月下の執着

#1 寒い夜、月のない夜



◆1



 北方の大国モスルートは雪に閉ざされた国だ。北極海と北壁山脈に挟まれた領土は長い冬の間雪に沈み、このメムナートの街もそうであった。

 木造住宅の街並みは色気が無く、やはり質実剛健とした分厚い鎧を身に纏う兵士が目を光らせ巡回する。

 この分厚い鎧はモスルートに広く普及する装備で、モスルートの強大な軍事力を象徴している。鎧の内部には熱い魔力の脈が通っており、非常に暖かく、また怪力を出し、走りも速い。

 当然観光客にも人気だ。いま、詰所の前で鎧兵の交代の儀式が始まっていた。観光客が息をのんで見守る。

 見張りの鎧兵が敬礼をし、交代の鎧兵が大股で歩いて近寄り、敬礼を交わす。そしてくるりと1回転して、交代し、見張りを終えた鎧兵は同じように大股で去る。

 観光客たちは、これぞモスルート紳士だと満足し、去っていく。ただ一人の青年を残して。

 青年の名はマイラ。血走った眼で鎧兵を見る。その視線は熱が込められており、涙が浮かびそうだ。

 マイラはこの街の住人だ。そして、毎晩のように、この鎧兵交代の儀式を目に焼き付けていた。理由は、単に好きだからだ。

 寒い夜、そして月の見えない夜だった。しかしマイラの心臓は熱く燃え、かがり火に照らされた彼の眼は爛々と光っている。

 ここまでの執着を見せるマニアは観光客にもいないと思われた。しかし、マイラの隣に一人の観光客がふらりと現れる。一応忠告をする。


「交代、終わってるよ」


「了承」


 それだけ短く言った。不思議な男だ。分厚いコートはマイラと変わらないが、背中に巨大な長剣を背負っている。さらに腰にも2振りの剣を帯刀している。


「最近通り魔が出るんだ。切り殺されるよ」


 再び忠告するマイラ。


「了承」


 それだけを返す。

 毎晩鎧兵を睨んでいるマイラに慣れた鎧兵は、彼を無視している。観光客にも、別に注意を払わない。不思議な男だとマイラは思った。気配は雲を掴むようだ。

 長い黒髪を三つ編みにした無口な男。口元を強盗のように布で隠している。いつまでたっても何も言わず突っ立っている。

 不思議な観光客もいるものだと思ったが、よく考えれば別に不思議ではない。世の中には色々な人間がいる。マイラ自身がそうであるように。

 マイラは帰宅して、部屋の中を歩き始めた。先程見た衛兵交代の儀式を、再現する動きだ。

 5セット程儀式のルーチンを繰り返した後、彼は壁のカレンダーを見た。5日後に赤い印がつけられている。

 決行の日だ。そのために、何度も練習して、準備を積み重ねた。世の中には色々な人間がいる。きっと、その日のことを他のひとが知ったら呆れるだろう。

 マイラは大きく息を吐き、鍵を開けて納戸の扉を開いた。それを見るだけで、彼の心臓は爆発しそうなほど高鳴る。

 そこには彼の願望が形となって鎮座していた。鎧兵の装備によく似た鎧。実際の物より幾分か見劣りするが、精巧に作られた鎧がそこには納められていた。



◆2



 手製の鎧はあちこちが脆く、頻繁なメンテを必要とした。納戸の明かりをつける。暖房の無い、狭い空間に白くなった吐息。

 マイラは独学でこの鎧を作り上げた。裏ルートで流通するジャンクパーツを繋ぎ合わせ、マニア仲間から魔力機関を高値で買い取った。

 マイラにとって鎧兵は少年の頃からの憧れだった。そして、少年の憧れは大人になっても消えることは無かった。

 身が焦がれるような欲求。鎧兵になりたい……しかし、鎧兵になるには、その門は狭すぎた。夢破れて、マイラは理想と現実の狭間で苦しんだ。

 納戸の電気ランプがチカチカと明滅する。決行は5日後、満月の夜だ。マイラは抑えきれない欲求を鎮めるために、今日も鎧を着てみることにする。そうすると、いくらか満たされて破滅的な衝動を和らげることができる。

 鎧はマイラの体格ぴったりに馴染んだ。

 満月の日を選んだのに深い理由は無い。ただ、特別な行為には、特別な日を選びたかった。鎧兵に憧れるものから、本当の鎧兵に近づける日である、脱皮の日。

 鎧を着たまま息を吐く。身体に馴染んだ鎧の胸が動くのが分かる。今日はここまでにしよう、そう思い、鎧を脱いで納戸を後にした。

 選ばれた日までの5日間は、ほとんど落ち着けなかった。ある日、気晴らしに新聞を見るマイラ。紙面には通り魔の続報が踊っていた。まだ捕まっていないらしい。犯人はこう呼ばれていた。

『切り裂きロングソード』

 長剣で斬りかかってくるという、大胆で恐ろしい犯行。不安が募る。

 不安が高まっても、時間が伸びるわけでもなく、焦りだけが心を狂わせる。


「予行だ……予行をしよう。今日はその日だ」


 心を静めるには、練習をするしかない。満月の日の前日、彼は予行練習を行うことを決意する。夜が来て、彼は手製の鎧を身に纏い外へと歩き出した。

 夜の闇が、路地裏に満たされていた。手製の鎧の視界は悪い。本当なら暗視装置もついているらしいが、再現できなかった。

 しかし満月前日で晴れていたため、いくらか月明かりがある。それを頼りに、硬くなった雪を踏みしめゆっくりと歩く。心臓が爆発しそうなほど鼓動している。

 曲がり角に誰かいる! それに気づいたとき、心臓が止まる思いがした。もちろん、マイラは違法行為をしている。鎧の偽造は重い犯罪だ。

 鎧兵か、一般市民か、それとも通り魔か……硬直したまま「誰か」を見つめると、「誰か」は街灯の下へと姿を現わした。観光客だった。

 どこかで見た観光客だ。マイラは鎧を着たままじっとしていた。もしかしたら、正規の鎧兵と勘違いしてくれるかもしれない……そう思ったとき、観光客の方から声をかけてきた。


「前、会ったな」


 そこでマイラは思い出した。背中に長剣を背負い、口元を布で隠した三つ編みの男……。

 兜で顔が覆われているはずなのに、この不思議な観光客は自分のことを見抜いていた。マイラはうろたえる。


「頼む、見逃してくれ……」


 男は黙っている。


「酒を奢るからさ、事情を説明させてくれ」


「了承」


 観光客は、そう短く返したのだった。



◆3



 マイラの家で、酒を酌む二人。観光客は自分のことをパラファラガムスという名だと名乗った以外は、特に情報を話さなかった。


「俺はマイラ。見ての通り、モグリの鎧兵さ……不思議だろう、こんなリスクを負って、何の得にもならないことをすることを」


 パラファラガムスは特に何も言わず、ちびちびと酒を飲んでいる。マイラは許してくれたと思い、事情を話し始めた。


「夢だったんだ。鎧兵が……実際は、夢破れた者さ。憧れだけあっても、実際はすべてうまくいくわけなかった」


 こんなことを話せる友人などいなかった。ただ、この観光客はなぜか分かってくれる気がした。彼は真っすぐにマイラの目を見ていたからだ。


「夢が叶わないまま、情熱だけが残っていた……気づいたら、作っていたんだ。この鎧を」


 壁にもたれさせた鎧を見るマイラ。視線を戻すと、パラファラガムスと目が合った。


「分かってくれるのか……? 馬鹿な俺を……」


 縋りつくようなマイラの問いに、パラファラガムスはこくこくと頷いて答える。マイラは、それだけで救われたような気持ちになる。

 パラファラガムスは酒瓶を手に取って、マイラの方へ差し出した。天井の電気ランプがチカチカと明滅する。これは電力不安定なせいだろうか、それとも涙で歪んでいるせいだろうか。マイラははなをすする。そして酒を注いでもらう。


「いいやつだな、お前……」


 マイラは酒を一気に飲み干す。今日はやけに酒が進む。


「俺は初めて他人から理解された気がするよ……なぁ、パラさん。あんたに夢はあるか? ……いや、愚問だったな」


 夢はあるかと聞かれて、素直に言えなかった自分。どうせ馬鹿にされると、胸の奥に隠した自分。それを思い出す。


「ひとは誰にでも夢がある……でも、それを分かってくれる人間が、どれほどいるだろうか。大切なものは誰にでもある。世の中は、ひとの大切なものを踏みにじって喜んでいるものばかりだ……」


 マイラは酒瓶を手に取り、パラファラガムスの盃に酒を注ぐ。干し肉を裂いて分ける。

 酔いが回っているのは、マイラ自身にもわかる。壁に掛けられた写真が、ブレて2重に見える。あの写真の両親は、もういない。


「俺の場合もさ、誰にも理解されなかったよ。法にすら触れるんだ。誰もが俺に説教して、もっとまともな夢を持て、と言う……」


 パラファラガムスは黙って聞いていた。元から感情を見せない無口な男だ。だが、その目は真っすぐで、真剣だった。


「でも、俺は満足だよ。一人でも、理解して……いや、黙って聞いてくれる人がいる。それだけで、俺の夢は、存在してもいいんだって……そう思えるんだ」


 マイラは机に突っ伏して眠り始めた。消え入りそうな言葉が最後まで続く。


「限られた人生の時間の中で夢中になって時間を費やせる何かがあるってのはいいじゃねぇか……」


 パラファラガムスは、彼の背中に自分のコートを着させてやった。夜は更けていき、電灯の明かりは不安定だった。



#2 月の光の、眩しい夜



◆1



 マイラとパラファラガムスは、満月の夜に再び出会った。約束したのだ。マイラの夢を、見届けることを。

 パラファラガムスがマイラの家に入ると、彼はすでに鎧を着ていた。落ち着かない様子で、椅子に座っている。

 決心した男に掛ける言葉は不要だ。二人は頷きあって、言葉を交わすことなく月明かりの下へと歩き出した。外を出歩くものはいない。冷たく、静かで、風のない夜だった。


「見張りを頼む」


 それだけを伝え、マイラはただ前に進む。満月はやけに眩しかった。

 一歩踏むたび、マイラの心臓は跳ねる。体中から汗が吹き出し、鎧の下を湿らせる。逆に、喉は砂漠でも歩いているかのように乾く。月明かりが明るい。きっと瞳孔が開いているせいだ。マイラはそう思った。

 目的地は、今は使われていない住宅街の詰所跡だ。

 マイラは夜の闇を見渡した。辺りに人はいない。ただ、パラファラガムスだけが立っている。


(いまだ、いましかない)


 視線を送ると、パラファラガムスが静かに頷いて答えた。マイラは唾を飲み込み、彼に背を預けて儀式を始めた。

 大股で歩き、詰所に向かう。交代の鎧兵はいない。ただ、いるものとして一人でやる。正規品でない鎧はガチャガチャとうるさく、そのたびに心臓が凍りそうになる。

 目が熱い。夢だった、儀式をいま再現している。自分が本当の鎧兵になった気がした。その時間は永遠に感じられた。

 詰所前でくるりと1回転し、剣を掲げる。これで交代は終了だ。あとは、やってくる交代の鎧兵を想像し、入れ替わりで交代する儀式もやろう……そこまで考えたとき、驚きで声が出そうになった。

 見守っていたはずの、パラファラガムスがいないのだ。さすがに動揺する。

 それでも、マイラは冷静に考えようとする。


(パラさんは俺を分かってくれた。信じてくれた。その俺が、パラさんを疑ってどうする。信じるんだ。分かってくれたなら、俺も分かってやるんだ。きっとパラさんは何か事情があって……とにかく、恩を返さなきゃいけないんだ)


 決心してからは早かった。交代に来る鎧兵を想像し、迎える所作をする。そしてくるりと1回転をして、礼をし、ゆっくりと詰所跡から遠ざかっていく。もうすぐ、全てが終わる。そのときである。

 遠くで声がした。警笛が鳴る。鎧兵が緊急事態を告げている。何かアクシデントが起こったのだ。

 野次馬が遠くで騒いでいる。声は遠くだが、場所的には非常に近い。大きな事件が起こったようだ。


(頼む、誰も来ないでくれ)


 マイラは必死に祈る。


(俺は、俺の楽しみを、俺だけで楽しんでいるだけなんだ……頼む、分かってくれなくていい。そっとしておいてくれ……)


 もうすぐ全ての所作が終わる。マイラはじっと闇の向こうを見ていた。姿は見えなくても、きっと自分を見つめる目がある。それは自分を非難する目ではなく、自分を信じてくれる目だ。

 そして……彼はとうとう、やり遂げたのだ。



◆2



「やった……とうとうやったんだ」


 マイラは呆然とその場に立ち尽くしていた。冷静に考えれば、すぐさま撤収した方がいいだろう。彼はそうしなかった。そもそも、冷静だったらこんなことはしない。

 彼は静かに、達成の味を噛みしめていた。

 満月の光が、優しく彼を包み込んでいた。祝福していた。身体が燃えるように熱い。息が白いほど、冷え切っている夜なのに。自然と涙があふれていた。


「馬鹿だよ、俺は……本当に、馬鹿だったよ」


 マイラは今まで生きてきて、一番満たされた顔をしていた。見つかったら終わりだ。社会的立場も危うく、きついペナルティも課せられる。

 それでも彼は、初めて自分らしく生きて、自分らしく振舞えたのだ。理想と現実の間で引き裂かれそうだった心が、初めて一つになった。

 屋根から、雪の塊がどさりと落ちた。そこでようやく、マイラは我に返った。冷静になって、撤収を考え始める。早く身を隠し、自宅へ戻らなくてはならない。

 血なまぐさい匂いを感じた。闇の向こうを見る。……誰かがいる!

 そこには、パラファラガムスがいつもの無表情で佇んでいた。マイラは、何も違和感を覚えなかった。


「パラさん、あんたやっぱり……見届けてくれたんだね。さぁ、帰ろう……」


 そうして、彼の一生に一度の冒険が終わった。

 次の日、パラファラガムスは未明のうちに旅立った。マイラはゆっくりと2度寝をして、起き上がり、キノコを焼き、バターを塗ってかぶりついた。いつもより3割ほどおいしく感じる。

 朝刊を見て、自分が載っていないことに安堵する。代わりに、通り魔の続報。

 通り魔……切り裂きロングソードは、変死体で発見されたというのだ。しかも、自分が儀式を行った、あの詰所跡近く。

 記事を読み進める。通り魔は身体を斬られた状態で見つかったという。ということは、当然誰かに殺されたということだ。

 剣で斬られた……ここで、マイラは次第に違和感を深めていく。切り裂きロングソードのせいで、街は警戒状態だった。当然帯刀などできるはずもない。

 なのに、あの観光客……パラファラガムスは堂々と、鎧兵の前でも帯刀していた。それに誰も反応しなかった。

 あの晩……儀式を行った後に、姿を現わしたパラファラガムス。彼は返り血を浴びて堂々と立っていた。それに、マイラ自身も違和感を感じなかった。

 あの後、マイラの家に帰って剣の手入れをしていたパラファラガムス。何にも不思議に思わなかった。


(パラさんは魔法使いだったんだ。そして、あの晩俺を守ってくれた。きっとそうだ)


 最後に、マイラは納戸の扉を開けて手製の鎧を見た。そして扉を閉めて、鍵をかけ……もう、二度と夜中に鎧を着て出歩くことは無かった。

 彼はもう、満たされたのだから。



 月下の執着(了)



【用語解説】



【モスルート共和国】

灰土地域の北部、北壁山脈に囲まれた寒い国。国土のほとんどがタイガとツンドラで構成される。ほとんどの作物が生育せず、家畜とキノコが主な食料。魔法使いに支配される他の灰土地域の都市国家とは違い、魔法の使えない人民も政治に参加できる珍しい共和制国家



【鎧脈装甲】

モスルートにのみ普及する鎧兵の装備。魔力の脈が通っており、暖かく、何倍もの力を出せる。この技術はモスルート神聖宮殿の地下に保管されている黒曜六面体よりもたらされた。黒曜六面体はそれ自身が意思を持ち、モスルートにオーバーテクノロジーを供与する


【写真】

科学文明であるエシエドール帝国が発明した写真機は、構造が単純であったため文明崩壊後も技術が断絶することは無かった。カラーと白黒が存在するが、一般的に使用されるのは白黒写真で、日光に長期間晒されるとすぐセピア色に退色してしまう



【月】

内部まで完全に都市化された人工物であるが、その起源は古すぎて神々すら把握していない。魔力を司る月齢神たちが、闇のヴェールで月を覆うことで月が満ち欠けしているように見える。神々と使徒の住まう世界であり、銀のビルディングの間に霊力の泉が湧き、運河となって廻る



【切り裂き七人衆】

「切り裂き~」の名を持つ変態怪人。7人は活躍した時代も場所もバラバラだが、性癖が似ているのでひとまとめにして扱われる。彼らは皆アーティファクトの刃物を操り、人々を恐怖に陥れるが、全員魔人パラファラガムスの剣の相手となって殺されている

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