第34話 それはきっと、二人の青春



 朦朧とした意識の中、ノキアに声をかける存在がいた。


「意識はそのままぼかしときなさい。夢でも見るくらいの気持ちで。あまり認識をしっかりしすぎると、後遺症が残るわ」

「………」


 五十代くらいの女性。相応に年を取っているが、ハツラツとした気力に満ちた女性だ。

 ノキアがコクリと頷くと、彼女は優しげに言う。


「そう、いい子ね。まずは自己紹介。あたしは、久我汐音。君が襲ったアヤネちゃんの母親よ。といっても、子供のケンカに割って入るような無粋なことはしないから、安心しなさい」

「…………」

「時間がないから手短にするわ。君が今負っている傷の治癒は、この短時間だと絶対に無理。だから、君の意識を、霊子体から剥がす方を選ぼうと思うの。君が作った霊子体のプロテクトを解除したいから、今からする質問に、正直に答えなさい。はい、か、イエスでね」


 そう前置きして、その女性は、幾つかの質問をしてきた。

 それだけで、この女性が魔法の造詣に深い人物であることがわかった。ノキアが凝らした工夫の全てをさらけ出され、なおかつ、入り組んでいて解けなくなっていた部分も看破された。

 五分もする頃には、ノキアの霊子体は完全に解体され、あとは精神のみが、かろうじて霊子庭園につながっている状態になった。


「まったく、ここまでやっておいて、霊子災害になってないのがびっくりだわ。君、かなりやばいことしたって自覚ある?」

「…………」

「ま、分かってやらなきゃ、ここまでのことはできないか」


 どこか諦めの入った苦笑を浮かべて、汐音は言う。


「本当ならね。立場上、君の行いを見逃す訳にはいかないんだ。でも、相手がアヤだし、身内のいざこざってことで見逃してあげる。なんかあの子も、シオンくんに対してやらかしちゃったみたいだしね」

「…………」

「ただ、また同じことをされても困るし、少し制限をかけさせてもらうわ」


 言いながら、半透明の精神体に向けて、汐音は右手を伸ばしてきた。


「左半身の一部の流路を、呪いで封鎖させてもらう。それだけでも魔力はかなり扱いにくくなるから、こんな無茶は出来なくなるでしょう。安心なさい。物理的なものじゃないから、君の修練次第でもとに戻るわ。せいぜい修業に励みなさい」


 そんな勝手なことを言って、汐音はノキアの精神体を、霊子庭園から切り離した。

 そして、夢心地だった意識は、そのままストンと、現実に落ちていった。



※ ※ ※



 気づいたら、身体が揺れていた。


 次第に意識がまとまってくるに連れて、誰かにおぶわれているのだとわかった。

 線は細いけれど、硬い背中。

 うつらうつらとしていたノキアは、その人物の肩にかけられていた腕に力を入れて、バランスを取ろうとする。


 ノキアが起きたのに気づいたのか、おぶっている当人が、声をかけてくる。


「起きたか、草上」

「……シオンくん」


 半ば予想していたとは言え、その名を口にするとともに、バツの悪い感情を抱く。


「なんで、私」

「霊子庭園が解けてから、すぐに目を覚まさなかったからな。叔母さん……汐音さんは、送っていこうかって言ってくれたけど、アヤと同じ車は気まずいだろうから、断った。それに、後遺症の心配もあるから、僕の知り合いに見てもらおうと思っている」

「そう……かい」


 夜道を、シオンはノキアをおぶって歩いていた。

 その歩みは、ゆっくりだが安定している。細い背中だと思っていたけれど、存外頼りがいのある背中だった。僅かに羞恥心を覚えるが、それにかまっていられるほどの余裕もなく、ノキアはギュッとしがみつく。


「ごめん、迷惑をかけたね」


 思いの外、憔悴しきった声が、自分の口からこぼれた。

 そんなノキアに、シオンは嘆息しながら尋ねた。


「身体は大丈夫か? 表面上は怪我がないみたいだけど、動かない所はないか?」

「……ん、だいじょうぶ」


 本当は、左腕の感覚が全くなく、左目にしてもぼやけているのだが、それは口にするべきではないと思った。


 夢うつつだったとは言え、久我汐音に言われたことは、はっきりと覚えている。どれほどの代償を与えられたかはまだ分からないが、これが自分への罰だと言うなら、受け入れるしかない。

 体全体も、虚脱感に満ちている。大量の魔力を使ったのと、霊子庭園でさんざんなぶられたからだろう。全身が重く、反応が鈍い。


 ふと、そこで荷物が足りないことに気づいた。


「あ……『アルスマグナ』」

「うん? 錬金術がどうかしたか?」

「ううん。デバイスの名前……大型デバイス、多分置きっぱなしだ」


 霊子庭園が解けた際に、ちゃんと実体を取り戻しているはずだが、おそらくあの近辺に転がっていることだろう。

 庭園内では無残にも破壊されたが、あれは通常のモデリングを元にした投影だったので、現実では壊れていないはずだ。


 それを聞いたシオンは、困ったように唸る。


「もう夜も遅いし、明日で良いんじゃないか? 今から戻るの大変だし」

「あれ、実は二百万するんだけど」

「……よし、戻るぞ。すぐに取りに戻る」


 値段を聞くと、シオンは即座に取って返そうとする。

 そんな彼の様子に、ノキアはくすりと苦笑を漏らす。


「別に大丈夫だよ。私の魔力以外じゃ起動できないようにプロテクトかけてるから。ほとんどオーダメイドだから、盗まれてもすぐ分かるし」

「……そうか?」

「うん、そう」


 ノキアの言葉に納得したのか、シオンはそれ以上追求しようとせず、そのまま歩き始めた。


 十一月下旬の冷たい空気が、肌に痛い。

 吸い込む息は内側から体を冷やすようで、吐く息は白く寒さを強調している。

 市街地から離れた場所なので、街灯と月明かりだけが光源だ。そんな中を、シオンはノキアをおんぶしたまま、黙って歩き続ける。


 しばらくは、特に会話はなかった。


 ノキアは何を話していいかわからなかったし、シオンは特に何も尋ねようとしなかった。どこに向かっているのかもわからず、ノキアは気まずい思いを抱えたまま、ただ揺られ続ける。


 ぽつりと、我慢できずにノキアは口を開いた。


「……聞かないのかい。なんで私が、こんなことをしたのか」

「言いたいなら、言えばいい」


 そっけない言葉を、シオンは口にする。


「幾つか想像はついてるけど、あくまで想像だ。今の時点だと、それはお前とアヤの問題で、僕には関係がない。お前が言いたくないんなら、僕は別に聞かないよ」

「……シオンくんは、卑怯だ」

「知らなかったのか?」


 あえて露悪的に答えるシオンに、ノキアは口ごもる。

 彼のこういった所は、好ましいとも思うが、苦手でもある。突き放すような言い方をすることで、彼は甘えを許さないからだ。


 ノキアにどんな理由があろうと、その責任は自分で取れと、彼は言っているのだ。

 本当に、そういう所はどこかの父親にそっくりだ。


「君は、凄いよね」


 だからノキアは、答えないことを選んだ。

 代わりに、シオンに対して、いつも思っていることを口にする。


「昔から、君はすごかった。とても同年代だなんて思えないよ。自分をしっかり持っているし、自制心が強すぎる。私は、とてもそんな風にはなれない」

「そんなことはない。僕なんて、至らない点だらけだ」

「成功より先に、至らない点が出てくる所が、君らしいよ」


 ノキアは小さく吐息のような笑みをこぼす。

 そうだ。自分は、この少年のこういう所が好きで、そして、そんな所が苦手だった。


「君はいつも自分を卑下するけど、君みたいなことなんて、みんなはできないんだよ。君は凄い。本当に、すごくて、眩しくて……眩しすぎて、直視できない」


 それは、四年前に例の論文を読んだときから、ずっと抱いていた感情だった。


 この人には、敵わない。

 自分の自信を粉々に打ち崩した少年。

 けれど、当の本人は、いつも自分を卑下してばかりだった。そんな彼を見ていると、悔しさと劣等感でいたたまれなかった。


 ――そんな彼が、唯一執着を見せる相手が、久我アヤネだ。

 だからノキアは、アヤネが気に入らなかった。


「ねえ、シオンくん。確かに、アヤネさんはすごかったよ」


 内心の嫉妬を隠しながら、ノキアは震える声で、言葉を続ける。


「怖かった。アレだけ準備したのに、全く歯が立たなかったし、徹底的にやり返された。能力の問題じゃない。精神的に、彼女には敵わないと思った。今でも、思い出すだけで、怖い……。確かに、彼女の側にいたら、自分を卑下しちゃうのも、仕方ないと思う」


 でも、と。

 恐怖に涙を浮かべながら、ノキアは唯一のものにすがるように、シオンに言う。


「君だって、私から見たら、同じくらい凄いんだ」

「………」

「神童時代なんて話にならない。障害を負った今の方が、君たちは偉大だよ。普通の人たちは、そんな状態でマギクスアーツを勝ち進んだりなんてできない。君に至っては、ミラちゃんがまともに戦えないのに、仁々木先輩や七隈先輩を倒してしまった。そんなの、誰にもできない」


 その勝ち方には、賛否両論あるだろう。しかし、結果として、彼は勝っている。絶対に不可能な状態を、自身の力でひっくり返したのだ。


 そのために、どれだけの努力が必要か。どれだけの執念が必要なのか。

 途方もなさすぎて、ノキアには、気が遠くなりそうだった。


「ねえ、シオンくん。なんで君は、そんなに頑張れるんだい? そんな、誰もが諦めてしまいそうな状態で、どうして努力ができるんだ。どうして……」


 命をかけてまで、戦おうと思えるのか。


 最後の言葉は、声にならなかった。

 感極まったノキアは、代わりに小さな嗚咽を漏らす。


 悔しかった。


 自分の気持ちを口にする度に、この少年に追いつくことは出来ないという、残酷な現実が突きつけられた。触れ合うほど近い距離にいるはずなのに、目の前の少年は、あまりに遠い。

 せめて逃さないようにと、ノキアは自由の効く右腕で、強くしがみつく。そうしないと、この背中が、遠くに行ってしまいそうだった。


 すすり泣くノキアに、シオンはしばらく無言を貫く。

 ノキアの様子が落ち着くのを待ってから、シオンは静かに口を開いた。


「なあ、草上。僕はさ。そんなに凄いやつじゃないんだよ」

「まだ、君はそんなことを……」

「聞いてくれ、草上」


 口を挟もうとしたノキアを、シオンは制しながら、自分の考えを述べる。


「確かに僕は、目的を達成するために、必死になってるし、その結果、一定の成果を上げている。それは確かに、誇れることなのかもしれない。でも、これは僕だけの力じゃない」

「それは、周りに助けられたから、ってことかい?」

「そうじゃない。そんな、きれいな話じゃないよ」


 小さく苦笑を漏らして、シオンは自分を卑下するように言った。


「僕はただ、なんだよ」

「それは、どういう?」


 シオンの言葉が、よくわからなかった。


 努力をしたということは、誇るべきことではないだろうか? 

 そんなノキアの疑問に、シオンは苦々しいものを口にするように、言葉を続けた。


「僕はこう思うんだ。努力ができる人間は、幸せだって」


 後ろめたさがこもった声で、シオンは続ける。


「だって、そいつにはそれだけの理由があって、脇目も振らずに走れるんだ。夢中になっても許されるような環境にあるんだ。それは、とんでもない幸せだって思う」

「…………」

「普通は、そこまでの理由なんて簡単には持てないし、それを許される環境なんて持てない」


 シオンのその言葉は、驚くほど冷めていた。


「努力はすごいものだって言うけど、そんなことはない。理由と環境さえあれば、努力なんて誰だってできるんだ。どんなに苦しくても、どんなにきつくても、それを上回るだけの理由があるんだ。出来ないわけがない」


 苦労をするのも、辛いのを乗り越えられるのも、それに見合う理由があるからだ。

 自分はたまたま、そんな理由を持てる環境にあったと、そうシオンは語る。


「だから、努力なんて誇るもんじゃない。そいつらは、努力できる環境にあったことに、感謝すべきなんだ」

「……それ、は」


 さすがに、我慢できずに、ノキアは口を挟んだ。


「そんなのは、才人の傲慢だよ、シオンくん」

「……そうかもな」


 ノキアの言葉を、シオンは否定しなかった。

 ただあくまで、自分の考えを、彼は主張する。


「僕が周りからどう思われているかは分かっている。神童と囃したてられて、調子に乗った時もある。でも僕は、自分がどうしようもなく未熟な人間だって知っているんだ。それを、ある時に、気づいたんだ」


 その気付きはきっと、ノキアにとっての例の論文と、同じものだったのだろう。

 シオンは苦しげに、けれどもどこか誇らしげに、そのことを口にした。


「僕が成功できたのは、隣にアヤがいたからだ」


 久我アヤネ。

 神童の一人で、自分を引っ張り上げてくれた、幼馴染。

 彼女は、シオンにとっての理由だった。


「アヤに出会う前の僕は、本当に何もできない子供だった。親から放任されて、毎日解けもしないような知育玩具で暇をつぶしているような、何も持ってない子供だったんだ。でも、アヤに出会って、外の世界を知ることができた」


 微かに、シオンの声のトーンが変わる。

 それは注意して聞かないとわからないくらいだったが、その声色は、どこか弾むようだった。


「アヤに憧れた。アヤに認められたいと思った。アヤの側にいたいと思った。だから、僕は努力することができたし、分不相応な実力を手にすることができた。あいつに出会わなかったら、きっと今の僕は、居なかったはずだ」


 ノキアの側からは、シオンの顔が見えない。


 シオンは首を少し上げて、星がまばらに光る夜空を見上げている。

 その表情はわからないけれども、きっと遠い目をしていることだろう。今、彼は、心の中の大切な部分をさらけ出しているのだと、背中越しでも分かった。


「だから、今の僕があるのは、アヤのおかげだ。本当に凄いのは、なんの理由もなく結果を出せるアヤの方だ。僕はただ、そのおこぼれに預かってるに過ぎない」

「……だから君は、そんなに自分を卑下するのかい」


 思わず、そんなことを口にしていた。

 それはあんまりに辛いと、ノキアは思う。

 確かにアヤネは凄いのだろう。けれども、そんな存在と並び立てたのは、それだけで誇って良いはずだ。

 そのことを無視して、不当に自分を卑下するのは、あまりにも可哀想だ。


「理由がどうあれ、久我さんと並び立てたのは、君の実力でもあるはずだ。自分が頑張ったことを、全部人のおかげのように言うのは、あんまりにも辛いよ。そんなんじゃ……君自身が、報われないじゃないか」


 泣きそうなノキアの声に、シオンは黙り込む。

 この遠いところにいる少年に、自分の声は届かない。その事実が、ノキアにとって、あまりにも辛かった。


 けれど。

 シオンは、小さくつぶやいた。


「……僕だって。誇れるものなら、誇りたい」

「ぇ?」

「悪い、草上。今から、本音を言う」


 生真面目にそんなことを言って、シオンは地面に顔を向ける。


「僕は、昔の自分を知っているんだ。あの頃の自分は、才能はなかったけれど、実力はあった。子供じみた万能感だったけど、確かになんだってできたんだ。それを知っているからこそ、今の自分が、憎らしい」

「シオンくん……」

「なんで今の僕は、魔力をうまく回せないんだ。なんで術式を読み込むのがこんなに遅いんだ。なんですぐにガス欠になるんだ。なんで体の動きがこんなに鈍いんだ。なんですぐに身体は不調を訴えるんだ……不満だらけだ。僕は今の僕に、不満だらけだ」


 けれど、と。

 悔しそうに、シオンは言う。


「一番の不満は、


 手をつくして、策を弄し、不意を打ち、目的を達成する。

 実力が足りないから、あらゆる力を借りて追いつこうと努力をする。けれども、心の何処かで、これでは足りないと思ってしまう。


「足りるはずがないんだ。昔の僕はもっとできたし、今の僕を倒すのなんて、簡単なはずなんだ。どんなに作戦を立てても、失敗する自分が思い浮かぶ。何をどうされれば負けるか、まざまざと想像できる。なのに、なのにだ……」


 最後に彼は、絞り出すようにその一言を口にした。




「なんで……みんな僕に、勝てないんだ」




 ――それはおそらく、このストイックな少年が口にする、初めての恨み言だった。


 シオンはずっと、その本音を隠してきたのだろう。

 何度も無理と思い、自身の策の欠点を意識しながら、不完全燃焼な勝利を得続ける。それは、どれほどのストレスだったことか。


 もちろん、彼は少しも手を抜いていないし、相手だってそうだろう。結果だけを見れば、ただシオンが相手を上回っただけだ。それは本来なら誇るべきだし、賞賛されるべきものだ。


 シオンがそれに不満を覚えるのは、ひとえに、本当の実力者を知っているからだ。


 久我アヤネ。

 彼女を相手にすれば自分の策など容易く破られる。それがわかった上で戦うからこそ、あっけなく策が成功することに戸惑うし、劣等感を覚える。


 今のシオンに必要なのは、死力を尽くした勝利だ。


 勝ち筋などまるでなく、退路もない。

 相手の考えが読めず、もう負けるしかないと覚悟を決めたような、進退窮まった状態から、決死の覚悟で挑んだ勝負。

 そこで得た勝利にしか、彼が誇ることはできないだろう。


「わがままだとは、分かっているんだ」


 それは彼個人の問題であり、誰かを恨むことでもない。事実として勝利を刻んでいる以上、そこに文句をいうのはお門違いという話だ。ただ単に、相手に過剰に期待をしすぎているというだけの話だ。


 だからこそ、シオンはアヤネとの勝負を求めていた。


「幸い、アヤも本気で僕と戦おうとしている。ミラを襲撃したのが、その証拠だ。アレは多分、ミラの原始分化を止めるための苦肉の策だ。僕がうまくやりさえすれば、ミラは回復できる。そうすれば、僕とアヤは、全力の勝負ができる」


 かつて、神童と呼ばれた者同士。

 互いに、壊れかけの魔法士同士。

 死力を尽くした勝負をすることができるだろう。


「前に、なんで危険を犯してまで勝負しようとするかって聞かれたけど、これが答えだ。すごく馬鹿なことをやろうとしているのは分かっているけど、今じゃないと、駄目なんだ」


 だから、と。

 シオンは、懇願するように、ノキアに再びその頼みを口にした。


「僕に協力してくれないか?」

「…………」


 突っぱねるべきなのだろうと、ノキアは思った。

 けれど同時に、突っぱねてどうするんだと、忸怩たる思いを抱く。ノキアが断れば、きっとこの少年は、自分の知らないところで勝手にやるだけだ。シオンの決意は硬い。この少年は、そういう所は本当に頑固なのだ。


 理由があるのなら、そのための行動に躊躇がない少年なのだ。


 だから……。

 ノキアは、一つだけ尋ねた。


「シオンくん。君は、アヤネさんのことが、好きなのかい?」

「……好きだ。けれど、それは恋愛感情じゃない」


 僅かに口ごもりながらも、シオンは正直に答えてくれた。


「じゃあ……」


 私のことは、と。

 くだらないことを聞きそうになって、ノキアはすんでのところで、言葉を飲み込んだ。


 そんな、口だけの言葉を聞いたところで、意味はない。

 そこにどんな感情があろうと、現実としてシオンは、アヤネと戦おうとしているし、そのためにノキアを利用しようとしている。

 彼の決意が動かない以上、譲るべきはノキアの側だ。


 一昨日、シオンと喧嘩別れしてから、何度も考えた。


 自分はシオンのことが好きだ。

 なら、その好きは、どこまでのことができるだろうか。


 答えは、アヤネを襲撃した時に、すでに出ていた。


「シオンくん。私は、君が好きだよ」



 その好きは、彼のためなら、なんだってできる『好き』だ。

 今までの短い人生全てを、捧げることのできる『好き』だ。

 彼のためになるのなら、なんだってやり通せる『好き』だ。



 そんな身勝手で、ワガママで、横暴な感情に、見返りなんて必要はなかった。


 けれど、今のシオンの話を聞いて、考えが変わった。

 きっと彼は、これから何度も、同じような苦しみを味わうに決まっている。例え今回、アヤネを倒して達成感を得たとしても、それは一時的なものだ。しばらく経てば、彼はまた、自分のことを誇ることができなくなるだろう。


 だから、彼の努力に、報いを与える人が必要だ。

 彼を認めて、褒めて、受け入れてあげる。そんな存在が、きっと必要になる。

 もし許されるのなら、自分がその役割を担いたい。このストイックな少年の力になりたいと、心の底から焦がれるように思った。


 もし彼が拒絶するのなら、ノキアは身を引くつもりだ。

 けれどもし、彼が受け入れてくれるなら。


「提案があるんだ、シオンくん」


 私は彼のために、この人生を捧げても良いと思った。


「もし私が好きなら、名前で呼んでくれないかい?」


 その提案に。

 シオンは、噛みしめるように間をおいた後、ゆっくりと言った。


「叔母さん……汐音さんにも、言われたんだ。気持ちは、はっきりと言えって。だから……僕も、お前のことは好きだ。


 それは、少しだけ嘘っぽく感じる響きだった。

 けれども、その生真面目な声色から、彼が真摯に答えてくれたことが分かる。


 ああ、本当に自分は単純だ。

 ただこれだけのことで、嬉しさで身が震えるのだから。


「しょうがないなぁ……」


 乾き始めた涙がまた溢れるのを感じながら、ノキアは囁く様に、そっと伝えた。


「私でいいのなら、協力させてくれ。シオンくん」


 一度は、棒に振ることも考えた人生だ。

 それなら、彼のために捧げてやろうと、そうノキアは誓ったのだった。



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