第26話 機動要塞イージスと羽衣の天女
伏義イズナと叢雲ツルギの勝負を、シオンは控室で見ていた。
多種多様な魔法の応酬に、高度な戦闘技術による攻防。
あれこそが、魔法士としてあるべき戦いの形だろうと、彼は思う。
対して、自分はどうだろうか。
弱々しい魔法に、脆弱な身体能力。
唯一誇れるのは霊子体の制御能力くらいなもので、あとは卑怯卑劣を極めた、邪道な戦い方だ。
無論、そうした戦略も戦い方の一つではある。
ルールが設けられた競技の中で、試合に勝つためにとり得るすべての手段を取ることは、競技プレイヤーとして正しいあり方だ。
しかし、それはシオンの考える魔法士の形からは、大きくかけ離れたものだった。
魔法とは、使い手の信念が込められたものであるべきだとシオンは思う。
例え同じ魔法でも、魔法式の記述の差異や、発動後の扱い方一つで、そのあり方は大きく変わる。
汎用的な魔法式には限界があり、自身の使いやすさを追求していけば、自然とその式はオリジナルのものになる。
そこには、明確に作り手の人生観が現れるのだ。
かつてシオンが作っていた魔法式には、その時の彼の全力が込められていた。
考え方次第で如何様にも変化する、変幻自在の魔法。
現在特許を取っている汎用的な基本術式は、全てその下地に過ぎない。シオンは、何者でもない自分を、何者かに変えてくれる魔法という技術に、心の底から没頭していた。
それに比べて、今の体たらくはなんだろうか。
壊れきった身体でも扱えるように調整した、使い勝手の悪い魔法式の数々。
他の魔法士が行うような術比べに耐えられるような代物ではなく、もっぱら、不意打ちや大物食いのためだけにつくられた魔法。そんなもの、一度使えば大抵が意味をなさなくなる。
シオンも昔は、四工程や五工程の、規模の大きな魔法を自在に扱っていた。その時は、如何に魔法を作り込むかばかりを考えていた。
今の自分に、それができる実力はない。
ああ、だから――
「……出番だ」
こぼれかけた後ろ向きな言葉を、シオンは時計を見ることで飲み込んだ。
どんなに恨み言を言っても、現実は変わらない。
今取りうる手段は、今の自分にしかないのだから。
※ ※ ※
『さあ、激闘の第一試合も終わり、続けて第二試合!
Cブロックの一組目です。
それでは赤コーナー!
その小さな体は鉄壁の護り。
戦車すらも蹂躙する機動要塞は、今日も暴れまわる!
二年、七隈ザクロ選手です!』
実況のあおりと共に、七隈ザクロは試合場に入場する。
会場を包み込む歓声にも、彼女は全く動じる様子はない。両腕を組んで顎をくいっと上げ、泰然と佇んでいる。小柄ながらどっしりと構えたその姿には、誰もが圧倒されている。
そんな彼女のそばに、羽衣衣装の七天サラサが、ふわふわと浮いて待機していた。
「ほな、油断せずにいきまひょか」
「はっ。油断? そうすればあたしのイージスが敗れるってんなら、見てみたいものね」
尊大な物言いだが、それは自信の裏返しである。
意識して魔力を放出している限り、永続的に続くパーソナルギフト『イージスの加護』。
その鎧は、ファントムの攻撃すら条件付きで防ぐ。
久能シオンのような弱い魔法士が傷をつけることなど、万に一つもあり得ないと確信を持って言えた。
仁王立ちするザクロの前に、ようやく対戦相手が姿を見せる。
『続きまして、青コーナー!
彼はどこまで上り詰めるのか!
様々な策を弄して強敵を下してきたこの少年。
一年、久能シオン選手です! さあ、今日はどんな策を見せてくれるのか!』
試合場に現れたシオンは、古典の魔術師が着るようなローブを身に纏っていた。
顔を見せないように目深にかぶったフードと、全身を覆っているマントは、まるで全身を何かから隠しているようである。
ウィザードリィ・ゲームにおいて、試合中の服装に規定などはない。
持ち込める魔法用品に限度があるだけで、それさえ守れば、どんな装備を持ち込んでも構わないのだ。
デバイス等の魔法用品については、事前にチェックがされているので、今この場に現れている以上、シオンの格好は許可されたものなのだろう。
(ローブ、どすか。また珍妙なもんを持ってきはったなぁ)
古典作品などでは、魔法使いの衣装としておなじみのローブであるが、それは十九世紀以降に作られたイメージである。
実際の魔女や魔術師たちの服装は多種多様であるが、魔術師とされた者の多くが学者や聖職者の白衣や法衣だったため、いつしか似たものとして考えられるようになっただけだ。
故に、ローブそのものには、魔法的な概念はほとんどないといえる。
そんなものをわざわざ持ち出して、彼は一体何をするつもりなのか。
(なんかの魔道具なんやろか。術式容量しだいでは、デバイス代わりに持ち込む魔法士もおりはるし……でも、神秘的な感じもしぃひんけどなぁ)
腕組みして考えているサラサの隣で、ザクロがクイッと顎を上げて不機嫌そうに言う。
「ふぅん。何あのカッコ。またいつもの、卑怯な作戦ってわけ?」
「うちらが見た記録の中に、アレはあらへんかったけどなぁ。どないにせよ、警戒するに越したことはあらへんね」
そうザクロを諌めようとするものの、彼女のやり方を止められそうにはなかった。
(ま、おひい様に限って、一撃でやられることはあらへんし、せいぜいサポートに精を出すとしまひょか)
サラサが身構えたところで、試合開始のカウントダウンが始まった。
『それではー! 皆さんご一緒に。
三、二、一……
ゼロ!
試合スタートです!』
試合開始の合図とともに、七隈ザクロは地面を蹴って駆け出した。
※ ※ ※
試合開始の直前に、シオンは最低限の魔力を使ってミラを実体化させた。
それとともに、試合開始の合図が行われる。
「ミラ、初撃でいい。絶対に防いでくれ」
「うん、わかった」
シオンがそう指示を出した、次の瞬間だった。
「終わりだよ卑怯者」
猛スピードで駆け出してきた七隈ザクロが、その勢いのまま目の前で拳を振り上げていた。
開幕早々の襲撃に、シオンとミラは驚愕する。
「く、うぅううう!」
彼女の弾丸のような小さな体を、ミラは必死で受け止めようと立ちはだかる。
――七隈ザクロは小柄だ。
身長は百四十五あるかといったくらいで、体重に関しては四十もないだろう。吹けば飛ぶような、とは言いすぎだが、単純な質量として、小さめであるのは確かだ。
そんな矮躯でありながら、彼女の振り切った拳は、ミラの身体を粉々に砕いた。
「あ、……ぅぐ」
驚愕の表情を浮かべながら、ミラはその場から消滅をはじめた。
元より、因子が砕けているミラは、まともな実体化ができない状態である。それでも、仮にもファントムの霊子体を、たった一撃で粉々に砕いたのだ。
「ふん。ラクショーじゃないの」
砲弾のように飛来したザクロは、そのまま地面をえぐりながら着地する。足をめり込ませながらも、彼女自身にはまるでダメージを負った様子はない。
彼女が使っていたのは、加速の魔法だけである。身体強化も攻撃魔法も使っていない。ただ自身の移動速度だけを高めて、あとは近づいて殴っただけだ。
これが、『イージスの加護』。
あらゆる攻撃を防ぐ盾は、そのまま殴るだけでも過剰な暴力となる。
「さ、次――って、えぇ?」
続けてシオンを攻撃しようと振り向いたザクロだったが、そのときにはすでに、シオンは数十メートル離れたところまで逃げていた。
「ちょ、敵前逃亡! 軍なら銃殺刑よあんた!」
背後から聞こえる叫び声に、何言ってんだか、と思いながらシオンは走る。
とにかく今は、距離を取ることが重要だった。先程から発動させようとしている魔法は、準備に最低でもあと三十秒はかかる。その三十秒を稼ぐため、がむしゃらに逃げる。
あと二十五秒。
背後に気を取られていたシオンは、目の前に迫るファントムのことを失念していた。
「そない急がんと。ゆっくりしていきまひょ?」
羽衣をまとった女性――七天サラサが、行く手を封じるように立ちふさがった。
彼女は羽衣を大きくはためかせると、そこから光弾を放ってくる。
高温の熱量を保った光の弾丸は、着弾した地面の石畳をドロドロに溶かすほどだった。
無造作に放たれる光弾を、シオンは身体をひねって転がりながら避ける。何発かローブに食らってしまったが、直撃は避けていたので問題ない。
あと十五秒。
なんとか立ち上がったところで、目の前には突撃してくる七隈ザクロの姿がある。そのスピードは驚異的だが、直線の攻撃なら容易い。
そう思ってシオンは右に避けたのだが、あろうことかザクロは、地面を蹴って無理やり方向転換してきた。
「逃げんなボケェエエエ!」
「ぐ、でたらめな……ッ!」
避けられない。
そう思ったシオンは、行っていた作業を一時中断して、身に纏った外套へと魔力を送り込む。それに応じて、グレーの外套の表面に、木の枝のような絵が浮かび上がってきた。
ザクロは両腕を組んで振り上げると、そのままハンマーのように振り下ろす。
その苛烈な攻撃は、機動要塞というよりも、もはや徹甲弾に近い。
「が、はっっっ!」
もろに食らったシオンはその場に叩きつけられ、地面にクレーターを作った。
「そら、まだまだぁ!」
地面に叩きつけられたシオンに対して、ザクロはマウントポジションを取る。
「『テンカウント・エンペラー』――『千の雨、地を抉れ』!」
真下のシオンに向けて、ザクロは何度も拳を振り下ろす。
超高速で振り下ろされる拳の嵐は、残像すら見えるほどで、人間の限界を超越したスピードを出していた。それには、彼女自身の魔法以外に、七天サラサによる身体強化も入っている。
『
本来は高速で動くファントムに対して、瞬間的にでも対応するための技なのだが、マウントポジションを取った現在は、ただ相手を蹂躙するための暴力である。
ひとしきり拳を振り下ろし、真下の石畳が粉々になったところで、ようやくザクロは攻めの手を止め、自身の足元を見ることができた。
とにかく力の限り殴り続けたのだが、相手を倒したかどうか定かではない。『十秒間の皇帝』の間は、自身の肉体の速度に思考が追いつかないため、細かい制御が効かないのだ。
完璧にマウントを取っていたのでまず間違いないだろう――と思っていたのだが、砕けた地面には、ローブの残骸である布切れ一枚だけが残されていた。
久能シオン自身は、今の連打で粉々に砕けて霊子体が壊れたのか――いや、それなら、すでに試合は終わっていないとおかしい。
逃げたか――しかし、どうやって?
「くそ、舐めた真似を!」
ザクロは毒舌を吐きながら、シオンがどこに逃げたかを探そうとキョロキョロとする。
当のシオンは、そこから二十メートルほど離れた地点で、地面に膝をつきながら術式の準備をしていた。
「は、ぁ……はぁ、はぁ」
彼の肩には、ローブの切れ端がかろうじてついている。
金枝のローブ。
その中に組み込まれた呪術は、類感呪術と感染呪術。
一度触れた物同士は、離れた場所においても相互に作用し合う、という概念である。
それを利用して、シオンはローブを自身の身代わりに仕立て上げた。
かなり容量を食う術式であり、これ一つで、メインデバイスは持ち込めないレベルだった。しかしそのおかげで、こうして敵の猛攻を防ぐことに成功した。
そして――時間を稼ぐことにも、成功した。
「――『全方位の一切、如来に礼し奉る』」
唱えるのは、とある神格の
シオンの呪文に合わせて、彼の腰に巻いていたホルスターから、合計二十枚の呪符が飛び出す。それは、螺旋を描きながらシオンの周囲を巡回する。
それを見て、七天サラサがぎょっとする。
「あきまへん!」
思わず叫んだ七天サラサは、慌てたように飛びかかる。
だが、そんな彼女の目の前で、呪符が起爆した。
それは、ファントムに対して効果があるほどの爆発ではないが、僅かな時間をかせぐだけの意味はあった。
一瞬視界を塞がれたサラサは、動揺して足を止めてしまう。
そしてその一瞬は、明確に勝敗を分けることになった。
「――『一切時、一切処に、残害破障したまえ。最悪なる大忿怒尊よ。カン』」
飛び回る呪符は、すでに内蔵魔力が励起して、今にも効果を発揮せんと輝いている。
しかし、それ一つ一つが個別に発動しても意味は薄い。
すべてが同時に発動し、そして連鎖的に効果を発揮しないと、意味が無いのだ。
だが、シオンには、それだけの魔力を一瞬で放出するすべがない。
総魔力量も低いが、何よりシオンの魔法士としての欠陥は、その魔力放出量にある。普通の人が一秒で放出できる量に、シオンは十秒近くかかってしまうのだ。
「――『一切障難を滅尽に滅尽したまえ。フーン』」
だから――
真言を唱えながら、シオンは腰のホルスターから、一本の刃物を取り出す。無骨なダガーナイフ。魔術用品でも何でもない、ただ肉を切り、骨を断つ用途しかない、原始的な暴力。
それを左手に握りながら、シオンはわずかに躊躇する。
(霊子体とはいえ、痛いだろうな)
特にこういった原始的な痛みは、魔法などによるダメージよりも痛覚情報を刺激しやすい。受けた本人が、その痛みを想像できるからだ。
それを自覚しながら、シオンはダガーナイフを、自らの右二の腕に突き刺した。
「ぐ、ぅううううッ」
激痛。
痛覚情報が現実より緩和されていても、自傷による腕の切断ともなると、痛みは半端ではなかった。
だが、痛みに叫び出しそうになるのをぐっとこらえ、シオンは真言を続ける。
「ざ、ざん……『残害破障したまえ。ハーン・マーン』!」
真言を言い終えるとともに、シオンは右の二の腕に突き刺したナイフを深くえぐり、そのまま右腕を切り落とした。
右腕が地面に落ち、傷口からは、大量の魔力が噴出する。
それは、霊子体を構成する魔力だった。
傷口から血が溢れるのと同じように、大量の魔力が噴出していく。
それは、傍から見るとただの自滅にしか見えなかっただろう。魔力が尽きた時、霊子体は崩壊し、試合は終了する。通常であれば、ウィザードリィ・ゲームにおいて自傷行為などデメリットしかないはずだった。
だが、久能シオンに限っては違った。
彼は魔力の出力量が極端に少ない。常人が一秒で出力する量を、十秒近くかけないといけないくらいだ。そんな彼は、大量の魔力を必要とする大型魔法を発動させることが難しい。
そんな彼が、もし、瞬間的に大容量の魔力を出力さえできれば――
「『
シオンの右腕から溢れた魔力が、空中を飛来する呪符へと飲み込まれていく。
吸収される魔力は、幾重もの術式を通過し、相乗的に効果を発揮させていく。
火は波打って辺りを蹂躙し、炎が蛇のように地を走る。
猛スピードでフィールドを駆け巡る炎のラインは、敵めがけて疾走する。
ザクロは、それが自身を狙っていると思ったのだろう。
受け止めてやると言わんばかりに、どっしりと構えて真正面から対峙する。
「はっ! うざったい!」
ザクロは自身めがけて突撃する炎の柱を、思いっきり殴り飛ばした。
衝撃波の魔法式を組み、炎を散らすザクロの一撃は見事の一言で、その行為に観客席から感嘆の声が上がる。
その声に気を良くしたザクロは、そのまま敵へと迫ろうと構えた。
その時――彼女はようやく、異変に気づいた。
「……なによ、これ」
彼女の前には、炎の壁が立ち上っていた。
それも一箇所ではない。
四方八方、上下に至るまで、全方位が炎の壁に囲まれている。
それは、炎に包まれた空間だった。
大きさにして、二十メートル四方の空間。炎に覆われた箱の中に、ザクロは閉じ込められた。
そばにサラサの姿がない。どうやらこの炎の壁によって分断されたようだ。
チリチリと焦げるような熱気に、ザクロは顔をしかめる。『イージスの加護』があるため大きなダメージはないが、熱気は彼女に間接的なダメージを与えている。
大抵の攻撃は耐えきるザクロも、人間として生活できない環境では相応のダメージを受ける。
「ぐ……。久能、てめぇ!」
ザクロは敵意を撒き散らしながら、この状況を作った元凶を怒鳴りつける。
それに対して、真正面。
右腕を失った久能シオンが、不敵な笑みを浮かべながらダガーナイフを構えていた。
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