ポケットの中の、25個の掌編小説

銀鮭

第1話 ルナパワー

 さて、最初の物語は何にしようか……。


 私はポケットの中に手を突っ込む。 


 指先に触れるのは、読んでいて思わず「プッ!」とふきだしてしまうユーモア小説、読み終わってから「なるほど! そうだったのか……」ともう一度読み返したくなる物語、そうして、もう、わき目も振らずのバカ話、などなど──。  


 小説は書き出しの一行で、その評価が決まってしまう。

つまり、短篇集は最初の物語りで、その評価が決まってしまう、のだ──。


 ああ、困った。

 私はポケットの中をまさぐる。


 これかな?

 いや、これは違う! 絶対に違う! 

 だって、ぎゅっと握ると痛いモン……(失礼!)。 


 何がいいかな……と、ふと広げた新聞に「平成二十一年 自殺者3万人超」の文字が躍っている。(そう。これは7年も前のお話だ。)


 毎年、この時期には政府の「自殺対策白書」が公表されるらしい。


 奇しくも、今日六月十二日は『桜桃忌』の一週間前であり、一週間後の六月十九日に、太宰は愛人と一緒に多摩川上水で発見される。 


 太宰治に「自殺」はつきものだけれど、それは未遂に終るのが常であった。では、この入水の真実はどうだったろうか。ほんとうに太宰の意思だったろうか、それとも愛人にそそのかされたのか、いや、もっと別の何かが二人を……。


 ということで、決まりです。

 ここまでくれば最初の物語は「自殺」についてでしょう。

 この手のテーマは暗くなりがちですので、そこは明るく、美しいテイストに仕上げたものを取り出しましょう……。


 最初の物語『ルナパワー』へ、ようこそ。


*************************************

   


 ──隣村に嫁いだ一人娘に赤子が生まれた――


 という知らせを受けた与平さん、さっそく祝いの品を持って訪れる。


「これが与太郎ですじゃ」

「おお、そうか。与太郎かぁ、かわいいなぁ」

「じじさまから一字もらい受けましたじゃ」

「じじさま? そうか……わしもじじさまか……」


 楽しいときは過ぎるのが早い。いつまでも孫の顔を見ていたいのだが、その後ろ髪をひかれる思いを断ち切って、

「ああ、遅うなってしもうた。また来るでな……」


 酒のほろ酔い気分もすっかり抜けたのは、一つ峠を越しての一里塚。

「もう、ここまで来れば半時もかかるまい」

 道端のこんもりと盛り上がった塚に腰かけ、懐から煙草入れを取り出した。


 月が白々しらじらえ渡って、空気がカーンと澄み切っている。


「おや……」


 与平さん、何かを感じたらしく、キセルの雁首がんくびを掌にポンとはたいてから吸い口くわえてプッ……。

 立ち上がって背後の塚を見上げると、枝ぶりの良い立派な赤松――。


「う~ん、何かが……足らんのう」


 もうとっぷりと日も暮れて、往きも帰りも真っ暗な道、空は深々と冷気をたたえ、冴え渡る。

 あおく、白い月の光が鋭くさして、与平さんの影を地面に映し出す。


 こんもりとした塚の上には枝ぶりの良い赤松が――。


「そうか、わかった! たしかにこれで絵にはなる」

 与平さん、腰紐をスルスルとほどいて……。


 相変わらず、月は深々とした冷気に白々と冴え渡っている。

 その月の、蒼く、白い光が、夜空にくっきりとシルエットを浮かび上がらせる。


 太くたくましい赤松の影――。

 かすかに揺れる与平さんの影――。




                                  (了)   





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