第47話 瀬戸君 1

 その週の金曜日。

 今日一日頑張れば、明日から週末でお休みだ。特に予定もないけれど、休みというのにウキウキしていると、瀬戸君が珍しく帰り際に声をかけてきた。

 終業後、帰り支度をしていると、すっと瀬戸君がデスクのそばに来て何も言わずに立っているので、先に挨拶を返して立ち上がる。

「お疲れ様」

 バッグを手にして歩き出そうとしたら、引止めるように声をかけられた。

「西崎。たまには飲みに行くか」

 僅かに、躊躇いがちにかけられた声というか言葉に、私はゆっくりと振り返る。目の前に立つ瀬戸君は、いつもと変わらず口角のひとつも上げていない。そのなんとも可愛げのない顔をジッとみてから私は声を発した。

「え?」

 かなりの間を置いて疑問符を投げかけると、思い切り不満そうな顔で見返される。

「なんだよ」

 なんだよ。って、こっちがなんだよ。

「だって、たまにっていうけど、今まで一度も飲みに行った事ないでしょ」

 驚きと共に率直な事実を述べると、チッと舌打ちをされる。

 飲みに誘ってるのか、喧嘩を売りに来たのかよく判らない。

「とにかく。最近、調子もよくなさそうだし。愚痴の一つも聞いてやるよ」

 えーっと。その愚痴の中には瀬戸君のも含まれてるんですが、いかがなものでしょうか。

 思わず半笑い。

 私の考えが読めたのか、瀬戸君が不満そうな顔をした。

「いいから。行くぞっ」

 有無も言わせず先を行く瀬戸君。仕方なく、私はその後を追った。


 連れて行かれたのは、瀬戸君行きつけのお店なのか。店内に踏み込んだだけで、「奥空いてるよー」なんて店員さんに声をかけられるお店だった。

「いつもここで飲んでるの?」

 一歩うしろをついていきながら訊いたのだけれど、店内の喧騒のせいか返事がない。いや、もしかしたらいつもの調子で、聞こえているのに無視されているのかもしれない。

 つれない態度の瀬戸君のうしろをついて行くと、奥といわれた場所はテーブル席で個室になっていた。向かい合わせで席に座り、出されたお絞りで手を拭いていると、すっとメニューを渡される。

「好きなもの頼めよ」

 あれ? 何、この男前発言。似合わないんだけど。

 それでも、思わずニヤリ。

「おごり?」

 冗談で笑いながら訊ねたら、無言で頷かれた。

 マジで?! 冗談で訊いたのに驚きだ。愚痴を聞いてやるとは言ってくれたけれど、奢ってもくれるんだ。本当に男前になっちゃった?

 驚きと嬉しさに頬を緩めていたら、冷めた視線が目の前から。そして、顔を上げた私に向かってひと言。

「不細工な顔だな」

「ちょっとぉーっ」

 奢りにほくほくしている私へ、社外でも容赦がない。

 さっきの言葉は撤回。ただのドSだよ。

 それからいくつかの料理を頼み、乾杯をした。

 テーブルの出汁巻き卵に箸を伸ばし、いい味してる。なんて頬を緩めていたら、瀬戸君が口を開いた。

「この前。本当は、体調悪かったんだろ」

 瀬戸君はビールをゴクリと音を立てて飲んだあと、篠田先輩とすったもんだの翌日の事を訊ねてきた。

 確かにあの日、私はとても青ざめていた。篠田先輩に睨まれて、最悪会社には居られなくなるかもしれないなんて事も、実は考えたりしていたんだ。

 女子に手の早いちゃらい先輩でも、仕事はとてもできる人だから、裏から手なんか回されたら私なんてイチコロだもん。だけど、橋本さんからの爆弾告白と先輩がその手の病気だとわかったおかげで私は救われたし、この出来事は既に収束している。

 おかげで、話題をふってくれたのはいいが今更感があった。

 まぁ、何も知らない瀬戸君は、やたらと真面目くさった顔で私のことを心配そうに見ているのだけれど。

「体調というか……」

 言葉を濁す私の事を、目の前からじっと見据えてくるその目がいつにも増して威圧的。というか、いつも威圧的なのだけれど、仕事の時とはまた違った、探るような雰囲気も含んだ目に思わずぐっと後退り。

 実際は座っているから、距離は何も変わらないのだけれど、気持ちが後退していった。

 そして、容赦なく瀬戸君の視線が刺さりまくるものだから、ずっと黙っているのも辛くなり、私は仕方なく口を開いた。

「実は、篠田先輩とちょっとあって……」

 そう口にした途端、ほら見ろとばかりの顔をする。

 なんだその得意げな顔は。私に何かあったほうがいいみたいじゃないのよ。もぅ。

 そんな瀬戸君に、詳しく話すのは色々と問題があるので私はまた口籠る。すると、探るような視線が強く刺さってきた。

 グッと体を前のめりにして、隠している事は全部吐きやがれっ、てなくらいに威圧してきつつも、直ぐに痺れを切らせて私の言葉を待たずに自ら口を開く。

「あれだけ忠告したのに、何やってんだよっ。気をつけろって言っただろ!」

 捲し立てるように叱ってから、何かに気がついたようにハッとした顔をする。

「西崎、お前まさか先輩に……」

 テーブルの上に置かれていた瀬戸君の手が、近くのおしぼりに触れて、それをぎゅっと握り締めた。何を想像しているのかなんて、わなわなと震えている瀬戸君の様子とおしぼりの絞られ具合を見れば一目瞭然というもの。きっと私が篠田先輩に、あんなことやこんなことをされ、メチャクチャにされちゃったの~、号泣。なんてことを想像しているに違いない。男の頭の中なんて、そんなものでしょう。ていうか、今頭の中で私を全裸にしているに違いない。勝手に想像しないでもらいたい。いや、してもいいけどナイスボディでお願いします。

 動揺している瀬戸君にどうしたもんかと思っていたら、テーブルにあった私の手に手を重ねだした。

「西崎。俺に……何かできることはないか?」

 まるで瀬戸君の方がずっと傷ついたみたいな切ない表情で、握ってくる手に力を込める。

 心配してくれるのはありがたいけれど、その手は放して欲しい。やたらと熱を持った瀬戸君の手は、私の手を握って放さない。

 そうしていると、そばに置いていたバッグの中でスマホの画面が光った。

 空いた手で取り出し、テーブルの下でこっそり確認すると、タイちゃんからのメッセージだった。

先輩との事件以来、タイちゃんは度々「大丈夫?」というメッセージを送ってくれている。あの場に遭遇したこともあって、度々気を遣ってくれているのだ。

 テーブルの上で握られた手を嫌味にならないようになんとか引き抜き、タイちゃんへと返信する。瀬戸君と飲んでいると返すと、数秒経たずに、今すぐそこから出るようにと指示が来た。添えられた、「瀬戸君も男だってわかってる?」という文に、今度は私がハッとする。懲りない私の行動に、タイちゃんはきっと呆れていることだろう。

「瀬戸君、ごめん。私、帰るね」

 タイちゃんの言いつけどおり、私はバッグを手にして立ち上がる。

 すると、当然瀬戸君が驚いた顔をする。

「どうしたんだよ。何でそんな急に、帰るなんて……。プライベートに立ち入りすぎたんなら謝るよ」

 ……そうじゃないんだけど。

「もう、大丈夫だから、瀬戸君は気にしないで、ね」

 言って立ち上がる私を、瀬戸君が引き止めた――――。



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