1-3 孤独な鬨

 病院を出て地元警察の捜査本部を訪ねると、ゼノは一つの部屋を与えられた。恋の相談相手がいつの間にか恋愛対象になってしまう割合と同じ程度に、世界警察と地元警察との間柄ではしばしば起こる出来事で、彼が与えられた部屋というのは、捜査本部からは百ヤード以上も隔離された場所に置かれていた。ゴルフなら九番アイアンで届くくらいの距離だろうか。先ほどの中年男曰く「今空いている部屋がここしかない」そうだ。あからさまな処遇に溜息が出るも、文句を言っていても仕方がないと諦めをつける。


 部屋の中央に机と椅子がぽつんと置かれていて、その机上には今時珍しいデスクトップPCが備え付けられていた。椅子に座り、PCを起動させて中身を調べると、やはりそれはクライアント端末であり、回線は署内のサーバを経由するように設定されている。他に誰もいないこの場所で今の自分にできること。それはもう決まっていた。ゼノは体内に埋め込まれたレシーバーではなく、地元警察から与えられたその端末を使い、通信回線を起動させた。備品の小型マイクを胸元に貼り付け、スピーカーの音量は最大にして。


《ゼノさんじゃないですか!》

 若い男の声。その回線はゼノの後輩にあたる者に繋がった。

《ローカル回線なんか使って、どうしたんですか?うちのシステムにログを残したくないような話でも?》

「ビリィ、すまない。あー……聞いていると思うんだけど、僕が関わることになった例の事件について、少し教えてほしいことがあるんだ」

《ええ、構いませんが、データベースにアップされている情報以外のことは、自分も知りませんよ?》

「冷たいねえ……」そう言いながらゼノは立ち上がると、何かを探すように室内を見歩き始める。「いや、実はね、仕事場を一人だけにされて……それはまあ、気儘で良いんだけど、セキュリティ環境がざるでさ。ろくに資料も見られないんだよ。話し相手ついでにも、君なら構ってくれるかと思って」

《まるで人を暇人のように言ってー》

」ゼノは少しだけ語調を強めて言った。

《暇で死にそうでした》

 ビリィの僅かに引き攣った顔が目に浮かぶ。

《それで、何を知りたいんですか?》

「そうだなあ……じゃあまず、被害者について教えてよ」

《えー、一、二、……五、えっと、そちらので六人目ですが、その、全員分ですか?》

 ビリィは素直というべきか、感情がそのまま表情や言葉に表れてしまう傾向が強い。「面倒くさい」という心の声が聞こえてくる。

「被害者に共通点が多いんだよね。それだけでもいいよ」

《んー、そうですねぇ……まず女性であり、身体的特徴が似ていること。例えば、身長は168cm前後、体重は50kgから55kgであったと推測され、バストは豊胸している人もいますが、スリーサイズもほとんど同じです。ちなみに推定88‐58‐90ジャスト……うはーいいですねー。年齢は皆、二十台後半だと思われます。肌の色は焼け気味で黒髪が多い。ラテン系っていうんですかね。好みのタイプなんですよねー》

 余計なコメントも多いが、身体的特徴について女好きの彼らしい着眼点だと感心する。

「遺体の身元はわかったの?」

《いいえ、全く。今のところ全てが、DNA登録がされていない身元不明の遺体、つまり『未登録者コードレス』ですから。なかなか特定するのも難しいみたいですよ》

「普段から個体識別パーソナルコードに頼りすぎている証だな」

 遺伝子情報の管理が世界的に行われるようになって、まだ八年しか経ってないのに、とゼノは嘆く。

「そんなことだから地元警察に舐められるんだよ。コードレスなんて、まだたくさんいるのにな。相変わらずうちの組織は現場が見えていなくて、詰めが甘いよ」

《あはは……そうですねぇ》

 苦笑するビリィに対して、ゼノは愚痴る相手を間違えたと少し後悔した。

「他には?」

《あとは、殺され方ですかね》

「ああ」検案室で見た光景が甦る。「女性の腹を裂くなんて、まるで切り裂きジャックみたいだ」

《ええ、それを模しているようにも見えますよね。というか、ただの模倣犯なんじゃないかと自分は睨んでいます》

 スピーカーの奥の声は、どこか得意気だった。

「君の見解は、別にいらないんだけどな」

《ゼノさんって口調は柔らかいのに、中身が冷たいですよね》

 ビリィの声のトーンが下がる。

「そもそも、西暦の切り裂きジャックとは、殺害方法が全く違う」

 ゼノは、病院の控え室で医者から聞いた話を思い出して言った。

《よくご存知ですね。そうなんですよ。死因は薬物の過量摂取によるものでした》

 ビリィは、ちょっと待ってくださいね、と告げて何やらゴソゴソとし始めた。パッドを叩く音が聞こえてくるので、どうやら該当する資料をデータベースから引っ張り出してくれているようだ。

《えーっと……まず、ペント、ペントバルビタール?と呼ばれる睡眠薬を、静脈内投与……注射か点滴ですかね、により摂取し、昏睡状態に陥った後に、塩化カリウムを投与されたことで、心停止に至ったのではないか、と死体検案書に記述があります。その後に下腹部を切られたようですね》

「ほら。模倣犯にしては、違う方向に手が込み過ぎている」

《じゃあ、ゼノさん。遺留品のカードについてどう説明します?》

「そういえばそんなのもあったね」

 ゼノは病院の検案室で見たカードを思い出す。袋に付いた血が生々しかった。

「確かあれは、クラブの11ジャック

《ですよね?》

 ビリィの得意気な声。ジャックで切り裂き狂リッパー、と言いたいわけだ。

「ビニール袋に覆われていたな。全部そうなんだろう?」

《はい。ちなみにカードの柄も全て同じです》

「入手経路は?」

《まだわからないみたいですね。販売店も、製造元も、生産国も。せめて、どこの国で売られているかだけでも、わかればいいんですけど……ちなみにビニール袋のほうは汎用品なので、カードよりも特定は難しそうです》

「へー。汎用品だからこそ、成分比率とかでメーカーがわかりそうなもんだけど」

 そう言っているうちに、ゼノは室内をあらかた見終えてしまう。再び椅子に腰掛けると、今度を机の中を調べ始めた。

《そう簡単にわかれば苦労しませんよー。それにそれを特定したって、遺体の発見場所は国もバラバラで、犯人は世界中を渡り歩いているんですから、あまり意味がないんじゃないですか?》

「確かに」と言いながら、ゼノはあまり話を聞いていない。

《あ、そうだ。あと全てのカードに花粉が付いてました》

「花粉?」

《ええ。ですが、それもどこにでもよくある花のようで……えっと、名前なんだったかなー……あれ、すみません。その資料を見失っちゃいました》

 普段から整理整頓をしていないからだと、ゼノは心の中で呟いた。

「まあいいよ、あとで確かめるから」

《そうですか……あ、そうだ。ところで、ゼノさんはこれからどうするつもりですか?》

 ビリィの質問に、ゼノは地元警察の中年男の顔を思い出した。厭味たらしいあの男と同じ質問をされて、少し気分が悪い。

「どうするって、捜査を続けるかどうかってこと?」

《そうです》

 ビリィは即答した。

《そんなところに居ても、意味がないと思いますよ》

 スピーカーの音量を最大にしているので、彼の声は部屋中に響き渡っている。

「休暇を取り上げられてまで働いているのに、地元警察からは嫌われて、同僚からも反対されて、僕は何のために働いているのかわからなくなるな」と、ゼノは自嘲気味に言葉をこぼした。

《だって、犯人はもう別の国に行っていますよ、絶対に。死体だって、死後二日は経っていたそうじゃないですか。そこは内陸国ですし、自分が犯人だったら、当日中にでも国境を越えますね》

「まあ、そうだろうね。だけど、この国の警察にも頑張ってもらわなきゃならない。最新の事件の捜査をしているのは、ここなんだ。もしかしたら有益な情報が上がるかもしれないだろう?」

《あまり期待はできませんよ。もし別の国で事件が続けば、犯人は国外逃亡扱いになって、そこの連中は簡単なレポートだけこっちに寄越したら、捜査本部を解散するでしょうね。今までもそうだったんですから。結局、皆大事なのは、自国の治安だけなんです》

 ビリィも国際捜査班の一人だ。そのため、彼も彼なりに地元警察に対してストレスを感じているのだろう。

「犯人も被害者も国籍不明なんだから、仕方ないさ。犯人が国を跨って殺人を犯しているのも、そういった僕らの連携の無さを突いたのかもしれないよ」

《だとすれば、犯人はうちの関係者の可能性もありますね》

「なんで?」

《うちのメンバーだったら、そんな内情を知り尽くしているでしょうし》

「それはどうだろう」

《ゼノさんはどう思います?》

 ビリィからの問いかけと同時に、ゼノは机の下に潜り込む。

「犯人がどんな奴かまでは、さすがにわからないな……けど、被害者からとても信頼されていた人物だと思うよ」

《被害者全員と、ですか?》

「そう。彼女らには、下腹部以外に目立った外傷は無かった。指も爪もとても綺麗だったそうだ。ということは、被害者は犯人に抗うことなく、睡眠導入剤を投与されたことになる」

《でも、はじめの投与は自分でしたのかもしれませんよ?》

「君、データベースの資料をちゃんと読んでないね?」

 ゼノは呆れたような物言いをする。

《いえ……あ、はい……え?》

 戸惑うビリィに対して、溜息を吐くゼノ。

穿刺せんしされたと思われるのは首元の、内頸静脈と呼ばれる箇所だ。針は、頭から胸の方向へ下るように刺し込まれていた。顔を横に寝かせた状態でね。そんな体勢で、自分に的確に針を刺せるかというと、なかなか難しいと思うな。躊躇い傷もなかったし、何度も刺し直したような跡もなかった」

 ゼノの止め処なく進む講義に、ビリィは返す言葉がない。

「それに死後、遺体が運ばれた形跡はなかったと資料には書いてあったよね。つまり彼女たちは、死んだその場で腹を裂かれたことになる。睡眠導入剤として使われたペントバルビタールは、さっき調べたら、短時間作用型というものだそうだ。強い刺激を伴う場合、施術可能な作用時間は約一時間と見ていい。麻酔効果は投与してすぐに現れるみたいで、注射痕の炎症具合から、点滴のように針を長時間刺しっぱなしだったわけでも無さそうだ。ということは、遺体の彼女らが昏睡状態になってから、わりとすぐに塩化カリウムが注入されたことになる。そうやって遡っていくと、初回の穿刺から彼女らの遺体が発見されるまで、その身体はずっとその現場にあったことが推察できる。胃袋に残留物はなく、頭部や脳に損傷も見られなかった。ということはだ、ビリィ。彼女らは覚醒状態の中で、睡眠導入剤の投与を受けた可能性が高いと思わないか?一連の行為が全て同じ人物の手で行われたとすると、その人物は被害者たちにとって、その身体を預けられるほど信頼できる相手だったんじゃないかと、僕は思うんだが、どうだろう?」


《あ、あのぉ……》

 ゼノの講義が一段落すると、ビリィは静かに口を開いた。

「なに?」

《データベースの資料、読み込んでますよね?》

「うん。病院からの移動中に読んだよ」

 ゼノの回答に、ビリィは落ち込んだように言った。

《じゃあ、僕必要ないじゃないですか!せっかく先輩を手伝おうと思ったのに。本当にただの暇つぶしだったんですね……》

「そう言うなよ、ちゃんと役にたってくれたさ」ゼノは机の下にあった盗聴器らしきものを見つけると、それを手で覆った。「このやり方が今の僕に許された、この国の警察に対する唯一のレポートラインみたいだからね」

 そう言うと、ゼノはその盗聴器らしきものの配線を一本だけ、丁寧に取り外す。そして、これからが本番だ、と小さく呟いた。

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