第3話 表と裏に調査

 翌日から早速、柳は行動を開始した。時間が経てば経つほど拓海の金を奪った女は見つからなくなるだろう。

 柳が最初に訪れたのは町の交番だった。事件が起こってまず駆けつけるのは交番のお巡りさんであるし、町の些細な変化や要注意人物に詳しいのも交番のお巡りさんだ。彼らは町を把握するエキスパートといえるだろう。

「ちっす、お疲れさまです」

「柳。お前はまた来たのか。何も教えないぞ」

 柳が扉を開くとパイプいすに座って何かの書類を記載していた巡査部長が口を曲げて嫌そうな顔を向ける。

「まだ何も言ってないじゃないですか」

 苦笑して対面のパイプいすに腰かけた。書類のファイルを閉じると巡査部長は指で眉間をキュッとつまんだ。

「お前が来るってことはまたなんかやらかしてるんだろ」

「失礼な。俺は悪いことは何もしてませんよ」

 悪いことに係わることは多いが決定的な悪いことはしない。決定的なことは。

「だからたちが悪いんだよ」

 不服そうに巡査長がにらみを利かせた。苦笑して柳は探りを入れていく。

「ひどいな。ところで最近この町はどうですか。相変わらずっすか」

 巡査部長はへらへらと笑う柳を露骨に嫌そうに顔を歪め牽制する。だが牽制しつつも無視はしない。

「相変わらずだな。これといった凶悪な事件もないが若い世代の万引きやら喧嘩やらが多いな」

 パイプいすをきしませて巡査部長が天井を仰ぐ。その暗い瞳はやれどもやれども生まれる悪を憂うのか、それともただただ疲弊しきっているのか。

 柳は適当な返しを口にする。

「まあ、春ですからね。浮足立っているんでしょう」

「季節で全部片づけられたなら簡単な話なんだがな」

 それで、と話を切り込んでいく。柳の眼光が鋭く光を帯びた。

「最近特に目つけてる集団とかいるんですか」

「そんなの一般人のお前には教えません」

 ピシャリと一刀両断。

「ちえっ。ガード固いですね。いやなに、知り合いの息子が最近この町に引っ越してきて今度中学に入学するっていうから気になってね」

 キツネのように目を細め、身振り手振りを交えて嬉しそうに、そして心配そうに語る。嘘はついていない。事実、拓海は知り合いの息子だったしもうすぐ中学に入学する。柳は心の中で舌を出した。

 柳が知り合いの子どもの心配をするとは意外だったのだろう。巡査部長は警戒心を綻ばせ、ほっこりとした笑顔を浮かべた。

「そうか。中学生か。普通にまじめに学校行って、まじめに夜は家にいたら何も問題ないさ」

「そうですか。安心しました。それじゃ、また来ます」

「用がない時は来るな」

 席を立った柳を巡査部長は追い払うように手のひらで払う。派出所から出た柳は張り付けた笑顔を解き、ぺろりと唇をなめた。

 巡査部長の言葉から推測するに、彼らが目をつけている集団がいて、その集団は夜に行動している。そして中学生ではない、もう少し上の年齢の集団だというとだ。

 そうなると次に聞き込みをする先も自ずと決まってくる。

「さて次は」

 柳は派出所から事務所のあるビルに戻ってきた。エレベーターには乗らずに一階にある喫茶店に入る。

 昭和のにおいが漂うレトロな店内。かぐわしいコーヒー豆の香りが充満していた。事務所にあるコーヒーメーカーの香りとはやはり違う。店長の趣味なのかいつもジャズが流れている。年季の入った木目状のテーブル席が三つとカウンターが五席というこじんまりとした喫茶店だ。

 テーブル席の一番奥にこの店の常連客を見つけて歩み寄る。店の雰囲気に一切合わない四人の男たちがそこに陣取っている。男たちは揃って鋭い眼光でカップを波打つ紅茶を眺め、仕立てのいいジャケットに身を包みその狂気を抑え込んでいる。柳の近づく気配に三人の男が視線を上げ、殺気を放った。一般人ならば気圧されて逃げていってしまいたいだろう。柳は慣れっこになっているので特に気にすることなく片手を掲げた。

「どうも、儲かってますか」

「あ?」

 殺気を放っていた三人のうち二人は見知った顔だったので緊張を解いてくれたが、一人は初対面だったので腰を浮かせて柳の胸ぐらをつかもうと試みた。だがすぐに唯一視線を上げなかった中年の男がはつらつとした声を出したので勢いをくじかれる。

「やなぎぃ! この前は助かったぜ。またなんかあったときは頼むぜ」

 にかっと歯を見せて話すその男は四人の中で一番快活でフランクな雰囲気をまとっている。黒い品のいいジャケットの下にど派手な花がプリントされているパーカーを着込んでいる。ジャケットの気品が台無しだ。だがこの男こそがこの町に拠点を置いている茨木組漆会の若頭だ。名を厳島勝彦という。いかにも強そうな名前だ。厳島はいきり立った舎弟をカウンターに追い払い、柳を手招きして座らせた。

「もちろんですよ。犯罪以外のお手伝いはしますよ」

 柳は厳島の前に置いてある生クリームたっぷりのチョコレートワッフルを眺めた。厳島は顔に似合わず極度の甘党で、この喫茶店のワッフルが大好物なのだ。一週間に最低五日はこの店に訪れチョコ、プレーン、抹茶、イチゴのワッフルをローテーションして食べている。そのうえ時々合間にパンケーキやパフェをはさんでいる。正直気持ち悪い。柳はいつか厳島が糖尿病になるだろうと踏んでいる。

「ありゃ犯罪すれすれだろ」

 前回厳島に受けた依頼を思い出し柳は苦笑した。

「はは、殺気半端なかったですからね」

 切羽詰まった声で厳島が電話してきて頼んできた内容は、自分のあずかり知らぬところで妻と愛人が会合し、殺し合いを始めたのでなんとかして収めてくれというものだった。近所のフランス料理やに駆けつけると、テーブルの上にあるはずのナイフやフォークは彼女たちの肩や足に刺さっていた。犯罪すれすれどころか、もうこの時点で犯罪だ。両者は血を噴き出しながらも収まることなく店で取っ組み合いの大喧嘩をはじめ、テーブルは倒れるは、椅子は宙を飛び交うはのまさに修羅場。

 今、同じテーブルについている二人はそのとき夫人の護衛として店に同行していたのだ。だが若頭の夫人にも、愛人にも手出しできない彼らは右往左往して柳と厳島の到着をひたすらに待っていた。

「笑えねぇよ」

 あのときの地獄絵図を思い出したのか厳島は顔を青くしてフォークで生クリームを弄ぶ。結局、柳が二人の女を引き離し個別に話を聞いて厳島と話し合い、折り合いの取れる方法を模索したのだ。結局あの日は徹夜で三人と話をする羽目になった。

 厳島は頭を振って記憶を払拭すると柳に視線を戻した。

「お前さ、組に入れよ。お前ならいいやくざになれる」

「勘弁してください。今の仕事気に入ってるんですよ」

 微笑を湛える柳に子どものように厳島が唇を尖らせた。

「そうか? 残念だな。ところで今日はどうした」

 本題に入り、テーブルの上で指を組み合わせると柳は声のトーンを落とした。

「ちょっと探偵まがいの仕事が入りまして。最近若い女でひったくりしてる奴とか知らないですか?」

「うーん、そんな小さなことには気を配ってねぇからなぁ。だが最近二十歳そこそこの男女数人のグループがクラブでVIP気取って調子乗ってるのは知ってるぞ。うちとしては特にしのぎにも被害被っていないし、ただのガキの集団だからまだ放っている状態だ」

 なあ、と同席している舎弟たちにも確認する。二十歳そこそこということは拓海に金を奪った犯人である可能性がある。指を顎に当て考えをまとめると柳は立ち上がった。

「なるほど。一回当たってみます。ありがとうございました」

「なんだ。もう行くのか。今度はこの前の礼も兼ねてゆっくり焼肉でも行こうや」

 厳島は柳の顔を見上げて目を細めた。若頭という物騒な肩書があるといえども厳島勝彦の人柄を柳は気に入っている。

「報酬もいただいたのに恐縮しますね」

「遠慮すんな」

「ではありがたく。今日のところはこれで失礼します」

 一礼すると柳は喫茶店を後にした。外はすっかり暗くなり、帰宅してきたサラリーマンが駅の方から歩いてくる。柳は事務所には上がらずにその足でタクシーに乗り込むとクラブに向かう。

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