7-1 素晴らしき易変性

「ビリィ、僕はこの事件から外れることになった」

 通信回線が繋がると、ゼノは間を置かずにそう告げた。

《え、ちょっと……ゼノさん、いきなりどうしたんですか?》

「今回の事件は、単なる殺人事件じゃない」

《ええ……まあ、確かに変な事件ですけど……》

「そういう意味じゃないんだ。とにかく、僕一人の手には負えない。そう局長も判断したから仕方がない」

《え、局長が?本当に、何があったんですか?》

「こいつが誰かわかるか?」

 ゼノからリアルタイムで送られてきた画像に、ビリィは目を向ける。そこには四十前後に見える男が映っていた。長身の色黒なモンゴロイドで、その姿からシャラン人のようにも見える。

《ハンサムなおじ様ですね》ビリィは素直な感想を述べてみる。

「君はもっとニュースを見たほうがいい」ゼノに怒られた。

《すみません……有名な人ですか?》

「彼はティラート元中将。シャラン王国の革命団リーダーだ」

 そう告げるとゼノは、ビリィへ事の経緯を語った。


   *  *  *


「反王政運動の主導者が、なぜこんなところに?」

 雑居ビルの地下室。ゼノがウヲン・リーイェンとの面会中に入室してきたティラートにそう尋ねると、彼は丁寧な口調で話し始めた。

「主導者というのは、単なる役割でしかありません。例えば、スポーツで映されるのが、フィールド上のプレイヤーであるのと同じで、今はただ、私が取り上げられているだけに過ぎません。実際には、私を革命家に仕立て上げた人たちがいる。例えば、彼もその一人ですよ」そう言って、ティラートはウヲンの肩に手を置いた。

「僕の力は微力さね」ウヲンは笑って言う。

 そしてティラートはゼノを見て、話を続けた。

「あなたがいつから、そして、なぜこの国にいるのか、私たちは知っています。私がここへ来た理由は、あなたの組織と対話するためです」ティラートはそう告げると、にこりと笑いかけてきた。


 ゼノは自らの失態を悔いる。彼がアンリリーに引き留められたのも、病院の受付で五時間以上待たされたのも、ウヲン医師の長話も、全ては、眼前の男が到着するまでの時間稼ぎだったのだ。おそらくゼノがこの地を訪れた時からすでに、革命団のネットワーク内で網が張られていたのだろう。雑居ビルの窓のない地下室に案内されたのは、逃げ場を与えないためなのだと、彼は遅ればせながらも気づいた。まんまと網にかかり、そして捕えられたのだ。


「僕は人質になったというわけか」

 ゼノは俯いてそう呟くと、奥歯に仕込んだ発信機に舌先で触れて、それを取り外す準備をした。あとはそれを噛み砕くか呑み込むことで、救難信号が発せられる仕組みになっている。

「いいえ、滅相もない。私たちは取引をしたいのです」

「取引?」ゼノは顔を上げる。

「私たちはあくまで対話を望んでいます。通信機器も用意してあるので、それを使って仲間と連絡を取っていただいても構いません」

「その、取引というのは?」

「今ここで、あなたのボスを紹介してくれるのなら、あなたの追っている事件について、有力足りうる情報を与えましょう」

 突然の提案。圧倒的不利なこの状況で、抗うことは得策ではないとゼノは考えていた。そしてゼノ自身もこの状況を知らせることで、組織がどう動くのかに興味を持ち始めていた。


 その数十分後。ティラート元中将は臆する様子もなく、世界警察本部の刑事局長であるゲート氏に対して告げた。

「あなた方が秘密裏に王族側とコンタクトを取っていることも、その折衝がうまくいっていないことも、こちらは把握しています。彼らが世界警察に加盟することはないでしょう。この国が国際公法の中で、麻薬取引や人身売買に関する条例にのみ署名していないのも、表向きは『取り締まるだけの警察力がないから』としていますが、実態は、彼ら自身が不法行為に加担しているからです。そして、そこで不正に得た資金のマネーロンダリングに関与しているからに他なりません。それをあなた方もわかっているはずでしょう」

 ゼノが上司に事を告げると、上司はすぐさまゲートへ取り次ぎ、その場で衛星通信でのやり取りが始まったのだ。

《……つまり、君たちの革命運動に協力しろと、そう言いたいわけだな?》ゲートはゼノからの映像を眺めながら《もしそうなら、残念だが、我々はどちらの勢力にも肩入れするつもりはない。シャランの王族と交流していたのも、別に彼らを援助するためではないんだ》ゲートは、左右のディスプレイに映る他の同僚に目配せしている。

 一呼吸置いてティラートは、再び静かな口調で語り始めた。

「あなた方の見解は半分が合っていて、半分が間違っています。私たちからの頼みごとは一つ。我々がこの国の主権を彼らから奪い取った、バックアップをしていただきたいということです。我々だけでは、彼らの表向きの理由と同じで警察力がありません。情勢が代われば、この国もしばらく混乱するでしょう。ですから、あらかじめあなた方と協議することで、我々の警察組織が整うまでの間、人、物、そして教育において、即座にサポートを受けたいと思うのです。もしその要求を呑むことができるのであれば、我々が国政を担うことになった暁には、国際公法や世界警察への全面的な加盟を約束したいと考えています」

《解せんな。まるで狸の皮算用だ。確かにここ最近の王族どもは保守的で大人しい。親族のみっともない不祥事が立て続けに取り上げられて、国民の不信感も高まってきているのも間違いない。しかしだからと言って、なぜ今、そこまで強気でいられる。これから何かを仕掛けるつもりなのか?》

「王族以外で、おそらく我々だけが知り得ている確かな情報があります」

《それは?》

「それは」ティラートは始終穏やか語っていたため、彼が間を置くと周囲は物音一つ立てずに静まり返る。その場にいる全員が耳を澄ましていた。「ルワン国王の逝去についてです」


   *  *  *


《へー。本当なんですかね》

 ビリィはあっけらかんとした声色で尋ねた。

「ああ、半年以上も前から危篤状態が続いていて、ずるずると延命されていたものの一カ月前には息を引き取っていたらしい。王族側はまだ秘密にしていたいみたいだけど、国王死去のニュースは明後日には世界中に流されるそうだ。国王の補佐官だった男が実名を明かしてリークした、というシナリオでね」

 ゼノはホテルで一人、横になりながら体内の通信機を使ってビリィと話をしている。

《でもだからと言って、革命団がそれをきっかけに政権を取って変わるなんて、安直すぎません?》

「んー……ルワン国王は、ある意味で完璧過ぎたんだ。実力もカリスマ性も突出していたけど、その圧倒的なカリスマは彼にのみ向けられたものでしかなかった。彼の最大の失敗は、後継者を育てなかったことにあると思うね。後継者となりうる息子たちは、はっきりいって脳みそがからっぽの木偶の坊だから。弛みきった容姿とその言動からも、七光りのメッキもとっくに剥がれている。国民もそれに気づいてしまっているのが、今の状況さ。だから、今回の件がティラートたちにとって最大のチャンスだってことには違いない」

《ふーん。なんだか計画性のない人だったんですね、その死んだっていうルワン国王ってのは。国や息子ではなく、自分自身が立派に見えればそれで良かったんですかね?》

「さあ。今となってはわからないけど、ティラートから話を聞く限り、どうやら女でダメになった性質たちみたいだよ」

《女、ですって?》

 ビリィの興味が一気に湧いたのを感じ取り、ゼノは眉をしかめた。


   *  *  *


「娼婦……ですか」

 ティラートは通信を終えると、ゼノの追う事件について「思い当たることがある」と話した。

「正確に言えば、彼女は娼婦でもあり、国が育てていたスパイ候補生でもありました。年老いた国王は妻でも妾でもなく、ただ一人の娼婦との情愛に溺れたという噂が、過去に流れたことがあります。その娼婦の名は『ルイ・オジェ』。大変聡明な方だったそうです」

「だった?」

「彼女は、国王の死のずっと前に亡くなっています。病を患っていたという噂もありますが、真実は病死ではなく自殺でした」

「その故人と僕の追っている事件と、何の関わりが?」

「あなたの追っている事件の被害者たちは、おそらくその『ルイ・オジェ』になりそびれた人たちです」

『ルイ・オジェ』に、なる?

言葉の意味が理解できず首を傾げたゼノに対して、ウヲン医師は補足するように「『ルイ・オジェ』はね、一人じゃないんだよ」と言い加えた。


   *  *  *


「この国では、それなりに有名な噂らしい」

 ゼノは、彼らから聞いた話の全てをビリィに伝えた。

 シャラン王国には、諜報員を育てる施設が存在し、その中でも女性ばかりを集めた館があること。そこでは数年に一度、『ルイ・オジェ』に身体的特徴の似たコードレスの女性に絞った選考を行い、最終的に一人を決めること。最後に選ばれた者は、顔も身体も声まで整形されて『ルイ・オジェ』の完全なレプリカになりきること。そして、レプリカは国王への奉仕の任務に就くが、オリジナルの享年に至ったころに、レプリカ自身も命を絶ち、その一生を終えなければならないこと。

「女たちも『ルイ・オジェ』になることを名誉と考えているそうだから、自ら命を絶つことに恐怖は感じないらしい。現に今まで逃げ出したり、躊躇ったりした者はいないそうだ」

《うーん》ビリィは唸る。《正気とは思えませんね》

「ああ、僕もそう思う」

《それで、その『ルイ・オジェ』とか言うのと、被害者の女たちの特徴が似ていると?》

「そうだ」ゼノは誰も見ていないのに自然と頷く。

《それにしても、被害者の女たちはなぜ死ななければならなかったんですかね》

「それはまだわからないけど、国王が病床に伏せたころと、一番目の被害者が出たころの時期が重なっているから、何か関係があるのかもしれない。殺害現場をシャラン王国に近づけていくことで、僕、というか世界警察を導いたようにも思えるし」

《やっぱり、被害者の女性たちは自ら死を望んだんですかね》

「僕は何となくそんな気がするよ。犯人と共謀して何らかのメッセージを発するために、自ら死を選んだのかもしれない。そう思うことに根拠はないけどさ」

《ゼノさんにしては珍しいですね》

「何が?」

《根拠のない推理》

「もう捜査からは離れることが決まったからね。あれこれ好き勝手言うのも自由さ。一応、まだ休暇中だし」

《ゼノさんは、これからどうするんですか?》

「んー……そうだな。とりあえずはこの国を出ようかな」

《えー!国の政権が代わるかもしれないというのに、歴史的瞬間に立ち会わないんですか?》ビリィは驚いたように言う。

「ティラートの代理人とうちの交渉人との橋渡しがまだ残っているけど、それが済んだらこんな国はさっさと出て行きたいね。おそらく内戦が一時的に激化するだろうから、わりと危険なんだ。ティラートたちは、今でこそ革命団なんて呼び方されているけど、国王死去のニュースとともに、国民評議会だか軍事評議会だかの暫定政府を発足させるみたいだし。結局、彼らも軍人だからさ。無血革命で済めばいいんだけど、相手が抵抗したとき、この国は無政府状態アナーキーと等しくなるだろうさ」

《へえ……頑張ってくださいね!》

 ビリィは他人事のように言った。ゼノは何を頑張ればいいのかわからなかったが、とりあえず礼だけ伝える。

《あ!そうだ》通信を切る間際、ビリィは声を上げた。《花の名前がわかりましたよ》

「花?」ゼノは何の話をしているのか、要領を得ないでいた。

《あの遺留品のカードに付着していた花粉の》

「ああ」すっかり忘れていた。

《『フォウ・オクロック四時』です》

「ん、もうそんな時間か?」

《いえ、花の名前が『フォウ・オクロック』。夕暮れに咲いて朝方に閉じる花で、黒い種子を潰すと白い粉が出ることから国によっては白粉花おしろいばなとも呼ばれています》

「夜に咲く花ねぇ」まるで娼婦を表すようだ。

《甘い香りで虫を惹きつけて、受粉を促す……んーエロい!》

 そう叫ぶビリィと似た考えをした自分を殴りたくなった。

《夜闇に咲くのに多彩な色があって、見た目にも美しいんですけどねー……毒があるそうで、食べたらお腹壊しちゃうので、気を付けてくださいね》

「はは、肝に銘じておくよ」ゼノは苦笑いをしながら、通信を切る。そして「……どこかで聞いたような」と、天井を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。


   *  *  *


《ゼノさん。あんたはとても真面目で優秀なのはわかるんだけど、ときどき抜けているって、言われたりしない?》

 翌日、ゼノがウヲン医師に別れとお礼を告げようと通信回線で交信したとき、ついでのつもりで「フォウ・オクロックという花について何か知らないか」と尋ねたら、そう言われた。

「よく言われます」そう、よく言われる。

《渡したカードケースをもう一度良ぉく見て、それでもわからなければ、また連絡してよ。じゃ、達者でね。健闘を祈るよ》と、一方的に通話を切られてしまった。ゼノは言われた通り、例のカードケースをもう一度見てみると、そこには、連なって記された店名の中に「4-O’clock」の文字が。ゼノは思わず嗚呼と声を漏らし、出国予定時刻までに地場の情報屋と会っておこうとその場で決めた。


「一見さんお断りは当然で、何よりこの国の中で最も格式が高い娼館だ。王族が経営に関わっている、って噂があるくらいだぜ。財界人だったり政治家だったり、国益に関わるくらいの要人じゃないと紹介もされないよ。あー……失礼だけど、あんたは金持ちにゃあ見えないし、その手の有名人でもなければ、マフィアの幹部ってわけでもないんだろう?悪いけど、いくら頑張ってもその建物に辿りつくことさえできないと思うな」

 街の情報屋は面倒臭そうにしながら、ゼノにそう言い放った。

「そこを何とか」と、ゼノはチップをちらつかせながら食い下がる。

「ふん」と、鼻を鳴らしながら情報屋はそれを受け取り「ちなみに聞くけどよ。あんた、そのカードケースをどこで手に入れたんだ?そいつは、ある時にほんの一部の上客にしか配られなかったレアものだぜ?」

 そこまでの稀少品だとは知らなかったため、ゼノは少し驚く。

「知人に貰ってね」嘘ではない。

「ふーん……まあいいや。で、何でそこに行きたいんだ?」

「ただの好奇心、なんてね」それも嘘ではなかった。

「興味本位なら止めときな」情報屋はそう言うと、声のトーンを落として「さっき、王族が経営に関わっているって噂があるなんて言ったが、あれは本当だ。あそこは確かに高級娼館でもあるが、別の顔もあるんだよ」

「別の顔?」ゼノが尋ねると情報屋は周囲に気を配りながら、小声で耳打ちした。

「スパイ養成所さ。ハニートラップ専門のな」

 ゼノの頭の中で、ティラートの言っていた「娼婦でもあり、国の育てていたスパイ候補生でもあった」という台詞とが繋がる。

「残念だが、それ以上は俺も知らねえし、たとえ知っていても怖くて言えねえよ」

 それからゼノは食い下がり何度か交渉したものの、結局、館の場所まで教えてもらうことはできなかった。どうやらそれ以上のことは本当に知らないようだ。取られたチップを返してもらえるはずもなく、その場では諦めるしかなくなった。

「仮にさ」別れ際、ゼノは情報屋に尋ねた。「仮に革命団のクーデターが成功したとして、ここらへんの店はどうなるのかな」

 ゼノはもう事件とは関わりのない自分が、単独捜査に踏み切ることは得策ではないと思うようになっていた。この国が激動の時を迎えるまで、然程の猶予もない。それまでには彼も出国したいと考えていた。

「さあな。一斉に潰されるんじゃないか?そうなった時にはもう、この街も時代に合わなくなってきたってことなんだろうよ」情報屋は煙草をふかしながら答える。まだ煙草が嗜好品として出回っているのも、この街ならではだ。

「ここで働く人たちはどうなると思う?」

「もともとコードレスだらけだからなあ、ここは。意地でも残るか、逃げて難民化するか、それとも別の仕事をあてがわれるのを待つか……この国がどう変わろうが、結局は御上次第だ」情報屋は煙草の吸殻を地面に落とし、それを足で踏み潰す。

「君は?」

「俺はそんときの流れに乗っかるだけだよ」

「そっか」ゼノはそう言うと、その潰れた吸殻を拾い上げて、近場のごみ箱に投げ捨てた。

 ウヲン医師はこの街の人間が好きだと言っていた。こういう場所もあっていいと。けれど彼は反国王派に加わっている。この国を変えようとして。本心では変わらないことを望みながらも、変わっていかなければならないと動き出したのだろうか。彼らはこの街をどうしていくつもりなのだろう。捨て鉢な気持ちで起こした革命ではない。痛みを伴いながらも、矛盾を背負いながらも、前に進もうと必死なのだ。それはきっと正しい成長で「保全すべき世界」には失われた価値観なのかもしれない。そんなことを考えながら、ゼノはシャランの地を後にした。街を出るとき、少しだけアンリリーの顔を思い浮べて。

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