第15話 久能シオンは理由を持たない
部屋に戻ったところで、携帯端末にメッセージが入っているのに気づいた。
葉隠レオから、ショートメールが届いている。
『今、通話いいか?』
時刻は十一時になろうとしている頃である。
こんな時間にどうしたのかと思いながら、『構わない』とメッセージを送る。
待ち構えていたかのように、レオからすぐに連絡が来た。
『悪いな、夜遅くに。休んでなかったか?』
「まだ起きてるつもりだったから大丈夫だ。それより、何かあったのか?」
『いや、どうしてるかって思ってさ。草上の家にいるんだろ?』
出発前に、大方のあらましはレオたちにも伝えてあった。
恋人ごっこなどという話に、レオは大笑いし、姫宮ハルノは気遣うようにオロオロとしていた。それに対して、ノキアは真剣に、シオンはむくれて、「笑い話じゃない」と返したのだった。
『まー、学生同士でやるならまだしも、実家を巻き込んでだろ? どうなってんのかって心配になったっていうか……まあ、俺はそこまで心配してないんだけど、姫宮がな』
「うん? 姫宮?」
『ああ。ちょっと待ってくれ。今代わるから』
「代わる? え、何。姫宮、今そこにいるのか?」
夜の十一時に?
クラスメイトの親しい二人が?
一緒に過ごしている?
「何? お前ら付き合ってんの?」
驚きすぎて、内心の思いがポロリと溢れる。
こんな夜遅くに、一緒に遊んでるだって?
僕達が大変な思いしている時に?
あのわがままボディを好き放題してんの?
『付き合ってねーよ! っていうか、何だ今の不穏な言葉! ボソリと聞こえたぞ。お前らしくねぇセリフが聞こえたぞ!? 姫宮も聞いてるんだから、変なこと言うんじゃねぇよ!』
「いやだって。この時間に電話代われるって、そういうことかなって」
『ちげーよ、グループ通話につなぐんだっつの。姫宮が電話かけてきたんだよ! っていうかどうしたんだよお前。イライラしてんのか? なんか言葉が辛辣だぞ』
「あー、いやまあ。いろいろあったっていうか」
多少苛ついているのは否定できなかった。
シオンが言いよどんでいると、レオがグループ通話にハルノを入れた。
おずおずとした、聞き慣れた声が聞こえてくる。
『えと、久能くん?』
「こんばんは、姫宮」
『……その。別に私、葉隠くんと、変なことしてるとか、そんなことじゃ、えと』
「…………」
レオをいじる分には気分が良かったが、ハルノが真に受けてオドオドしているのを聞くと、罪悪感が半端無かった。
「いや、悪い。調子に乗って冗談を言っただけだ。そんな動揺するなよ」
『そ、そうだよね! ヤダな私。びっくりしちゃって』
照れたようなほんわかとした声が聞こえて、なんだか和んだ。
張り詰めていた気持ちを少し緩めながら、シオンは尋ねる。
「それで、どうしたの。こんな時間に」
『う、うん。あのね。ノキアちゃんにメッセージを送ったんだけれど、ずっと返ってこないから、心配になって。いつもは遅くなっても、ちゃんと返信はしてくれるから』
『心配し過ぎだって、言ったんだけどよ。まあ、それならシオンに聞いてみるかってなってさ』
「ああ、なるほど」
確かに、今のノキアに、他人とメールが出来るほど余裕があるとは思えない。
どこまで話したほうが良いかと迷いながら、シオンは説明する。
「まあ、結論から言うと、ちょっと話がこじれてしまったんだ。恋人ごっこは見破られるし、親が決めた許嫁ってのも出てきてしまって」
『え? 本決まりじゃないって、ノキアちゃん言ってなかったっけ』
「それがどうも計算違いだったらしい。それで、ちょっと一悶着あって」
そこから先は、どんなに説明しても、ノキアの内面に踏み込みそうだった。
黙り込んだシオンに対して、ハルノがおずおずと、尋ねた。
『ノキアちゃん、今、どうしてるの?』
「いろいろあって、引きこもり中だ。正直、どうなるかわからない」
『……その、許嫁さんって』
「うん」
『あまり、いい人じゃないんだね?』
遠回しではあったが、ハルノにしては厳しい言葉が飛んできた。
シオンの無言を肯定と受け取ったのか、ハルノは落ち着いた声で、シオンに言った。
『久能くん。ごめん。できたら、明日までノキアちゃんのこと、お願いしていいかな?』
「別に、お願いされるほどのことが出来るわけじゃないけど……明日?」
『うん。明日、私もそっちに行くから』
いきなり何を言い出すのかと、シオンは驚いた。
それはレオも同じだったようで、びっくりしたような声をあげる。
『姫宮? お前一体何を言って』
『ノキアちゃんのそばに行く。行かないといけないの。お邪魔するのははじめてだけれど、ノキアちゃんの家は知ってるから大丈夫。多分、明日の昼前にはつけると思う』
『いやだから、何をしに行くんだよ』
『なんでもないよ。ただ、私がノキアちゃんのところに行きたいだけ。迷惑かなって思ってたけれど、今の久能くんの話を聞いて決心ついた』
気の弱いハルノにしては、はっきりとした物言いだった。
それに気圧されるレオの声を聞きながら、シオンはゆっくりと、探るように尋ねる。
「草上の問題は、家の問題だ。他人がどうこう言えるレベルを越えている。お前が来たからって、どうにかなる話じゃないぞ」
『うん。わかってる。だから、行くの』
強い意志のこもった声で、ハルノは言う。
『せめて私は、ノキアちゃんの味方だってこと、知らせたいから』
「……それは、僕には任さられないってことか?」
『あ、ごめんね。そ、そういうつもりじゃ、ないの』
シオンの言葉にわたわたとしながら、それでもハルノは、真っ直ぐな言葉を返してくる。
『だってこれは、私の気持ちだから。誰かに任せて、どうにかなる感情じゃないもの』
――おそらく彼女は、ちゃんとわかっているのだろう。
自分が動いたからといって、どうにかなる問題ではないということは、百も承知だ。それでも、なにか行動をしないと、気がすまないのだ。
たとえそれが無駄に終わると分かっていても、自分の意志だけは、表明しておく。
言い訳のためではない。
自分の、納得のために。
あいさつもそこそこに、ハルノはグループ通話から抜けた。明日、早めに起きて出発するのだという。本気で、ノキアの実家まで来るらしい。
大人しい女子の大胆な発言に、あっけにとられた男子二人だけが残される。
『……なんつーか。姫宮の意外な一面を見たわ』
「同感。びっくりした」
しかし、ハルノとノキアは、中学からの付き合いという話は聞いていた。高校からの付き合いであるシオン達には、あずかり知らぬ絆があるのだろう。
ため息を付きながら、レオが言う。
『はぁ。仕方ねぇ。俺も行くわ』
「……は? 何言ってんだ、レオまで」
『いやだって。こんな話聞かされて、放って置けるわけねぇだろ』
ひひ、と。苦笑しながら、レオは言う。
『明日、早起きして姫宮と連絡取るよ。そんで、一緒にそっち行くから待ってろ』
「……かっこつけてる所悪いけど、結構距離あるから、旅費かかるぞ」
具体的な交通費を言うと、レオは一瞬言葉に詰まった。
『ま。ま、まあ! そうだな。な、なんとか、なるさ。うん』
「一気にかっこ悪くなったな」
『仕方ねぇだろ。こちとらお前と違って毎月カツカツなんだよ。それに、無理やり押しかけるんだから、日帰りになるだろうし』
そう文句を言ってはいるが、決定を覆すつもりはないらしい。
心強いと言うわけではないが、友人二人の心遣いに、思うところはあった。
それじゃあ、と言って、通話が切られる。
通話を終えた直後の、部屋の静寂を必要以上に感じる。
慣れない広い部屋が、今は自分を責め立てているようにすら感じた。
ノキアのために、友人たちは駆けつけるという。
何が出来るわけでもないのに、それでも彼らは、やってくる。
「――シオン」
背後で、霊体が実体化するのを感じる。
そっとそちらの方を振り返ると、半透明なミラの姿があった。
彼女は険しい表情をして俯いている。
「シオンは、なんとも思わないの?」
「……何の話だよ」
「ノキちゃんのこと。友達があんな事されて、悔しいって、思わないの?」
ミラは拳を強く握りしめて、小刻みに震えていた。
そんな彼女に対して、後ろめたさを覚えながら、シオンは言う。
「悔しいからって、どうしろって言うんだ」
「なんでそんなこと言うの」
理不尽に叱られた子供のような表情で、ミラは必死に抗議する。
「シオンはまだ、何もしようとしてないじゃない」
「これは、他人が口を出すことじゃない。確かに天知の横暴は目に余った。けれど、それ以外は家の問題だ。僕達には口を挟む権利がない」
「そんな、建前は聞いてないよ!」
急に、ミラは大きな声を出した。
顔を上げたミラの瞳に、涙がたまる。悔しさを吐き出すように、彼女は口を開く。
「権利だなんて、そんな話はしてないよ。わたしは、シオンがどう思ってるのかが知りたい。悔しくないの? ノキちゃんのこと、可哀想だって思わないの?」
「思ったからってどうなる。そんな、感情でどうにかなる問題じゃない」
「感情の問題だよ!」
事実として横たわる問題はどうでもいい。
お前の気持ちはどうなのだと。
鏡の神霊は、本心を見せないシオンの内面を映そうとしている。
「何が出来るかじゃなくて、どうしたいのか、シオンは一度も話してくれない。シオンは、最初から諦めてる。それが、……わたしは、嫌だよ」
尻すぼみになりながら、ミラはまた顔を伏せた。
そのまま少し震えた後、彼女はさっと、霊体化してその場から姿を消した。
後には、シオンが一人だけ残された。
広い部屋で、一人だけ。
その夜は、眠りにつくのに時間がかかった。
※ ※ ※
久能シオンには理由がない。
思えば、彼はいつも、誰かに理由をもらっていた。
神童と持て囃された時代も、彼を引っ張っていたのは、いつも相方の久我アヤネだった。
テクノ学園に入り、ウィザードリィ・ゲームに手を出したのも、七塚ミラに誘われたからだ。
久能シオンは、自分に自信が持てない。
自分に与えられた評価は、全て、誰かに貰ったものだ。
確かに、彼は努力をした。
確かに、彼は成果を出した。
それはシオンの実力であるのは確かだが、しかしその努力と成果は、誰かと共になければ、決して出せなかったものだった。
きっとシオンは、一人では、一歩を踏み出すことすらしなかっただろう。
きっかけを貰えば、シオンは全力を尽くせる。それは彼自身が夢中になれるからで、そこに評価などを求めていない。
だからこそ、彼はいつも、身に余る評価を受けて戸惑うことになる。
期待が寄せられる。
希望を向けられる。
誰かに何かを求められる度に、シオンはずっと、心のなかで叫び続ける。
自分は、そんなに大した人間ではないと。
本当に輝かしい才人を、シオンは知っている。
彼女たちは、自分一人で決められる人間だ。自分でやるべきことを定め、最初の一歩を踏み出せる人たち。
シオンはただ、そんな彼女たちの後ろをついていくだけなのだ。
ついていける実力があるだけで、決して、自分だけで何かが成せたわけじゃない。
自分は、『彼女』によってこんなにも変われた。
自分が『彼女』に向けた期待と同じものを、今シオンは向けられている。そうした時に、狂おしいほどの罪悪感を抱く。
果たして自分は、『彼女』と同じように、人を導けるほどの器があるのかと。
自分にできることは、たかが知れているのだ。
だから。
久能シオンに期待するのは間違いなのだ。
※ ※ ※
嫌な夢を見た。
気候は涼しくなってきているというのに、寝苦しくって仕方がなかった。
嫌な汗を覚えながら、浅い眠りを繰り返し、明け方近くになってようやく意識を完全に手放したと思う。
目を覚ましたのは、差し込む朝日が理由ではなかった。
身体に、重さを感じた。
朦朧とする意識をかろうじてまとめながら、シオンはかすむ目をゆっくりと開く。
「……ぁ?」
自分の体の上に、何故か草上ノキアの姿が見えた。
布団に仰向けに寝ているシオンの身体に、馬乗りの状態でノキアが座っていた。
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