第33話 飛燕の正体



 時は少し戻って。



 トゥルクからの救援メールを受けて、シオンたちは車を走らせていた。

 道中、シオンは汐音から、草上ノキアについての話を根掘り葉掘り聞かれていた。


「へぇ。あの草上エレクトロニクスの会長のお嬢さんか。あそこの会長、苦手なのよね」

「草上秀星さんのこと、知ってるんですか?」

「まー、草上エレクトロニクスのサブデバイスは、うちでも採用されてるから、ある程度はねー」


 そう言った後、汐音は嫌なことを思い出したように、渋面を浮かべる。


「あと、あたしは直接関わってないんだけど……とあるデバイス事故の訴訟で、あの人が参考人として召致されてたんだよね。そんで、他の企業が軒並み営業規制を受ける中、あのタヌキ親父だけ、最終的に自社の優位性の宣伝を成功させて帰りやがったのよ」

「は、はは……」


 状況がイメージできて、シオンは乾いた笑いを上げた。


 ちなみに、汐音の勤務先は警察庁である。

 刑事局の異能犯罪対策課。異能保持者全般に対する部署で、結構な役職にあると聞いたことがある。

 だからこそ、トゥルクのメールにあった『法に触れる』という文言が気になったのだろうし、こうして率先して車を走らせているのだろう。


 そんな彼女は、シオンとノキアの関係を聞いて、ニヤニヤと下世話な笑みを浮かべた。


「そっかー。シオンくんの今の彼女さんなんだ。君も隅に置けないな、このこのー」

「まあ、成り行きでそうなりました」

「あー、そういう言い方する?」


 シオンとしてはいつもの謙遜のつもりだったのだが、汐音は唇を尖らせて、不満げに言う。


「ちょっと、まさかそういうこと、本人にも言ってないでしょうね」

「えっと……でも、実際に僕達の関係は、ちょっと入り組んでいるというか」

「だーかーら、あたしが言いたいのは、そういうんじゃないの。うーん、君が堅物だっていうのは知ってたけど、ここまでとは。これはアヤが悪いわね……」


 汐音はブツブツと文句を言いながら、頭痛をこらえるように額に指を当てる。

 なんだか話が変な方に逸れているが、汐音は至って真面目なので、シオンは自然と身を正して聞く態勢になる。


「あのね。確かに色々思惑はあったのかもしれないけど、仮にも君たちは付き合ってるんだよ? それなのに、そういうどっち付かずの態度を取ってると、相手はすっごく不安になるわ。そりゃもう、すっごく。賭けても良い」

「……草上が、ですか?」


 怪訝な口調とともに、シオンは考える。

 シオンの認識している草上ノキアは、器用に物事を成し遂げて、図太く行きているような世渡り上手だ。そんな彼女が、シオンの態度なんかに、気を揉んだりするだろうか。


 そんなシオンの様子を見て、汐音は失望したようにゲンナリとした顔をした。


「……その返答で、君がノキアさんにどんな態度を取ってるか、だいたいわかったわ」

「そんな大げさな……」

「大げさなもんですか。ちょっと君ね、世の中の女の子は、うちのアヤみたいに、傍若無人なわけないのよ?」


 自分の娘のこととは言え、中々酷いことをいう叔母だった。


「うちの子と付き合った期間が長いから勘違いしてるかもしれないけど、普通の女の子は綿菓子みたいに柔らかいの。アヤの鰹節みたいな硬さを基準に考えないことよ」

「いや、アヤとは別に、付き合ってませんし」


 随分面白い比喩をするな、と思いながら反射的に返したが、すぐに切り捨てられる。


「やることやってて、付き合ってないってのは無しでしょ、シオンくん」

「………」

「っと、別にこれは責めてるわけじゃないのよ。ただ、君がそう認識してても、相手は違うかもしれないってのは、考えていて損はないって話」


 そこでわずかに間を取って、汐音はボソリと呟いた。


「……もしかすると、アヤもそうなのかもしれないわね」

「…………」


 シオンはそのつぶやきに、何も言葉を返すことができなかった。

 そのまま少しだけ、沈黙が車内を満たす。汐音はその空気に苦笑して、「ごめんね」と先に謝ってきた。


「説教臭いことはここまで。ただ、最後に一つだけ。別に答えなくてもいいから、自分の中で、答えだけは出しておいて欲しいなっていう、質問」

「なんですか?」

「君、ノキアさんのこと、好き?」


 その、問いに。

 シオンは、目を伏せて、自然な口調で答えた。


「嫌いではないです」

「そ。ならその、大事にしておきなさい」


 そのクールに突き放すような言い方は、彼女の娘の口調にそっくりだった。




 会話が終わると同じくらいに、車は目的の土手にたどり着いた。


「うわ、凄い魔力」


 車を降りた汐音は、その周囲の空気に、わずかに顔をしかめる。


「かなり作り込んだ意識結界ね。目的を持ってこないと、自然と別の道を選んでしまうような作り方がされてる」

「かなり広範囲に広がってますね……草上は魔力量多い方ですが、これは……」


 おそらく、その場全体を儀式場にするための仕掛けなのだろう。

 土手を降りていくと、要所に簡易的な魔法陣が刻まれているのが見えた。かなり入念に準備されている。


 しかし、それだけだ。

 シオンたちから見た土手の景色は、人気のない閑散とした風景でしかない。

 誰かが争っている様子すらない、至って平和な情景だ。


 となると、おそらく霊子庭園を展開しているのだろう。


「叔母さん、まずいです。これ、座標を固定せずに霊子庭園を作ってる可能性が高いです。こんなの、探しようがない」


 霊子庭園というのは、元々、物質界と情報界の狭間に作成された、情報空間である。


 魔法によって何らかの事象を起こす場合、まず情報界を改変し、その結果を物質界へと投影するというプロセスを踏む。その間に世界を作り、現実への影響を操作するのが『霊子庭園』の本質である。


 競技用に霊子庭園を作る場合、現実とのパスを繋いで、座標を固定するのが通例なのだ。そうして相互間でつながりをもたせることで、いつでも現実に戻ってこれるようにするのだ。

 座標を固定せずに作った霊子庭園は、広大な宇宙に宇宙船をぽつんと浮かべるのに似ている。座標を認識している術者ならともかく、それを知らない第三者が、その存在を認識するのはかなり難易度が高い。


 言われるまでもなく、汐音もそのことは知っている。


「そうねぇ。霊子庭園の残滓も全くないし、襲撃しているって情報がなかったら、普通に見逃してしまいそうだわ。この子、ほんとに学生?」


 そんな風にのんきに言いながら、汐音は懐からタバコを取り出して、火をつけ始める。

 そんな汐音の余裕のある態度に、シオンは若干ヤキモキする。


「叔母さん、何を」

「しっ。静かにしなさい、シオンくん」


 言いながら、汐音はタバコの煙をゆっくりとくゆらせる。

 魔力を乗せた煙は、ゆらゆらと周囲を漂いながら、少しずつ拡散していく。


 やがてその一つが、土手の脇に捨て置かれた、衣服のようなものに寄せられていった。

 近づいてみると、それはだった。


「これ、見覚えある?」

「トゥルクさん……草上のバディのものです。でも、なんでこんなところに……」


 疑問を覚えるシオンに対して、得心行ったように汐音は頷く。


「それ、メールをくれた子よね。なら、わざと残してくれたんでしょうね。……うん、ファントムの衣服だから、ちゃんと情報体にもなる。これで座標の問題はクリアっと。あとは……」


 汐音はもう一息、タバコを大きく吸い込むと、そのまま吐き出した。

 白い煙は、外気に触れた瞬間青くなり、そして不自然にその場に留まった。


「このノキアって子、すごいわね。データを通さなくても、すごく凝った魔法式だってのが分かるわ。ねえ、テクノ学園って、こんな生徒ばっかりなの?」

「さあ……でも、草上はサボりがちではありますが、実力はトップクラスですね」

「そっかー。こんな子がポンポン居たら、ぞっとしないけどね」

「……それで、解けそうですか? なんなら、僕も解析手伝いましょうか」


 汐音が一向にデバイスを取り出そうとしないので、不安になったシオンは、自前のデバイスを取り出しながら提案をする。


 それに対して、汐音の答えは予想外のものだった。


「解く? そんな危ないことできないわよ」


 目の前で青く揺れる煙を、汐音は裏拳でトントンと叩く。

 その煙は、まるで固定されているかのように、その汐音の拳を跳ね返した。一定の硬さを確認した彼女は、「うん」と満足そうに頷いた。


「現実と座標を固定していない霊子庭園なんて、無理やり解呪したら、どんな影響が現実に投影されるかわかったものじゃないわ。だから、ここは……」


 言いながら、彼女は拳を握りしめる。


 そして、魔力で強化した右拳で、青い煙が固定された場所を、


「庭園の一部を壊して、内部に割って入るのが、正しい方法ってわけ」

「え。ええ……?」


 汐音が殴りつけた煙は、周囲の空間ごと砕ける。

 まるでそこにガラスの壁でもあるかのように、空間の一部に大きなヒビが入った。


 すでに作成された霊子庭園に、外部から介入するというのは、一種のクラッキングである。

 本来なら、ある程度の解析が必要で、作業自体も根比べのような地味なものである。しかしそれを、汐音は魔力を使って強引に行っていた。


 あっけにとられるシオンを前に、汐音はそれを何度か続けながら言う。


「学生とは思えないほど高度な術式だけど、でもやり方は所詮学生ね。犯罪を行うなら、もうちょっと隠す努力をしないと。それ、もういっちょぉ! あっはぁ、ひっさびさの実践はやっぱり楽しいなぁ!」


 空間を拳で砕きながら、楽しげに笑う。傍から見るとヤバイ人にしか見えない。


「……つかぬことを聞きますけど」

「うん? 何?」

「昇進したって言ってましたけど、何になったんです?」

「警視正だけど? おっかげで最近、現場に出れないのよ」

「…………」


 シオンは思わず黙り込む。


 警視正といえば、地方警察署だと署長、警察庁だと室長クラスの階級である。

 シオンの記憶が正しければ、汐音は確かノンキャリアだったはずなので、昇進できる最高に近い階級ではないだろうか。年齢的にはおかしくない階級だが、狭き門であることは間違いない。


 そんな、実力一本でのし上がっていった化物である久我汐音は、空間に人一人が通れる程度の孔を開けて、シオンを振り返った。


「んじゃ、行きましょうか」

「いや、行きましょうって……」

「大丈夫、ちょっとした落下があるけど、物理衝撃はほとんどないから。あ、でもちゃんと霊子体は自分で作ってよ? 下手に霊子庭園の設定に合わせると、多分やばいのできるから」


 言いながら、汐音は手に拳銃型のデバイスを用意する。

 すでに魔力を回しているのか、ぐわんぐわんと中心部が光っている。何だそのギミック。警察ではそんなものを採用しているのか。


 シオンも慌ててデバイスを用意して、霊子体の設定を呼び出す。それを見た汐音は、「それじゃあレッツゴー」とシオンの手を引きずって、孔に飛び込んだ。


 強引に引きずり込まれて、シオンは急の浮遊感に目を白黒させる。


 そう言えば、アヤネに最初に魔法を教えたのは、この人だったなぁと、そんなことを思ったときには、シオンの身体は空高くに舞い上がっていた。



※ ※ ※



 そして。


 久我汐音と久能シオンは、戦いの舞台に降り立った。


「さーて。こんなやばい空間作って、君たちは何をやっているのかな? うん?」


 久我汐音は、拳銃デバイスを構えたまま、全体を鷹揚に見渡す。

 まずファントムの二人に牽制のように視線をやって、そのあと、下半身を潰されたアヤネを見て、最後に、全身ボロボロで横たわっているノキアを見る。


 そして、一言。


「おいこらバカ娘」

「何よ、オバサン」

「見たところ、お前が一番悪い」

「ちょっとふざけないでよ。私は被害者よ」


 断定するような母の言葉に、反射的に娘が噛み付く。

 そんなアヤネに、汐音は顔を歪めながら言った。


「どう見てもあっちが重症でしょうが。正当防衛にしちゃあ、明らかにやりすぎよ。ああもう、あの子が草上さんとこのお嬢さん? 何かあったら、あのタヌキ親父に何言われることか……とりあえず様子を見ないと」


 そこまで言った汐音は、次に飛燕の方を見て、釘を刺すように言う。


「良いわよね? 飛燕さん」

「……お母上の邪魔はせんよ。この場を収めてくれるのなら、それに越したことはない」

「そ、ありがと。そんじゃ、シオンくん、ちょっと手伝って」


 そう声かける汐音に、シオンはすぐに反応できなかった。

 シオンはアヤネと飛燕の姿を見て、どう口を開いていいかわからずにいた。


 そんなシオンの手を引いて、汐音は倒れているノキアの方に移動を始める。



 ノキアの状態は、直視できないほどひどかった。


「こりゃ酷い……」


 思わずといった様子で、汐音は言う。


 下半身は凍りついて壊死していて、上半身には無数の刺し傷がある。皮膚はやけどしたように炎症していて、一部は炭化すらしている。息をするのも苦しそうで、ひゅーひゅーと、口元から空気が漏れる音が聞こえる。


 それが霊子体であると言われても、にわかには信じられないだろう。


 通常なら、こんな状態になる前に意識のパスが切れて、生身に戻るはずだ。どんなに頑丈に作ったとしても、意識が朦朧としている状態で、霊子体にとどまり続けることなんて出来ない。それに、これだけダメージを受けたら、霊子体を構成している魔力自体が消失するはずだ。


 その目を覆うような惨状を見て、汐音は眉をひそめる。


「ねえシオンくん。学園では、こんな霊子体の作り方教えてるの?」

「いえ、高等部では競技用の作り方だけです。迷宮探索とか、次元干渉用のやり方は大学の講義のはずなので、多分これは独学でしょう」

「末恐ろしいわね。迷宮探索においては基本技能だけど、君たちの子供時代だって、ここまで完璧な『二重身ダブルウォーカー』は作れてなかったでしょ」


 霊子体の本来の役割は、人間がアクセスできない上位次元に干渉するためのものだ。


 その干渉力を高めれば高めるほど、現実への同調率は高くなる。

 そうして、自身の分身と呼べるほどの同調率を持った霊子体のことを、『二重身ダブルウォーカー』と呼ぶ。


 草上ノキアが作った霊子体は、まさにそれだった。


「お嬢様は、治りますか? 大丈夫なのですか?」


 神妙な顔でノキアを見る二人に、トゥルクが駆け寄ってきて尋ねる。

 それに、汐音が淡々と答える。


「このまま現実に戻ったら、大部分が生身に投影されるでしょうね。しかもこの子、霊子庭園の座標を、自分の身体に設定しているみたい。まんま霊子災害と同じ作り方ね。あたしが霊子庭園に穴を開けちゃったから、崩壊は秒読みだけど」

「どうしますか、叔母さん」

「ここで出来る限り治癒を行うわ。シオンくんは、霊子庭園の維持の方、頼んでも良い?」

「分かりました。でも、五分が限度ですよ」

「十分よ。とにかく外面だけでも修復してみせるから」


 互いにやるべきことを確認して、二人はそれぞれの役割を果たそうとする。


 汐音が強引に侵入したため、霊子庭園には大きな穴が開き、崩壊をはじめている。しかし、今の状態で完全に現実に戻ってしまうと、ノキアが危ない。


 シオンはすぐにデバイスを取り出すと、汐音が開けた穴に向けて魔力を送る。


 霊子庭園全体の解析には時間が掛かるが、開いた穴からの魔力の流出程度なら、今のシオンでも、ある程度抑えられる。


 なんとかそれに成功したシオンは、小さく息を吐く。


 そしてノキアとは反対――アヤネの方を見やった。



 ※ ※ ※



「………」


 廃墟に座り込んだアヤネは、自分で下半身に治癒をかけていた。


 シオンが見ていることには気づいているようだが、こちらを見ようともしない。あえてそっぽを向いているその姿からは、いつも病室で感じるような意固地さが見えた。


 その様子に、シオンは安心する。


 少しだけ、アヤネに嫌われたのではないかと怖かったのだ。

 けれど、あの様子を見る限り、そうでないのは分かる。シオンのことを意識しているのなら、きっと彼女の思惑は、シオンの考える通りだろう。


 ならば、今声をかけるべきは、もうひとりの方だ。


「飛燕。話がある」

「そこの娘についてなら、こちらは被害者だぞ。非難を受けるいわれはないが」

「そっちじゃない。草上に関しては、あいつの自業自得だ。思う所はあるが、僕が言うべき話じゃない」


 ノキアの酷い有様を見て、怒りに似た感情も有りはする。しかしそれは、あくまでノキアとアヤネの問題だ。シオンが口出しすべきものではない。


 だからこそ、ここではシオン自身が問いただすべき問題について、口にする。


「一つ確認したい。こないだの僕への襲撃、?」

「何を言うかと思えば」


 飛燕は大仰に肩をすくめてみせる。


「私はただの従者に過ぎん。実行したのは私だが、決めたのは主であるアヤネだぞ」

「そうかい」


 飛燕のふてぶてしい態度をみて、シオンは小さく苦笑を漏らす。


「その言葉で確信したよ。なら、言い方を変える」


 ちらりとアヤネの方を見やりながら、シオンは言った。


、飛燕」

「さて、何を言っているかわからないな」


 とぼけた風な飛燕に構わず、シオンは淡々という。


「本当にアヤが企んだんなら、あいつは自分で、堂々と言って宣戦布告するはずだ。それをせずに、ずっと僕と顔を合わさないのは、後ろめたいことがあるからだろう。あいつ自身の本心じゃないはずだ」

「随分と分かった風な口を利くのだな、少年」

「分かっているからな。ああ、アヤのことは、誰よりもわかってる」


 あえて断定するように言い切って、シオンは飛燕を睨む。

 そこに、明確な敵意を織り交ぜる。

 目の前にいるのは、幼馴染のバディではない。自身が向き合うべき、絶対的な敵であると、はっきりと自覚しながら。


「なんでミラを襲ったりした。飛燕」

「その言葉に、答えが返ってくると思ってるかね、少年」

「思わないな。お前のことは想像がついている。お前が本当に、僕の思っている通りの存在なら、言うはずないさ」


 あえて迂遠な表現を選びながら、シオンはどう言葉をつなげるべきか考える。

 どんな言葉をかけても、飛燕は絶対にシオンの望む言葉を口にすることはない。自分が彼の立場でも、絶対に言わないだろう。なので、この問答において、生産的なことは何もない。


 だから――

 これは、ただの宣戦布告だ。


「『守護神計画』。僕とアヤが挑んだ儀式の名前だ」

「…………」

「力のある人間を集めて殺し合わせ、最後の一人に神霊の魂を封印し、守護神にする。あれはそういった儀式で、暴走した霊子災害だった。僕たちはその力を横取りしようとしたけど、蓋を開けてみたら、さらに強大な天災が封印されていた」



 その土地では、災害は神によって与えられる試練であり、その神の住まう国は、東にあるとされていた。

 自然と、その土地の人々は、東に向けて、災害を沈めるための祈りを捧げた。


 東の海の向こうにある国。

 そこにある扶桑樹ふそうじゅと呼ばれる大樹には、仙人が住む仙境がある。

 また、海東のかなたには蓬莱山ほうらいさんと呼ばれる仙人のすみかが有り、仙術を自由に操った。

 それらの神仙思想が、人々を脅かす災害を沈める信仰となったのだ。


 ちなみに、扶桑樹と蓬莱山のことを、一説には日本とする説もある。


「守護神計画は、その災害を封印するための、強力な魂を集めるための儀式だった。それを解いてしまった僕たちは、手痛いしっぺ返しを食らった」


 四年前、神童として一世を風靡していた二人は、事故によって一線から退いた。

 事故の後遺症は今でも二人をさいなんでいる。

 カニングフォークを我が物としようとした神童たちは、代償として魔法士としての才能の一部を奪われたのだ。


 そんな、思い出したくもない四年前の過去を思い浮かべながら、シオンは言う。


「二年前に、アヤがお前を連れてきたときから、薄々分かってはいた。お前は、守護神計画の成功例だな?」

「肯定する必要があるかね?」

「否定する必要が無いなら、それでいいさ。お前のそういう態度が、明確な答えになる」


 シオンはまっすぐに飛燕を見て、その表情を片時も見逃さない。読心術とまでは行かないが、表情からその正否を判断するくらいならできる。


 これは言葉を使った戦いだ。


 飛燕というファントムの底を読み解くこと。それが、今のシオンにできる、精一杯の攻撃であり、意思表示である。


「お前の正体については、ずっと考えていた。もっとも、お前が戦っている姿は、つい最近までまともに見れていなかったから、はっきりとわかったのは、最近だ」


 校内予選で、格上と立ち回る彼の姿を何度も見た。

 因子三つのローランク。ステータスも平均的で、特出した点がないにも関わらず、この神霊は、数多の化け物たちと対等に渡り合っていた。

 そんな、奇妙なファントムの正体について思い当たったのは、つい最近のことだ。



「お前が使っていた武術は、形意拳けいいけんだ。

 内家拳の代表的な中国武術で、五行を模した単式拳と、十二の動物を模した象形拳の二つの形がある。軽く調べただけだけど、お前が基本的に使っていたのは、燕を模した燕形じゃないか?」


「よく研究しているな。それで?」


「あと特出する点は二つ。

 位置取りによってステータスを変動させるのは、遁甲式とんこうしきを用いた占術だ。最初は風水かと思ったけど、お前のは少し自由度が低い。おそらく兵法の一面としての、奇門遁甲きもんとんこうだろう」


「ふむ。最後の一つは?」


「お前がミラに行った攻撃だ。

半歩崩拳はんぽぽんけん、あまねく天を衝く』とお前は言った。コレに該当するのは二人しかいない。お前はアレを、あえて聞かせたんだろ?」


「さてな。それで、私の正体はなんだ」



 シオンの推測を、飛燕はニヤニヤと腕を組んで聞いている。

 先を促すその様子は、できの良い生徒を前にして、面白がっている教師のようだ。


 それを理解しながら、シオンは自身の推測を言葉にする。


「形意拳の達人ってだけなら、候補はたくさんあった。

 けれど、『半歩崩拳』と呼ばれたのは二人だけ。

 さらにその中で、奇門遁甲に優れた武人は――『郭雲深かくうんしん』だ」


 郭雲深。

 十九世紀の中国を生きた武人で、形意拳の達人。

 超絶の技法を誇る奇才で、彼が半歩踏み込んで崩拳を打つだけで、敵は皆倒れ伏したとされる。

 数多くの弟子を育て、波瀾と伝説に彩られた生涯を送ったが、時運に恵まれなかったため、世俗での立身出世だけは叶わなかった、不世出の達人である。


 そんな彼の技術のすべてを、飛燕は身に帯びていた。


「だが――その上でお前に聞きたい」


 ここまでは、彼の能力の説明だ。

 ここからが本番だと、シオンは息を吐きながら、まっすぐに問いかける。


「なあ、飛燕。?」

「ふむ、異なことを言うな、少年」


 言葉の割に、余裕のある飛燕は、全てを分かっていながら、いけしゃあしゃあと言う。


「それはついさっき、君が正体を言い当てたのではないか?」

「郭雲深は、あくまで原始でしかない。元々、守護神計画とは、実力のある武人に、神霊の魂を封印する儀式だ。その理屈で言うと、郭雲深の技術は、あくまで神霊としての能力でしかない。その媒介となった、肉体の人格があるはずだ」


 元々、ファントムとは、一つの原始に対して、複数の因子が集まってできる事が多い。その際、複数の人格情報が統合され、新たな人格が生まれる。


 飛燕の中には、武侠計画で散った数多くの武人たちの精神が統合されているのだろう。その中には、あくまで、メインとなる人格があるはずなのだ。



 だからシオンは問いかける。

 お前は誰だ、と。



「逆に聞くぞ、少年」


 そう飛燕は前置きして、皮肉げに口角を上げてみせた。


「まだわからないのか? は」


 それに対して、シオンもまた、不敵に笑い返す。


「……言ったろ。って」


 ああ、だからこれは、ただの茶番だ。


 久能シオンが、飛燕に対して宣戦布告するための、ただの狂言でしかない。互いに相手の意志を確認し、お互いが相手のことを無視できなくするための儀式。


 元からシオンは、飛燕のことを憎からず思っていた。むしろ、親近感を覚えていたと言ってもいい。それはきっと、アヤネに対するスタンスに好感を覚えていたからで、そんな彼を信頼していたからだろう。


 今でもその気持ちは変わらない。

 けれど、彼の正体を知った今――シオンは彼を、認めるわけには行かなくなった。


 飛燕。

 武侠の神霊。

 この男は、久能シオンが打倒すべき唯一無二の敵であり、決して相容れることのない相手だ。誰よりもその存在を理解するがゆえに、誰よりも、この男を認める訳にはいかない。


 だから。


 久能シオンは、ここではっきりと、武侠の神霊に向けて宣戦布告をした。



「明後日の試合、お前たちを全力で打倒してやる。首を洗って待ってろ」

「良いだろう、ならこちらも、万全を尽くして君たちを踏み倒そう」



 そうして、二人は互いを敵として認識した。



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