第48話 その告白に幸あれ





「やー、しかしお前、ほんと毎回、無茶苦茶やるよな」


 そう、椅子に腰掛けて、葉隠レオが愉快そうに言った。


 病室である。

 今年に入って三度目にお世話になる大部屋は、住み慣れて半ば第二の実家のような気分になっている。


 土曜日を飛ばして日曜日。

 ようやく検査なども落ち着いてきたシオンの元に、レオたちがお見舞いに来たのだった。


「びっくりしたぜ。俺らの知らない間に、なんか大変なことしてたんだって? 草上と明星から聞いただけだけど、水臭いじゃねぇか」

「そんなこと言っても、さすがに言えることにも限度がある。お前とか姫宮を危険に巻き込むわけには行かなかった」

「けど、草上は良かったんだな」

「…………」

「ははっ。別に意地悪言ってるわけじゃねぇって。シオンが草上に対して気を許してるのが分かって、安心したってだけだよ」


 レオは楽しそうに笑いながら、ベッドから身体を起こしているシオンに言う。


「ま、何はともあれ、予選突破おめでとさん。インハイ予選の時と違って、期間的にも出場できるみたいだし、良かったな」

「そうだな……せっかく代表になれたのに、不戦敗はもったいない」


 ユースカップは、一月の中旬に行われる。


 今回の入院は、検査含めて二週間ほどなので、十二月の中旬には退院できるだろう。

 そこから、一ヶ月ほど西園寺から指導を受ける予定になっているので、のんびりとはしていられない。


 ミラに至っては、新しく発現した力を試したくてウズウズしているのか、時折電脳空間でメモリの枠を取って、自身の技を試しているようだった。

 無茶としては、七月のインハイ予選の時の数倍危険なことをしたのだが、前ほどの大怪我を負わず、順調に復帰できそうだった。


 その事実に安堵するシオンを見て、姫宮ハルノがホッとしたように言う。


「でも、久能くんも、アヤネちゃんも、大事がなくてよかったよ。本当に死んじゃうんじゃないかって思ってたもん」

「……ん? 『アヤネちゃん』?」


 随分親しげに言うハルノに、シオンは引っかかりを覚えて聞き返す。

 それに対して、ハルノはなんでもないように、平然とした顔で言う。


「えっと、アヤネちゃんって、保健室登校で一週間に一度は来てたでしょ? 私、一学期の時は保健委員だったから、その時に保健室でよく話すようになったの。二学期になっても、復学するまではよく会ってたんだけど、そのこと、アヤネちゃんから聞いてない?」

「……初耳だ」

「え、そうなの? だってアヤネちゃん、いつも久能くんの話ばかりしてたよ」


 不思議そうな顔で小首を傾げるハルノに、嘘を言っている様子はない。そもそも、彼女が嘘をつく理由などないだろう。


 意外なつながりに驚きつつ、腑に落ちる点もいくつかあった。アヤネが時折、学内でのことを妙に詳しいと思うことがあったが、ハルノ経由での情報提供だったのなら納得だ。


「久能くんの検査を待つ間、先にアヤネちゃんのお見舞いしてきたけど、元気そうだったよ。途中で大人の人が来たから、あんまり話せなかったけど」

「大人の人? 叔母さんかな」

「ううん。男の人だったよ。スーツ着た、怖い人」


 控えめな言葉を使うハルノだったが、気弱な彼女が言うと、怖いの意味合いが変わってくる。スーツを着た強面の男性だなんて言われると、余計な想像をしてしまって心配になってしまう。

 アヤネの父や祖父なら、必ず汐音と一緒に見舞いにくるので、一人ということはないはずだった。


 ちらりと確認の意味を込めてレオの方を見ると、彼は肩をすくめてみせた。


「確かに厳しい感じの人だったけど、久我は親しげに皮肉を言ってたから、問題ないと思うぜ。知り合いだろうよ」

「……なら良いけど」


 病院関係者だろうか。少し考えてみたが、今この場では結論が出ないので、あとで直接聞いてみようと思った。


 それより、と。

 シオンはさりげなく、レオとハルノの二人を見る。


 ベッドの側でパイプ椅子に座っている二人だが、その距離が妙に近い。最初にレオがその間隔で椅子を置いてしまったのが、その原因である。

 そのためか、ハルノは先程から、ジリジリとさり気なくレオから離れようと、小刻みに椅子を動かしていた。


 隣のレオが全く意識していないのに対して、ハルノは顔を赤くしてチラチラと横を気にしているのが、傍から見てもわかった。


 いつもならノキアがいるので、ハルノはノキアの近くに座るのだが、今日は二人きりのお見舞いだった。

 どちらが言い出したかは分からないが、そんなのほとんどデートだろと、シオンですら心のなかでつぶやいた。


 そう、問題は、本来一緒にいるべき人物が、今日はいないことだ。


「……それで、今日は、ノキ……草上はどうしたんだ?」

「ああ、それなんだけどよ。あとで行くから先に行けっつって、まだこねぇんだよな、あいつ。姫宮、なんか連絡あったか?」

「う、ううん。連絡はないよ」


 確認のためにポケットからデバイスを取り出すついでに、ハルノは腰を浮かせて椅子を少しだけ動かす。距離としては微々たる移動だったが、彼女にとっては大きな一歩だ。もっとも、動きは不自然極まりないが。

 それに対して、「そっかー、ないかー」と、これっぽっちも気づいた様子を見せない鈍感男が一人。


 方や引っ込み思案の気弱少女で、方や天然モノの鈍感男ときたら、これは関係の進展はしばらく望めそうになかった。


 最も、シオンには、人のことを気にする余裕はそれほどない。

 シオンが入院をして4日経つが、その間、ノキアの見舞いはなかった。


「なあ。草上は、僕のこと何か言ってたか?」

「ん? いや、特には。心配だよなーとかは言ってたけど、どうも上の空な感じだったな」


 平然と言うレオに、シオンは「そうか」と返す。

 ノキアとは、あの試合前のやり取りを最後に、一度も話をしていない状態である。意識が朦朧としていたとは言え、あの時はおかしなことを口走っていたのを覚えているので、せめてその釈明くらいさせて欲しいと思う。


 忙しくてメールを送るのも忘れていたので、早めに送っておくべきかと思い直した。



「あの……葉隠くん。時間……」

「ん? あ、そうだな。そんじゃ、そろそろ行くわ」

「なんだ。用事でもあるのか?」


 さり気なく急かすようにしたハルノを見て、思わずそう尋ねてしまう。

 すると、レオが何故かドヤ顔で、胸を張って言った。


「おう、映画のチケットもらったって姫宮が言うから、一緒に見に行くんだよ。デートだぜデート。羨ましいだろ」

「あ、その、ちが、違うから……。もう、葉隠くん!」


 おそらくは冗談のつもりだろうレオに対して、ハルノは慌てたように手を降って否定している。死ぬんじゃないかってくらい赤くした顔を見ると、なんというか、ごちそうさまだった。これで付き合っていないのだから、驚きである。


 というわけで、初々しいカップルがイチャイチャしながら帰っていった。



 そのすぐ後のことである。


 ふいに実体化をしたミラが、病室の扉を開けながら声をかけた。


「ノキちゃん、入りなよ」

「……へ?」


 ミラの突然の行動に驚き、

 そして、扉の直ぐ側で立ち尽くしているノキアを見て、二重に驚いた。


「お、お前、何やってんだ」

「や、やぁ……久しぶり」


 罰が悪そうに、顔を赤くして手を挙げるノキア。その後ろでは、申し訳なさそうにしょげかえったトゥルクの姿もあった。


 そのまま全員が固まってしまったが、その沈黙を破ったのはミラだった。


「ねえ、ノキちゃん。早く入らないと、他の患者さんの迷惑だよ?」

「あ、うん。ごめん」


 ミラに常識的なことで注意されたことにびっくりしつつ、ノキアは恐る恐ると病室に入って、シオンのベッドの近くに歩み寄ってきた。


 ノキアは病室をぐるりと見渡して、ほっと胸をなでおろす。

 現在、病室にはシオン以外の患者はおらず、大部屋にはシオンとノキアの二人と、互いのファントムしかいない状態だ。


「その……大事なくて、良かったね」

「あ、ああ」

「えっと、その……あの、さ」

「なあ、ノキア」

「ふぁい!?」


 シオンが声をかけただけで、裏返った声を上げるノキア。

 その声の高さに、シオンのほうが驚いてしまった。


「……立ったままじゃ落ち着かないから、とりあえず座らないかって、言おうとしたんだけど」

「あ、ああ! うん、わ、わかったよ」


 怪訝な顔をするシオンに、テンパったようにあたふたとするノキア。

 いつも余裕の態度を取ろうとする彼女が、珍しい醜態を晒していた。


 パイプ椅子を取って広げる時も、あちこちにぶつけたり落ち着かない様子で、見ているこっちがハラハラするくらいだった。

 ようやくベッドの前に座ったノキアは、意識的に大きく深呼吸をして、落ち着こうと努力をする。


「……トゥルク。とりあえず、デバイスで休んでて」

「分かりました、お嬢様。……その、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫!」

「……はい」


 気をはって答えるノキアに、全然大丈夫じゃないだろという顔をしながら、渋々といった様子でトゥルクは電脳体になってデバイスに引っ込んだ。


 それを見ながら、ミラもシオンに問う。


「わたしも、席外そうか?」

「え? いや……」

「そうしてもらえると……助かるかな」


 言いよどむシオンの声を遮るように、ノキアが口を挟む。

 それを聞いたミラは、「んじゃ、潜るね」と言って、あっさりと電脳体になってデバイスへと入り込んだ。

 最後に、ちらりと意味深な視線をノキアに向けたが、それだけで何かを言うこともなく、黙ったままだった。


 そうして、病室に二人きりになった。

 気まずい沈黙が、二人の間に降りる。


「その……悪かったね。お見舞い来るの、遅くなって」

「いや、それは良いんだが。……もしかして、なんかあったのか?」

「う、ううん。別に、何も。ただ……行きづらくって」


 もじもじとするノキアを見て、さすがのシオンもその理由を察する。

 小さく息を吐いて、さて、どう言うべきかと、切り出し方を考えていると、ノキアがテンパった様子でまくし立てるように喋りだす。


「その、私はシオンくんのこと、すごく信頼しているし、はっきりと、好意を抱いているといえるよ。でも、やっぱり物事には順序があるというか、いや、その順序をすっ飛ばしたのは確かに私の方だし、それについては謝罪するつもりなんだけれども、でも、やっぱり私達はまだ学生だし、将来的にどうなるかわからないし、だから今すぐにそれを決めてしまうっていうのは、時期尚早じゃないかと思ったりもしてね。あ、で、でもね。どうしても、どうしても君がそうしたいっていうんなら、私の方も覚悟を決めたいと思うというか――」


 息もつかずに喋り続けるノキアに、シオンは強引に口を挟む。


「なあ、ノキア」

「ふぁ、はい!」

「試合前に言ったことだけど、あれは気の迷いだった。忘れてくれ」

「……へ?」


 シオンの言葉に、ノキアが呆けたような顔をしている。

 そんな彼女に向けて、シオンはあくまで真摯なつもりで、淡々という。


「ずっと謝りたかったんだ。お前の言うとおり、僕たちはまだ学生だし、それに僕に至っては、法的に婚姻の資格もない年齢だ。そんな状態で責任を取ると言えるほどの実績もないし、何より秀星さんに対して義理も果たさないまま、そういうことを言うのは無責任だと思う。あの時は、ちょっと気が大きくなって、思わず調子に乗ってしまったんだ。情報圧汚染で意識が朦朧としていたとは言え、いい加減なことを口走ってしまって、申し訳ないと思う」


 シオンは、頭を下げた。

 そう、バカ正直に、謝罪をするシオン。


 そこに悪意はなく、ただ純粋に、自身の非を認め、それに対する謝罪を行っているだけだった。

 その行動に他意がない辺り、彼もレオの無自覚さを悪く言う資格はないだろう。



 さて。

 問題は、その謝罪を受けたノキアの方である。



 ノキアは、呆けた顔のまま、数秒の間固まっていた。

 テンパっていた頭は完全にフリーズし、一体自分が何を言われたのかわからずに硬直する。

 そして、シオンの言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要し、それを噛み砕いて、ようやくのこと飲み下した、その時。




 爆発した。



「き、き、君って、君って人はぁあああああああ!!」



 一気に熱が通った皮膚は真っ赤に染まり、羞恥と怒りがないまぜになる。

 そのまま彼女は、わなわなと震えながら、その感情の行き場を求めて、体を揺らすと、そのまま手を伸ばして、シオンの身体を両手で叩き始める。


 ポカポカと言った擬音が似合う様子でシオンを叩きながら、ノキアは震えた声で言う。


「わ、私が! 今日まで! どんな気持ちで……ッ!! あ、あぁ。あぁああああああっ! この朴念仁! 唐変木! へっぽこ! もう死にたい、死にたい死にたい! 私の馬鹿、私の馬鹿、私の馬鹿ぁああああああああ!」


「く、草上……」


 お嬢様の痴態を目の前にして、思わず名前呼びを忘れておののくシオン。


 ここ最近は色んな一面を見せてくれるようになったとは言え、こんな風に醜態を晒すノキアは初めてだった。彼女を知る人が見れば、誰もが目を疑う光景だろう。


 ひとしきり叫んだ彼女は、そのまま「はぁ、はぁ」と息を切らせながら、ベッドのシーツに顔を埋めて動かなくなった。

 微かに震えている身体を見るに、思いっきり叫んだことで、我に返ったのだろう。


 まだ驚きが残っているシオンは、恐る恐る、ノキアに対して話しかける。


「その。くさか……ノキア?」

「………」


 返事がない。

 ただの恥ずかしい人のようだ。


 さすがのシオンも、今しがた自分が盛大な地雷を踏み抜いたのは自覚できた。

 ノキアはきっと、色々な感情を整理した上でここに来たのに、それを台無しにされたように思ったのだろう。


 もっとも、シオンから言わせれば、他にどう言えば良いのだという話だが、それを口にしても何の解決にならないのは分かる。こういう時、男は非常に立場が弱い。


 シオンは困ったように息を吐いた後、ポリポリと頬をかきながら、言葉を選ぶ。


「僕は……その。お前の言うとおり、あんまり融通が効くほうじゃないんだ」

「…………」

「だから、お前の期待する言葉とか、お前を慰める言葉とかを、うまく言うことが出来ない。正直に言うと、それが今は、すごくもどかしい」


 それは、初めての気持ちだった。

 シオンは今まで、人に気に入られようと思ったことがない。損得勘定や利益を前提とした交渉は何度もやってきたが、誰かに好かれるために気を使うということに、意味を見出すことがなかった。

 それはきっと、シオンのこれまでの人間関係がそういうものだったことの証左なのだろう。今まで、それを悪いことだと思うことはなかった。


 けれど今、初めて彼は、今までの自分を後悔した。

 こんな時に、自分が好いた女性に向けて、気の利いた言葉一つ言えない自分を、彼は恥じた。



「だから、すごく聞き苦しいかもしれないけど……僕は、正直な気持ちを言う事しか出来ない」


「…………」


「僕はいつの間にか、お前のことを頼っていた。最初に移植手術のことを相談した時、断られて初めて気づいたんだ。ノキアなら、頼んでも断らないだろうって、勝手に思ってた」


「…………」


「それはすごく、傲慢だったかもしれない。でも、僕はそれくらい、知らず知らずのうちに、お前のことを信頼していたんだ。依存しようとしていたとも、言えるかもしれない」



 かつて、久我アヤネとの間にあった関係を考えると、依存という言葉は、存外しっくり来た。

 それが決して良い意味だけでは無いことを自覚しつつ、シオンはノキアに言う。


「僕にとって、お前は、それくらい大きな存在になっていた」

「……それで、口説いているつもりかい」


 不機嫌そうな声が、シーツ越しにくぐもって聞こえた。

 ようやく言葉を発したノキアに、シオンは少しだけ胸をなでおろしながら、言葉を続ける。


「ノキア。僕はお前のことが、好きだ」


 まっすぐに、気持ちを伝えた。


「お前がいつも言うように、まだ僕たちは学生だし、未来はどうなるかわからない。気持ちが離れることもあるかもしれないし、将来的に別の道を歩む可能性もある。今、将来を誓い合うのは、子供じみた夢みたいなもんだって、分かってるから、そこまでは言わない。前も言ったとおり、僕には障害があるし、ノキアに見合うような相手だなんて、思い上がったりはしない。でも……」


 言い訳を連ねるように、淡々と言いながら、シオンは気持ちを整理する。


 これは執着だ。

 その感情を胸にともしながら、シオンは顔を伏せたままのノキアに向けて言う。



「もし、お前が許してくれるなら。正式に、僕と付き合ってくれないか?」



 今までは、仮の関係だった。

 高校三年間だけの、仮初の関係。

 そこから一歩を踏み込んだシオンに対して、ノキアは。



「………ょ」



 恐る恐る、シーツから顔を上げて。

 真っ赤に染まった顔で、一瞬だけシオンの目を見て、そしてすぐにそらしながら。



「ょろしく、おねがぃ、します……」



 震えた声でかろうじてそれだけ言った後、すぐにまた顔をシーツに埋めて、こらえきれないうめき声を上げたのだった。

 その姿を見て、シオンは顔に笑みが浮かぶのを、こらえきれなかった。




※ ※ ※





 夕方。

 ノキアが帰った後、シオンはアヤネの病室を訪ねた。


 この四日間、どちらも検査続きで中々時間が取れなかった。

 元々、レオ達のお見舞いが終わったら訪ねようとは思っていたので、先にメールを送っていたのだが、お昼前に返信があった。


『四時過ぎなら、多分空いてる』


 端的なメールが彼女らしい。そのことに、どこか安心感を覚える。

 そんなわけで、試合以来、アヤネと会うことになった。


 気まずい感情が無いわけではないが、いずれ話はしなければいけないと思っていた。それに、今のシオンはノキアとの間に関係の変化があったことで、気持ちに余裕がある。今こそが一番いいタイミングだと思えた。


 どこか浮ついた気持ちをいだきつつ、シオンは病院の最上階までエレベーターに乗り込む。


 そして、最上階に着いたところで、一人の男性とすれ違った。


「……失礼」


 ぶつかりそうになったその男性は、短くそう言って、シオンを見下ろした。

 背の高い、スーツ姿の男性だった。オールバックに縁無しのメガネが、理知的な印象と共に神経質そうなイメージを抱かせる。


 彼はシオンを見ると、短く一言。


「なるほど。君のことか」

「はい?」

「いや、気にするな。こちらの話だ。時間を取らせてすまない」


 男性はそれだけ言うと、さっとシオンを避けてエレベーターの前に立つと、そのままエレベーターで下の階まで降りていった。

 何だったのだろうかと思いつつ、ハルノが言っていた『怖そうな男』が彼であることに、ようやく思い当たる。

 しかし、あのスーツ姿の男性はシオンの知らない人だった。


 直接聞くしか無いかと、アヤネの病室に急ごうとした時である。

 病室の前に、一つの人影があった。




「さて、お勤めご苦労様だな、少年」




 そう、何事もなかったかのように、その武人は声をかけてくる。


 ここに来る以上、そいつと遭遇することは覚悟の上だった。その上で、どんな言葉を交わすことになるかと不安を覚えてはいたが、その一言で、すべてが無意味になった。


 武侠の神霊・飛燕。


 彼は、平然とした態度でシオンを迎えた。


「……まったく、心配して損したよ」

「なんだ。心配事でもあったのかね? だとすれば、ここで口にすると良い。アヤネを相手にすると、言いたいことも言えないだろうからね」

「いや、遠慮するよ」


 苦笑しながら、シオンは彼と向き合う。


「それより、お前中々いい性格してるな。あんなことをした後なくせに、何事も無かったように僕と話すなんて、どういう神経をしてるんだ?」

「さて、それは鏡でも見れば分かるのではないか? 君に至っては、を手に入れたようだしな。私に限って言えば、元の性格が良すぎるんだろう」


 クックと、くぐもった笑いを漏らす飛燕。

 その姿は、どことなく上機嫌だった。なにか良いことでもあったのだろうか。


「今日のアヤネは?」

「すこぶる機嫌がいいな。つい先程まで、元気に口喧嘩をしていたよ。さて、今度は君がその相手をすることになるようだが、覚悟は良いかね?」

「本当なら遠慮したいな。ただまあ、約束すっぽかすと怖いから、今日行くよ。どうせいつかは、話さないといけないしな」

「それが良い。彼女としても、早く逢いたいとそわそわしているようだからな」


 そう、満足げに言う飛燕。

 その姿を見て、ふと、聞くつもりはなかったのに、問いかけていた。


「なあ、飛燕。どこまでが、お前の思惑だったんだ?」

「ふむ、質問の意図が不透明だな。回答がほしいなら、もう少し具体的に聞き給え」

「回りくどいな。そういうとこ、ほんと似てると思うよ」

「ああ、私もだ」


 そう言い合うと、クックと、二人して気の合う友人のように笑いあった。


「どこまでと言っても、私が思ったことと、実際にやったことは、そう多くない」


 軽口を言って満足したのか、飛燕はその真意を口にした。


「私が思ったことは一つ。『君との概念的繋がりを断てば、もっと私は自由に力が使えるのに』ということ。そして、私がやったことは一つ。『七塚ミラを再起不能にすれば、久能シオンはこちらに敵意を向けるだろうと、アヤネに伝える』。たったの、コレだけだ」

「……前半はともかく、後半はうまく意図が読めないな」

「そうか? 随分と察しが悪い。要するに、アヤネは君と全力で戦いたがっていたのだ。それなのに、君は始め、あまり乗り気ではなかった。ならば、敵意を向けるように差し向ければ、本気で戦ってくれるだろう――そう、アヤネに思わせればよかった」


 それだけのことだと、飛燕は平然とした顔で言う。


「ちょうどタイミングが良いことに、霊子学の論文もあったことだしな。七塚ミラがギリギリ復活できる範囲で、なおかつ、君が取れる手段とすれば、培養生体の右腕を七塚ミラに移植して、擬似的な魔力流路を作るくらいしかない。そうして原始分化中の霊子生体に、流路を作ればすぐに新たな因子が出来て、形だけでも復活する。そのついでで、神霊に右腕を捧げれば、さすがに私との間にある微弱な繋がりは途切れるだろう――そう、私は考えた。最も、まさかまったく逆の手段を取るとは、思わなかったがね」

「………」


 飛燕に言われて、シオンはようやくその方法に気づいて、顔をしかめた。

 そうだ。確かに命の危険の少なさで言えば、そちらの方が遥かにリスクは低い。何も、自分の方に霊子生体を移植して、膨大な情報を送り込むリスクを背負うことなんてないのだ。


 最も、飛燕の言う手段だと、どちらにしろシオンの魔力出力量では、ミラの復活はかなりあとになったことだろう。結果的には、シオンが取った手段が正解だったことが、僅かな救いであった。


「そういうわけだ。私は自分の目的のために君たちを利用したわけだが、まさかそれを責めるつもりはあるまい? アヤネにしても君にしても、十分すぎるほど得るものがあったのだから」

「僕やアヤネは良いけど、ミラは未だに、お前にブチ切れてるぞ」

「ふむ。では同類からの一言として、伝えておけ。『』とな」


 そっけなく言って、にやりと皮肉げに笑う飛燕。


 最初に会ったときからそうだったが、どうも飛燕はミラを嫌っているフシがある。いや、ミラというよりは、カール・セプトの鏡回廊を、といったほうが良いだろうか。

 今のシオンはあまり意識していないが、当時の自分は、カール・セプトの所業に対して義憤のようなものを覚えもしたので、それが表に出ているのだろう。


「さて、話はこのへんでいいだろう」


 強引に話を遮って、飛燕はシオンを促す。


「お姫様がお待ちだ。せいぜいきっぱりと振ってやれ」

「……別に、付き合っていたわけじゃないんだけどな」


 言い訳じみた言い方をしながら、シオンはちらりと飛燕を見上げながら言う。


「アヤのこと、よろしく」

「ふん、誰にものを言っている」


 飛燕は腕を組みながら、誇らしげにシオンを見下ろして言った。


「私はそのために発生した神霊だ。そんなこと、君に頼まれるまでもない」

「そうか」


 奇妙な連帯感を覚えながらも、その瞬間、シオンはようやく、自分が彼とは別人であることを意識することが出来た。


 飛燕に背を向ける。


 同じ精神を持つ者たちは、その瞬間、はっきりと別の目的のために、袂を分かった。



「アヤ、入るぞ」



 そうして。

 久能シオンは、久我アヤネに会いに扉を叩いた。




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