第15話 陽ダマリノ庭1

 現在から数えること8年前。

「ただいまー」

 柔らかい日差しと暖かいそよ風が吹く中、当時9歳の舞姫まいひめが駆け足で帰ってきた。

 彼女はランドセルを自分の部屋に置くと、

「ただいま久遠くおんー」

 その隣にある居間の縁側に座って、お茶を飲んでいた久遠の元にやってきた。

「おかえり、舞姫」

 本来の姿に近い八尾状態の彼女は、小さく笑いながらそう言った。

 窓も居間の障子も開いているため、家の中には春の空気が満ちている。

「ところで舞姫よ。手は洗ったかや?」

 座布団に座る久遠の傍らにある、煎餅の入った器に手を伸ばそうとした舞姫は、彼女にそう優しくたしなめられた。

「今からー」

 駆け足で洗面所と縁側を往復し、舞姫は器を挟んで隣の座布団に座った。

 それを見てすぐに、茶色い管狐が舞姫のお茶を用意する。

「ありがと」

 彼女の傍らにちょこんと座った管狐は、頭を撫でられて嬉しげに尻尾を振った。

「ねえ久遠、聞いて聞いてー」

「なんじゃ、言うてみ?」

「うん。私ね、50メートルで一番だったの」

「ほうほう! それはよかったのう」

 無邪気に笑い、得意げに話す舞姫の様子に久遠は目を細める。

「それとね」

 うれしさが隠しきれない舞姫は、服のポケットの中から四つ折りの紙を取り出した。

「"てすと"とやらかの?」

「そうそう」

 それを受け取った久遠が開いてみると、算数のそれには100点と書いてあった。

「舞姫はいつも満点じゃなあ」

 えらいのう、と久遠が舞姫の頭を撫でると、半透明の尻尾がブンブンと振られる。日の光で同じ色の狐耳も金色に輝いていた。   

「先生にも言われたー」

 満面に得意げな表情をして舞姫は、まだ発達していない平らな胸を張った。


 今日、学校であったことなどを一通り話したあと、

「あったかいねー、久遠」

「うむ。そうじゃのう……」

 庭の桜の花びらが舞う様子を眺め、ほっこりとしていた。端から見れば二人は、ひなたぼっこする老夫婦の様に見える。

「せっかくの日和じゃ、外で遊んでくるがよいぞ舞姫」

「えー……」

 久遠にそう提案された舞姫は、少しむくれ顔でそう言った。

 彼女はいつも自室で勉強か、家や境内の掃除ばかりして全く誰とも遊ばない。その上、話し相手も久遠以外は近所の老人だけで、同年代には誰もいなかった。

「ここにおってもつまらんじゃろ?」

「ううん。そんなことないよ」

 木製の器を後ろにどけた舞姫は、横になって久遠の膝に頭を乗せ、

「それに私、久遠と一緒にいるの、楽しいよ……」

 彼女はその太股に頬ずりしつつそう言い、大きなあくびを一つした。

「学友と遊ぶよりも、かや?」

「うん……」

 他の子といると、何か疲れる……、と答えた舞姫は、眠気に負けて眠り始めた。ちょうど風向きが変わって、舞い散る花びらが縁側の方に流れてきた。

「そうか……」

 久遠はいとおしそうに、舞姫の柔らかな頬に触れ、尻尾を二つその腹の上に乗せる。その様子は、血の繋がった親子と全く変わりがなかった。

「さて、夕食ゆうげは何に――?」

 湯飲みに手を伸ばそうとすると、不意に久遠の視界がぐにゃりと揺らいだ。

 何じゃ、これは……?

 久遠が額に手を当て、小さくかぶりを振ると、たちまちそれは収まった。

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