第19話 黄昏の襲撃者


 二人の前に現れたのは、中華風の道着を着た偉丈夫だった。


 その男は、ただ目の前に立っているだけで、人間とはかけ離れた、埒外の情報圧を放っている。

 その情報密度は、わずかに振るっただけでも人間を粉微塵にしかねないだろう。


 彼のことを、シオンはよく知っていた。


「……なんだ、飛燕か」


 アヤネの契約ファントムである飛燕が、厳しい表情で立っていた。


 突然の登場に思わず身構えたシオンだったが、相手が飛燕だとわかると、すぐに緊張を解く。

 自然と半歩前に出ると、傍らで身を強張らせているノキアを背で庇うようにする。


 その様子を見た飛燕は、つまらなそうに目を細めながら、おざなりに謝罪を口にした。


「取り込み中だったようだな。それは悪いことをした」

「別に。それより、一人でどうしたんだ。アヤは近くにいるのか?」

「いいや。今は一人だ。アヤネなら病室にいるだろうから、安心するがいい」


 飛燕はゆっくりと近づいてくると、シオンを見下ろすように立ちはだかる。厳しい表情は片時も崩れず、その瞳には、普段接するときのような気安さは欠片もない。まるで、敵対する相手への気概のようなものが見えた。


 さすがに様子がおかしいと気づいたシオンは、改めて身構え直す。


「何の用だ。そんな殺気を向けられたら、落ち着かない」

「ふん。殺気を向けられているくらいはわかるか。平和ボケしては居ないようで何よりだ」


 小馬鹿にしたように笑みをこぼすと、値踏みするような視線を向けてくる。


「よし、

「……? 何のことだ」

「なに、こちらの話だ。鏡の娘よ、聞こえるな。


 そんな意味の分からない言葉を口にした後、飛燕は力を抜いて、だらりと腕を下ろす。


 その瞬間、空気が弛緩したように感じた。


「――、は」


 飛燕から向けられていた殺気がなくなり、シオンは思わず吐息を漏らす。


 ファントムという高次元の相手を前にして、張り詰めていた緊張感が不意になくなったのだ。意識とは裏腹に、身体は自然と緊張を解いてしまった。


 そこを、突かれた。


半歩はんぽ――」


 自然な動作で、飛燕は半歩だけ左足を前に出す。

 大きな挙動があるわけでもない。ただ、足を前に出しただけのその動作に、虚を突かれたシオンとノキアは、何の反応を返すこともできない。


 次の瞬間、飛燕の気が爆発的に膨れ上がった。


「――崩拳ぽんけん


 あらゆる反応が間に合わない。不意打った一撃は、正に必殺のものだった。

 しかし――一人だけ、飛燕の殺気に反応出来た存在がいた。



「危ない、シオン!」



 七塚ミラはデバイスから飛び出すと、一瞬で実体化して、飛燕の前に立ちはだかった。

 それと、飛燕の拳がミラの胸元を点くのは、ほぼ同時だった。




「――あまねく、天下を打つ」




 膨大な気の放出とは裏腹に、飛燕の打撃は地味な一撃となった。

 ミラの身体を吹き飛ばすどころか、のけぞらせることすら出来ていない。周りからは、彼がただ前のめりになって、拳を前に突き出しただけのようにすら見えただろう。


 だが、縦に握られた飛燕の拳は、的確にミラの芯を穿っていた。


「え……?」


 自身の胸元に叩き込まれた拳を、ミラは呆然と見下ろす。

 バキンッ、と。

 鏡が割れる音が、幻聴としてその場に響く。


「なに……これ」


 何か、重要な支柱が崩れ落ちたような感覚。胸のうちにポッカリと穴を開けられたような感覚を覚えて、ミラは目を丸くする。


 次の瞬間、彼女は膝から崩れ落ちた。


「み、ミラ!」

「ごめん、シオン。わたし、守れ――」


 倒れ込みながら、ミラの身体を構成する霊子がほどけ始める。

 まるで砕けたガラスのように粉々になった彼女は、そのまま強制的に実体化が解けて消滅した。

 その不自然な消え方は、明らかに尋常じゃないことが起きていた。


「飛燕、お前!」


 即座に我に返ったシオンは、飛びかからんばかりの勢いで飛燕を睨む。


 それより、一瞬早く。

 シオンを制するように前に出る、一つの人影があった。



「動くな、武術家。さもなくば首をもらう」


 飛燕の首筋に、薙刀の刃が突きつけられていた。

 ノキアの契約ファントム、デイム・トゥルク。

 彼女は、殺気を隠そうともせずに、目の前のファントムに刃を突きつけていた。


「――ほう。これはこれは」


 刃を突きつけられながらも、飛燕は泰然としてトゥルクの姿を見据える。


「なかなかの腕だ。不意を突かれたとは言え、これはしてやられた。身構えたが最後、私の首は胴体と永遠のお別れだな」

「だまりなさい。次に下手な口をきけば、霊核ごと貫いてくれる」


 ノキアによって実体化されたトゥルクは、普段は見せないような厳しい表情で刃を構えていた。

 そのまま視線を外さずに、彼女は背後のシオンとノキアに声をかける。


「ご無事ですか、お嬢様、久能様」

「ああ。私たちは大丈夫だ。トゥルク、そいつから絶対に目を離すな」

「言われずともそのつもりです、お嬢様」


 そう答えながら、トゥルクは神経が擦り切れるような緊張感を覚えていた。

 目の前の武術家然とした男と向き合っていると、その迫力に気圧されそうになる。気を張り詰めていなければ、次の瞬間にも取って食われかねないと思った。


(何なのですか、このファントムは……ッ)


 ファントムとしての性能で言えば、トゥルクの方が圧倒的に上であろう。因子の数も違えば、その質も違う。純粋に性能をぶつけ合った時の勝敗は明白だと確信を持つ。

 しかし飛燕には、因子の数では測れない、異様な存在感があった。


 わずかでも隙を見せれば、その瞬間に、彼は突きつけられた刃をかいくぐり、トゥルクの首を折りに来るだろう。

 ゆえに、トゥルクは綱渡りのような均衡状態を作るので精一杯だった。


 彼女は緊張を保ちながら、背後のシオンに向けて謝罪をした。


「久能様、申し訳ございません。出てくるのが遅れて、ミラさんが」

「謝らないでください。あなたのせいじゃない。それより――」

「……はい」


 トゥルクの登場によって、シオンは激昂しかけた頭を冷ますことができた。


 優先順位を確認する。

 とっさに起動したデバイスに、ミラの反応があるのはすでに確認していた。実体化が解けたミラは、電脳体となってデバイスの中に引っ込んでいる。状態をすぐに確認したいが、それよりも先に尋ねるべき相手がいる。


 シオンは諸悪の根源へと意識を向けると、怒気を込めながら口を開く。


「飛燕。お前、どういうつもりだ」

「さて、答えるのは構わないが、こう剣呑だと気が休まらん。周囲の目もあることだ、そろそろその刃をおろしてくれないかね」


 首筋に刃物を突きつけられていながら、飛燕は気負った様子もなくそんなことを言った。


 辺りでは、ファントム同士のにらみ合いを見て、騒ぎが起き始めていた。

 駅から離れているとは言え、まだ人の行き来が多い道である。立ち止まって写真を撮る者や、どこかに連絡をする者などが、遠巻きに群がり始めていた。

 あまり長い時間をかければ、警察が飛んできかねない。

 往来でのファントム同士の戦闘なんてことになったら、学生といえども注意ではすまないだろう。


 しかし、その言葉をトゥルクはバッサリと切り捨てた。


「戯言を抜かすな、武術家。貴方を自由にするのは、相打ち以上を許すことと同義だ。そんなリスクは負えない。刃を下ろす時が来るとすれば、それは貴方が無力化された時だ」

「ふん、生真面目な女だ。良い従者を持ったな、娘。この短い邂逅で、私の本質をここまで察せるファントムはそう居ないぞ」


 皮肉げに笑いながら、飛燕は肩をすくめてみせる。


「だが、それは杞憂だぞ、奇術人形。なにせ私はすでに目的を果たしている。これ以上、こちらから争うつもりはない。もっとも、お前が仇討ちをするというなら別だがね」

「……なに?」


 その言葉に、トゥルクだけでなく、背後に下がっていたシオンも怪訝な顔をする。


 飛燕は始め、シオンに向けて拳を向けてきたはずだった。

 霊子庭園ならともかく、ここは現実だ。間にミラが割って入らなければ、即死は免れなかっただろう。


 だがもし、狙っていたのが、はじめからシオンではなかったとしたら?


「まさか、初めからミラを狙って……でも、どうして」

「その様子だと、まだリーグ戦の組み合わせは見ていないのだな。今の状況であれば、私が君らを狙う理由は一つしかあるまいに」


 困ったように表情を歪めた飛燕は、目を細めてシオンを見下ろす。


「リーグ戦の組み合わせは、すでに校内掲示板に掲示されていた。参考までに言うが、君とアヤネは同じブロックだ。それが理由の全てで、それ以上のものはない」


 黒い瞳が見下ろしてくる。

 言葉こそ断定的だが、その瞳の奥にある彼の真意が測れない。一体その言葉の裏には、どんな本心が隠されているのか。


 飛燕の言葉を聞いて黙り込むシオンを尻目に、ノキアが食って掛かる。


「リーグ戦で当たる相手を、事前に潰しておこうって算段かい。君の主人は、随分と狭量で姑息なんだね。てっきり私は、久我さんはもっと大胆不敵な人だと思っていたよ」

「さて、どうかね。あの娘はアレで中々に強かだぞ。目的のために手段は選ばんさ」


 ノキアの皮肉を軽くいなしながら、飛燕は視線を遠くに向ける。


「そろそろ潮時か。悪いな、奇術人形。私はこのあたりで失礼させてもらおう」

「簡単に逃がすと思うか? 貴方にはまだ、聞かなければならないことがある」

「いや、逃げるさ。このままでは、お互いに不利益しかないからね」


 言うやいなや。

 飛燕は身体を半回転させると、首筋に突きつけられた薙刀に手を添える。そのまま彼は、弧を描くようにその刃を下に向けさせた。


 一時も気を緩めなかったトゥルクは、突然の出来事に困惑する。


「なッ!」

「緊張を保つのは見事だが、力の入れ方が実直すぎる。それでは容易くからめ取られるぞ」


 刃の拘束から逃れた飛燕は、軽くトゥルクの右肩に掌底を叩き込む。

 その勢いを利用して身を引いた彼は、さらに地面を蹴ると、側にある街灯の上へと飛び乗った。


 のけぞったトゥルクは、すぐに体制を整えると、「待ちなさい!」と挑みかかる。


「待てと言われて待つほど余裕はないのでね。殺される前に逃げるさ」


 飛燕はそこで、シオンを見下ろしながら、一言。


「伝言だ、少年。壊れた因子を治す方法などそう多くない。『そのファントムを救う方法は知っているはずだ』と、アヤネは言っていた。期待しているぞ」

「…………」


 言うやいなや、飛燕は霊体化してその場から消え去った。


 後に残されたシオンたちは、ただ襲撃者の逃走を見送ることしかできなかった。




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