第22話 残り1話

 私は、西之表市内の病院に運ばれた。検査の結果、これといった怪我もなく、翌日には退院できた。会計をすまそうと、待合室でぼうっとテレビを眺めていたとき、とんでもないニュースを目撃することになった。

 バラエティ番組の放送中、次の緊急速報がテロップで流れたのだ。


「政銀総裁、横領で逮捕 東京地検特捜部は、政府銀行総裁名田茂(50)とその長女明美ビアンキ(27)を業務上横領の疑いで逮捕したと発表」


 すぐにネットで調べてみた。

 名田総裁とその長女は、総裁が米国にいたときに創業し、現在は長女が代表を務めるIT企業に、政銀から業務を発注したように見せかけ、架空の請求を通じて、不正にそのIT企業に政銀の資金が流れるようにとりはからったとされている。


 そんな馬鹿な話はない。無限の富を操れる彼らが、そんなちゃちなことをする必要がどこにあるというのだ。これは権力闘争の中でしかけられた罠だ。わざわざせこい冤罪をこしらえたということは、彼らの本当の不正に気づいていないということだ。

 ということは、現時点では、私の口座に調査が入っていないと思われる。


 これで、もう明美とは、会うことはないのだろう。私はさよならの海に出かけ、彼女を懐かしんだ。

 口座の金額を増額させるという下心から、彼女に接近し、見事に目的を果たしたが、なにか釈然としない気持ちだった。手のひら一杯に砂浜の貝殻を握りしめ、海に向かって思い切り投げつけても、何事もなかったかのように、太平洋は静かだった。


 結依とも、彼女が就職してから忙しくて、会うことがなくなっていた。

明美が逮捕されたこともあり、急に彼女の顔がみたくなり、テレビで政府亭ネットにつなぎ、用もないのに、サポートを呼び出した。

「サポートの中丸です」と、若い女性の声がした。

 初回ははずれのようだ。一回で彼女に当たることはないと思っていたのでへこむことはない。玉井のように、すぐに切断するのも相手に失礼なので、

「ひとつお尋ねしたいのですが」と私はいった。

「はい」 

 そのときあることに気づいた。サポート画面の中にいるオペレーターは確かに結依だった。


「中丸? さんですか」

「はい。中丸ともうします」

「苗字変わったんですか」

「はい」

「いつですか?」

「先月です。ごめんなさい、黙ってて」

 もう一年以上、彼女とは会っていなかった。それで彼女の事情も知らずにいたのだ。

「ご結婚おめでとう」

「ありがとう。富樫さんも崎と幸せになってね」

「え?」

 という間もなく、サポート画面は終了した。


 どういうことだ。まさか、海の家以来ほとんど見かけない崎が、結依に私への気持ちをあきらめさせるため、嘘をいったのか。しかし、どうといったことはない。私と結依とはもともと何でもないのだ。

 きっと彼女は一庶民として生きていく運命で、王侯貴族を越えた至高の存在に成りつつある私とは、いつの間にか釣り合わなくなっていったのだ。


 それでも、意中の女性を二人も失ったショックは大きい。資産は宇宙一でも、精神はもろいようだ。

 退屈しのぎに、PCで過去のメールを見てみると、見知らぬ相手から動画が届いているのに気づいた。再生してみると、明美が映っているではないか。彼女はその中で、私へのメッセージを語った。


「富樫、生きてる? もしこの動画を見ることがあったら、私になんかあったと思ってね。知り合いにこの動画送るよう頼んでおいたから。

 今、政銀の中でいろいろともめてて、パパも大変なの。もう、あんたもわかってると思うけど、政府銀行って日本政府が指導してるわけじゃなく、世界中の権力者達が無茶苦茶な干渉をしかけてくるの。最初のプランだと、種子島、鹿児島、九州、全国と展開し、海外はそれを参考にそれぞれの国が政銀みたいなの作って、五十年くらいかけてひとつの通貨にする予定だったけど、急進派は、今の政銀のまま世界展開しろって五月蠅くて。それには日本政府と政銀切り離さないといけないから、日本に内乱起こして、鹿児島だけ国連の信託統治領にして、そこに政銀本部移せって言ってるの。パパはそんなの非現実的だって反対したから、急進派からけ落とされそうなの。


 それで、すごい幽霊の仲間がいる富樫に、この急進派の暴挙とめてほしいんだ。だから、パパのIDカード渡したってわけ。富樫、馬鹿で頼りないけど、あれだけのお金があれば、急進派止められるよ。もちろん、あの画家の幽霊がいればの話だけど。それから玉井の馬鹿と早く縁きったらどう? あいつ、歌手のくせに歌下手だし、騒ぐだけで何の役にも立ってないし。


 あと、ひとつ、お願い。前行ったサーフショップに私のつけたまってるから、代わりに払っておいて。じゃあ、私も忙しいんで」


 そこで動画は終わった。

 きっと彼女はものすごいことを言っているのだろうが、いつもの調子なので真剣さが伝わらなかった。ただひとつわかったのは、これから西南戦争が再び起こるということだ。彼女は私に西郷隆盛、あるいは大久保利通の役目を果たすよう頼んだのだ。それにしても、

「じゃあ、私も忙しいんで」

 ……それが、彼女の私に対する最後の言葉とは……。


 それから間もなく、政銀の新人事が発表された。新総裁に選ばれたのは、ウォール街の投資銀行出身の経済学者フィリップ・モリソー氏。政府銀行は今後、より一層踏み込んだ資産調整を行うことになるので、海外の理解を得られるように、一般の機関投資家にも政府銀行への出資を促していくことになった。

 日本に駐在経験のあるモリソー氏には、政府銀行の目指す電子制御経済と海外の投資家との橋渡し役となることを期待されている。


 これに伴い、政府銀行は、鹿児島、ニューヨーク、ロンドン、シンガポールの四本社体制を敷き、モリソー氏はニューヨーク本社から指示を出す。さらに四月からは、予定通り、鹿児島県全域でTTPを施行すると表明。明美の言う急進派に、政銀は乗っ取られたようだ。


 総裁親子逮捕から一ヶ月後、私は超富豪カードが問題なく使えるか試してみた。IDカードに上限まで入金できたので、まだ停止されていないようだ。調査が進んでそのうち使えなくなる可能性があるので、私は本土に渡り、一億円ほど現金をおろし、帰島した。


 玉井が寝ているうちに、彼のギターケースからギターを抜いて、札束を全額詰め込んでおいた。

 翌日の彼は半狂乱だった。

「どういうことだ? これも経済なんとかか?」

「そのとおり。政府銀行様のご好意で、経済最適化特別調整のモニターに支給されるサプライズプレゼントだよ」

 と私がいうと、彼は本気にした。

 一億円は政銀に預けると、月次調整で減額対象になるので、そのまま現金で持つことにした。そのため、この島では使うことができない。


『 この島には、金がありすぎ いかれてるぜTTP

  誰がおいらのギターケースに一億円入れたのか

  働きもしないのに、勝手に金が増えてる 

  だけどこの島では使えない あばよ~、カネガテマ  』


 年末の特番時期に、私の出演した番組が政府銀行と鹿児島県の提供でテレビ放送された。番組名は予定と異なり、「TTPの島にアナコンダ? 日本のマカオ種子島の知られざる魅力を探る」と変更され、内容もTTP礼賛一色で、種子島の経済発展が強調されていた。

 途中のCMまで三ヶ月後に鹿児島で始まるTTPのアピール。最低資産保障のくだりでは、宇宙一の金持ちの私のことを補填の常連と紹介していた。そのうえ、グーゴルという芸名が、島に来るまで貧乏で、おなかがグーゴロゴロと鳴ったことから付けられたと解説していた。


 元旦がやってきた。年賀メールを確認していたら、奇妙な内容のものを見つけた。いたずらかもしれないが、差出人は元政銀総裁の名田茂となっており、次のような文面だった。


「史上最高のリッチマンに告白する。私、名田茂はフィリップモリソーの操るマリオネットにすぎなかった。モリソーは政府銀行の考案者で、最初から日本は世界初の電子制御経済国家になることが決まっていた。政銀の資産調整に危惧を抱いた富裕層が、日本から大量に海外移住したのも計画通りである。

 モリソーらは当初の計画通り、日本の富をシンガポールなどに移転させることに成功し、その成功の象徴として、間もなくロケットセンターから新型Jシリーズロケット『JME―1』が発射される。JMEには『JAPAN MONEY EXODUS』という隠された意味がある。


 今後三十年で世界の大半の国々で政銀のシステムが導入され、資産調整が実施される。その原動力は最低資産保障の存在を知った各国の貧困層だ。彼らは暴動を起こしてでも、資産調整の採用を政府に訴える。しかしながら、灯台下暗しという諺通り、政銀本社のあるNYとロンドンシティ、そして都市国家シンガポールでは決して、資産調整が実施されることはない。そこに資産調整を避けようとする富裕層を呼び寄せ、世界の富を集めるのが当初からの目的だからだ。個人には資産調整があり、法人には資産調整がないのは、非TTP地域に移住する株主の権益のためだ。


 歴史的に見て、大金持ちには必ず世間からのねたみや反感がつきまとう。それを防ぐには、貧困層が生活に困らないシステムを構築し、金持ちが彼らの前から姿を隠せばよい。富裕層が、良心の呵責や多額の税負担なくして、まとまって暮らせる新世界の建設。それが政府銀行の最終目標だったとは、総裁を務めた私でさえ見抜けなかった。富裕層が、嫉妬や反発を浴びずにビジネスに集中できる三大都市と、中流以下が、ギャンブルのように増減する口座残高にわくわくしながらも、困窮することのなく暮らせるその他地域。世界はふたつに分かれるのだ」


 きっと総裁はものすごいことを言っているのだろうが、宇宙一の金持ちグーゴル富樫にとっては、もはやどうでもいいことだった。宇宙一の金持ちにもかかわらず、私は無料で、南種子町にある宇宙公園からJME―1の発射を見学した。あのロケットが日本の富なら、着地点はシンガポールか。


 そのシンガポールは、今の種子島のように、新経済システムの実験という名目で経済特区に指定され、限りなく富裕層に都合のいい制度が施行されるのだろう。実験であるからには、法制化された制度と違い、メディアもあまりとりあげない。いや、メディアには圧力がかかり、真実は公表されない。TTPの推進機関である政府銀行のお膝元が、新自由主義のパラダイスになっているとは、世間は予想だにしないはずだ。


 貧困層は、自分たちの目の届く範囲に暮らす小金持ちから、ソーシャルフローを通して、合法的に金を巻き上げることで、社会に対する信頼と経済的平等を感じながら生活する。もうひとつの側面として、経済特区に潜む大富豪に、多国籍企業を通して、知らぬ間に金を巻き上げられているのだが、本人達がそれを知ることはない。

 その特権的大富豪すら、システムの盲点を突いた貨幣創造を実現したこの私に富を吸い上げられていることに気づいていない。天才モリソーをしのぐ超天才グーゴル富樫。世人は、この偉人の存在を知ることはない。


 二月中旬、この島を初めて訪れてから、ちょうど丸三年になる。私は二人の同居人に、拘束期間が過ぎる三月には、島を出るつもりだと告げた。

「俺も、早く一億円使いたいと思ってたところだ」

 玉井は、私と一緒に島を出るといった。

「こんな僕のことを理解して、まともに扱ってくれた君たちと離れたくはない。一緒にどこまでもついていくよ」

 と画伯も言ってくれた。不死身の彼がいれば心強い。


 三月に入り、拘束期間がすぎても、あれこれあって日取りが伸び、下旬になってようやくその日が来た。


 フェリー乗り場には、誰も私たちを見送りには来なかったが、大勢の子供たちの声でにぎやかだった。たまたま小中学校の教員の離任の場に乗り合わせたらしい。私と同じ年頃の男性教員が、小学生に囲まれ、泣いていた。女子生徒から花束を受け取ると、「ありがとう」といって、笑顔を作ろうと必死だった。

 おそらくその教員は、私と同じように、最初はここにくるのが嫌だったはずだ。だが、今は私と同じように、名残惜しい気持ちに包まれているのだ。

 フェリーに乗ると、教員たちは色とりどりのテープを投げ、見送りの生徒たちは「先生、先生!」と叫んでいた。風になびくテープは、虹のようだった。

 フェリーが出航すると、生徒たちは、少しでもフェリーに近づこうと港を走る。教員たちの「ありがとうございました」という声が彼らに届いているどうかわからない。

 ドキュメンタリー番組で見る分には感動的な光景だが、今の私には少しきつかった。違う日にすればよかったと本気で思った。


 生徒たちの声が聞こえなくなった。

 私達三人は潮風の吹き付けるデッキから、遠ざかる種子島の姿を無言のまま見つめていた。東には広大な太平洋が広がっている。この太平洋のように、使い切れないだけの水資源がある一方で、砂漠のように枯渇している地域もある。川や雨といった自然の力だけでは、水不足を解消できず、人類は太古から用水路やため池を作り、それに対応してきた。

 金の流れも水と同じで、市場に任せているだけでは、どこかで不足が発生する。TTPでは、黒潮の流れのように、モノやサービスのやりとりを伴わないマネーの巨大な潮流を人工的に作り出し、経済最適化を実現しようと模索している。その実験対象に選ばれた玉井は、ギターを弾き、珍しくしんみりとした別れの歌を歌いだした。


『 あばよー、種子島 もう来ることはない 死ぬまで来ないから

  だけど まためっかりもーそー(また会いましょう)  』 


 しかし、「なんだ? あの音は?」といって、歌うのをやめた。偶然このフェリーに琵琶法師が乗り合わせたようで、琵琶の音色が聞こえたからだ。


『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす……』


 鬼界ヶ島に流された俊寛は、島を出ることはなかったが、当初の予感と異なり、私は数々の困難をくぐり抜け、無事この金界ヶ島を出ることができた。命を賭した大冒険の結果、手に入れた宝物はどんな冒険物語も遠く及ばない魔法のカード。10の百乗円という天文学的資産もさることながら、それ以上にこの島での体験は、私の人生において最も大切な想い出となって、人生の尽きるときまで、繰り返し脳内で反芻されていくに違いない。


 後世になって振り返ったとしたら、人類史の重要な分岐点を体験したことと知るだろう。共産主義を倒し、一人勝ちとなった自由資本主義。政府によって生産配分が決められる計画経済よりも、市場によって調整される市場経済のほうが優れていたということだ。その自由資本主義も、先進国の借金や貧困層の増加など、世界中で限界を見せている。経済の媒介物となる貨幣を、誰も操作することができないのだ。

 それに対し、超法規的独占巨大金融機関「政府銀行」を推進役に、全ての資本を電子データに置き換え、コンピュータで一括管理しようという電子制御経済。経済の資源配分は、市場機構(価格メカニズム)に任せるが、その結果に対し、様々な調整を行い最適化を図ろうという試みだ。


 その胎動はこの島で始まったばかりで、私や玉井が体験したような経済的混乱を乗り越えることで漸次改良されてゆき、やがては火縄銃同様、世界に普及していくのだろう。現在の盛者といえる自由資本主義もやがては衰え、平氏が源氏に、三葉虫が魚類に打ち負かされたように、次の制度にとって代わられるのは、世のならいなのだ。経済特区で生き残りを図ろうとしていること自体が、すでに凋落している証ではないか。


 琵琶の音がやむと、玉井は中断した歌の続きを歌い出した。


『 さよなら、種子島 想い出をありがとう

  死ぬまで忘れない いつかまためっかりもーそー 

  はじめてここに来たとき 田舎臭く感じた

  だけど今では まるでふるさとみたい   

  時々、不便だけれど 慣れてしまえば どんげー(我が家)

  黄昏どきは 夕陽がとても綺麗 


  あばーよー、種子島 南国のやさしさを 

  死ぬまで忘れない いつかまためっかりもーそー 

  はじめてここに来たとき 早く帰りたかった

  だけど今では 去るのがとてもつらい

  時々、不便だけれど 慣れてしまえば どんげー

  波打ち際の 貝殻がとても綺麗                』


 彼はこの島の出身で、初めてここに来たとき、という歌詞はおかしい。きっと、私の気持ちになって歌っているのだ。何故、私のことだとわかったかと言うと、その歌詞はそのときの私の心境そのものだったからだ。いつもおかしな歌ばかり歌っていたけど、彼は本物のミュージシャンだった。さきほどの教員にも聴かせてあげたいと思ったが、別れの辛さが増すだけだと気づいた。


 目の前の種子島は、いつものように平たい姿を太平洋に浮かべている。いまやこの島は、どんなタックスヘブンも及ばないマネーアイランド「金ヶ島」なのである。黄金の国ジパングの富を吸収していくが、使うのが手間なので、金は増え続ける。あふれ出んばかりの富は行き場をなくし、島全体から黄金の輝きを放射している。


「あばよ……」


 私は、またいつか来ることを誓いながら、金色に煌めくカネガテマ島に向かって合掌した。


        ――「カネガテマ島奇譚」完

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