第14話 竜殺し


 残り六人のアナウンスが流れた瞬間、シオンはミラに指示を出し、『光誘導・色彩誤認レイコンダクション・ミラージュ・ル・ミロワール』の展開を解いた。


 光の反射による透明化のみならず、シオンの使う概念強化の魔法によって、存在感そのものを消した彼らは、このタイミングまで、ずっと戦わずに隠れていた。

 それは、このまま隠れ続けていても、試合終了まで逃げ切れる程に、完璧な身の隠し方だった。


 しかし、それでは意味が無い。

 ここで最強のバディを倒さずして、本当の勝利はない。


 一人、ステージに姿を表したシオンに、タイガが怪訝な顔を向けている。

 無理もない。ファントムが姿を表さずに、魔法士だけが立っているのだ。

 慎重な者なら、まず罠を疑うだろうし、力量のある者ならその無謀を笑うだろう。


 このサバイバル戦において、魔法士を囮に使うなどという作戦は、愚の骨頂なのだから。


 タイガとナギニが、二言三言、なにか言葉を交わしている。

 会話の内容は、おおよそ予想できる。「罠かどうか」の相談と「どうするべきか」ということだ。

 そして七割以上の確率で、彼らの選ぶ手段は決まっている。



 千頭和ナギニは単独で跳び上がると、四十メートルの跳躍を経て、シオンの前に着地した。

 衝撃で地面が割れ、風圧が大地を均す。

 攻撃でも何でもない、ただの移動ですらこの威力である。

 その勢いにのけぞらないように、シオンは精一杯踏ん張った。


 高い確率で、ナギニが単独で来るのはわかっていた。

 そして――ここからが、賭けの始まりである。


「よお、かくれんぼはおしまいか? 坊主」

「ちょっと、鬼退治ならぬ、竜退治がしたくてね。最高のタイミングを見計らってたんだ」


 ふてぶてしく、シオンは己を鼓舞しながら挑発を返す。

 その様子が気に入ったのか、ナギニは楽しそうに笑う。


「かか! そーかそーか! そいつはいい」


 にやり、と。

 凶悪な美貌を更に歪めて、ナギニは腕を振り上げる。


「そんじゃあ――見せてみな、お前の策をよぉ!」


 振り下ろされる彼女の腕は、嵐そのものだ。

 この至近距離で彼女の起こす竜巻を受ければ、まず間違いなく、シオンの身体はバラバラになる。

 耐えるか否か以前に、霊子体を保てない。


 故に――


「っ!」


 全身に魔力を駆け巡らせる。

 外へと放出する魔力は、ほんの少しで構わない。あとは、このタイミングを待つ間に準備してきた魔法式へと、微弱な魔力を通すだけ。


 シオンは今日、ロッド型の魔法デバイスを使用していた。

 手から取りこぼさないよう、ガントレットと一体化した魔法デバイス。武器としても利用できるロッドは、直接魔力を操るのにうってつけだ。


 シオンの背後に、が浮かび上がる。

 それらは魔力の塊だ。


 一動作における、魔力の放出量が少ないシオンにとって、大きな魔法はそれだけで時間が掛かる。

 だからこそ、はじめから魔力を体の外に出して維持しておき、少ない魔力で誘爆させるようにするという手段をとっていた。


 無論、純粋なエネルギーとしての魔力の保存は、霊子属性の魔法の中でも、かなり難易度の高い術式だ。高い技術と集中力を要するこの術式のために、シオンはここまでの戦いを、ひたすら逃げ回っていた。

 今、その成果を発揮する時だ。


「『セット』『変換コンバート』『照準』『射出』!」


 四つの魔力の塊が破裂し、疾走する。

 彗星のごとく走る四つの線が、ナギニの起こそうとしていた竜巻を貫く。


 それで嵐の収束は解け、無軌道な風圧となって周囲に拡散した。


 直撃は避けられたが、それでも余波までは防げない。

 巻き上げられる無秩序な力の余波に乗せられ、シオンの身体が高く宙を舞う。


「ぐ、うぅううううう!!」


 十数メートル高く打ち上げられた身体は、落ちただけでも大きなダメージを受けるだろう。

 全身を駆け巡り続ける魔力を必死でデバイスに通し、シオンはかろうじて風力操作の魔法を起動させ、落下スピードを無理やり減速させる。


 


 地面に降り立ったシオンは、休むまもなくすぐに後退する。

 自身の攻撃を防がれたナギニは、楽しそうに顔を歪め、喜びを言葉にする。


「かか! アタシの挨拶に耐えるかよ! だが、いつまで持つかな!」


 後退するシオンを、ナギニは追う。

 それは、猫がネズミをいたぶるのと似ていた。

 ナギニが軽く撫でただけでも、ただの人間であるシオンの身体は、間違いなく粉々に吹き飛ぶだろう。

 シオンにとっては決死の戦闘だが、ナギニにとっては児戯に等しい。


 それでもナギニが本気を出さないのは、ひとえにシオンの策を見たいからだ。

 わざわざ一人で出てきたからには、何かしら狙いがあるのだろう。

 ファントムである七塚ミラの姿が見えないのは、奇襲を狙ってのことだと、ナギニは思っていた。だからこそ、彼らがやろうとしている策に、乗ってやるつもりで彼女はシオンを追う。


 そして――ナギニの性格ならば、すぐに仕留めようとしないだろうと、シオンは読んでいた。


 故に、彼は目的の地点まで、ナギニを連れ出すことに成功した。

 まだ形がしっかりと残っているビルに挟まれた道。

 狭くはないが、広場ほど広くもない中途半端な道の上で、シオンはミラに指示を出す。



「セット――『万華鏡・鏡迷宮カレイドスコープ・ミラーラビリンス』!」



 瞬間、ナギニとシオンを囲うように、無数の鏡が現れた。


「な――に」


 ナギニの表情から笑みが消え、驚愕に変わる。

 数十枚に及ぶ鏡が、二人を囲っていた。その物量に圧倒される。


 しかし、彼女が驚いたのはそれにではない。

 、彼女は驚いたのだった。


「か、かか! なるほど、そういうことか」


 ぐるりと視界を見渡して、ナギニは事情を察したようだった。

 粗暴なようでいて知恵も回るのだろう。周囲の鏡が、シオンを映さずにナギニだけを映していることを、彼女は看破した。


 万華鏡・鏡迷宮カレイドスコープ・ミラーラビリンス


 ミラが作り上げた、鏡を無数に増やすスキルを利用して、『合わせ鏡・無限回廊プリズムミラー・フラクタル』の力である「鏡に写った存在を閉じ込める」という効果をより強力にしたものだ。

 『無限回廊』の時には、意志のある存在は閉じ込められなかったが、今回のスキルは、ファントムや人間といった『意志あるもの』の動きを封じることに特化している。


 これから脱出するためには、『精神力』と『神秘性』の高さが必要となる。

 そう、つまりは。


「はんっ。しゃらくせぇ!」


 神秘性のランクがAのナギニにとって、その拘束を振りほどくのは、そう難しくない。


 彼女は気合の掛け声とともに、魔力を周囲に拡散させる。

 自由になった両腕は乱暴に振り払われ、周囲を囲っていた数十の鏡は、残らず叩き割られた。


 鏡の破片がキラキラと辺りに降り注ぐ。

 ガラス片が舞うという、あまりにも危険すぎる雨であるが、シオンとナギニは、二人共それを不敵な目で見ている。



 ナギニは「この程度か」と目で語る。

 シオンは「まさか」と表情で返す。



 ガラスが降り注ぐ中、シオンはパチン、と指を鳴らす。

 粉々に砕け散った鏡たちは、それぞれが光を反射させ始めた。

 映り込む鏡の破片。それは、鏡の中で無数に分裂し、無限の万華鏡を創造する。


 次の瞬間、砕けた破片は綺麗に消え失せ、代わりに、


「ぐ、ぅう」


 ナギニの不敵な笑みが、焦燥で歪む。

 さすがの彼女も、ここまでの拘束力は予想していなかっただろう。

 驚いたように、周囲を覆う百を超える鏡を見て、ナギニは苦笑いを浮かべる。


 一度目はあえて拘束力を軽くし、二度目に本気の拘束を行う。

 二つの落差によって、対象者の精神力にダメージを与える。いかに神秘性が高くとも、精神力にマイナス補正をかけることで、拘束を抜け出すまでのタイムラグを作ったのだ。


 そして、その僅かな時間こそが勝機となる。


 無数にある鏡の中で、四枚の特殊な鏡があった。

 その鏡には、それぞれ奇妙な紋章が浮かんでいる。

 それは因子を簡略化したデザインで、それぞれ、『竜』、『蛇』、『天候』、『毒』を現すマークとなっている。


 ナギニが身に宿す因子を、露出させたのだ。


「プログラム実行。『ファクトダウン』!」


 シオンのデバイスには、すでに魔力が通っている。

 起動させる術式は、因子崩し。

 ナギニが一度目の拘束を振り払う間に起動させていた魔法式は、今か今かと発動を待っていた。


 一歩を踏み込み、シオンは因子が露出した鏡に向けて、ロッドを叩き込む。


 通常、因子崩しを行うためには、先日の榊原カブトの刀のように、明確に因子が起動しているところに術式を叩きこむ必要がある。

 自然体でいるファントムにおこなったところで、それは通常の打撃と変わらないのだ。


 しかし、ミラの鏡は、その因子を露出させる。


 元々は、『因子写し』の副産物である。相手の因子を写し取るならば、その過程で、因子そのものを抽出することもできるはずだ。

 そうして因子が映った鏡を叩き割ることで、本体の因子にも影響を与える術式。



 名づけて『万華鏡・鏡像解体カレイドスコープ・プリズムアナトミー

 ミラとシオンの二人によって完成する合わせ技である。



 シオンは的確に、因子の映った鏡を破壊していく。

 一つを壊した程度では、ナギニを倒すことは出来ない。せめて竜に関する因子、千頭和ナギニの原始に直結する因子だけでも、壊してしまわなければならない。


 まず手近の『天候』の因子に傷をつける。

 続けて、『毒』を叩き割り、『竜』へと攻撃の手をのばす。


 そこで、タイムリミットが来た。


「く、ァッ!!」


 なりふり構わないナギニの咆哮が、半分以上の鏡を割る。

 しかし、それでもまだ、拘束力は半分残っている。


 衝撃に、シオンはたたらを踏む。

 しかしすんでの所で踏みとどまりながら、シオンはデバイスにひたすら魔力を通す。因子崩しを起動する魔力を供給できなくなった時は、彼の敗北の時だ。一杯一杯ではあるものの、目算であと少しは持つはずだった。

 ナギニの咆哮を懸命に耐えしのぎ、更に一歩、足を踏み込む。


 シオンはとうとう、『竜』の因子を傷つけることに成功した。


 がつん、と。

 千頭和ナギニに衝撃が走る。


 通常のファントムならば、構成因子が一つでも機能停止になれば、それだけで身動きがとれなくなる。

 三つも砕かれたナギニならば、それだけで霊子体を保てなくなるはずだった。


 だというのに。


「よくやった、勇む者よ」


 彼女は、強敵を称えるように口元を歪めながら、足を踏み落とす。


「だが残念だったな。――!」


 ナギニはその身に宿った因子を掘り下げる。


 起動させるのは『火』の因子。

 心中で高らかに謳いあげるは、崇拝の祝詞。

 それこそは原初の信奉であり、人の畏敬と希望をかき集めた、純粋無垢なる無比の礼賛。



「『自然崇拝・火竜アニミズム・アグニ』」



 輝かしい炎が周囲を照らした。

 千頭和ナギニの身体から噴出した激しい炎は、辺り一面に爆轟の渦を巻き起こし、全てを焦土へと変えた。


 自身の体を炎に変えるパッシブスキル。

 一瞬だけ炎そのものとなったナギニは、やがてその身を元の姿に戻す。

 立ち上る炎が次第に勢いを収め、蒸気が満ちる中、後には焼きつくされた荒野が残るのみだった。


 少しやり過ぎたか、とナギニは反省する。

 この様子では、シオンの霊子体は跡形もなく蒸発してしまったことだろう。


 しかし、加減ができないほどに、ナギニは追い詰められたのだ。

 彼女の九つの因子のうち、基板となる『竜』の因子が傷つけられたことは、大きな影響を持つ。『竜』の因子が機能を停止すれば、その時こそナギニは霊子体を保てなくなるだろう。


 ――シオンにミスが有るとすれば、『蛇』の因子に傷を入れられなかったことである。


 ナーガラージャとは、蛇神の諸王のことを言う。

 そこから竜王の伝承に派生しているため、原始に最も近いのは、実は『蛇』の因子なのだ。

 壊すのは『竜』の因子だけでは足りない。最後の『蛇』の因子を壊せないのがわかったからこそ、シオンは一手足りなかった。


 そう、後一手。

 足りなかったのだ。



――」



 充満する蒸気の中、厳かな声が響く。

 まさか、とナギニは彼女らしからぬ驚愕を浮かべる。



「――!」



 蒸気を散らしながら、久能シオンが懐に飛び込んできた。

 彼の持つロッドは、まっすぐに『蛇』の因子が映された鏡を叩き割る。

 如何なファントムといえども、死んだと思った相手が奇襲をかけてくれば、為す術もなく攻撃を食らうしかない。

 千頭和ナギニは、その身に宿す『蛇』の因子を、傷つけられた。



 ※  ※



 そう――シオンは先ほど、確かに死んだのだ。

 霊子体を消滅させ、試合から退場した――はずだった。


 それを覆したのは、七塚ミラが、最初に自分で作っていたアクティブスキルの力である。


 通称『反射同調ミラーシンクロ』。

 ミラ曰く『合わせ鏡の入れ替わりあなたはわたしで、わたしはあなた


 鏡に写った者とパラメータを揃えるという技だが、これは、大きなステータスを小さなステータスに移そうとすると、キャパシティオーバーで自壊するという欠点があった。

 それを解決する手段として、シオンが立てた策が、はじめから大きなステータスを、小さなステータスに合わせておくという手段である。


 つまり、はじめからミラを、シオンと同じステータスにしておくのである。


 無論、それではミラが人間と同レベルのステータスに落ち込んでしまう。

 ただでさえ低いステータスが、人間と同レベルになってしまえば、ただの人間にも負ける可能性が出てくる。


 だからこそ、ミラは終始身を隠し、サポートに徹していた。

 ファントムならば油断せずとも、只の人間に対してならば、油断せずにはいられないだろうという、一つの賭けを持って。


 そして――シオンはその賭けに勝った。


 ミラの『反射同調ミラーシンクロ』によって復活したシオンは、炎が効果をなくすまで何度も復活を繰り返し、そして蒸気の影から、油断したナギニの懐に飛び込んだのだ。




 そして――


『蛇』の因子を破壊したシオンは、立ち止まらずにナギニへとそのロッドを叩き込む。

 未だ、身体の一部を炎と化しているナギニは『火』の因子で満ちている。

 そこに因子崩しを叩き込み、『火』の因子にも、その機能に制限を与える。


 ダメ押しの五つ目。

 ここまでやって、なおも動くことができるファントムなどそう居ない。


 居るとしたらそれは――正真正銘の、バケモノである。


「か、かか!」


 すなわち。

 六割以上の因子を傷つけられて、それでもまだ、高らかに笑う千頭和ナギニは、


「本当に、最高だぜ、お前!」


 麻痺した身体を、ナギニは全力で動かす。

 乱暴にたたきつけられた拳は、技も何もないただの暴力である。


 ただし、その暴力は埒外の代物だ。

 無造作に加えられた地面への打撃は、強烈な衝撃とともにクレーターをつくる。

 因子が機能を停止し、身体に満足に力が入らない状態でなお、千頭和ナギニは意志の力だけで、これだけの膂力を持っているのだ。


 その衝撃で、地面の欠片が飛来し、弾丸のようにシオンの身体を貫く。

 近距離で銃弾に近い威力の破片を身に受けたシオンは、霊子体に瀕死の重傷を負った。このままでは、数分と持たずに死ぬだろう。


 一手加えても、化け物には届かなかった。

 そう、『一手』では、足りなかった。


「……言った、だろ」


 もう手はないのか? と目で語るナギニに、シオンは高らかに告げる。


「『』加えるって!」


 シオンは地面にたたきつけられながら空を見る。

 大空を駆ける、輝かしい翼を見上げた。


 ――その翼は、炎に包まれている。


 両腕を激しい炎の翼で包み、足には猛禽類の持つ鋭い鉤爪が表れている。

 目にも止まらぬ速度は、更に加速し、最速の勢いで獲物へと駆ける。


 それこそは


 ナーガラージャの敵対者にして、ナーガ族を退治する聖鳥として崇められた神鳥である。


「やぁあああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 七塚ミラの咆哮が響き渡る。


『ガルダ・レプリカ』


 三つの因子を取り込み、擬似的なガルダへとその身を変えた七塚ミラは、叫び声を上げながら、千頭和ナギニへとその鉤爪を突き立てるために、空をかける。


 本日、何度目の驚愕か。


「な、にぃいい!!」


 もはや身体の感覚が三割近くしか残っていないナギニは、防御が間に合わない。

 ミラが向ける足の鋭い鉤爪を、為す術もなくその身に受けた。


「が、ぁあ」


 ついに、ナギニの身体が傷を負う。

 五つの因子を傷つけられて、その身体の異常な頑丈さもなくなったようだった。

 前回は傷すら付けられなかったが、今回は深々と突き刺さり、その心臓をえぐりとった。


 千頭和ナギニの身体は、とうとう地面に倒れた。





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