5-1 三年一ヶ月と二十九日

 誓暦せいれき-the oath calendar、略称「O.C.」

 その暦が始まったばかりの頃、それはただの目安に過ぎなかった。西暦が終わったわけではない。けれど、新たな時代に多くの人々は、過度とも言える希望を抱いていた。【忌み札】と呼ばれた実体の見えない集団。彼らの試みた「世界の破壊」により、大国が一つ失われたこと。その衝撃は大きく、社会を混沌へと導いた。そのため、世界警察が立ち上げられ、新たな国際公法が定められたとき、新しい時代の幕開けの指標として示されたその暦は、余計に「世界の住人」から愛されたのだろう。新たな暦が始まって八年が経った今、古い暦の出来事はもう昔話になっていた。


   *  *  *


「シアさん、着きましたよ」

 何者かが肩に手をかけて、私は即座に飛び起きる。手を払い除け、その相手と距離を取ろうとした。

「あの、すみません……」

 トゥレの驚いた顔。彼は眠っていた私を起こそうとしたようだ。

「記憶喪失になるまで寝ても、寝呆けるほど眠れるもんなんだな」

 ジョーのニヒルな顔が目に映る。私は裸に毛布を羽織ったまま、いつの間にか眠っていたようだ。コーヒーに薬でも盛られたか。最悪な目覚めだった。


 誓暦八年二月三十日、十七時五十三分。ジョー・セブンらのねぐらでもある巨大な図書博物館の屋上で、三年一ヶ月と二十九日ぶりに、私はエリーと再会した。乾いた服を着て、航空機のハッチから降りると、館長のオバアと犬のコルクの姿が目に映った。私はすぐにエリーの姿を探す。心臓の鼓動を騒がしく感じた。……いた。いた。三年前に比べて、背が伸びているけど、きっとあの子がそうだ。エリーはオバアの後ろに隠れていて、顔が良く見えない。人見知りをしているのだろうか。もしそうだとしたら、少し悲しい。


「なんだい、鍵穴に粘土まで詰めて待っていたんだろう。早く顔を見せてやりなね。まったく……」

 傍に寄ると、オバアが相変わらずのきつい口調でエリーを急かした。きっと今、私はとても複雑な顔をしていると思う。エリーに会えた喜びと、不安とで。それをオバアは感じ取ったのかもしれない。

「何それ、鍵穴に粘土って」

 ジョーが笑いながらオバアに尋ねると、何でもないよ、と何でもなくはなさそうな顔で睨んだ。

「エリー?」

 声をかけるも、少女は姿を見せない。

「さすがに、もう覚えていないかな」

 私は笑顔を作って、オバアにそう尋ねた。

「照れているだけだよ」

 オバアはそう言うと、屋上から館内へ戻る扉に向かって歩いていく。すると、エリーも慌てて後を追っていった。結局、顔を見ることができなかったと肩を落としていると、トゥレが傍に寄ってきて声をかけた。

「そうガッカリしないでも大丈夫ですよ。さあ、行きましょう」

 彼に後押しされるように歩みを進めていると、後方から口笛が鳴った。

「いやあ、変わってねぇなぁ!」

 ヨアンの声だ。振り返ると、彼も以前とは変わらない風貌でいた。カーキ色の皮のジャケットと、西暦に流行ったジーンズと呼ばれるズボン。年代ものが好きな彼らしい格好だ。逆立てた赤茶の髪に大げさな身振りも変わらない。

「あなたも、相変わらずの格好ね」

「かっこいいだろー?」

 彼は目尻に皺が寄るほど顔をくしゃりとさせて笑う。その後方では、航空機が格納庫に納まっていくのが見えた。

「そうだ。今日はディーダさんも一緒なんだぜ!」

 それを誇らしそうに言うヨアン。

 ディーダ・カーンという男は、腹は出ているがセスと並ぶほど大柄で、しかし驚くほど手先が器用な男だ。その反面、性格は豪快で無礼なイメージが残っている。ジョー・セブン御用達のアングラパイロットであり、ヨアンにとってはメカニックの師匠でもあるようだ。人のことを良く知らないくせに、勝手な解釈でずけずけと物を言うところが、私は嫌いだった。

「あら、残念」と、笑顔で答えると、なんでだよっ!と彼を慕うヨアンが喚いた。


   *  *  *


 三年一ヶ月と二十九日前から時が止まっているかのように、その部屋は変わっていなかった。ベッドとテーブルだけがぽつんと置かれた質素な部屋。埃もない。

「エリーが一生懸命掃除したんですよ」

 私を部屋に案内をしたトゥレが言う。本当だとしたら、とても嬉しい。

「この部屋も、あなたたちも、何も変わっていないのね」そう言うと、トゥレがくすりと笑った。

「今日から変わるかもしれません。ローランの身長が伸びるとか」

 彼にしては珍しい冗談だ。

「セスはいないの?」

「ええ。彼とローランは野暮用で外出していまして、明日には帰ってくる予定です」

「そう……」セスはメンバーの中で唯一、心を開ける相手なのに。

「夕食がもうすぐできるはずです。ベッドの上の着替え、といっても館長のお古ですが、それに着替えてリビングにいらっしゃってください」

 ピンクに更にピンクの花柄の刺繍が入ったパジャマ。オバアに罪はないが、勘弁してほしい。

「私はいつまでここに居ればいいの?」

 トゥレが部屋を出ようと背中を向けたとき、私はそれを引き止めるように声をかけた。

「それは、食後にボスから話があると思います。エリーが眠った後で」ジョーのことをボスと呼ぶのは、トゥレだけだ。

「彼から指図されるのは、気に喰わないわ」

「そう嫌わないであげてください。あなたを助けようと言い出したのは、彼なんですから」トゥレは笑顔で言った。

「それ、どういうこと?」

「今回の依頼と、シアさんの救出とは直接関係はありません。つまり、あなたの救出はあくまで自主的な行為だったということです。とてもタイミングが良かったのは、確かですけどね」

「タイミングって?」

「後でわかりますよ」

 航空機の中で、シャラン王国にある娼館に潜入するらしいというところまでは聞いた。けど、後で後でと、結局ははぐらかされてしまい、それ以上は詳しく教えてもらえていない。私に仕事を依頼する理由。それはおそらく、私が女性だからなのだろう。メンバー唯一の女性であるローランは、年齢の割に子どもっぽい、というか、少年のような姿だし、当然、オバアとエリーは頭数に含まれない。セスは、仕草や口調は乙女だけれど、身体は漢だ。

「今はまだ教えてくれないのね」

 トゥレは困った顔をしながらも、勝手をするとボスに怒られてしまいますので、と告げた。

「じゃあ、依頼については聞かないわ」諦めたように両手を広げて「だけど、これは教えて」と言い、私はトゥレと目を合わせる。

「答えられることであれば」彼は目を逸らさずに応じた。

「私がどうやって世界警察に捕まったのか、ジョーは知らないって言っていたけど、本当?」

「本当です。捕まってしまった事実だけで、そこに至る過程は全く情報がありません」

「私が捕まったことは、公になっているの?」

「いいえ」

「じゃあ、なぜ」

 トゥレは手のひらを掲げて、私を制した。

「落ち着いてください。我々もよくわからないのです」

「わからない?」

 トゥレは、自身の太ももに備え付けられた棒状のプラスチックを取り出し、それを縦に割り、テーブルの上に広げる。すると間からフィルム状の電子ディスプレイが姿を現した。『スティック』と呼ばれる電子機器だ。

「部屋が電子化されていないと不便ですね」

 トゥレがディスプレイに直接親指を当てて操作すると、画面上に二枚の画像が映った。その画像を覗き込むとそこには、箱詰めにされた私の姿と、送り状の控えが映っていた。その送り状にはスピン・ソイルと思われるあて先、そして到着予定日時までしっかりと記されている。送り主は冗談みたいな名前で。

「これは……?」

「スキャン画像です」

「いや、そうじゃなくて」

「今時珍しく、現像写真と送り状の控えの現品が、差出人不明で送られてきました。ボス宛に」

 あまりの大胆な手口に、言葉が出ない。

「それを見たボスは、すぐにメンバーを集めて言いました。『今回の依頼にぴったりだ。よし、こいつを奪い取ろう』ってね」

「それで多大なリスクを犯してまで、この私を?信じられない」

「私も驚きましたよ。賞金稼ぎが、賞金首を世界警察から救い出すなんて」

「今回の依頼はあなたたちにとって、そこまでメリットがあることなの?」

「さあ?」トゥレは首を傾げた。「それは、ボスの決めることですから」

「相変わらずよくわからないチームだわ。そんな言い訳が信じられるとでも?」

「納得できないのであれば、それはそれで構いません。ただ、リスクを犯してまであなたを救ったからには、ボスにも考えがあるはずです。できれば、依頼を受けていただければ嬉しいのですが」

「だからそれは、まだ決められないって」と口調を強めたところで、ドアにノックの音が響いた。少し待つと、扉が申し訳程度に開いて、小さな顔が覗いた。エリーだ。

「あの……オバアがご飯だって……」

 か細い声。顔は俯いている。

「うん、わかった。すぐ行くわ」と、私は答えた。一呼吸置き、なるべく柔らかな声色になるように意識して。

「では、後ほど」そう言ってトゥレが扉を開けると、その隙間からエリーの顔がはっきりと見えた。少しだけ大人びた顔立ちになっているが、間違いなくエリーだ。

「エリー」私が声をかけると、彼女は身体を強張らせる。緊張しているようだ。「ありがとう」

 エリーは顔を赤らめると、そのままトゥレの手を引いて去っていった。ちょっとだけ、胸がちくりと痛んだ。

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