第4話 アヤネの忠告


 右腕のコルセットは、週末を前にして無事にとれた。

 そこには、擬似生体を移植したことにより、生身とほとんど変わらない右腕がある。魔力の通りが悪いことを除けば、日常生活においては全く問題がない。


 今しばらくリハビリは必要だが、毎日のように行われていた移植と調整から開放されると思うと、それだけで気が楽になる。


「だが、あまり無茶をしてくれるなよ。君の右腕は、もう生身ではないんだから」


 主治医の狩野医師は、スポーツマンのような晴れやかな笑顔とともに、怖いことを告知する。


「今の時点でも、君に対する擬似生体の癒着率はかなり悪くなっている。確かに私は、少しくらいやんちゃしてもいいとは言ったが、それにも限度がある。この前のは、やり過ぎだ」


 一ヶ月半入院することになった、インターハイ決勝でのカニングフォーク使用のことだろう。

 擬似生体を破壊し、細胞を焼き付かせた自然魔法カニングフォークは、後のことを考えない捨て身の行動だった。


「やはり、先生としても、カニングフォークの使用は禁止でしょうか」

「そうだね。はっきりと、禁止と言ったほうがいいだろう。だが、中立の立場で言うと、あくまで『使い方』の問題でしかない。考えなしに、半ば暴走するように使えば、そりゃあ身体は耐えられない。けれど、きちんと制御できるような修行は、行なうに越したことはないだろう」


 カニングフォークとは、世界に満ちた魔力と接続して、操作する魔法である。

 自身以外の魔力は、純粋なエネルギーであるが故に、燃料にもなれば毒にもなる。それを扱えるチャンネルを開いたからには、扱うための技術は必要だろう。

 なんにしても、と。狩野医師は、シオンの右腕を叩きながら言った。


「次にマナを使って、同じような右腕が全損する怪我をしたら、元通りになる確約できないよ」


 その忠告を、シオンは神妙な顔で聞くのだった。



 ※ ※ ※



 主治医による診察を終えたシオンは、いつもの通り、病院の最上階に向かう。

 そこには、かつての相棒が、一室を貸し切って、半ば住まうように入院している。


 久我くがアヤネ。

 かつて、アヤネ・フィジィと呼ばれた、神童の片割れである。


 四年前。カニングフォークの暴走による事故で、二人の神童は再起不能の怪我を負うことになった。

 シオンは身体の四割が生身でなくなったが、同じように事故に巻き込まれた相棒は、下半身に一生ものの障害を負っている。


 扉の前に経つと、シオンは深呼吸をする。もう四年も通っているのに、この扉を開けるときは、いつも軽い緊張を覚える。

 胸に抱くのは、負い目と後悔。

 そして、自罰を意識して、シオンはノックをした。


「アヤ。入るぞ」


 声をかけるとともに室内に入る。



「だから、うるさいと言っている!」



 すると、ノータイムで罵声が飛んできた。

 何事か、とシオンは目を白黒させる。自分が罵倒されているのかと思ったが、違うようだ。

 病室のベッドには、上半身を起こした久我アヤネの姿があった。

 彼女は肩を怒らせながら、全身で噛みつかんばかりに、目の前に立っている存在に罵声を浴びせる。


「ファントムの分際で私に口答えするんじゃない! 金輪際、その話題を口にするな!」

「だが、しかし。君なぁ」


 罵声を浴びせられている当人は、困ったように肩をすくめている。

 中華風の服を着た、拳法家然とした偉丈夫だった。アヤネの契約ファントムであり、介添人としての役割も兼ねている。名を飛燕フェイエンと言う。


 彼は、興奮しているアヤネをなだめるように言う。


「別に、断っても良いとお母上もおっしゃっているのだぞ。強制するわけではないのだから、せめてはっきりと答えを出すくらいはしたほうが」

「うるさいと言っている! いいから、その屁理屈を並べる口を閉じなさい!」

「はぁ。相分かった。ほかならぬ主人の命だ。ここは引こう。――だがな、先延ばしに出来る問題ではないのは確かだぞ。拒否なら拒否で、早めに答えを出すことだ」

「だから、だまりなさいって、言ってるでしょうがこの唐変木!」


 怒髪天を突くとはこのことだろう。

 怒り狂ったアヤネは、手元のデバイスに手を伸ばした。

 アヤネの全身から魔力がほとばしる。


 瞬間、部屋全体に黒い稲妻が走った。

 制御の効かない黒い雷は、局地的な嵐のように、無作為な破壊を病室にもたらした。八つ当たりのような魔法行使は、部屋全体を吹き飛ばさんばかりの威力である。


 それを前に、第三者であるシオンは、見事に逃げ遅れた。

 まずい、と身構えるが、彼に雷撃が直撃することはなかった。


「呵ァッ!」


 アヤネのヒステリーをいち早く察した飛燕は、目にも留まらぬ動作でシオンの前に現れた。彼は庇うように前に立つと、あろうことか黒い稲妻を、気合とともに素手で叩き落としたのだ。


 拳に弾かれた雷撃が周囲に四散する。

 雷嵐の猛威が過ぎ去った病室は、全焼したように黒焦げだった。アヤネが行った魔法の破壊力を、まざまざと見せつけている。現実界において、何の補助もなくこれほどの破壊を魔法で作るのは、相当なことだ。


「まったく」


 呆れたように、飛燕はアヤネを見ながら言う。


「不機嫌は今に始まったことではないが、実力行使に出るとは、君らしくないぞ。アヤネ」


 当の彼女は、ベッドの上で身体を折り曲げ、痛みに悶絶していた。

 雷に巻き込まれたのではなく、それは彼女自身の魔法行使の影響だった。

 アヤネは、四年前の事故以来、魔力の運用において痛覚を刺激される障害を負っていた。そのフィードバックに、彼女は身を捩りながら苦しんでいる。


 痛みに呻きながら、アヤネは憎々しげな瞳を飛燕に向ける。

 その姿に、「やれやれ」と飛燕は肩をすくめる。


「少し頭を冷やすとしよう。外にいるから、機嫌が直ったら呼んでくれ」


 そう言うと、彼は霊体化して姿を消した。

 後には、痛みに呻くアヤネと、困った顔で立ち尽くすシオンが残された。

 ジロリ、と憎々しげなアヤネの視線がシオンを貫く。


「……何よ。あんたも、とっとと帰りなさいよ」

「と、言われてもな」


 こんな修羅場に巻き込まれて、何事もなかったかのように帰れるほど器は大きくない。

 無駄とはわかっていたが、一応聞いてみた。


「一体何があったんだよ」

「アンタには関係ない」


 にべもなく、アヤネは突っぱねる。

 こうなった時の彼女は、とにかく頑固だ。それに、今日は激高して攻撃的になっているらしい。あまり、しつこくつつきすぎると、蛇を出しかねない。

 しかし、長い付き合いだ。だいたい、どういうことかは察することが出来た。


「家の方で、なんかあったのか?」

「……母さんに、何も聞いてないの?」


 どうやら当たりのようだ。

 アヤネの反応を見て、シオンは正直に白状する。


「いや、おばさんからは何も聞いてない。ただ、そうじゃないかって思っただけ」

「……そ」


 興味なさげにそうぼやいた後、彼女はそっぽを向く。

 いつものように窓の外に視線を向けたアヤネの姿に、会話はこれで終わりだという意思表示を感じたので、シオンも諦めて踵を返した。

 だが、部屋を出る直前。


「ねえ。アンタ」


 意外なことに、アヤネの方から話しかけてきた。

 驚いて振り向くと、そっぽを向いたままの姿勢で、彼女は思わぬ名前を出してきた。


「アンタのクラスに、草上って女、いるでしょ」

「……いるけど。なんで、アヤがアイツの事知ってるんだ?」

「別に。風のうわさで聞いただけ。……何? 『アイツ』だなんて、親しげじゃない」


 そう不機嫌そうに毒づいた後、彼女は忠告するように言った。


「悪いこと言わないから、関わらないほうがいいわよ。その草上って女のことは知らないけれど、そいつ、厄介なものに目をつけられてるから」

「なんだよ。明日は雪でも降るのか」


 忠告の内容よりも、アヤネの口からそう言った言葉が発されたことに驚く。

 当の本人は、最後まで顔をこちらに向けようともせずに、吐き捨てるように言い捨てた。


「別に。どいつもこいつも、家の問題ばっかりで苛立ってるだけ」


 ただの八つ当たりよ、と。幾分落ち着いた声で、つまらなそうに言うのだった。



 ※ ※ ※



 病室を出ると、扉を守るようにして、武の神霊が腕を組んで立っていた。

 いつもの定位置に収まっている飛燕は、シオンの姿を見てそっと嘆息する。


「まったく。よくよく君も、間が悪い時に来るものだな」

「それは痛感してるよ」


 共通の頭痛の種を前に、苦笑を漏らしながら二人して肩をすくめた。


「それで」


 と。シオンは尋ねる。


「何があったんだ? いくらアヤの気性が荒いって言っても、あそこまでヒステリックなのは珍しいだろ」

「そうか? 案外、私と一緒にいるときはあんなものだぞ? 当たりがきついように見えて、君に対しては加減をしようと努力しているらしいからな、彼女は」


 くつくつ、と笑いをこらえながら、わざとらしく質問を受け流す。

 その笑い方が癇に障り、シオンはムッとした表情を浮かべる。それを見て、飛燕はフォローを入れるように言った。


「いや。今のは私が悪かった。ついついからかいたくなってな。性分だ、許せ」

「別に謝らなくてもいいけど、そこまで言わないってことは、よっぽど秘密なのか?」

「そういうわけではない。単にきまりが悪いというだけの話だ」


 飛燕は組んでいた腕を解くと、両手をあげて、皮肉げに言う。


「そら、十一月に、アヤネは誕生日を迎えるだろう? アレは、今年十六になるらしい」

「……なんだか、最近どこかで聞いたような話だ」

「ふむ。どうやら話が早そうだな。つまりは、そういうことだ」


 二人して、閉じられた病室の扉を見る。

 病室で一人、窓の外を眺めているであろうアヤネを想像して、シオンは飛燕に尋ねる。


「それ、具体的な話が持ち上がっているのか?」

「いいや。ただ、狙っている家系が幾つかあるらしいと、お母上はおっしゃっていた。彼女は、肉体こそほぼ再起不能だが、その才覚まで失われたわけではないからな。最も、重視されているのはお祖父様の権力の方だそうだが」

「それで、アヤのあの様子ってわけか」


 久我家とはシオンの母方の親戚であるが、政界では名の知れた名家である。その上、一人娘は神童とまで呼ばれているのだから、注目を集めるのも当然だろう。

 もっとも、あの伯母が、娘を道具のように使うことを、やすやすと認めるとは思えない。だからこれは、単にアヤネ自身が気に食わないから荒れているのだろう。


 納得したので、長居はせずに早めにその場から立ち去る。

 帰路につきながら、シオンは小さくぼやく。


「ほんと、似たような話だな」


 だからこそ、アヤネも彼女の名前を出したのだろうか、と少し思った。

 関わらない方がいい。

 その忠告はありがたいが、できればあと数日早くして欲しかったものである。



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