第14話 チェス人形は夜風に語る
霊子生体ファントム。
亡霊や精霊と呼ばれる存在が、実体を持って顕現したもののことを指す。
それらは、元となる原始を持ち、何らかの逸話や伝承を元に、霊体としての自我を得る。
例えば、シオンのバディである七塚ミラは、『鏡』の因子を持つ神霊だ。
元々は、『カール・セプトの鏡回廊』という霊子災害を発生させた亡霊が、ファントムとして顕現した姿である。
ミラの場合は、当の本人がファントムとして発生しているが、本来ファントムは複数の因子を持って発生するので、いくつかの人格が統合されることが多い。
有名な逸話を下地としたファントムほど、現実の事実よりも逸話としての虚構の面が強くなり、現実とはかけ離れていく。
ノキアのバディである、デイム・トゥルク。
彼女は、チェスをモチーフにしたファントムであることは分かっていたが、その原始が何なのかまでは把握していなかった。
「わたくしの原始は、『ターク』と言います。『トルコ人』という意味で、十八世紀後半に作られた、チェスを打つオートマタの名称です」
部屋に戻る途中、少し夜風に当たるために、シオンとトゥルクは軒下に並んで座っていた。
トゥルクの着た、ピンクのパーカーのウサ耳が揺れる。
小さな身体でバランスが取れないのか、ふらふらと身体を揺らしながら、トゥルクは自らの出自を語り始めた。
「自ら思考してチェスを打つ人形、という触れ込みで、タークは紹介されました。その人形は、ナイトツアーと呼ばれるチェスのパズルを容易く解き、また、著名なチェスのプレイヤーたちをあっさりと倒していきました。その評判は、すさまじいものでした」
「……でも、十八世紀後半と言うと、人工知能なんて」
「はい、そのとおりです」
シオンの言葉に、トゥルクは小さく頷く。
「当時、からくり人形の技術はかなりの水準でしたが、コンピュータのない時代ですから、人工知能の技術などあるはずもありません」
つまり、イカサマである。
「タークには、人形の土台の所に、人が入れるような隙間があったのです。一見すると、機械仕掛で隙間などは見当たらないのですが、視覚のトリックが使われていて、小柄な人間一人分の隙間が用意されていました」
「トゥルクさんは、その中に入っていた子供、っていうことですか」
「はい。大勢いる中の一人に過ぎませんが」
トゥルクは遠くを見るように夜空を見上げる。
その瞳は、外見の幼さとは裏腹に、大人びた懐古の念に満ちている。
チェス打ち自律人形『
ハンガリーの発明家、ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは、当時の女王マリア・テレジアを喜ばせるために、このチェス人形を作成した。人間相手にチェスを刺すオートマタという触れ込みのその人形は、あまりにも強かったため、中に人が隠れているのではないかと疑われ続けた。
しかし、明確な証明を誰もすることが出来ず、その秘密は、公開から五十年後に見破られるまで、誰にもばれなかったという。
世の中を五十年も欺き続けたその逸話を、トゥルクは冠しているのだ。
「最も、わたくしの元となった人格は、ケンペレン氏に拾われたただの孤児だったので、チェスなんてからっきしだったんですよ。指示された通りに、中で操作していただけで、チェスの強さはわたくしのものではありません」
「過去のこと、覚えているんですか?」
「微かに、ですけれどね」
どことなく寂しそうに、トゥルクは目を細めて語る。
「そもそもわたくしは、十二歳で生涯を終えているので、それほど多くの思い出があるわけではありません。人格がわたくしであるだけで、記憶や知識は、他のタークの操縦者のものも引き継いでいるみたいです」
「十二歳って……早死に、だったんですね」
「ああ、別に、変な事情じゃありませんよ。病気だったんです。治療に全力を注いでもらったんですが、勝てませんでした」
寂しげな視線を地に向け、彼女は小さくぼやいた。
「だからまあ、……あたしは、強くなりたかった」
微かに、元の『彼女』を見せながら。
奇術人形の名前を関した少女は、静かに後悔を語る。
「何もできなかったんです。ただただ、無駄死にでした。せっかく良くしてもらったのに、あたしはご主人様に、十分な恩返しができなかった。それが心残りで、悔しくて」
だから、ファントムとして発生した時、彼女は大人の姿になったのだろう。
その本質を偽り、自身が願った強い大人の姿。
主君を守り、主君のために戦う。自律人形として、今度こそ誉れを得たいと。
「つまらない話をしてしまいました」
ウサ耳を揺らしながら、彼女は顔を上げる。
十歳の少女は、寂しさを隠し、大人のような表情を浮かべてシオンに向き直る。
「愚痴を聞かせてしまい、申し訳ありません。少し、ナイーブになってしまいまして」
「いえ。僕の方こそすみません。なんか、秘密を聞いてしまって」
ファントムの情報は、戦略上重要なものだ。
特に、原始となる逸話や、当人の来歴までバレてしまうのは、戦術を見破られるに等しい。
それでも、トゥルクは話したかったのだろう。
一度生涯を終えているとはいえ、彼女もまた、一人の人格を持つ存在なのだから。
「主人のために全力で戦うのがわたくしの望みですが、その結果、惨敗してしまって、目も当てられません。我ながら、情けない限りです」
「いや、しかしあれは、天知の力が常識外ですし、仕方ないですよ」
「それは違いますよ、久能様。仕方がない、なんていうことはないんです」
シオンの言葉に、トゥルクは少女らしからぬ、優しげな微笑みを浮かべる。
「ノキアお嬢様は必死でしたし、わたくしも全力で当たりました。それでも、結果が届かなかったんです。それを仕方ないで済ませるのは、いけないことなんです」
トゥルクの言葉に、シオンはハッとする。
やってしまった、とバツが悪い思いを抱き、頭をかく。
これと全く同じ間違いを、二ヶ月前に犯したばかりじゃないか。
――わたしは、悔しいよ。
バディである少女の泣き顔が思い浮かぶ。
圧倒的な実力差のある相手に負けた時に、仕方なかったとシオンは慰めた。それに対して、ミラは涙ながらに反論したのだった。そんな言葉で片付けるなと。
嫌なことを思い出しながら、シオンは取り繕うように、トゥルクに向けて問いかける。
「その姿は、元に戻りそうですか?」
「そうですね。元々、『虚偽』の因子で隠していたものなので、因子が元の通り活性化すれば、大人の姿になれます」
「ということは、一時的なものなんですね」
「はい。どうやら、最後に石鎚ホウキの使い魔に食らった言霊は、あなたの因子崩しと同様の効果があるようです。それも、戦闘後にも引きずるくらいですから、相当なものでしょう。リベンジの際には注意しなければなりません」
ファントムは、自身の持つ因子によって活動を行なっている。その因子がダメージを受けると、不活性状態となり、ファントムはその機能を十全に発揮できなくなる。
シオンは、それを利用してファントムの因子にダメージを与える術式を持っていた。
それと似た手段を、ホウキは持っているようだ。
ホウキに対して対抗心を燃やすトゥルクに、シオンは尋ねる。
「再戦の意志は、あるんですね」
「もちろんですよ。ただ、お嬢様が望めばの話ですが」
勢い込んでいった後、冷静になってそう付け加えるトゥルク。
そんな彼女は、少しだけ、期待するような視線を向ける。
「久能様は、その……」
「…………」
「いえ。これは、言うべきではない」
ゆるりと、トゥルクは首を横に振った。
「元より、貴方は理性的な人だ。貴方の感情を揺さぶるには、理由が必要になります」
「……薄情だと思いますか?」
「酷薄ですね。よりたちが悪いです」
思った以上に辛辣な言葉が帰ってきた。
手厳しい言葉とは裏腹に、トゥルクはどこか、イタズラっぽい表情を浮かべている。
「はじめは、久能様には人としての情がないのでは、と思ったくらいです。申し訳ありませんが、お嬢様が特別視していなければ、貴方に関心を向けようとは思いもしなかったでしょう」
「随分と、はっきり言ってくれますね」
苦笑しながら、シオンはその評価を受け止める。
そんなシオンに、トゥルクは穏やかに微笑みかける。
「けれど、話をした今ならわかります。貴方のそれは、責任感からくるものです。残酷ではあっても、非道ではない。だから、ノキアお嬢様は貴方を好意的に見ているのでしょう」
「……別に、僕はそんなつもりは」
シオンは目を伏せる。
自分はただ、自信がないだけだ。
久能シオンは、本当の才人を知っている。
才能に溢れ、能力に満ちた存在をずっと間近で見てきたからこそ、自分にも同等の評価が下っていることに、納得がいかないのだ。
自分には、『彼女』ほどの凄さはない。
同じ神童という評価をくだされながらも、相方だった『彼女』は、自分とは違って本物の神童だった。シオンはただ、その光に導かれて、不相応な成長ができただけなのだ。
当時ですら身に余る称号に戸惑っていたのに、その実力すらもなくした今、誰かの役に立てるような存在とは、到底思えない。
「僕は、自分にできることしか、しないだけですよ」
かろうじてそれだけを、シオンは言った。
それを受けて、トゥルクは小さく頷く。
「はい。わかっております。――ですが、それでも」
言いながら、トゥルクは目を伏せる。
それは、祈りの姿に似ていた。
「もし、ノキアお嬢様が貴方を頼った時、できることで良いので、あの方の味方をして欲しいと、そうわたくしは、願います」
奇術人形の神霊は、最後まで、自身の主のために祈りを捧げるのだった。
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