第12話 残サレタものハ 1

「嫌じゃ嫌じゃー! 行かんでくれ~」

 晩秋のある日のこと、スキニージーンズを穿いた舞姫まいひめ脚に、久遠くおんがしがみついて駄々をこねていた。

 舞姫はいつもよりしゃれたベージュのニットを着て、肩掛けバッグをたすき掛けにしている。

「急にやめるっていったら、美咲みさきさんに迷惑かかるじゃん」

 そういうわけにはいかないの、と舞姫は巫女服姿の久遠の襟をつかんで、なんとか引っぺがそうとする。

 舞姫は今日、友達の西浦美咲と市街地まで行って、服屋巡りをする予定になっていたが、

「あーっ!!」

 いくら引っ張っても、抵抗する久遠を引きはがすことが出来ない。

「なるべく早く帰るから」

「嫌じゃああああ!」

 あんまりにも久遠が大騒ぎするので、水葉みずはと管狐が居間から廊下の二人をのぞき見る。

「いい加減にしないと、しばらく口聞かないよ?」

「それは嫌じゃ!」

 ちょっと強い口調で舞姫にそう言われてかぶりを振ったが、久遠は一向に手を放そうとする気配がない。

「もう……」

 しびれを切らした舞姫は自分の肩に乗っていた、赤茶色の管狐に他のを呼んでくるように指示を出す。彼の呼びかけに答えた数匹の管狐が、即座に舞姫の目の前へと集合してきた。

「久遠を部屋に連れて行ってあげて」

 全員がコクリと頷くと、それぞれが久遠の身体を掴んで引っぺがし、

「あーっ! 何をするんじゃあ!」

 渡り廊下がある廊下の奥の方へ、彼女を引きずっていく。

「じゃあ久遠、行ってきまーす」

「ぬああああ! 待ってくれぇ……」

 遠ざかっていく声を聞きながら、舞姫は玄関の引き戸を開けた。

 すると、玄関先で待っていた黄金が、彼女に向かって礼をした。

黄金こがねさん、待たせてすみません」

「いえいえ、お気になさらないでください」

 もう慣れていますから、と言う黄金の服装は、いつもの作務衣ではないが、同じぐらい化粧気のないシンプルな服装だった。

 舞姫が戸を閉めようとすると、さっきの茶色い管狐が彼女の肩に乗っかった。

「ん? あなたも行きたいの?」

 彼女がその綺麗な毛並みを優しく撫でると、管狐は嬉しそうに尻尾を揺らす。

「じゃあ、今日もお願いします」

「はい、お任せ下さい」

 黄金はそう答えて一礼し、目的地に向けて出発した舞姫の後に続く。


                   *


 舞姫に雑な扱われ方をした久遠は、自室の本殿で拗ねてふて寝している。

 そのことを確認した水葉は、そっと観音開きの戸を閉めて住居の方へと向かった。

 今日こそ久遠様が、ああなった理由を突き止めるの……!

 内心でそう思い、フンス、と息巻く水葉は、淡い水色をした袴の裾をはためかせつつ、舞姫の部屋の前にやって来た。

 元々は居間とふすま一枚で隔てられていた、八畳敷きの客間だったが、そちら側に壁を作って独立した部屋になっている。

 水葉が知る昔の久遠はもっと、触れることすら許されないような、高貴で気品に満ちた存在だった。

 だが今の、尋常ではないほど舞姫を溺愛する姿には、そんなものは何一つ感じられない。

 そこで水葉は、久遠を封じた人間――鬼姫と、その子孫の舞姫が、何か術で彼女を惑わしているせいだと考え、それを探るために舞姫の部屋に侵入しようと企てたのだった。

 水葉は何度か深呼吸してから、入り口のふすまを開けて入ろうとしたが、

「ひょわっ!?」

 無色透明なこんにゃくのようなものに、柔らかいが明確に侵入を阻まれた。

 部屋の中は、何の変哲もないテーブルと机、名作文学がずらりと並ぶ本棚、デフォルメされた動物や、豚カツの端っこなどの様々なぬいぐるみが、室内のあちこちに置かれている。

 ざっと見た感じ、明らかに妙な物は置かれていなかった。

「な、なんなの……?」

 気を取り直して水葉はもう一度入ろうとしたが、さっきと全く同じ結果になった。

 今度は入ろうとせず、そっと表面に触れると低反発枕の様に、柔らかく包み込まれて微弱な妖力を感じた。

「あ、これ結界なの」

 これならあまり強度がなさそう、と判断した水葉は袴の裾から、胴体の太い水で出来た蛇を出した。

 アルミ板ぐらいなら穴を開けられる程度の、高圧な放水を浴びせかけたが、

「あわわわわっ」

 全く通用せずに水が派手に飛び散って、廊下がびちょびちょになった。

「……むう」

 むくれ顔をしている水葉は、溜まっている水を回収してから、ぞうきんで水滴を拭く。

「これ、どうなってるの……」

 ムキになった水葉は蛇の尻尾を鞭にして叩くが、何度試みても壁のように結界は固い。

 あの小娘……、やっぱり久遠様に何か……?

「……何をやっとるんじゃ、水葉よ」

 冷や汗をダラダラ流して、挙動が不審になっている水葉に、廊下の角からひょっこりと顔を出している久遠がそう訊ねた。

「さ、捜し物をしてたのっ!」

 ゲーム機が見当たらないから、ここにあるかと思ったの! と早口で言い訳をする。

「あー、ぴぃなんたら、とか言うやつじゃな」

 明らかに怪しいのに、疑う素振りも見せない久遠。水葉は嘘をつく罪悪感を覚えつつもコクコクと頷いた。

「ところで、久遠様は何を?」

 話をそらすために、逆に水葉の方から久遠に訊ねる。

「いやのう、ちいと舞姫分が足りんでな……」

 アンニュイな表情でそういった彼女は、平然と舞姫の部屋に入った。

「ふむ」

 入り口すぐ横にある、ローベッドに久遠は寝転がった。それはすのこで出来ていて、上に布団を敷くタイプのものだった。

「あぁ~、舞姫の匂いじゃあ~」

 だらしない笑みを浮かべながら、布団の上を左右に転がり怪しくつぶやく。

 もしかして、その「マイヒメブン」が久遠様を駄目にしてた原因……? この結界はそれを知られないためのものなの!?

 あらぬ想像を始めた水葉は、さらに汗だくになってその場に立っている。

「おーい水葉、捜し物は良いのかや?」

 豆の形をした緑色の抱き枕を、仰向けで抱きしめつつそんな水葉に訊く。

「いや、あの……」

「……? ああ、そうじゃった」

 儂としたことが忘れておったわい、と腕立ての要領で起き上がった久遠は、

「よっ、と」

 ほんの少しの間だけ八尾の姿に変化し、入り口近くの柱に手を伸ばして式符をとった。

「ちいと待っておれ」

 管狐に取ってこさせた矢立を使い、彼女は白紙の式符に術式を書いていく。

 出来た式符をまた鴨居に貼り付け、元の小さなサイズに戻った。

「すまんすまん、書き直すのを忘れとってな」

 そう言って久遠は、手にした古い式符を一瞬で灰すら出さずに燃やした。

「はあ……」

 おそるおそる敷居をまたぐ水葉だが、今度は普通に入ることが出来た。

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