第48話 瀬戸君 2

「ちょっ。待てよ!」

 どっかのアイドルか!

 席を立つ私の後を追ってきた瀬戸君の言葉に、思わず突っ込みそうになるのをなんとか飲み込む。

「デリケートな部分に触れて悪かったよ。西崎っ」

 どうやら篠田先輩のことを無理やり訊きだしたから、私が傷ついたとでも思っているらしい。

 結構いい人なんだよね、瀬戸君て。

「ごめんね。色々、心配してくれてありがとう。でも、これは私の問題だから」

 イケメンアイドルを気取る瀬戸君の制止も訊かず、私はおごりというのに甘えてお店の出口へと向かう。その背中を瀬戸君が追ってくる。

「だから、ちょ、待てって!」

 だから、どっかのアイドルのマネはもういいってば……。

 半ば呆れる私。

「西崎、一人で抱えこむなよ」

 私が呆れながら店の外に出たところで、追いかけてきた瀬戸君に突然後ろから抱きしめられた。

 えっ!

 そんな瀬戸君の行動に私が驚いても、彼は構うことなく、まるでドラマのように一人盛り上がりを見せている。

 これは、どっかの夜九時枠か? 何チャンだ?

「キツイ言い方ばっかしてきたけど。これでも俺は西崎のこと、スゲー心配してんだよ」

 うん。ドラマなら今のって決め台詞だよね。だけど、ドラマじゃないし、相手は瀬戸君だ。だから、心配してくれるのはありがたいけれど、後ろから抱きしめたまま耳元で囁くのはやめてください。

 瀬戸君の腕から逃れようとすると、体勢を変えた彼が私の手を取り前へと回り込んでくる。目の前に現れた瀬戸君は、私の目を真っ直ぐ見つめてくる。

「西崎。俺……」

 私の目を見て語りかける愁いを帯びた瞳に、思わずぐっと息を呑んだ。

 あ、これは、マズイ展開……? 掴まれている手を振りほどくべきだよね。

 学習能力の欠片もない私は、この場を何とか自分で潜り抜けようと、瀬戸君が未だしっかりと掴んで放さない手を振りほどこうと試みる。

けれど、その力は意外と強く。あの時の先輩を私に思い出させた。

 酔っている私の手を強引にとり、壁に押し付けられたあの瞬間を。顔を背ける私の顎をつかみ、無理やり顔を近づけてきたあの瞬間を――――。

……いや。

よみがえった恐怖に、心と体が拒絶を始める。私の手を取り、放さない瀬戸君。その手に瀬戸君がグッと力を込めたかと思ったら、胸元に引き寄せられてしまった。

瀬戸君の胸に収まりながら、恐怖に心音が速まっていく。この腕から逃れたいのに、体に力が入らない。

「西崎……」

瀬戸君の甘い囁き声は、今の私には恐怖でしかなくて、心は萎縮していくばかりだ。

放して……。

 怖さしかない今の私の言葉は、音にさえならない。

声にならない声は、瀬戸君に届くはずもない。

「西崎。俺、西崎の事が好きなんだ」

心から伝えられた告白だとわかっても、私の気持ちは少しも動かない。それどころか、恐怖と動揺で、この腕から一刻も早く逃れたいと思うだけだった。

抱きしめていた腕を少し緩めた瀬戸君が、私を見つめる。わずかに首を傾げて、顔を近づけてくる。

「西崎……」

甘い囁きは、私の恐怖心更にを煽る。

助けて……。助けて……タイちゃん!

「葵さん。何やってんの!」

 恐怖に固く目を閉じる私の耳に、求めていた声が届く。その声に瞼を持ち上げた。

 ちょっと呆れたような、少し怒ったようなタイちゃんが、溜息混じりに小走りで近づきいて来た。そうして、私の手を取り瀬戸君から引き離す。

 その瞬間、体に入っていた力が抜け、へたり込みそうになる。けれど、それとわかったタイちゃんが、グッと私の体を支えてくれた。

 驚いた瀬戸君は一体どういう事なのかと、私とタイちゃんを交互に見ながら今の状況を把握しようとしている。

 タイちゃんの存在に、瀬戸君が僅かに距離を置いた。

「……タイちゃん」

 スーパーヒーローの如く現れたタイちゃんに、私はほっとした声を出す。

「タイちゃんじゃないよ、もう」

 僅かに膨れた顔をして近づいてきたタイちゃんに、瀬戸君は動揺している。

「えっと、あれ? ……西崎、これって……」

 私とタイちゃんを交互に見て、言葉にならない瀬戸君。いきなり現れたタイちゃんという存在が、どういうものなのかを必死に理解しようとしているみたいだけれど、うまく脳内コンピューターは稼動していないみたい。

 それと同じくして、私の脳内コンピューターというか、心の中にある気持ちはあらわになってきた。

 先輩の時も、今瀬戸君に告白された時も。私は、いつもタイちゃんに助けを求めていた。憧れていた先輩に迫られて嬉しいはずなのに、タイちゃんに助けを求めた。

 いつも心配してくれる瀬戸君に感謝はしても、彼の気持ちをどうしても受け入れられなかった。それって、私はタイちゃんのことを――――。

 瀬戸君から引き離すように握られたタイちゃんの手は、とても温かい。この手は、いつだって私を安心させてくれる。

 私は、そばに立つタイちゃんの目を見て、その温もりを確認するようにしてからそっと手を離した。

「タイちゃん。少しそこで待っててくれる」

 いつもふざけたことしか言わない私からの、真剣な眼差しの言葉に少しだけ驚いた顔をしたあと、タイちゃんは深く頷き離れた。

タイちゃんから離れ、瀬戸君のそばへと歩み寄る。

「瀬戸君。いつも心配してくれて、ありがとう。私、自分で自分がよくわかっていなかったみたい。そのせいで、色んな人に迷惑掛けちゃってた。先輩とのことも、……瀬戸君とのことも……」

 そこで一旦言葉を区切り、息を吸い吐き出す。

「瀬戸君の気持ち、嬉しかったよ。おバカな私を真剣に相手してくれて、心配もしてくれて。だけどね、やっとわかったんだ。私ね、彼じゃないと、ダメみたい」

 そこで、少し離れた場所に立って待つ、タイちゃんを振り向いてから再び瀬戸君に向き直った。

「彼じゃないと、私が私で居られないの。……うまく言えないけど、そばに居てほしいのは、彼なんだよね……。だから、ごめんなさい」

 頭を下げて謝る私に、瀬戸君は少しして小さく息をついた。

「頭上げろよ。西崎のクセに、つまんない真似すんな」

 言われて顔を上げると、呆れたような、困ったような、切ない顔をしている。

「あいつは、お前のこと大事にしてくれるんだな? 西崎の馬鹿なところも、ちゃんと受け入れてくれるんだな?」

 確認するようにして問われた言葉に、私は深く頷いた。

 それを見て、瀬戸君が夜空を仰ぐ。

「お前みたいな馬鹿な奴を相手にできるのは、俺くらいしかいないと思っていたけど。ほかにも奇特な奴が居たんだな」

 わざと憎まれ口を叩く瀬戸君は、夜空から私へ視線を戻すとすっきりとした笑顔を見せる。

「まー。仲良くやれよ。あいつが相手し切れなくなったら、仕方ないから俺が面倒みてやるから」

 最後までいい男を気取った瀬戸君は、少し先に立つタイちゃんに軽く頭を下げると、「また会社でな」と行ってしまった。

 瀬戸君の背中を見送っていると、タイちゃんがそばにやってきた。

「今、何の話してたの?」

 落ち着かない顔をして訊ねるタイちゃんだから、きっと会話が聞こえていたんだろう。

「大きい犬を飼うことにしましたって言ったの」

「え?」

 私の言葉にタイちゃんが引き攣り笑いをしているから、その手を取りそっと握った。

「いつもそばにいてくれるタイちゃんが好きだから、瀬戸君とは付き合えませんって言ったの」

 私からの言葉に、タイちゃんが固まっている。

「えっ、あの。葵さん? えっと、もう一回言って」

 うまく処理しきれないようで、とても動揺している。

「えぇー。もったいないから、いーわないっ」

 クスクスと笑って歩き出すと、まるで絡みつくようにタイちゃんが訊ねてくる。

「今、好きって言った? 言ったよね? 好きって」

 犬みたいに絡みつく姿が本当に愛おしくて、私はじゃれ付くタイちゃんに抱きついた。

「好きだよ」

「葵さん」

 嬉しさに抱きしめ返してくれたタイちゃんのはしゃぎっぷりに、私はクスクスと幸せに声を上げた。

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