第39話 ファーストキス(大嘘)
そして、木曜日。
ユースカップ校内予選リーグ戦四日目。
その日、午後になってようやく、久能シオンは登校して来た。
廊下でシオンの姿を見つけた円居鶫教諭は、慌てて彼の後を追う。
「久能くん! ああ、やっと登校したんですね。今日も欠席かと思って心配しましたよ。昨日から学校に来てなくて……。も、もう。いくら代表選手だからといって、無断で授業を休んで良いわけじゃないんですよ。分かってますか?」
「…………」
「く、久能くん?」
円居の姿を見上げたシオンは、うつろな目を向けてくる。
やがて目の焦点があったのか、ようやく彼は、円居に向けて言葉を発する。
「……はい。すみません。その……せん、せい?」
虚ろな目で、探るように言うシオンを見て、円居は怪訝な声をだす。
「く、久能くん?」
「あぁ。はい。円居先生ですね。授業、サボってすみませんでした」
「ちょっと、あなた大丈夫ですか? 体調が悪いなら、保健室に……」
「大丈夫です」
最後の言葉だけは、力強かった。
据わった目をしたシオンは、先程までの朦朧とした様子はなりを潜めて、しっかりとした口調で円居へと頭を下げる。
「ご心配をかけました。試合前で、少しナーバスになっていたんです。もう大丈夫なので、心配しないでください」
「え。ええ。本当に大丈夫なら問題ありません。でも、本当に体調が悪いのでしたら、無理はしないでくださいね? 実際、昨日は久我さんが、それで試合を棄権しましたし。大切な試合とは言え、体調の方を優先させてください」
「はい。わかりました」
そう言って、キビキビと頭を下げたシオンは、止める間もなく円居の前から去っていった。
※ ※ ※
鏡。
一般的な製造方法はガラス面等に銀やアルミニウムを蒸着させることによって可視光線を反射させる部分を作り出すかつては金属版を磨いた金属鏡が広く普及しており青銅を用いた銅鏡が有名である数多く出土される鏡の中には黒曜石を磨いて作った石版の鏡なども発見されているこうした鏡の起源は定かではないが最古の鏡として言われているのは紀元前2800年ごろのエジプト第六王朝時代にまで遡ると言われており古くから鏡は人間の生活を支えていたと考えられるそうした鏡が現代の製造方法を得たのは十九世紀ごろのことで硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を癒着させる銀鏡反応を用いた製鏡方法が開発されて現代にまで続くことになった銀は可視光線の反射率が金属類の中で最大であるため他の金属よりも優先して製鏡に用いられることに――
「シオン! しっかりして! 飲み込まれちゃ駄目!」
「ぁ、あ。……み、ミラ」
目の前に逆さになったミラが居た。
上下左右が逆になった彼女は、乱暴にシオンを揺すって気を引こうとしている。
試合直前のことだった。
すでに外では、第1試合が始まっているのか、歓声が聞こえている。シオンとアヤネの試合は第四試合。そう時間をおかずに、入場案内があるだろう。
そんな時に、シオンはぶっ倒れた。
頭のなかには、気が狂うような情報量がなだれ込んできていた。
日本に銅鏡が伝わってきたのは紀元前後のことであり中国より持ち込まれたが現存したものは見つかっておらずその記録だけが残っている現存する日本最古の鏡は三世期頃の古墳時代前期のものであり三角縁神獣鏡と呼ばれている古墳から出土したこれは五百を超える数が確認されておりこの頃には日本において和鏡の製造技術が成立していたと考えられる物体としての鏡ではなく概念としての鏡の始まりは水面に反射した景色にまで遡る水鏡によって人はそれまで自らの目で目撃することのできなかった自身の容姿を認識することができるようになりそうして自身を客観的に認識することこそが自己認識の第一歩と言われている鏡面に映った存在を自己と認識する能力を自己鏡映像認識能力と言いこれを持つか否かによってその動物の知能レベルを図ることができるためこれを利用して――
「ねえ、どうしようノキちゃん、さっきまでは意識がはっきりしてたのに、今はもうこんなで……ああ、ごめんなさい。わたしが、わたしの因子が……」
「いや、私のせいだ。ちょっとだけ魔力操作をしくじったから……しっかりするんだ、シオンくん! もう少しで明星くんが来るから、それまで――」
左右が逆になってぼやけて映る二人の少女が、必死でシオンに触れて魔力を操作している。
しかし、一度荒れ狂った魔力はシオンの内側を駆け巡り、霊子生体の持つ圧倒的な情報量を次々と送り込んでくる。
鏡に映像が映るという概念は古代より神性なものとして考えられ祭事によく用いられるとともに神器としても世界各地で用いられる日本における天照大神が自身の代わりとして扱うように神勅を出した八咫の鏡を始めとしてギリシャ神話におけるメデューサ退治のアイギスの盾や中国の七国伝において太公望が妖魔の正体を暴くために使った照魔鏡も有名であるし古代エジプトの第六王朝の女王ニトケルテイが政敵を幽閉した牢内に置いたとされるニトクリスの鏡という伝承が後世に作られることになったこのように鏡というのは呪物としての側面を多く持ち現代においても重要な要素を帯びて――
「大丈夫か、久能!」
控室の扉を乱暴に開く音が聞こえる。
彼はシオンの額に手を添えると、デバイスに魔力を通しながら口を開く。
「――起動『人型』『転写』――『消去』!」
瞬間、シオンの脳内のなだれ込んできていた知識の奔流が、一瞬だけ止んだ。
ハッと我に返ったシオンは、息苦しそうに荒い息をしながら、目を見開いて目の前の少年を見やる。
白髪長身の少年――明星タイガは、厳しい表情でシオンを見下ろしていた。
「あ、……ぁあ。みょう、じょう……」
「あらましは聞いた。まずは情報圧汚染の対処だ」
疑問を挟まずに、タイガはテキパキと問題点を洗い出し始める。
「頭の中に、雑多な情報がなだれ込んできているな? それはどんな風に伝わってきている? 音か? 映像か? それとも文字か?」
「……も、文字だ。次から次に、文章が溢れてきて……」
「なら、無理に読もうとするな。俯瞰して、眺めるイメージを持て。例え知っている内容が流れてきても、気にするな。まずはその情報の流れに身を任せろ」
目線を合わせながら、明星タイガは少しずつシオンに言い聞かせていく。
それと共に、虚ろだったシオンの目は焦点があっていく。
そこでようやく、シオンは自分が置かれている状況を察した。
場所は、ユースカップ予選代表選手の用意された控室だった。ここに来るまでの記憶がまるまる抜けている。
すでに今日の試合は始まっているのか、離れたところから実況の円居教諭の声が聞こえていた。
全身が汗でびっしょりだった。
まだ脳裏には、気が狂うような情報が流れ続けている。荒れた息を落ち着けながら、シオンはぐるりと周りを見渡す。
まず目の前に、カウンセリングをしてくれた明星タイガがしゃがんでいる。その後ろでは、七塚ミラと草上ノキアがオロオロとした様子でシオンを見ていて、側でデイム・トゥルクが二人を支えている。部屋の端には、タイガのバディである千頭和ナギニが、腕を組んでこちらを見ていた。
周囲の状況を把握してホッとしたからか、右腕が強く熱を持つのを感じた。
それを押さえながら、シオンは浅い息を吐く。
ふらつきは取れないが、なんとか会話できるレベルにまで回復した。改めて、シオンはタイガに深く頭を下げる。
「悪かった。試合前なのに……。試合は、大丈夫なのか?」
「俺の試合は三試合目だ。今は二試合目だから、もう少しで呼ばれる。それより、君の方は大丈夫なのか? 一体何があった」
「……あぁ。話すよ」
元より、こんな状態になった時のために、ミラたちにはタイガを呼ぶように伝えてあった。
タイガは過去に、霊子災害を自身の体に封印するという経験がある。経緯は違うとは言え、今回のシオンが行った霊子生体の移植は、似たような状況になると考えていた。
シオンが今回やったことのあらましを説明したところで、タイガは眉をひそめながら、不機嫌そうに一言言った。
「どうして俺を呼ばなかった」
「いや、さすがに呼べないだろ……。まあ、こうやって助けてもらった時点で、何を言ってるんだって話ではあるけど」
頭のなかに流れてくる文字を努めて無視しながら、シオンはとぎれとぎれに言う。
「気に食わないなら、こう思ってくれ。奥の手を、ライバルに知られたくなかったんだ。……けど、それどころじゃなくなった。力を貸してくれて、助かる」
「そういうことなら、右腕の内容については深くは尋ねないでおこう」
ちらりとシオンの右腕を見たタイガは、目線をまっすぐに向けながら、現状を確認し始める。
「とりあえず状況としては、七塚の因子が君に流れ込んでいる状態だ。それは、七塚がファントムとして復活すれば、ある程度制御できるようになるはずだ」
「ああ。本来なら、僕の方から因子を利用しようとしなければ、情報圧汚染は無いように設計していた。……今は、ミラに魔力を送らなきゃいけないから、常時つながっているだけだ」
実際、今のところ、ミラは自力で実体を持つことに成功をしていた。
まだ因子そのものは不活性なままだが、このまま地道に魔力を送り続ければ、数日で回復できるだろうというのが、八重コトヨの見立てだった。
しかし、それでは今日の試合には間に合わない。
だからシオンは、自身から魔力を送るだけではなく、ミラの体内で消費しきれなかった魔力を再吸収して、それをまた送り返すということを行っていた。
そのことを説明すると、さすがのタイガも目を丸くして驚いた。
「馬鹿か君は。そんなことをし続けたら、本当にファントムの情報圧に押しつぶされて、精神崩壊を起こすぞ」
「は、はは。さすがに実際に体験したら、笑い話にもならなかった。本当に、情報に圧殺されるかと思ったよ……だけど、これでミラは、鏡を一枚出す程度には回復した。まだ戦いにはならないけど、目的には近づいたんだ」
「……前から思っていたが、君は少し、やることが過激すぎる」
「そう思ってくれるんなら、光栄だ」
言いながら、シオンは脳裏に走った情報に顔をしかめる。僅かに考察し甲斐のある内容がよぎったせいで、そちらに意識を持っていかれかけたのだ。慌てて魔力を全身に巡らせて、必死で意識を保とうとする。
そんなシオンを見て、タイガは質問を重ねる。
「それは、一旦中止することは出来ないのか?」
「設計段階で、ミラが制御できるようになるまで、繋ぎっぱなしにしてある」
「となると、君は現在、神霊の因子を体内に抱えているのと同じ状態になる。君の持っているもう一つの、竜の因子の方は、問題ないのか?」
「そっちは、僕が持ってるのはただの上澄みで、魔力炉の方はアヤが吸収しているんだ。だから、僕の方は大地のマナと接続しない限り、力を発揮することはない」
「なら、気をつけなければいけないのは、鏡の因子のみだな。……とにかく、さっき言ったように、意識を保ちながら因子の流れを制御し続けろ。少しは楽になるはずだ」
そうタイガが言ったところで、会場から歓声が聞こえてきた。
それを聞きながら、タイガは覚悟を決めたように、シオンに向けて言う。
「できるだけ時間を稼ぐ。気休め程度かも知れないが、その間、気を休めておけ」
「……明星くん。それは」
彼の言葉の意味を分かったノキアは、気遣わしそうに彼に声をかける。
それにちらりと目で答えながら、タイガは自身のバディに声をかける。
「いくぞ、ナギ」
「はいよ。まったく、アンタもつくづく、無茶を言うのが好きだね」
愉快げに火傷痕のある顔を歪めながら、ナギニは赤い髪を振りつつ、自身の主に付き従う。
これから行われる、第三試合。
Bブロック四日目。
明星タイガVS白銀ミナト
自身が戦う相手を知ってなお、タイガは時間を稼ぐと、そう言ったのだ。
「ったくよぉ。対戦の組み合わせはランダムとは言え、ひでぇブロックだよな。最終的なレーティングで一位と二位に、四位がいるようなブロックだぜ? あとの十位と十二位が可愛そうになるよなぁ」
「関係ない。誰であろうと、倒すしか無いんだ。今日はそれに、少しだけ時間を掛けるだけだ」
「かかっ。ああ全くその通りだ。だが、今日の相手の白銀には、あたしらは予選で一回負けてるんだぜ? それをわかった上で、言ってるのか?」
愉しげに言うナギニに対して。
タイガは、顔色一つ変えずに言う。
「なんだ。自信がないのか? ナギは」
「く、はは! んなもん、可愛い主人の頼みだぜ?」
タイガの肩に腕を回して、ちらりとシオンたちを見返しながら。
千頭和ナギニは、誇るように言った。
「負ける気なんて、しないっつーの」
そう言って、二人はシオンの控室から出ていった。
そんなライバルたちの意気込みを見て、シオンは気合を入れるように、強く息を吐いた。
※ ※ ※
鏡の性質を理解する上で光の計算は欠かせないものであり光と鏡は同時に考えるべき事象である光とは自然科学において可視光線という名称で区別されており電磁波の一種として扱われる同分野においては赤外線や紫外線までを含めて光として扱って――
マギクスアーツの試合は、早ければ数分で終わることが多い。
長引いたとしても、せいぜい十分くらいである。時間制限こそないが、互いに霊子体を構成する魔力は、その程度で消滅するくらいに調整する事が多い。
「明星が時間を稼いでくれている。今のうちに、作戦の確認だ、ミラ」
――具体的に光とは何かという命題において光は粒子であるという考え方と光は波動であるという考えの双方が存在しそれらは二十世紀に至るまで多くの科学者を悩ませ続けたそれらの解決には量子力学の登場を待たなければいけない不確定性原理によって生じた問題を量子論の相補性という概念によって解決し光は粒子と波動の二面性を持つ量子であると――
「あ、ぐう……」
「大丈夫かい、シオンくん!?」
「ああ。くそ、気を抜いたらすぐに意識を持ってかれる。集中しないと……で、どこまで話した? とりあえず、ミラの回復した鏡の一枚で――」
頭の中に絶えず流れる知識の奔流は、飽きることなくシオンの脳内を蹂躙する。彼が知っている知識から、知らない知識まで、ありとあらゆる『鏡』に関する情報が脳内を席巻する。
最初は文字で現れていた情報の渦は、やがて感覚的にシオンに迫ってくる。
左右対称になっていた景色は次々に色が変わり、皮膚に当たっていた光がなくなりひんやりと熱を奪っていく。
小刻みに震えながら、シオンはそれでも意識を保ち続ける。
――鏡面反射における反射ベクトルの求め方として光のベクトルと逆ベクトルをLとして鏡面の法線をNで正反射した場合のベクトルをL’とした時の計算式はL’=2*N*(N・L)-Lで求めることができるこれを平面として三次元ベクトルを求めることによって光の反射の全てを把握することができるのだが現実において鏡の持つ反射率は100%ではなく94%が限界で――
気のせいだ。
光がなくなったのは気のせいだ。左右対称なのも気のせいだ。色が変わるのも気のせいだ。気温が下がっていくのも気のせいだ。ガタガタと身体が震えてしまうのは気のせいだ。
グルグルと視界が回る。情報から目をそらせなくなってくる。何か別のことに意識を取らなければ。そうだ、会話だ。明星タイガとしていた時のように、何か会話をすれば、気が紛れる。現実との接点を持たなければ、気が狂う。
「もうすぐ試合だ。なあ、話をしよう。ミラ。ノキア。トゥルクさん。誰でも良い。話を……僕と、話を」
「し、シオンくん……」
寒い。身体が冷えていく。どうしようもなく意識が遠くなっていく。
――光の反射率の誤差を前提として我々は計算を行わなければいけないがこれが概念属性の魔法として扱う場合は別であり理想鏡面を用いた術式などはむしろポピュラーなものでありその差を利用した呪術なども古くから作られ――
会場から歓声が聞こえる。
実況で、勝敗を告げる声が聞こえる。明星タイガの試合が終わったのだ。だとすれば、もうすぐ自分の番が来る。
だというのに、シオンは寒くて仕方がなかった。
「寒いんだ。なんでかな。すごく寒い。暖房は入ってるよな。なのになんで、息が白いんだ。なんで、僕は寒いんだ、なあ、なんで――」
「シオンくん、私が分かる?」
「なあ、草上。……ああ、ごめん。ノキア。もうちゃんと名前で呼ぶ。だから――」
「じっとしてて!」
――元より光とは超越存在の直喩でありあらゆる宗教において絶対神の持つ力は光であるそうした存在には不可能がなく――
ノキアの声が聞こえた瞬間。
強引に、唇が合わせられた。
――光によって生み出された影と光の反射によって生まれた鏡像は――
「んっ!? んんっ??」
驚愕にうめき声を上げる。
後ろにいたミラとトゥルクはびっくりして黄色い声を上げた。
――鏡に反射する光は――
シオンの目の前に、ノキアの顔があった。
唇と唇が合わせられるだけの、子供のような接吻。
ノキアの唇は固く閉じられていて、強く押し付けるだけの不器用なものだ。緊張に目はギュッと閉じられていて、まつげがかすかに揺れているのが見える。
その目の前の光景に、シオンは目を丸くした。
しばらく唇を押し付けた後、ノキアはゆっくりと離れながら、震えた声で言う。
「……目、覚めたかい?」
真っ赤になった顔を隠すように伏せながら、チラチラと、ノキアはシオンを見る。
シオンはまだ、何が起きたかわからずに呆然としていた。
だが、今のが衝撃的なことであることだけはかろうじて分かった。
おかげで、脳内に溢れていた情報が、一瞬で吹き飛んだ。
出来事の処理がうまく出来ていないシオンは、うまく言葉を発することが出来ず、黙ってノキアを見つめていた。
じっと見つめられて居心地の悪いノキアは、更に顔を赤くしながら、言い繕うように言った。
「えっと。その……こうすれば、びっくりするかなって、思って」
「あ、ああ。びっくりした」
「う、き、気軽にしたわけじゃないんだよ。その……こういうの、初めてだから」
「は?」
何言ってんだこいつ。
初めて。
その言葉に、思わずシオンは怪訝な声を漏らす。
それを察しが悪いのだと思ったのか、ノキアはゆでダコのように真っ赤になりながら、懸命に主張するように言う。
「だ、だから……ファーストキス……だから……」
消え入るような声で言った後、のぼせ上がって上気した顔を伏せるノキア。
どうやら本気で、ファーストキスだと言い張っているらしい。
「……っぷ」
羞恥心で縮こまって、変な挙動を見せているノキアを見て、シオンは思わず笑いをこらえきれなかった。
「ふ、ふは、はは! 初めてって。初めてって、お前……はっはっははははっ!!」
「へ? え、なんで? なんで笑うんだい!」
大声で笑いだしたシオンに、少しだけ傷ついたような顔を見せるノキア。
けれど、これはノキアが悪い。
「いや……お前。……ふ、ふふっ、草上家で……ふははっ。夜這いした挙句、む、無理やり、キスしたくせに、何言ってんだ……ははははっ!」
「っ!?!?」
シオンの言葉でやっと気づいたのか、ノキアは羞恥に更に顔を染める。
ゆでダコどころか、熱中症で倒れそうな赤さである。頬だけじゃなく、耳まで真っ赤に染まっていた。
実際、ノキアとキスしたのはこれが初めてではない。
二ヶ月前、草上家での婚約騒動の時に、彼女はシオンに夜這いを仕掛けて、無理やりシオンの唇を奪ったのだ。しかも、さっきしたような子供じみた不器用なものじゃなくて、舌を入れて舐め回すような濃厚なものだ。
そのことをしっかり覚えていたシオンには、まるで初な反応を見せるノキアの姿が、余計に笑えて仕方がなかったのだ。
ツボにはまって笑い続けるシオンに、ノキアはさすがに怒りを見せる。
「う、うるさいうるさい! 笑いすぎだ馬鹿! ゆ、勇気を出したんだぞ。そんなに笑うなんて、酷いじゃないか!」
「は、ははっ。悪い、ほんと、可笑しくて……ああ、悪かった。だからそんなにむくれるな」
可愛らしくむくれるノキアを見て、さすがに正気に戻ったシオンは、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら、そっとノキアに手を伸ばす。
そして、肩に手を回して、そのままギュッと抱きついた。
「なっ!? し、シオンくん!?」
「ありがとう……おかげで、目が覚めた」
急に抱きつかれたので、びっくりしてノキアはわずかに抵抗を見せるが、安心しきったシオンの言葉に、すぐに体の力を抜いて身を委ねた。
相手の心臓の音が聞こえるほどに密着した二人は、そのままじっと、互いの熱を感じ合う。
脳裏にあふれていた情報は、未だに流れ込み続けている。
しかし、今はそれを気にしている余裕はなかった。
目の前にいる異性が身を挺してくれた事実が嬉しくて、他のことはどうでも良くなっていた。
こんな気持ちは、初めてだった。
シオンはノキアの耳元に口を近づけると、もう一度――今度は、名前を呼びながらお礼を言った。
「ありがとう、ノキア」
「う……えと……どう、いたしまして」
「全部終わったら、今度はもっと、すごいことしよう」
「うへ、はぁ!?」
ささやかれるように言われた言葉に、ノキアは奇声をあげてシオンの顔を二度見する。
それに構わず、シオンは優しくノキアから身体を離すと、側で二人のことを見守っていたファントムたちに向き直る。
「待たせた、ミラ。また気が狂う前に、早く試合に向かおう」
「それは良いんだけど……」
さっぱりしたシオンに対して、ミラはどこか、煮え切らない態度を見せる。
「うぅ、ノキちゃんのことは認めたけど、なんだか釈然としない」
「なんだ、ミラ。嫉妬してるのか?」
「うへぇ!」
直截すぎるシオンの言葉に、ミラも顔を赤くして、猫のように髪を逆立てる。
「な、何言ってんのシオン! 本当に頭おかしくなったんじゃないの!? わたしの知ってるシオンはそんなこと言わない!」
随分失礼なことを言うバディである。
後ろでは、シオンの言葉に腰砕けになったノキアが、トゥルクに支えられながらうわ言のように「すごいこと……すごい……何されるの……」とうめいている。
すごいことも何も、続きと言ったら続きだ。その気にさせておいて何を今更である。
せっかく気分がいいんだ。浸らせてほしい。
こんなにうれしい気分になったのは、生まれて初めてなんだから。
「それじゃあ、行ってくる。ミラ、準備はいいか?」
「……まあ、大丈夫だよ。シオンさえ調子がいいんなら。……うんっ。そうだよね。シオンが嬉しいんなら、それでいいや! わたしも、頑張るよ!」
そう言いながら、鏡の神霊は拳を突き出す。
それに、シオンも左の拳で受けた。
互いの拳を叩き合わせ、そして――最弱だったバディは、決戦の場へと向かった。
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