第4話 神童たちは語り合う



 久我くがアヤネ。

 かつて神童と呼ばれた二人のうちの片割れであり、現在は幾つかの障害のため入院をしている少女である。


 四年前の事故で、二人の神童は様々なものを失った。

 久能シオンは、全身の四割が人工物になり、日常における食事制限や行動制限がついた。

 久我アヤネは、下半身の神経障害によりまともに歩けず、また魔力の使用に制限がある。

 運良くシオンは、先に日常生活へと復帰することができたが、アヤネは未だに病院でリハビリを送る毎日を送っている。


 一週間に一度の定期検診を終えたシオンは、習慣となっているアヤネへのお見舞いに向かう。


 十四階建ての病院の最上階にある病室の一角。そこは、この四年間貸し切り状態となっている。そこを訪れるのは、病院スタッフ以外では、彼女の母親かシオンくらいしかいない。


 しかし今日は、エレベーターを降りると、見知らぬ男性とすれ違った。


「……失礼」


 オールバックに固めた黒髪に、ふち無しのメガネ。年齢は二十代後半くらいだろうか。ピシッと決まったスーツ姿は、いかにもビジネスマンといった風貌である。

 理知的で神経質そうな外見のその男は、道をさっと開けると、シオンが降りるのを見て軽く会釈をして、すぐにエレベーターへと乗り込む。


 この階で見舞客とすれ違うのはめったにない。もしかしたら、アヤネの実家の関係者だろうかと思いながら、シオンは歩を進める。


 やがて、聞き慣れた声がかけられる。


「お勤めご苦労だな、少年」


 いつもどおり、病室の前で実体化する霊体があった。


「いや、実に甲斐甲斐しい。その通い妻じみた献身が報われるとは限らんがな」

「お前もいつも大変だな。飛燕」

「何、これが私の役目だ。ならば全うするのが当然だろう」


 肩をすくめながら、その武人然とした男は笑った。

 飛燕フェイエン。それが、そのファントムの名前だ。

 久我アヤネの契約ファントムであり、武術の神霊。二年ほど前にどこで見つけてきたのか、アヤネが唐突にバディ契約を結んで連れてきたのだった。


 普段はこうして、病室の門番のようにして、毎度アヤネの機嫌を教えてくれる。


「良い知らせだ。本日の彼女は、例外的にすこぶる機嫌がいい」

「……何か、あったのか?」

「さて。それは自らの目で確かめるがいい」


 イタズラ混じりに苦笑されると、それ以上追求する気も起きない。


 こうして週に一度は見舞いに来るシオンだが、大抵の場合アヤネの機嫌は悪い。互いに、四年前の事故以来、ぎくしゃくとした関係が続いているのだ。アヤネは攻撃的になり、シオンはそれを黙って受け入れる。そんな、相互依存の関係が出来上がっていた。


 だからこそ、彼女の機嫌がいい時など、電話越しでの会話か、他に重要な問題があるときくらいしかなかった。飛燕の冗談であると言われたほうが、まだ納得がいく。

 普段以上に警戒しながら、シオンは病室の扉を開けた。


「アヤ。入るぞ」


 ワンルームより少し広いくらいの個室。

 窓際に平行に置かれたベッドには、いつもの通り、入院中の少女が上半身を起こして座っている。


 開けっ放しの窓から、初冬の肌寒い風が吹いてくる。その風に、少女のショートカットの黒髪が揺れる。

 彼女は手元に仮想ディスプレイを投影させて、何かを食い入るように読んでいた。その真剣な姿は、まるで四年前に戻ったかのようで、思わず見惚れてしまう。


 不意に、顔を上げたアヤネは、シオンの姿を発見する。


 呆然としていたシオンは、急なことに戸惑う。

 最初の言葉の掛け方次第で、その日のアヤネとの会話の内容が決まるためだ。下手を打てば、その場で帰らされる可能性もある。


 そんな戦々恐々としているシオンとは裏腹に、アヤネは普段の仏頂面からは想像もつかないほどに、顔面を喜色に染めて、興奮したように口を開いた。


「いいところに来たわ、シオン!」

「え、へ?」


 予想外すぎる第一声に、シオンは曖昧な言葉しか出せない。

 そんな彼に構わず、アヤネは興奮を隠しきれない様子でまくし立てた。


「ねえ聞いた、今朝の霊学シンポジウムで提出された論文!」

「え、いや。まだ」

「だったら早く見なさい! もう、あちこちで問題になってるんだから。これは大事よ。下手をすると、魔法研究の仕組み自体が覆るかもしれないわ」


 立て続けに言葉を続けながら、彼女は仮想ディスプレイをこちらに向けて展開してくる。

 手元に現れたディスプレイを、シオンはさっと流し読みする。


 ――『生体への霊子細胞の移植実験』


 そのタイトルを見ただけで、シオンは目を丸くする。


「おい。これって」


 思わず声を漏らしながら、シオンは夢中で画面を読み進める。


 霊子細胞とは、文字通り霊子で構成された細胞のことだ。

 幽霊や精霊と言った、霊体を存在させるためのもので、概念情報を保存した素粒子の集まりである。それらは、魔力などの生命エネルギーを通すことで、実体化させる事ができる。


 身近な例で言うと、霊子生体ファントムとは、その霊子細胞が知性を持った存在のことを言う。

 各々の原始から派生した因子を元に、精神体をこの世に実現させた存在がファントムとなる。肉体から開放された上位次元の情報体であるため、当然、生身とは比べ物にならない力を持つ。


 言ってしまえば、霊子細胞とは、高密度の情報圧を持ったエネルギーの塊である。


 この論文では、その高エネルギーの塊を、あろうことか人体に移植しようという実験である。

 本来なら、その情報量の違いに、触れただけでも存在を塗りつぶされてしまいかねない。実際、戦時中はそれを行い、多くの魔法士が命を落としたと聞く。


 今回は培養生体を利用した実験であるが、それに成功をしたという話だ。


「すごい。個人としての技術ではなくて、汎用技術としての運用を前提としている実験だ。これが実現したら、霊子生態学だけじゃなくて、医学や環境科学まで影響を受ける。ほんとに、常識がひっくり返るかもしれないぞ」


 論文の要点を読みながら、シオンにしては珍しく、興奮して声を上ずらせる。


 現代の魔法は、自分の体内魔力であるオドを利用した人工魔法オーバークラフトと、大地に満ちたマナを利用した自然魔法カニングフォークに大別される。


 カニングフォークの中でも、マナを体内に取り込んで運用する魔法行使は、一歩間違えると自身の体を傷つける諸刃の剣となる。事実、シオンとアヤネは四年前にそれを行おうとして、大怪我を負って再起不能となったのだ。


 霊子細胞とは、いわばマナの塊のようなものだ。それを、一部とはいえ肉体に移植しようとするカニングフォークまがいの行為を実践したものが、今回の論文の内容だった。


 シオンの反応を見ながら、アヤネは我がことのように誇らしげに言う。



「この実験で使われた培養生体は、生体反応を保ったまま霊体化したらしいわ。つまり、擬似ファントムになったってわけ。これまでも、カニングフォークを使った魔法士が擬似ファントム化した例は何件かあるけど、いずれもそう長くないうちに肉体的に死亡しているわ。にも関わらず、この論文では、培養生体の生体反応は一年以上保ち続けている」

「霊子細胞の情報圧に、培養生体の機能が耐えたってことか……だとすると、生体を媒介として、霊子細胞そのものを成長させられるってことだろ? 人格や能力値を気にせず、好きな形でファントムを作り上げられるってことか。どちらかと言えば、軍事目的寄りの話だな」

「実際、倫理的観点での反論がすでに上がり始めているわね。競技魔法協定の範囲で、どこまで権利が認められるか、今後の動向が気になる所よ」

「その辺りは、研究次第でもあるな。それより、この論文の内容だと、人体の擬似ファントム化にも、方策があるみたいだ。もし本当なら、魔法士の生き方自体が変わりかねないぞ」

「そうね。魔法士の弱点は肉体の脆弱さだし、ファントムの弱点は自給魔力の少なさだから、その双方の問題が消えることになる。――無論、高次元の存在である霊子細胞を、生身の人間の意識で制御できればの話だけれど」

「発表者は三十四歳……若いな。経歴を見るに、魔法士じゃ無いみたいだけど」

「元は解剖医らしいわ。だからでしょうね。培養生体の生成も、かなり実際の人体構造に近い。この実験研究は、信頼度の高い結果よ」


 自然と、二人は床に座り込むようにして議論を始めていた。


 同じディスプレイを覗き見るために、アヤネはいつの間にかベッドから降りていた。ひんやりとしたリノリウムの床が、直にその熱を吸収していく。


 鼻先がふれあうほどの距離で顔を合わせ、二人は興奮しながら議論を続ける。



「人体への移植を考えた場合、やはり再生医療の方面での活用を優先したいな」

「そうね。アンタや私にしても、他人事じゃないし、そこは気になるところよ」

「欠損した人体を培養生体で補う場合、魔力流路の閉口もあって、定期的に移植し直さないと壊死してしまうのが問題だった。けれど、霊子細胞と融合できれば、生体エネルギーの流れを止めることはないから、移植細胞の自律活性ができるかもしれない」

「けれど、情報圧による精神汚染はどうする? ただでさえ霊子細胞は高次元の情報圧を持ったエネルギー体よ。生体の細胞自体が大丈夫でも、人間の精神が侵食される問題は残り続けるわ。拒絶反応が起きでもしたら、一発で人格崩壊を起こすかもしれない」

「安全弁の問題だな。人体転用を考えたら、必ず解決する必要がある。――例えば、出力のみに霊子細胞を使うってのはどうだ? 循環は人工生体や義体を利用して、情報圧の中枢への流入を出来る限り防ぐ。少なくとも精神への霊子汚染は最小限に抑えられるんじゃないか」

「それ良いわね。となると、生身への転用よりは、義肢製作の方にアイデアを移した方がいいかしら……。そっちは倫理規定に引っかかりづらいから、いつでもできるけど」

「やっぱり、人体そのものへの移植は捨てがたいな。なにかいい方法がないか」

「私が考えたのは、皮膚表面のみへの移植方法ね。皮膚の表面だけ覆うように移植して、そこを流路する。これなら、内部への侵食は最小限に抑えられるんじゃないかしら? あくまで人間の意識からは一方通行の命令しか送れないようにするの」

「それはいいな。何も、馬鹿正直に生身の細胞と融合させなくても良い。ただ、接触面が広いと、その分調整が複雑になってくる。侵蝕率を押さえると言っても、それを人体の一部とする以上、ゼロには絶対にならないわけだし」

「それなら、こういうのはどうかしら――」



 二人は互いの状況も忘れて語り明かした。


 手元の仮想ディスプレイ一つを共有し、わからないことがあればその場で調べ、疑問点が上がれば一つ一つを列挙する。


 時には相手の案に同意し、時には否定する。それは互いの理論のぶつけあいであり、場合によっては激しい口論のようにもなったが、納得をすればすぐに冷静になる。身振り手振りで己の理論を表現し、手近にある紙には次々とアイデアや数式を記入していく。


 そうして、二人は喉が枯れるまで、互いの考えを語り合った。


 かつて。

 それこそ、何年も前から繰り返してきたのと同じように。

 二人は時間さえも忘れ、夢中で語り尽くした。


 気がついた時には、時刻はすでに十時半をまわっていた。

 窓の外はすでに真っ暗だ。面会時間は遠の昔に終わり、消灯時刻の案内が流れ始めて、ようやく二人は我に返った。


「……もう、こんな時間か」

「……さすがに、疲れたわね」


 いつの間にか、二人は床に倒れこむようにして寝転がっていた。

 大の字になって倒れた二人は、互いの姿を見て思わず苦笑する。ここまで外聞を気にせずに、気ままに振る舞ったのは何年ぶりだろうか。


 身体を起こしながら、アヤネはバツが悪そうにそっぽを向いて言った。


「時間、とらせて悪かったわね」

「いや。僕の方こそ、夢中になってしまった。身体、大丈夫か?」

「アンタに心配される必要はないわ。いいから、さっさと帰りなさい」


 ぶっきらぼうに、アヤネは言う。努めて乱暴な言い方を心がけているようだったが、久しぶりの楽しい時間を過ごしたからか、どうしても言い回しは柔らかくなる。


 シオンは立ち上がると、アヤネがベッドに戻るために手を貸そうとする。しかし、その手を軽く払いながら、彼女は自力でベッドの上へと戻った。そんな意地の張り方も、彼女らしい。


 彼女は顔をそむけたまま、シオンに向けて言う。


「明日は、大切な勝負があるんでしょ。ランキング六位の人との勝負なんだから、こんなところで油売ってないで、対策した方がいいんじゃない?」

「……知ってたのか」


 アヤネもまた、テクノ学園の研究科に通っている。しかし、彼女は試験を受ける以外は、ほとんど登校していない。学校に来たとしても、保健室登校状態だったはずだ。


 怪訝そうなシオンの声を無視して、アヤネは言い募る。


「色々情報源があるのよ。随分、調子良さそうじゃない。個人成績は壊滅的らしいけど、バディでの模擬戦はかなり戦績が良いって、教師が言ってるのを聞いたわ」

「バディのおかげだ。僕自身は、力不足を実感してる」


 シオンは感覚の鈍い右手を見つめながら言う。


 実際、バディである七塚ミラの、この数ヶ月における成長速度は眼を見張るものがあった。

 能力の持続力もさることながら、生身での戦闘能力も上がってきている。直接的な攻撃手段がないのが玉に瑕だが、搦め手を使っての奇襲などは安定してきている。


 だからこそ、自分自身の手札の少なさに歯がゆさを覚える。


「昔を羨んでも仕方ないけれど、どうしても思うよ。今の僕に、あの頃の力があればって」

「……本気で言ってるの。それ」


 ボソリと、アヤネが咎めるような声を漏らす。

 彼女はシオンの方を向くと、冷ややかな目を向けながら言った。


「アンタらしくもない。随分と後ろ向きな発言じゃない」

「たまには、そういう気分にもなる」

「そう。なら、その様子は可愛いバディには見せないことね」


 ぷいっとソッポを向くようにして、アヤネは再度窓の外へと視線を移した。

 物腰こそ普段に比べると柔らかいが、その反応は拒絶の意だ。こうなったアヤネは、それ以上会話を続けるつもりはない。


 大人しく、シオンは病室を出る。


 その背に向けて、ちらりと、アヤネがなにか言いたげに視線を向けてくるが、それにシオンは気づかない。言外の態度はいつも汲みとるくせに、そういった些細なしぐさを、彼はいつも見逃すのだった。


 病室の外に出ると、いつものお出迎えがあった。


「さて。今日は随分とお楽しみだったな。少年」


 見張りをしていた飛燕が、ニヤニヤと楽しげな様子で声をかけてきた。


「ああ、あんなに楽しそうなアヤは、久しぶりに見た」

「そうだな。私も、久しくあのような彼女は見ていない。だからこそ、今日は感謝するぞ」

「僕の手柄じゃない。あの論文のおかげだ」

「ふむ。私は魔法士ではないから、その重要性とやらはよくわからんが、君たちが言うのなら、よほどの出来事なのだろうな」


 とぼけた口調で言いながら、飛燕は苦笑を漏らす。


「しかし、良いタイミングで緊張もほぐれたようだ。これなら、明日は心配ないようだな」

「……なんだ。お前も知ってるのか。明日の試合のこと」

「試合? 何の話だ」


 腕を組みながら、怪訝そうな顔をする飛燕。しかし、それはシオンの方も同じだ。

 てっきり、明日の伏義イズナとの模擬戦のことを言っているのかと思ったが。


「なんだ。アヤネめ、論文の話に必死で言い忘れたのか」

「なんだよ。言い忘れたって」

「いや。気にするな。彼女が言わなかったのなら、私の口からいうことではあるまい」


 手を振りながら、どこか愉快そうに彼は言う。

 その様子に怪訝な思いを抱きつつも、シオンはそれ以上追求せずに病室を去った。



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