8-1 追憶




「シアさんのコードネームを決めませんか」

「そうだな。エリー、何がいい?」

「んー……とね、『ジルダ』!」

「あら、ヴェルディかしら?」





   *  *  *


 雪の降り積もる廃屋の中で、私は産み落とされたのだと聞いた。

 それはまだ、世の中が混沌を極めていた頃。飢えた人々により草花も食べつくされたその場所で、へその緒も取れていない私を、母は喰らおうとしていたらしい。その様子を目撃したという男が、まるで武勇伝を聞かせるかのように、のちに私に語り聞かせた。錆びたペティナイフを脇に置き、赤子の首に手をかける母の姿を、偶然見かけたのだと。

 そのとき、彼はただ肉欲を満たすがために、手頃な女を探し歩いていたそうだ。おそらく母は彼にとって、格好の獲物に映ったことだろう。襲いかかろうと意気込む男の息遣いに気づいた母は、咄嗟に赤子だった私を投げつけて、その場から逃げ出したのだと言う。けれど彼は赤子を抱きとめると、慌てながらも上着から小銃を引き抜き、母の足を狙った。動けなくなってからゆっくり犯せばいいと考えながら。けれど、寒さで指がかじかんでいたのか、それとも片腕に赤ん坊を抱えていたせいか、手元が狂って彼女の下腹部を撃ち抜いてしまった。血の跡を伝い歩いて母の身体を見つけたときには、既にその瞳の色はくすんでしまっていたと、その場面のことだけは男が残念そうに語っていたのを覚えている。

 見栄だけ大きく気の小さなその男は、きっと困り果てたことだろう。

「死んだ女はどうでも良い。屍はそのうち誰かが骨までしゃぶり尽くす。ただ、この餓鬼をどうしたものか。殺すのも面倒だが、放っておくのも気が引ける」

 その程度の考えだったのかもしれない。その男が、赤子の私をアジトに連れて帰ったのは。


 男の属していたグループは、メノヴァファミリーと呼ばれる東欧マフィアの一団だった。ボスのレフカ・メノヴァは赤子だった私を引き取ると、愛人や娼婦たちに育てさせた。そして季節を三度ほど巡り、言葉を覚え始めた頃、レフカは旧知の殺し屋に私を二束三文で売りつけた。

「この餓鬼を好きにして良い。使うのも、また売るのも」

 私を買った男は、稚児が持つには大きすぎるサバイバルナイフとともに「シア・モンテイロ」という姓名を、私に与えた。

「お前に人の殺し方を教えてやる」

 男の名は、ジド・コールド。

 【極北の殺し屋】なんて呼ばれていた。名前のように、愛情なんて欠片もない冷たい人だった。ただ有効利用するためだけに、私を育てていたと言っても、それは間違いではないのだろう。「シア・モンテイロ」という名も、そのとき目についた雑誌の中から適当につけたのだと聞かされていた。

 その頃の私は、きっと寂しかったんだと思う。誰かに愛されたかったのかもしれない。相手を愛せば、愛されるのだと信じていたのだろう。愛する方法も、ましてやそれが愛なのかさえもわからなかったけれど、私はただただ一生懸命、ジドに従い、尽くし続けた。

 やがて少女と呼べる年齢に達した私は、数多くの人間を、躊躇いなく殺せるようになっていた。


 ジドの下で育てられるようになって、窓外の草花が十二度、咲いて枯れた頃、事件が起きた。私を売ったグループのボスであるレフカ・メノヴァが殺されて、それを顔見知りの犯行と結論付けた組織の幹部らは、殺人の疑いを親交の深かったジド・コールドに向けたのだ。

 ジドは怒った。

 次から次へと送られてくる刺客をことごとく蹴散らして。濡れ衣より何よりも、殺しても金にならないことに怒りを覚えているようだった。

 やがてある日、ジドは私にこう命じた。

「奴らの新しいボスを殺せ。そいつが俺に罪を擦り付けたんだ」

 私はメノヴァファミリーのアジトへ単身で乗り込み、邪魔する奴らを殺しながら、突き進んだ。暗殺ではなく、あえて、殺戮を行った。それをジドが望んでいると知っていたから。

 組織の人間も、その場にいただけの輩も関係なく、何も考えず諸共に殺した。当然、知った顔もいた。姉妹のように接してきた娼婦たちや、里親のように私を気遣ってくれていたレフカの愛人も。だけど、そんなことは関係ない。ジドの命令は絶対だ。躊躇している暇など無いのだから。

 メノヴァファミリーの新しいボスは、私を拾った男だった。男の咽元に刃の毀れたサバイバルナイフを当てたときに、彼の言い放った台詞を今でも覚えている。

「お前はいずれ、ジドに殺される」

 私は大声で笑いながら彼の咽元を切り裂き、息絶えたそいつに向かって独り言のように呟いた。

「知ってるよ」と。

 そのときにはもう、自らの身体に宿るジドとの子どもの存在に、私は気づいていた。

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