おんなをだく

藤村 綾

おんなをだく

 約束の時間に彼女は駅前のロータリーに透明な傘をさし立っていた。雨がひどくふっている。彼女とあうときに雨が降る確率は80%くらいにも及ぶ。俺が雨男なのか。はたまた、彼女が雨女なのかはわかりかねるが、少なくとも、俺は現場監督なので晴男だと自負している。ということは、やはり……。

 彼女が俺に気がついたのか、近寄ってくる。傘の先っぽから、雨粒がしたたり落ちる。助手席から彼女がそうっと運転席にいる俺を覗き込んだ。目が真っ赤だ。また、泣いていたのか。笑顔をつくり、あたかもあたしは、泣いていませんよ、全然平気ですよ。そんな形相をしているが、俺にはわかる。数分前まで泣いていたことが。

 後部座席が開き、「わー、雨がすごいね。いい?乗って?」乗っているのに、乗っていい?と、訊いてくる彼女。荷物を横にどかし、彼女が所在無く座る。

「久しぶり」

 俺は、それだけゆって、車を走らせた。

 彼女とは、もう、4年付き合っていて3度ほど別れている。

 嫁さんに彼女の存在が知られてしまったためだ。それまでは、平然とあい、普通にホテルにいき、旅行にもいって、本当に普通に過ごしてきた。

 普通すぎて、彼女と嫁さんがダブって見えたほどだ。

「俺はダメなやつだ。本当にごめん。家族は捨てれない。だから、もう、あえない」

「やだ、やだぁー」

 彼女が今までに発したことのない嗚咽まみれの声をあげ、肩を小刻みに震わせ、怒濤のごとく泣きはらし、俺の胸を何度も叩いた。

「ど、どうして、こんなに好きなのに、別れなくちゃだめなの?ねえ、お願い。いや、いやだぁ」

 押し問答がひたすら続き、俺は本当に困惑した。彼女がこれほどまでに俺のことを好きだったなんて。正直驚いた。簡単に別れられると思っていた。彼女はさほど俺に執着しているように見えなかったから。

 それから、俺は何事もなかったかのよう、家族に目を向け、仕事に打ち込み、彼女からのメールも無視をした。もう、あってはいけないと思った。彼女のため。家族のため。俺は完全に無視を決めていた。

 けれど、彼女の気持ちを考えてないわけではなかった。あそこまで、俺のことを好いてくれる女はたぶんもうこの先現れないし、彼女を傷つけた事実は変わらない。あったら、また繰り返してしまう。俺は葛藤していた。

けれど、また、あっている。なんでだろう。なんで。


 俺のゆうことに耳を傾け、彼女が薄ら笑いを浮かべている。現場でもあまり話す相手がいないので、つい彼女の前では、饒舌になってしまう。彼女は顎を上下にふり、目を細め、小さく笑う。やはり、好きだと思った。どうしたらいいのか、わからない。別れることがなかなかできない。突き放せばいい。もう、本当に嫌い。きつくあしらえば済むことなのに。か弱い彼女を見てしまうと、つい抱きしめたい衝動にかられてしまう。俺はホテルに車を走らせていた。

 部屋を暗くし、俺はベッドに仰臥した。彼女が、長い髪の毛を右の手で耳にかけながら、なにか、言葉を発した。

(奥さんにばれないように)

 ぎょっとした。それ以上に興奮している俺がいた。浅はかだな、と、自虐的に笑いがこみ上げてきた。

 彼女の唇が俺の唇を塞ぐ。ああ、もう、自制がきかない。俺は、上にいる彼女を引き寄せ抱きしめた。柔らかい乳房が俺の胸にあたる。柔らかい唇。柔らかい肌。何もかも柔らかい彼女は、ベッドでは、別人になったかのよう、大声をあげ、淫らになる。その嬌声は俺の心をかき乱し、夢中にさせる。頭の中が真っ白になった。彼女の声が、俺の吐息が絡み合い、歓喜の声に変換され彼女がさらに声をあげた。薄暗くてもわかる。俺の手に、ポタポタとぬるい液体が目薬のように落ちてくる。彼女は泣いていた。俺は気がつかないふりをし、後ろからなんども、突き、背中を噛んで、首を押さえつけた。苦しいと思う。けれど、彼女は苦しくして。毎回懇願するので、俺はそれに倣い彼女をぞんざいに扱った。優しくなんかない。彼女の望むことだとしても、ぞんざいに扱いすぎだと、思いながらも理性はどこかに一蹴され、欲望むき出しの獣になった。

 彼女が「好き」「好き」行為の最中ゆった。俺は、なにもゆえなかった。いう資格などないと思うし、まして、軽口を叩いたばかりに、また彼女を苦しめてしまう。「好き」ゆってやりたい。けれど、好きだから抱くわけで、嫌いなら抱きもしないし、まして、また、リスクをおかしてまで会おうとも思わない。俺はやっぱりまだ、彼女を好きなのだろうか。いや、好きではない。癖。癖という単語で終わらせておこう。癖。彼女の身体を抱く癖。ひどいやつだ。俺は。心までは抱きしめてやれないのに。俺は。全く。

 帰りの車の中で、彼女は一言も口を開かなかった。バックミラー越し。下を向いている彼女がなにを思っているのか、容易にわかる。また、あいたい。なにもゆっていないのに、身体からその声が滲み出ている。信号待ちで、ふと彼女が顔をもたげる。

 また、泣いていた。コンビニの前に停車し、あかりで照らされる彼女の顔は青白く、けれど、目と鼻が真っ赤で、頬を濡らしている。俺に気付かられないようにと、必死に声を押し殺し、我慢しているのがわかる。俺は視線を逸らした。現実を見ないよう、視線を逸らす。虚構な世界にいる。彼女といると毎回思うことだ。


「じゃあ」

「うん……」

 傘をさし、彼女が駅のホームに歩いてゆく。

 振り返らない彼女の後ろ姿をしばらくぼうっと見つめ、俺は、ハンドルに頭をつけた。


「また、あえるの」

 確かに車から降りる間際に彼女はゆった。雨の音に消されそれはないものとなり、俺はなに応えなかった。詰め寄られたらなんと応えただろう。

 俺もわからない。

 彼女にも。


 ただ、彼女を抱いた温もりが俺の心の隙間を埋めてゆく。

 雨が急にやんできた。


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おんなをだく 藤村 綾 @aya1228

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