ブンガク・イズ・デッド

D坂ノボル


 銀座のバー「ルンペン」と云えば文学青年きどりで日本経済を内側から食い潰す半分ニートのワナビ諸兄ならば知らぬ者はあるまい。かの大作家、団子坂だんござか文吾ぶんごが生前二回ぐらい足を運んだとか運ばなかったとか「不味い」「高い」と云ったとか云わないとかのいわくがあるのかないのか有耶無耶うやむやながら、兎に角由緒あるとされる、場末の文壇バーである。ムウドの演出と云うよりはむしろ貧相きわまる内装を誤魔化すためとしか思われぬ薄暗い照明が照らし出す店内には、毎夜の如く生活苦で死にかかった売れない作家やフリーのライター、同人作家や私大文系の学生、社会からあぶれネズミ算式にその数を増やすフリーター、精神病者、リスト・カッターから引きこもり、果ては太宰治にかぶれた挙句の前科者やらシャブ中に至るまでおよそ明るい未来などありうべくもない所謂いわゆるこの世の最底辺とされる人種が光を嫌って日陰に集まるダンゴムシさながらに身を寄せ合い、中身のない虚勢ばかりの文学談義から始まって、結局のところあの新進の女流作家にハメたいのかハメたくないのかにまで堕ちた猥談を肴に、明日への不安を忘れんとすべく品なく安酒をがぶ呑みするのが終わりなき悪夢の如き通例となっていた。因みに、鬱病で死ぬること許り考えているバーテンお勧めの名物カクテルは「人間失格」と云うそうだ。呑みたくない。

「文学は死んだ」

 安いウイスキーの匂いにまみれた喧騒の中、中黒なかぐろが得意げにそう云った。金色に染めた短髪、浅黒い肌に、金縁の眼鏡と金ぴかのロレックスが映えている。

 おれは苛立ちに歯を噛みしめ、奴の口元に覗く嫌みな金歯を睨みつけた。

 中黒はおれの厳しい眼差しなど、意にも介さず言葉をつぐ。

壱岐いき、お前は文藝誌の編集者として、致命的に考えかたが古い。いか、いまは二十一世紀だ、スマートフォンもある、インターネットもある、DVDもあれば大画面液晶テレビもある。映画はみるみるCGで占められ、コミック雑誌は売り上げを伸ばし、テレビ・ゲームのグラフィックは軒並み実写さながらの3Dときていやがる。こんな世の中では、もう、文学なんぞ商売にならん。文学それ自体は――だ。話題性のある新人作家なら話は別、話題性は金になる。読者は才能あるすぐれた書き手なんて、もう金輪際、求めちゃいないのだ。コミックやアニメ、インターネットに慣れた読み手は、文学の美味いも不味いも最早、わかりゃあしねえんだ。奴等が金を出すのは、話題性のある珍味けさ。判るか? それが二十一世紀の新しい文学の形なんだ」

 中黒はそう云って、当世流行りのハイボールをさも旨そうに呑み干した。おれは奴から視線をはずし、――酔いの早く発するのは、これの右に出るものはない――電氣ブランを、ぐい、と呷った。

 中黒の軽薄な迄の新しもの好きには、同業者として何時いつも辟易させられる。文学は斬新でありながらも、常に、伝統への敬意を示したものでなければならない。過去の文豪から引き継いだ遺産の上に、新しく何某なにがしかを積み上げていく、それが創作と云うものだ。すくなくとも、おれは何時だって、そう考えてきた。

 おれと中黒は全く正反対の文学観で文藝編集者と云う仕事に携わり、奴の出版社と我が社は幾度となく衝突をくり返してきた。そして、結果として悔しいが、読者は中黒の理念に賛同した。中身などより話題性を重視した中黒の手がける本は何時もベストセラーを記録、奴の出版社は業界最大手として飛ぶ鳥を落とす勢いの業績を収めてきたのである。

「文学はたしかに死んだ」

 おれはポツリとそう答え、そして中黒を睨みつけた。

「だが、それも今日迄だ。文学に新しい息吹を与えうる才能を、おれはいに見つけたんだ。彼女なら、死んでしまった文学を、生き返らせることができる筈」

「あのォ、壱岐さん」隣の席に所在なさげに座っていた神子みこが下北弁で泣き声を上げる。「今になってさるのもなんだたって、ワラ、不安だァ。矢ッ張り、できねェよ」

 火花を散らせていたおれと中黒は、一気に脱力する。

 頓着もせず、彼女は飽く迄マイペースに言葉をつぐ。

「なんか、悪いことしてるみてェで。ワラ、小説の才能なんて、ねェんです。し受賞して了ったら、どうするびゃ。ワラ、会見なんて、できねェよ」

 彼女は終いに、ヨ、ヨ、ヨ、と泣き崩れ、素っぴんの顔を手でおおった。

 おれは彼女のちいさな肩に、そっと手を遣る。

「自信を持つんだ、神子。きみが其の気になりさえすれば、この世界での成功は、まちがいない。おれは文藝誌の編集を十年遣ってきた。でも、きみより特別な才能ある作家なんて、みたこともない。陳腐な言葉だが、敢えて云おう。きみは天才だ。きみなら、いまの腐った日本の文壇を変えられる。いや、きみにしか、できないのだよ」

「だたって……」

 神子は自信なさげにそう洩らした。誰にも到底真似などできぬ異能異才の持ち主乍ら、彼女はその大器に似合わずいささか内気に過ぎるところがあった。

「壱岐、お前さんの云う凄い才能の持ち主とやらが、そっちのお嬢ちゃんなのかい?」

 脂にまみれた額をさすり乍ら神子の身なりを無遠慮に眺めまわし、中黒は肥った体を揺らして嗤う。

「なあ壱岐、本気なのかい? 『憑依的な天才作家』とか云う触れこみでデビューさせたそうだが、そんなふうには見えないぜ?」

 慥かに、黒縁眼鏡にダッフルコートという神子の身なりはまるっきり垢抜けていない。髪も真っ黒で地味を通り越して野暮ったくさえ目に映る。青森の田舎から拉致すれすれの強引さで東京まで無理矢理連れてきたのだから、当たり前だ。ぎりぎり成人こそしているものの、其のおぼこい顔だちは殆ど中学生にしか見えない。作家としての知性や威厳など、微塵も感じられはしなかった――尠なくとも、いまは。

「賭けるか」おれは中黒にそう云った。「今頃築地の料亭で、第一〇〇回団子坂賞の選考委員会が開かれている頃合いだ。うちの新人作家、一ツ積ひとつつみ神子と、あんたのところの新人、そっちで黙りこくってるナントカいうお坊ちゃんのどっちが受賞するか、賭けるか、中黒!」

 中黒はぷっと噴き出し、隣に座っていた連れの青年の肩を叩いた。

 黒地のスーツを着こんだ美麗の青年は、なにも語ろうとはしない。ただ、グラスになみなみと注がれたミルクをストレートで黙々と煽るけだ。奇妙なことだが、初めて会うと云うのに、その猛禽類の様な鋭い眼光に、何処か見覚えがある様な気がした。

「善い面構えしてるだろう? そっちのお嬢ちゃんも、此奴と同じ回にノミネートされたのが運の尽きだ。団子坂賞は確実に、うちの新人、黒根くろねカルマが頂くぜ。なんせ此奴は『団子坂文吾の再来』と迄云われる程の超大物ルーキーだからなあ」

 気がつくとおれは立ち上がり、自分でも驚く様な声を上げていた。

「これ以上、団子坂文吾の名を穢すんじゃねえ!」

 バーに満席の客たちは静まり返り、紅潮するおれの顔を訝しげに見つめていた。カウンター越し、シャブ中のバーテン丈けが「よくあることだ」と興味なさげに震える両手でシェーカーを淡々と振り続けている。

 団子坂文吾はおれにとって、特別な意味を持つ作家だ。生涯を精神病院で過ごし、死んでから漸く作品が世に認められた悲劇の天才作家。

 売れる小説を書くよりも、只只管ひたすら直向ひたむきに弱き余計者マイノリティのための小説を書き続けた気高き理想家。

 その敬愛する団子坂の名を冠した文学新人賞を、もう、何処の馬の骨とも知れぬ作家に呉れてやる訳にはいかぬ。今年こそは、何としても、我が社の新人が獲らねばならぬのだ。

「壱岐さん、如何どうか、如何か落ち着いてけさまい」

 神子が怯えながらおれを宥める。健気な娘だ。団子坂賞を獲るのに、ほかにどんな相応しい作家がいる? 神子の才能なら、凋落しきった日本文学の流れを変えることができる。文学の長い迷走も、今日この日を以って終わらせることができるのだ。

 そう、この娘の特技を以ってすれば――!(続く)

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