第20話 一夜明けて


 翌日。

 ホームルームの直後に、シオンは職員室へと呼び出されていた。


「では、これは特に、トラブルだったというわけではないのですね?」

「はい。お騒がせしてすみません」


 頭を下げるシオンを前に、円居教諭は困ったように小さく息を吐いた。


 呼び出しの理由は、一枚の画像だった。

 昨日の夜、繁華街近くで撮られたもので、二体のファントムが向かい合って、片方が相手に長物を突きつけているという写真だ。その側には、久能シオンと草上ノキアの姿がバッチリと写っていた。


 学生でファントムを使役することのできる魔法士など、この近辺では殆どがテクノ学園の生徒である。休日の私服姿とは言え、シオンたちであると判明するのに時間はかからなかった。


「草上さんにも、ついさっき話を聞きましたけど、同じ答えでした。『トラブルではない』『ただ話をしただけだ』と。あの子にしては、随分と真剣な受け答えでした」

「………」

「あなた達は、先生たちを軽んじてはいませんか?」


 僅かな怒気を込めた言葉で、円居教諭はシオンを糾弾する。

 いつもは明るく振る舞っている彼女であったが、それはあくまで教職を行う上での顔の一つである。指導をする立場である以上、笑い話では済まない時もある。今はまさに、その時だった。


「許可区域以外での魔法の使用、及びファントムの戦闘は、条例で禁止されています。その理由がわからないあなたではないでしょう? 魔法もファントムも、視点を変えればただの兵器です。人権問題はまた別の話として、君たちは強大な武力を持った兵器と変わらないんですよ」

「はい。分かっています」

「なら、このような写真が出回ったことの大きさを、ちゃんと分かっていますね?」

「もちろんです。だから、誤解のないようにはっきりと言います」


 頑なに意見を曲げようとせず、シオンは円居教諭に向けて言う。


「トラブルではありません。ただ話をしただけです。お騒がせをして申し訳ありません」

「……幸い、戦闘行為とみられるほどの証拠は見つかっていません」


 シオンの返答に、顔をしかめながら円居教諭は言う。


「あなたと草上さん、そして、久我さんが同じことを言っている以上、これ以上こちらから追求することは出来ません」


 ですが、と。

 彼女は厳しい視線を向けながら忠告をする。


「疑惑があるだけでも、大事なのです。今回は不問にしますが、あなた方はユースカップの代表候補です。もし事実として問題行為が発覚した場合、出場停止だけでなく、テクノ学園、そして魔法士全体の世間体の問題になることを、自覚してください」

「はい。申し訳ありませんでした」


 円居教諭からの話はそれで終わりだった。

 深く礼をして、シオンは職員室から退出した。



 ※ ※ ※



 草上ノキアは、職員室から出てきたシオンの姿を発見すると、小走りに駆け寄ってきた。


「どうだった? 大丈夫だったかい」

「大丈夫だ。悪いな、嘘つかせて。トゥルクさんのこともあるし、かなり疑われただろ」

「私の方はどうでもいいさ。それより、ミラちゃんの方は……」

「歩きながら話そう。次の時間、授業はサボれるか?」


 真面目なシオンからサボりの誘いを受けて、ノキアはことの重大さを改めて実感する。


「私の方は構わないよ。それより、君の話を聞きたい」


 職員室前で立ち話するのを避けるため、シオンは足早にその場から歩き始める。

 隣をノキアがついてくるのを確認して、彼は正面を向いたまま言う。


「あの後、家の設備で点検してみたけど、ミラの『原始』には問題なかった。消滅するってことはない」

「……良かった」


 心底ホッとしたように、ノキアは胸をなでおろす。

 飛燕の襲撃の後、ミラの状態を確認する必要があったため、シオンはノキアを寮に送った後、すぐに帰宅した。

 ノキアも手伝いたがっていたが、契約ファントムの情報は第三者が見てもすぐに分かるものではないため、なんとか説得して帰らせたのだった。


 そうして調べたミラの状態は、お世辞にも良いとは言えなかった。


「ただ、因子は粉々で、まともな活動ができる状態じゃなくなっていた。飛燕は、因子を破壊する類のスキルを持っていたらしい。霊子庭園ではなく、現実でやられたんだからムリもないけど、しばらくは霊体化すら難しい状態だ」


 霊子生体ファントムは、原始と因子によって霊子細胞を活性化させて存在している。

 原始とは力の源であり、因子とは力の方向性を司っている。


 原始は心臓、因子は血管と表現すればわかりやすいだろうか。

 原始という名の心臓から、因子という名の血管が全身に張り巡らされている、とイメージだ。


 現在のミラは、魔力の通り道とも言える因子が壊された状態である。


「霊体化も出来ないって……それじゃあ、ミラちゃんはずっと、デバイスの中で電子化しておくしかないってことかい?」

「一応、短い時間だったら、魔力を送ることで実体を作ることはできる。ただ、僕自身の魔力出力が少ないのと、ミラの因子がボロボロな所為で、一分も実体を保てなかった」


 魔力を供給しても、それをうまく巡らせる道がないため、多くの魔力が無駄に消費されてしまうのだ。結果的に、ミラはまともな魔力供給を受けることができなくなっていた。


 因子を修復するためには、大量の魔力が必須なのだが、その魔力をまともに供給することができない。力のある魔法士ならば、常時魔力を送ることで回復を早めたりもできるのだが、シオンの魔力量では到底追いつかない。


「今のミラは、注いだ端から水がこぼれていく、穴あきの容器のようなものだ。このままじゃ、魔力の自己生成すらできなくなって消滅してしまう。それまでに、対策を考えないといけない」


 校舎裏にたどり着いた二人は、木陰で人の目を避けるようにして話を続ける。

 一限目の予鈴が鳴るのを聞きながら、ノキアは心配げに尋ねる。


「先生方に相談するのは駄目なのかい? 理由は適当に、模擬戦で傷ついてしまったってことにしてさ。さすがに君でも、これは手にあまるよ」

「ダメだ。相談なんかしたら、リーグ戦の参加が取り消されてしまう」


 シオンのその返答に、信じられない物を見るように、ノキアが目を丸くする。


「君、まさかこの状態で、まだ試合に出るつもりなのかい?」

「…………」


 無言で肯定するシオンに、ノキアは首を振りながら、キツめの口調で言う。


「正気じゃない。ファントムが重症なのに、無理してバディ戦に出るだって? そんなの、結果は見えてるじゃないか。余計にミラちゃんの回復が遅くなるだけだ。それとも、ミラちゃんが諦めないって言ってるのかい? でも、その当の彼女が」

「いや、ミラは辞退しても仕方ないって言ってる。これは僕のわがままだ」


 ノキアの言葉を否定しながら、シオンは静かに昨日のことを思い出す。


 昨日、何度かアヤネと連絡を取ろうとしたのだが、電話もメールも無視された。そこには明確に彼女自身の意志があった。

 はじめは飛燕の暴走かと思っていたが、飛燕は最後に、アヤネからの伝言を口にした。アヤネ自身の意思で行われたとなると、話が変わってくる。

 彼女の真意はまだ分からない。だが、リーグ戦の組み合わせを理由に襲撃してきた以上、参加し続けることに意味があるはずだ。


「今朝も、アヤは明確に僕を避けていた。だったら、直接試合で聞くしかない。あいつもそれを望んでいるはずだ」

「……負けるために試合に出るなんて、君らしくもない」

「ただで負けるつもりなんてない。要は、ミラさえ万全な状態になれば良いんだ。リスクは有るけど、ミラを復活させる方法なら、すでに思いついてる」


 ファントムを救う方法は知っているはずだと、アヤネは伝言を残した。

 一つだけ、思い当たる方法があった。

 あえて彼女がそんな風に言うということは、それをしろと言っているに違いなかった。


 だから昨晩、シオンはその『方法』の実験を行い、成功率を探っていた。

 しかし、結果は惨敗だった。

 シオンの魔力出力と制御能力では、手術まがいのその方法は、難易度が高かった。


 だから、シオンには人の手を借りる必要があった。


「草上。折り入って頼みがある」

「な、なんだい。随分と改まって……」

「ことが事だから、他に相談できる相手がいない。本当は、お前に頼むのもいけないことだとは思っている。けど、僕には他に手段がない」


 無駄に前置きをするシオンを見て、ノキアはたじろぎながら怪訝な顔をする。


 シオンは、ギリギリまで言いづらそうにしていたが、やがて覚悟を決めたように息を吐くと、まっすぐにノキアの目を見た。


「二週間前に、霊子細胞の移植の論文が出たのを、覚えてるか?」

「……覚えてるけど、それがどうしたんだい」

「ミラの霊子細胞を僕に移植したい。その手伝いを、草上に頼みたいんだ」


 ノキアははじめ、シオンが何を言っているのかがわからなかった。


 あっけにとられて、ぽかんと間が抜けたように口を開けていたノキアだったが、やがてその言葉の意味を理解して、目を丸くする。

 彼女は思わず、後退ってシオンから距離を取ってしまった。


 彼女の瞳には、明確な畏怖が浮かんでいた。

 それくらい、目の前の少年の頼みは、あまりに常軌を逸していた。


「か、確認するけど……聞き間違い、じゃないよね?」


 恐る恐る、ノキアはシオンに尋ねる。


「私には、違法手術の片棒を担げって風に、聞こえたんだけれど」

「その認識で間違いない」


 否定して欲しかったが、シオンから返ってきたのは肯定の言葉だった。


「今のミラに必要なのは、魔力を循環させるためのパスだ。僕の魔力出力量だと、どんなに頑張っても足りない。だから、直接つなげてしまいたいんだ。一部で良い。僕の右腕なら大部分が培養生体だから、生身に比べれば危険性も薄いはずだ」


 黙り込んだノキアに対して、シオンは淡々と、自分の目的を語る。


「お互いの肉体を物理的に繋いでしまえば、離れていてもミラには常に魔力が送られることになる。さすがに壊れた因子はすぐには治らないけど、幸い今のミラは原始分化の途中だ。魔力の流れさえできれば、新しい因子が活性化されるかもしれない。今はそのきっかけが欲しい。だから――」

「ば、馬鹿じゃないのかい!? 君は!」


 我慢ならず、ノキアは思わず大きな声を出して、シオンの言葉を遮った。


「あの論文なら私も読んだよ。ああ、確かに素晴らしい発見だ。でも、あの技術は、あくまで生体と霊子細胞を癒着させただけだ。拒絶反応をクリアしただけで、肝心の情報圧汚染の問題が解決していない。それに、魔力の逆流も、人体においては安全値を越えていない!」

「今のミラは、魔力の自然生成が出来ないから逆流の問題はない」


 ノキアの言葉に、冷静にシオンは反論する。


「情報圧汚染については、右腕の機能を切り離して、義手代わりにすることで最小限に抑える。理屈上は問題がないはずだ」

「み、右腕を切り離すって……いや、それよりもだ! そんなの机上の空論だ。人体での成功例なんてないのに、できるだなんて思えない。それはただの人体実験だ」

「どんな技術も、最初は実験から始まる。その理屈は、やらない理由にはなっても、出来ない理由にはならない」

「やらない理由になるなら、十分じゃないか!」


 我慢ならず、怒鳴りつけながら、ノキアはシオンに詰め寄っていた。


 シオンの言っていることが理解できない。

 確かに、理屈は正しいだろう。けれども、それはただの理論でしかない。そこに含まれる危険性や人道性を、彼は完全に無視して発言している。


「なんで今、そんな危険を犯す必要がある。へ、下手をしたら、死ぬかもしれないんだぞ。ファントムの持つ情報圧を直接受けて、精神が保てる訳がない。冗談でも何でもない、命の危険だ。それを今、侵す必要がどこにある!?」

「アヤが今、行動をしてきたからだ。それには意味があるはずだ」


 久我アヤネが、このタイミングでシオンの邪魔をしてきたこと。

 それこそが、無茶をしてでもアヤネと向かい合おうとする理由であると、シオンは語った。


「だから、今じゃないと駄目なんだ」


 それを聞いたノキアは、掴みかかっていた手から力が抜けるのを感じた。

 信じられないものを見たように目を丸くし、それから、力なく腕を下げる。


「……君は、やっぱり」

「草上。頼む」

「嫌だよ。私にはできない」


 ノキアは身を引きながら、目を合わせずに言う。


「君を傷つけるかもしれないことなんて、協力出来ない。そんな実力もないし、度胸もない。私には、そんな大役を果たすことなんてできないよ」

「……そうか」


 きっぱりと宣言したノキアに対して、シオンは目を伏せてみせる。


「悪かった。無理を言って」

「……謝らないでよ」

「でも」

「謝るんじゃないよ、馬鹿!」


 感情のままに怒鳴り散らしながら、ノキアは目に涙を浮かべて、シオンを睨む。


 彼女の胸中に渦巻く感情は、一つではなかった。

 怒り、悲しみ、苦しみ、悔しさ――様々な感情がないまぜになったまま、ノキアは泣き顔を隠すために背中を向けた。


「謝られたら、惨めだ。私は期待に応えられなかった。どうしても、協力なんてしたくなかった。それだけなんだ……」


 せっかく頼られたのに、と。

 血が滲むほど唇を噛み締めながら、ノキアは脇目も振らずにその場から駆け出した。





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