エリオットの中指

橘五作

第1話エリオットの中指

マジックアイテム『エリオットの中指』


切り落とされたエリオットの手首、そのもの。右手。器用そうな指をした、白色の手。毛はどこにも生えていない。やたらと縁起の悪い手相をしている。断面は黒ずんでいてよくわからないが、触ると骨らしきものを確認することができる。断面の肌触りはとくによくない。毛糸製品をこすると、ほつれてしまいそうだ。小指の爪が剥がれている。


普段、手は強く握りこまれている。外部からの影響でその中指のみが真っ直ぐと伸びたとき、それを見た生物は死亡する。この死から逃れることはできない。




from リガン

to ミーリム


ミーリム教授へ報告があります。大学が保管するマジックアイテム『エリオットの中指』に関してのことです。アレリア図書館の蔵書のなかに(奥の奥にあったのを偶然見つけました)、エリオットという名前の少年が登場するものがありました。大洪水以前に書かれたものです。そのエリオットは著者の友人だったようです。


右手の小指の爪など、『エリオットの中指』との類似がみられます。中指に関する記述はなく、そのエリオットも最後失踪して行方不明となりますが、興味深いと思いませんか?


本の中からエリオットについて書かれている部分を抜粋しました。


よろしければ、教授のご意見をお聞かせください。返信はリガンへの電話、メール、または校内放送による呼び出しにてどうぞ(なにもなくても僕から伺いますが)。











―『サルエン自伝』著サルエン 友達の章から抜粋 ここから―



私の友達、エリオットがいなくなったのは、私たちが15歳のときだった。その日、彼は親に3歳の妹の世話を任されていた。


当時のエリオットの生活は厳しく、住んでいるところも良いものではなかった。屋根や壁はほぼほぼなく、雨をうまく凌ぐことができない。風は我慢した。暖かい気候なのが幸いだった。


エリオットや私が生まれるより昔、嫌われ者の魔術師が、爆発によって死亡したといわれるその現場であり、彼の住処だった場所。たしかにそれは爆発だった(街の者すべてが音を聞いており、貧民街にいたものは強い光を感じた)が、砕けたガレキはすべて家の中心に吸い込まれるように飛び散って、壁の外側には一切傷をつけなかった。魔術師の死体は見つかっていない(それなのにみんなが魔術師は死亡したと確信しているのもおかしな話だ。しかし、魔術師はまちがいなく死亡している。なぜだか、それをみんながわかっていたのだ)。なにか見えないような、さらに内側に吸い込まれていったのだろうか。


貧民街の中でも避けられている場所であり、好んで近づく者はいない。彼の父に屋根のある家を追い出されるすこし前、エリオットはこの場所で度胸試しをしたこともあった。


カルロが、私のもつ時計(貴族から盗んだもの。細くて綺麗な鎖の装飾つき)を奪い廃屋に向かって投げ入れた。大きく山なり。どれだけ不器用であったとしても、どこかにぶつかって弾かれるようなことはないくらいに穴だらけな建物だった(しかしそれでも、カルロが1回で時計を投げ入れたのには驚いた。彼は世界で一番の不器用だった)。


「はいっていって時計を探そう」とカルロは言った。「みつけよう」と言わないのは、彼の保身だ。彼は臆病者だった。


私たちは、誰かが最初に動くのを待っていた。カルロは足踏みをしているだけで、先頭になろうとはしない。ただ立ちつくしていると、あの時計の針の進む音が聞こえてきた。


暇だったので、私はカルロの足踏みを数えていた。不規則な速度。貴族がもつような質の良いはずの時計の音も、それにあわせてリズムを変化させる。それで、時計の音が気のせいだと気がついた。


最初に動いたのはエリオットだった。私もカルロも、それを期待していた。エリオットが壁にあいた穴から、廃屋の中に足を踏み入れる。私もそれに続いた。線などはひかれていないが、越えたという感覚があった。外に包括された内側だ。気温も匂いも変わらないが、たしかに外とはちがった。


中に入ってしまえば、なんてことはなかった。穴だらけの建物だ。中身はだいたい外から見えていたし(そのため時計そのものは見えなかったが、だいたいの場所は見当がついていた)、越えることができるかどうかだけだ。カルロは小さなガレキを蹴って遊んでいる。外に向けてガレキを蹴りとばす。仕切りのない境界線。私は爆発の話を思い出した。巨人に押しつぶされるような崩れ方をした不思議な場所。カルロが蹴って、簡単に飛び出したガレキ。なんだか悪いことをしている気がした。価値観の前提にあるものを無視したような罪悪感。男が出産しているのを見るような持ち悪さだった。


「あった」とのエリオットの声。ガレキ蹴りの的を探してひょこひょこ動いていたカルロが駆け寄る。「みせて」と言うのと同時に、時計をエリオットからもぎ取った。


「痛い」と、鋭くエリオット。時計の鎖が、彼の右手の小指に引っかかってそのまま巻き込んだらしい。鎖に小さな爪がはさまっていた。左手で握った小指からは、血が流れている。


「俺じゃない。見つかったし早く帰ろう」慌てるカルロ。早口で言っていることはよくわからなかったが、まとめるとそういうことらしかった。エリオットはただ彼を見ているだけ。カルロが私に時計を投げつける。私たちは帰ることにした。


廃屋を出てすぐ、カルロは足を前に投げ出して転んだ。蹴っていたガレキを踏んで、足を滑らせたようだった。頭から接地。そのままカルロは死んだ。2人とも、死体を運ぼうとはしなかった。しばらく歩いて、お互いに小さく手を振って別れた。


カルロが死んだことは、一晩眠ってから彼の両親に伝えた。カルロの血が久しぶりに降った雨で流されたころ、エリオットとその母、妹があの廃屋に住み着いた。









話を戻す。日が沈んだころ、エリオットが私の家を訪ねてきた。ついてきてほしいと、彼は私に頼んだ。私はなにも言わずそれに従った。行き先もきかなかった。どこに行くかはなんとなくわかったし、それは正解だった。当時の彼の住処、あの廃屋だった。


並んで歩いている間、彼はめずらしくよく喋った。声は落ち着いていて、どこか優しかった。あの声で、タリムの英雄譚を妹に聞かせたりしていたのだろう(※知っていると思いますが、このタリムという英雄の伝承はその大部分が失われています。タリムは竜の討伐者とされており、音楽、書物など多くのものにその名を残しいますが、言葉のとおりにその名を残すのみです。気になりますね)。


母はもう僕の前には戻らない。今頃、父に返り討ちにあって殺されている。死霊術師に死体を売られて、2日分の酒の金になる。父に家を追い出されてから、母は目に見えて衰弱した。


母は星が見えなくなるときもあった。その時はひどく不安になるようで、エリオット、エリオットと死にそうな声で何度も僕を呼んでいた。手を握ってやった。抱きしめてやったが、僕はそれにただ悲しみを覚えた。母の温かみを感じなかった。体温とかのはなしではない。心情的にも、母は冷たい。母の身体は細くなっており、夜と混ざって灰色の皮膚は骨にペタリと張り付いているのがわかる。親指と人差し指だけで、手首をねじ切れそうだった。ハゲワシも見向きしないだろう。


右手の小指から膿がでて止まらない。すごく臭い。盗んだパンを妹に食べさせようとしたときに、臭いで妹が嘔吐してしまった。右手で食べさせようとしたのがいけなかった。パンは妹の吐瀉物で汚れてしまった。これもまた悲しくて、吐き出されたものはほとんどがただの胃液だった。僕の分のパンを、今度は左手で食べさせた。僕は妹の吐瀉物でふやけたパンを食べた。1口だけだけど。


妹が今死にそうだ。おそろしく高い熱がある。着いたらすでに死んでいるかもしれない。そしたら一緒に墓穴を掘ってくれ。できるだけ綺麗な場所がいい。こんな汚い貧民街なんかじゃなくて、自分の周りに掘った穴を深くしすぎて、脚を滑らせて死ぬ直前なのにも気がつけないドラゴン気取りの勘違い貴族たちのところでもない。なにもない寂しい荒野でもない。どこにもない。僕たちが安らげるような場所なんて、どこにもない。穴掘りは止めよう。妹が死んでいたら、死体を燃やそう。骨もなにもかも全部。


もしかしたら僕も近いうちに死ぬかもしれないな。なんとなくだけど。僕を忘れないでくれよ。君は友達だよ。


私は相槌もうたなかったが、真剣に彼の話を聞いていた。彼も私が真面目に聞いているのをわかっていた。そのうち彼は話すことがなくなったのか、口を開かなくなった。


きっと私たちは、お互い唯一の友達だった。


カルロが死んだ場所のすぐ近く、廃屋の中に、うつ伏せで倒れるエリオットの妹が見えた。彼女はすでに死んでいた。エリオットが優しく肩に手をそえ、仰向けにする。彼女は目も口も閉じていた。この娘は自分が死んだことを理解している、そう思えた。


死体を燃やすのは、正直嫌だった。それは禁忌だ。エリオットがすぐに燃やそうとしなかったことに、私は安心した。もとから燃やすつもりはなかったのか、あとから燃やすつもりだったのかはわからない。それと安心したとは書いたが、私の前でエリオットが妹を燃やす意思を見せていたならば、私はそれを手伝っていただろう。


星と月のない、真っ暗な夜だった。私たちはぼうと座っていた。星が見えないのは、たしかに不安だった。崩れた天井はただ夜を受け入れる。外も、廃屋の中も、どちらも変わらない切れ目なく繋がった夜。海の中に沈む蓋のない水槽。私たちはその水槽の中で泳ぐ魚にちがいなかった。腹を上にした一匹の小さな魚が、私たちをおいてゆっくりと浮かんでいき、水槽から海へでる。私とエリオットは追えない。エリオットはそれを許さなかった。


そうして、エリオットはいなくなった。私が、うとうと眠ってしまいそうになっている間に、彼は妹をつれて私の前から消えていた。


翌日、エリオットの母親が水路に落ちて死んでいるのが見つかった。足を踏み外したようだった。家に戻ることもできなかったらしい。


あの夜から、私はエリオットを見ていない。



―ここまで―


end

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エリオットの中指 橘五作 @gosaku

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