林真理子の評価が低い(『作家の値うち』を読む)
同年代の直木賞選考委員、桐野夏生・宮部みゆき・高村薫・浅田次郎・東野圭吾に比べると林真理子の評価が低いのも、この本の特徴だと思う。
他の5人との、作家としての経歴上の大きな違いは、デビューする時に新人賞をとっていないことである。林は小説を書く前にコピーライター・エッセイストとして売れていて、転職してデビューした(と言ってもエッセイは書き続けている)。新人賞をとらないでデビューした作家は裏口入学などと言われて軽く見られることがある。
ただしデビュー後は、他の5人と同じように直木賞を含む複数の文学賞をとり、本書が出版された後に直木賞の選考委員にもなっているので、ごく一般的な文壇的評価に比べると福田氏の評価は低く、そこに独自性が現れているとみることもできそうだ。
作品に対する評価を見てみる。
『星に願いを』 54点
『葡萄が目にしみる』 53点
『戦争特派員』 48点
『最終便に間に合えば』 46点
『文学少女』 41点
『女文士』 38点
『不機嫌な果実』 26点
まず目を引くのはベストセラーになりテレビドラマ化及び映画化された『不機嫌な果実』の評価の低さだ。これはいわゆる不倫小説で、傾向の似ている渡辺淳一の『失楽園』も22点である。福田氏はこういうものを評価しないようだ。
まずまずの評価なのが、『星に願いを』と『葡萄が目にしみる』。両方とも初期に書かれた自伝的作品。
どうも渋い評価なのが『戦争特派員』『最終便に間に合えば』『文学少女』『女文士』の4作。ある程度は書けているが、別に読む価値があるようなものだとは思わない。というところなのだろう。
次に、作家個人を文章で評価している部分の中心的な文言を見てみる
小説はサガン風あり、森瑤子風あり、宮尾登美子風あり、渡辺淳一風あり、とかなり器用なことはわかるのだけれど、結局何ら本人にとって本質的なモチーフを感得することはできなかったようである。
ここでは「器用である」「本人にとって本質的なモチーフを感得していない」という二つのことが述べられている。
「器用である」という部分は、「プロの作家であれば同等以上に器用な人は他にもいろいろといそうだ」とつっこみたくなるが、これがここで言いたいことではないだろう。
譲歩してから逆接の後に言いたいことを言う、という構文で書かれた文章なので、「本人にとって本質的なモチーフを感得していない」というのが言いたいところなのだと思う。
これは、「本質的」という言葉をどうとらえるかにもよるのかもしれないが、「人間のコンプレックスとか、集団における意識的・無意識的な差別・被差別を描く」という点では林真理子の文学には一貫した流れがあるので、私はこの部分には反対である。
それと、デビュー作にして出世作の『ルンルン買っておうちに帰ろう』が入っていないのは「エッセイだから」という理由だと思うが、エッセイが小説の下ということはないと思うので、私は取り上げた方がいいと考えている。
※ 文芸に関する記事は下記のブログにもあります。
『東野圭吾の考読学』
URL:http://ooyamamakoto.hatenablog.com/entry/2018/06/27/211407
検索;考読学
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