12-1 アーシャ・キノ
西暦図書博物館へ再訪する前、世界警察刑事局刑事部のゼノ・シルバー捜査官は一人、ボイスレコーダー機能を使い、上層部へのレポートの録音を行っていた。
「情報管理部のビリー担当官が調べたところ、『ルイ・オジェ』の名を継ぐための条件は細かく定められていたことがわかってきました。詳しくは別紙を参照いただきたいのですが、例えば、年齢は二十代であり、処女でないこと。身長は165cmから170cm程度で、体重は50kg程度でなければならない等。名を継ぐことが決まると彼女らは整形手術を受けて、その容姿をオリジナルに似せられます。そして、歳が二十八を越えて役目を終えたとき、彼女らは自殺という手段を用いてその存在を抹消されるのですが、そのときのことを想定してか『コードレスであること』も条件の一つとして盛り込まれていました。そのため『ルイ・オジェ』となった人物らに関する情報は、ほとんど掴めませんでした。フォウ・オクロックに残されていた『ルイ・オジェ』候補者たちの情報も、代が変わる毎に破棄されていたようです。しかし、検査項目や検査方法に関する記述は、館から押収した内部資料にまだ残されていたため、これらの情報を知りえることができました」
* * *
「知っているかい?ニュートンは『落ちるリンゴ』を見て、万有引力に気づいたわけじゃないんだってさ」
ゼノ・シルバーの発言を無視するようにして、強化ガラスを隔てて対面に座らせられたオルガ・セサビナは、あらぬ方向を向いていた。
「リンゴとともに『落ちてこない月』を見て、万有引力の概念に触れたんだそうだ。そう、同じものを見ていても、視点を変えれば感じ方も変わるってことなんだ」
「何が言いたいのさ?」長く続く雑話に痺れを切らしたのか、オルガは目を逸らしたまま彼に尋ねた。
「つまりね、僕らは別に『ルイ・オジェ』たる人物が、コードレスだから困っているわけではないんだよ」
「だから」何が言いたいんだ。と、オルガはそう言いかけたのだろう。
「あの中庭にあった女性の遺体は、コードレスではなかったんだ」
ゼノの言葉に、オルガの表情が固まる。
「確か『ルイ・オジェ』の名を継ぐための条件の一つに『コードレスであること』っていうのがあったよね?じゃあ、あの遺体もそうあるはずだ。だけど、不思議なことにそうではなかった。あの遺体は、カズロア生まれの農家の娘で、アーシャ・キノという人物のものらしい。ちゃんと、DNA登録がされていたんだよ」
「嘘だ。そんなはずはない。彼女は、あの館の出身のはずだ」ゼノを睨むオルガの瞳が僅かに震えている。
「資料によると、アーシャ・キノは二十八年前、生後六ヶ月のころに人攫いに遭ってから、昨日までずっと行方不明になっていた」
「二十八年前だと?何をバカな。そのころはまだDNA登録制度もなかっただろうが」
「そう、確かに彼女が攫われたころに、DNA登録制度はなかった。DNA登録が義務化されて、まだ八年だからね」
オルガは鼻で笑う。「人攫いに合った娘の遺伝子情報を、二十年も経ってどう登録することができるのさ?仮に二十年経ってDNA登録するにしても、そのためには生きた細胞、つまり本人が直接検査施設を訪れることが条件になっているはずだ。そのアーシャって奴がDNA登録をしに訪れたんなら、その時点でもう行方不明じゃなくなるはずだぜ?」
「そう。アーシャ・キノ自身は登録をしていない。仮に彼女の細胞の一部が残っていたとしても、それを登録することは違法行為にあたる」
「お前、頭おかしいんじゃないか?さっきと言っていることが」あべこべだ。と、そう言いかけたところで、ゼノが発言した。
「彼女はこの世に、一卵性双生児として生まれたんだよ。つまり妹がいたんだ。攫われずに残された、遺伝子情報の同じ妹が」
オルガは言葉を詰まらせた。
「新しい暦が始まり、DNA登録が義務化されたころ、その妹は自身の遺伝子情報を登録していた」
オルガは明らかに動揺していた。
「そうやってアーシャ・キノは、自分の知らないところで、コードレスではなくなっていたんだよ」
* * *
ゼノは一人、ボイスレコーダーへの報告を続けている。
「一卵性双生児の場合、遺伝子情報が同じであっても、指紋や瞳の虹彩、静脈パターン、そしてホクロの位置などは同じになりません。そのためご存知の通り、DNA登録を行う際には、虹彩や静脈パターンも合わせて登録することになっています。遺体の虹彩情報は、アーシャ・キノの妹のそれとは違っていました。そして何より、その妹自身の生存が確認できています。したがって、遺体がアーシャ・キノの妹である可能性も否定されたのです」
* * *
ゼノはオルガの顔を見つめた。
「では、仮にアーシャ・キノが『ルイ・オジェ』だったとして、その名を継ぐと決まったそのとき、フォウ・オクロックの人間は彼女のDNA登録の確認を行わなかったのか。もしくは、その登録を見落としていたのだろうか。それとも、何かしらの方法でアーシャ・キノが彼らを欺いたのか。いいや、その仮説はどれも考えにくい。そんな可能性は皆無であったと言い切れるほどに、彼らのチェック体制は徹底されたものだった。ではなぜ、あの遺体はコードレスではなかったのか」
オルガの唾を飲む音が聞こえる。
「答えは一つ。あの遺体は『ルイ・オジェ』たる人物のものではなかった、ということだよ」
「違う」
「何が、違うんだい?」
「あれは、ルイだ。ルイ・オジェなんだ。ルイ・オジェに違いないんだ。じゃなきゃ、いけないんだ」
オルガは俯いてそのまま再び口を噤んだ。
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