柳の頬がヒクヒクと痙攣している。

「なんで、お前が、ここにいる」

 まだ依頼は解決していないし、こちらから連絡をとった覚えもない。拓海がここにいる理由が理解できず、柳は簡易キッチンから歩み寄ってきた真吾を思い切りにらんだ。

「お、柳。おかえり」

「真吾、お前なに勝手にガキを入れてるんだよ」

 淹れてきたホットココアを飲みながら真吾は柳の前を通過し、拓海の横に腰かけた。

「ええやん。依頼人なんやし。それに今夜は瑞穂さん夜勤でおらへん言うし。瑞穂さん看護師さんらしいわ」

「知るかよ」

 露骨に不機嫌そうな声を出すと、柳は二人の対面ソファーに倒れるように座った。顎を突き出して反抗的な態度を拓海がとる。

「あんたがなるべく一人になるなって言ったんじゃん。俺はそれに従っただけだし」

「家で鍵かけて寝てろよ」

 にらみ合う二人に割って入り真吾はめんどうくさそうに手をパタパタ振る。

「ええやん、ええやん。春休みやし、昨日怖い想いしたばっかりやしな。俺も明日は大学行かんでもええ日やし、お泊り会やんな」

 話を終わらそうとする真吾に柳は舌打ちする。

「勝手にやってろ。それでお前、大学で聞き込みしてきたんだろうな」

 これで今日なにもしていなかったら時給を減額してやると柳は心に決めていた。しかし案外、真吾は真面目に動いていたらしい。

「ホワイトデーのクッキー配るついでにしたで」

 数が多いから大変だったとか、モテるから困ったものだというくだらない話が始まりかけたところで、拓海は話の軸を戻そうと問いかけた。

「何かわかったの?」

 真吾は腕組みして唸り声を上げた。

「二つおもろい話は聞いたけど事件と関係あることはあんまり収穫なかったかなぁ」

「その、おもろい話って?」

「一つはクラブで最近幅利かせとるグループがおってウザいっていう……まあ、苦情やな。何人かからどうにかしてほしいって依頼きたで」

 先ほどひと悶着起こした四人組の顔を脳裏に浮かべ、柳はため息を吐いた。

「……それはもう終わらせた」

「え? どういうことや?」

「色々あってそいつら懲らしめて、情報収集した」

 かなり言葉足らずな説明ではあったが、それだけで真吾はなんとなくどういうことをして、どんな状況で柳が対処したのか想像がついたようだ。

「お前ほんまおっかないわー」

 拓海が身を乗り出して尋ねる。

「それでなにを聞き出したの」

「漆高校で噂になっている五人の話だ」

 厚化粧をした女子高生二人から聞き出した連絡先は五件。怪しい人物が漆高校だけで五人もいる。拓海が話の続きを催促する。

「噂ってなに」

「地味で目立たない生徒が校則を破ってまでバイトして、しかも掛け持ちしてまで金を稼ぐことに精を出しているらしい。しかも拓海が被害にあった日その五人は欠席していた」

「ふーん。俺のお金を奪った犯人かどうかは分からないけど、怪しいな」

 その五人が事件に関与しているかどうかは全く定かではないし、なんの証拠もないが当たってみる価値はあるだろう。

「それで? 真吾が知ったもう一つのおもしろい話ってのはなんだ」

 柳が真吾に話を促す。真吾は頬を掻いて苦笑した。

「いやー、偶然かなんか分からへんけど俺が聞いたのも地味だった子の話やわ」

 そして身振り手振りを加え話し始めた。

「後輩にあたる子らしいねん。その子、地方から出てきた大人しい子でな、せやからあんまり友達も作れてなかったらしいねん」

「それで?」

 コーヒーを淹れるために立ち上がった柳がカップを取り出しながら振り返る。

「入学してすぐにその子が休学したらしいねんな。周りの人は環境になじめへんかったんかなぁとか、もしかして病弱やったんやろかとか一瞬噂にはなったらしいけど仲良くもないしみんな徐々に来ない彼女の存在を忘れていったんやて」

「ひどいなぁ」

 拓海がつぶやく。コポコポと音をたてて滴る液体を見つめ柳は静かに言った。

「まあ、実際人間なんてそんなもんさ。自分に関係のないことはあまり気にかけない」

 どれだけ騒ぎになっている事件だって、どれだけ死傷者が出ている戦争だって、やっぱりどこか他人事で、巻き込まれない限りその本当の悲惨さなんて認識しようとしない。みんながみんな自分のことで精一杯で、自分の愛する隣人を守るだけでも困難な世の中だ。

 柳が席に戻ると真吾と視線が交じり合う。

「そう。みんな忘れてた。せやけど、つい最近またその子が大学に帰ってきたらしいねん。ものすごいあか抜けた美人になって」

「ダイエットしたとか?」

 純粋な疑問を拓海が問いかける。真吾は目を見開いて否定した。

「ちゃうちゃう。そんな次元ちゃうねん。もう明らかに整形や。SNSで写真見つけたからちょっと見て」

 ポケットから出てきたスマートフォンがスライドされて二枚の画像を交互に見せられれう。

 一枚目の画像は明らかに身長に対してオーバーにオーバーを重ねた脂肪をまとっているニキビ面の少女だった。整えられていない眉に化粧をしていないから余計に目立つ腫れぼったい瞼。鼻筋の通っていない鼻にガサガサの唇。何かの集合写真の隅の方で一人だけ笑顔もなく、伏し目がちなその様子はまさしくコンプレックスの塊という文字をを具現化しているようだ。それならもう少し努力すればいいのにと思わずにはいられない。

 二枚目の画像は打って変わって弾けんばかりの笑顔で笑っている少女だ。綺麗な歯並びが白く光り、つやのある唇から覗いている。先ほどの体形からは想像もつかないほど痩せてバランスも取れている。幸の薄そうな目は二重の大きな目にチェンジしており、鼻筋もスッと通っている。

「これは確かに努力とかの次元じゃないな」

 スマートフォンから顔を上げると柳は唸り声を上げた。ダイエットで痩せることはできてもやはり限界はある。持ち味を活かしたというものではなく、すっかり人が変わっている。本当に同一人物なのかDNA鑑定したいくらいだ。

 あまりの変わりように拓海は口をぽかんと開け、訝し気に真吾を見つめた。

「でも美容整形ってすごくお金がかかるはずだよね? 大学生ってそんなに金持ちなの?」

「あほか。金持ちやったら俺もこんなとこでバイトせぇへんわ」

 真顔で答える真吾に柳も真顔で返す。

「真吾、辞めてもいいぞ」

「あほあほ! なにマジに聞いてんねん! 冗談やんか」

 焦ったように腰を浮かせて身を乗り出す。拓海が馬鹿にしたようにククっと喉を鳴らしていた。

「しかし真面目な話、どこで資金を得たのか気になるな。これだけ変わろうと思えば結構な額が必要なはずだ。親の同意書が得られているのかどうかも怪しいし」

 真吾の後輩ならばまだ成人していない可能性が高い。未成年は体の何をどうするにも親の同意書が必要なはずだ。

 落ち着いて座り直した真吾が得意げに話し始めた。どうして得意げになると若干顎がしゃくれるのだろうか。

「なんや、整形してから地元には帰ってないらしいで。すごい外見が変わったからかしらんけど、社交的になって色んな子と遊び腑けっとるらしい。俺、この話ホワイトデー配った女の子の六割くらいから聞いたもん」

 人差し指を立てて真吾ふふんと鼻を鳴らす。こめかみを押さえて足を組むと柳は考えに耽った。

「ますます怪しいな。本当に正規の医者でした整形なのか?」

 正式な手順を踏んで正当な金額で施術された結果なのだろうか。真吾はそこまでの考えに至っていなかったので驚いて返答に困る。

「え、そこまでは知らんけど」

「ふーん。じゃあ、探れ」

 簡単に言う。顔をくしゃくしゃにして真吾は露骨に嫌そうな態度をとった。

 だんだん自分の依頼から話が逸れているように感じ、拓海は柳と真吾の顔を交互に見つめる。 

「え? どうして? まさかこの人が整形のために俺のお金を盗んだとかないよね」

 コーヒーを啜って柳はにやりと口角を上げる。

「この女がお前の一件に関係しているかどうかは事件のときのアリバイをとらないとなんとも言えない。だが、たとえお前の一件に関係していないとしてもこんなきな臭いこと、そのうちなんらかの形で関わる羽目になるだろうからな」

 嘆息すると真吾は覚悟を決めた。

「損はないっちゅうことやな?」

「そうだ」

「俺は漆高校の欠席していた五人にコンタクトをとる。手掛かりが少ない状況だからな。しらみつぶしにやるしかないさ」

 これで明日からの方向性も決まった。話は終わったと、柳がカップ片手に立ち上がると拓海が腕を伸ばした。

「俺も一緒に行く」

 ジャケットの裾をつかまれる。柳は短く荒々しい息を吐き出すと拓海をにらんだ。

「依頼人は大人しく待機してろ」

 子どもは危険なところにしゃしゃり出るなという柳の忠告だ。ふんっと鼻息荒く拓海はジャケットを握りしめたまま早口で有無を言わさぬよう捲し立てる。

「嫌だね。犯人が俺にまた近づいてきたとき一人でいるよりついていく方が守ってもらえるだろう」

「ちっ、家で鍵かけて閉じこもってろよ」

 めんどうくさそうに柳は舌打ちし、後頭部を掻いた。ほとほと困った子どもだ。

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