第2.5話 孤毒

 社に封じられてからというもの久遠は、ただ寝起するだけの日々を送っていた。

「ん……」

 孤独という罰はすでに、彼女の精神を遅効性の毒のように蝕んでいた。

黄金こがね……」

 腹心の部下である、金面の女性の名を呼んだ久遠。

「……?」

 彼女からの返事は、いつまで経っても返ってはこない。

「ああ……」

 だがそれは、当然のことだった。彼女は今、社を囲む結界の向こうに居るのだから。

「元気に、しておるかの……」

 いつだって必ず傍にいた黄金がいない。それは久遠にとって何よりも辛いことだった。

「もうすこし、寝ようかの……」

 彼女は再び床に就いた。――辛い現実から夢の世界に逃がれるために。


 夢の中では、いつだって久遠が愛した者たちと会うことができる。

『久遠様! おはようございます!』

『よい朝ですね、久遠様』

『今日は暑くなりそうです』

『久遠様……。羊羹、作ったの……』

 彼女の周りにはいつも誰かが居て、その皆が優しく笑いかけてくれる、それだけで彼女の心は満たされていた。

 だが、

『久遠様! 貴女だけでもお逃げ下さい!』

『何を言うか! あの鬼面は儂が狙いじゃ!』

 手を出さぬ限り、お主らには何もせん! と、久遠は必死に訴えるが、

『久遠様には、指一本触れさせはしません!』

『貴女のために死ねるならば本望です!』

『久遠様は、私が護るの……!』

配下のあやかし達は、全く聞き入れず異口同音にそう言って、次々と鬼面の女性に特攻していく。

『やめるのじゃああああ!』

 女性が刀で一薙ぎするごとに、数体の怪が一度に屍へと変わっていく。

 久遠はその強大過ぎる妖力ゆえ、配下の者を巻き込むことを恐れ、鬼面に対してまったく手出しが出来ないでいる。

『あ、ああ……』

逡巡している間にも、目の前には怪たちの屍が増えていく。

『何故じゃ……っ。何故儂の命が聞けぬのじゃ!』

 久遠の悲痛な叫びを聞いても怪たちの特攻は止まらず、むしろ、彼女らを鼓舞する結果になってしまう。

「ああああああああ!!」

 目を覚ました久遠の身体は汗で濡れていた。

 どんなに美しい思い出の夢を見ようと、最後にはこの悪夢の惨劇へと繋がってしまう。

「もう、嫌じゃ……」

 頭を抱えて呻く久遠は、ここまで、何度も何度も死のうとした。

 だが致命傷の傷さえも、凄まじい妖力のせいで瞬時に癒えてしまう。

「儂は……、儂は……」

 愛する者達と共に有りたかっただけ――、彼女はそんな些細な日々を護るため、その力をもって障害となるものを徹底的に排除していた。


 そんな彼女はある日、領域を侵す一人の人間を始末する。

 彼には再三立ち去るように警告したが、従わず久遠達の住処に迫ったため、仕方なくやった事だった。

 しかし、運の悪いことにその彼は、ある大名の跡継ぎだったのだ。

 命からがら逃げ帰った家臣から、それを聞いた彼の父は、久遠を討伐するために、家臣一同を集めて久遠達の領域に攻め込んで行った。

 彼女は赤子の手を捻るように、それらを返り討ちにしていく。だが、諦めない大名は、何度も討伐を敢行する。

 その兵数は回を重ねるごとに増えていき、とうとう幕府の兵までもが出兵する大事になってしまった。

それさえも蹴散らし、その余波で都までをも焼いてしまった久遠に困り果て、大名はついに当代随一の退魔士である鬼面の女性を呼び寄せた。

 彼女は式神を操り、あっという間に久遠達を追い詰め、住処に単身乗り込んだ彼女は半時も経たない内に、そこを制圧してしまった。

 久遠が、穏便に済ませれば良かった、と気づいた時には、最も信頼を置いている怪である、黄金一人だけになってしまっていた。


「全部……、儂のせいじゃ……」

 怪たちの屍を集めて作った水晶玉を抱き、久遠は止めどなく涙を流す。

「儂も共に……、逝かせてくれ……」

 妖力を帯びた雫がそれに落ち、微かに光を放った。

「……」

 優しく抱かれている物言わぬ水晶は、主を慰めんとしているかの様だった。

 久遠は日が暮れ始めるまで、さめざめ泣いていた。すると、

「この、気配は……」

 覚えのある強大な気配が、社の前に連なる鳥居の階段を昇ってきた。それは間違いなく、あの鬼面の女性のものだった。

 社の前で止まった彼女は、障子の向こうの久遠に向かってこう言う。

「久遠殿、少し話をしたいのである」

 彼女の声には、あまり感情がこもっていない。

「……帰れ。儂は貴様と話などしとうないわ」

 精一杯虚勢張ってそう言う久遠の声は、無意識のうちに震えていた。

「では勝手に話させてもらうのである」

そう言って彼女は拝殿前の石に座し、独白を開始する。

「孤独は好かぬのである。どれだけ力があろうと、こればかりはどうにもならないのである。それがどれほどの苦痛であるかを、例えることなどできぬのである」

 久遠は平坦な彼女の声も、僅かに震えているのが分かった。

「それを知っているからこそ、久遠殿にこの罰を与えたのである」

 曰く、彼女は幼い頃から、呪術において類い希なる才能を発揮し、それを畏れた一族の者によって、山中の小屋に閉込められた。隔絶されたそこで、だたひたすらに術を磨く日々は、実に二十年にも及んだ。

「そのせいもあってか、私には分からぬことがあるのだ」

 そう言ってから、一呼吸置いて、

「久遠殿の領域を侵したのは我々である。では何故、そなたが討伐されねばならなかったのであろうか?」

 女性のその声色には、迷いの色が覗えた。

「そなたなら分かるかと思って我は来たのである」

 彼女がそう言ってから、ややあって、

「大切な者を殺されて、黙っておる者はおらぬ。それが世の道理というものじゃ」

 久遠はそう淡々と答えた。

「そういうもの……、なのであるか……」

 答えを聞いた鬼面は、言葉の歯切れが悪くなる。

「……我は、久遠殿にとって「悪」……、なのであるな」

「それは儂もじゃよ……。どちらにも……、「正義」なんぞないのじゃ」

 そう言ったきり、どちらも沈黙してしまった。


「面倒を掛けたのである」

 しばし沈黙が続いた後、立ち上がった鬼面の女性は、さらばである、と言い、社から去ろうとする。

「まて、鬼面の」

「……? 何用であるか?」

 久遠はそれを引き留めてこう告げた。

「貴様に言っておく。この世の大半は灰色じゃ。万事、必ずしも白黒付くとは限らん」

「……その言葉、肝に銘じておくのである」

 鬼面の女性はそう言って、再び歩みを進める。

「言い忘れていたのである。我の名は"鬼姫おにひめ"である」

 その際、彼女はそう自らの名を名乗った。

 二人を隔てていた障子を僅かに開けると、凛とした美しい女性が居た。彼女は沈む日を背景に、社の方を向いて佇んでいた。


                  *


「うなされてたけど大丈夫? 久遠」

 目を開けた久遠の目の前に、彼女の巫女・舞姫の顔があった。彼女の手は、久遠の手を握っていた。

「舞姫……。ちいと昔の夢を……、な」

 久遠はそっと、舞姫の頬に触れて愛おしそうに微笑んだ。

「舞姫様、タオルお持ちしました」

 すると、寝室のふすまを開け、白装束姿の黄金が入ってきた。

「久遠様、どのような夢をご覧になられたのですか?」

「ああ、それはじゃな――」

 夢の内容を聞いた黄金と舞姫は、

「この黄金、もう二度と久遠様のお側から離れませぬ。ですから、ご安心なさってください」

「今夜は一緒に寝よう? 久遠」

 各々、そう優しく久遠に言った。

「うむ……、そうじゃな」

 再び、ささやかな幸せを手に入れた久遠は、にこりと笑って静かに涙を流していた。

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