第34話 黄昏てんの? 4

 名残惜しい気持ちを引き摺り、渋々と涼太について食べ応えのありそうな定食屋さんに入った。席に着くと、奢りだという前提を疑いもせず、涼太はとんかつ定食を頼む。もちろん、ご飯は大盛り百円増しだ。私は、カニクリームコロッケ定食にした。

「女って、クリーム系が好きだよな」

 人の定食を見て、涼太がシミジミと呟いた。

「なによ、それ」

「どの女も、一緒だなってさ」

 なんとも含みのある言い方をするじゃないのよ。クリームで何か嫌な出来事でもあったわけ? シュークリームにかぶりついたら、手に持ったお尻の方からブニュッとクリームがこぼれ出たとか。グラタンのホワイトソースが熱すぎて舌を火傷したとか。ショートケーキのクリームだけすっかり綺麗に食べられちゃったとか。

 なんて、私じゃあるまいし。涼太に限ってそんなことないか。

「なに。彼女と喧嘩でもしたの?」

「あれ? 俺、彼女いるって話したっけ?」

 こんなんでも、そのくらい気づきますから。木山さんのお店の時だって、電話してた相手は彼女でしょ。姉を侮るなかれよ。

「彼女の話は聞いたことないけど、そんな感じがしたから」

「姉ちゃんでも、そういうことに気がついたりすんだな」

 涼太は、ちょっと驚いた顔をする。

「あんた、どんだけ私のことバカにしてんのよ」

「馬鹿にはしてないよ。姉ちゃんは、日々真面目に暮らしてて尊敬してるよ。けどさー、真面目すぎて、弟の俺からしてもつまんない時があんだよね」

 涼太は本当につまらないといった顔つきで、割り箸をパチンッと割る。

 おっ、綺麗に割れてる。

「つまんないって、なにそれ?」

「だって、男っ気ゼロだろ? もっと、気軽に付き合えばいいのに。ほら、さっきの店の店長さんとか、色々」

 少しばかり上目遣いにした表情は、何か知っているという顔だ。

「あっ。あんた、もしかしてタイちゃんからなんか聞いた?」

「ああ。うん」

 もう、口が軽いんだから。タイちゃんのアホ。

「てか。色々って何よ?」

「会社の先輩に、同僚の、ほらよくこき使ってくるやつとか? 他にも一人」

 もう、篠田先輩のことも、瀬戸君のことも。何もかも涼太に筒抜けじゃないのよ。てか、こんなタイミングで瀬戸君の話を出さないでよね。会議室のこと思い出して、不整脈が起きるよ。

 ん? なぜに不整脈。まさか、私瀬戸君なんかにドキドキしてる……とか?  ま、まさかね……。

 そっ、そもそも。他にも一人って誰よ!

 どうしてか狼狽る自身の気持ちを抑えつけていると、涼太が口を開いた。

「……太一の家のこと、母さんから聞いたんでしょ?」

 急にテンションを下げて言うもんだから、私の勢いも削がれてしまう。

「……うん。聞いた」

 涼太は、綺麗に割れた箸を使うことなくテーブルへ置くと、お冷を一口飲みグラスを握ったまま俯いた。

「あんな風にいつも馬鹿みたいに笑ってっけど。結構苦労人なんだよ。太一って奴はさ」

「そうだね……」

 運ばれてきたとんかつに箸もつけず、涼太はしんみりと話し続ける。揚げたてサクサクのとんかつは、なかなか口へと運ばれない。

「比べるのは違うと思うけど。自分が幸せだっていうこと、太一といるとよく思い知らされるんだ。いろんなこと、大事にしなくちゃなって思う」

「そうだね」

 涼太には珍しく、真剣な顔でポツリポツリとタイちゃんのこと話す。それは、今まで見てきた涼太の顔の中でも、一番に入るくらい真面目でいて哀しげな顔だった。

「父さんも母さんも、ずっと元気なわけじゃないし。順番から行けば俺たちより先なわけだろ。そうなった時に、自分に何ができるんだろうって。太一見てると、考える時がある」

 この姉弟にしては珍しく、しんみりとした空気に包まれていく。

 親の事は、遅かれ早かれ必ず通る道だ。自分にはまだまだ先の話だなんて思っているけれど、人生何が起きるかわからないもの。タイちゃんのことを考えれば、つくづくそう思う。だから、できることなら両親には、いつまでも元気でいてもらいたい。タイちゃんが自分の家のように、「ただいま」って言えて、本当の親みたいに「お帰り」っていう家族がいることが、とても大切で幸せなことだろうから。

 しんみりとした時間が過ぎ、サクサクで熱々のフライも時間が経って冷めてしまいそうだ。

「何黄昏てんのよっ」

 私は、気持ちを切り替え明るい顔を向ける。

「涼太が黄昏たって仕方ないでしょ。タイちゃんは、タイちゃんよ。いっつも馬鹿みたいなことして、周りを笑顔にさせる。そんなタイちゃんが笑っていられるようにしてあげればいいじゃない」

 母の受け売りを力強く涼太へ言いながら、もう一度自分にも言い聞かせた。

「さっ。お腹空いてたんでしょっ。食べよっ」

 気持ちを切り替え、私たちは空腹を満たしていった。

 タイちゃんの幸せな気持ちも満たしたい。悲しいや寂しいよりも、嬉しいや楽しいを満たしてあげたい。それができるのは、いつだって近くにいる私たちだと思うから。


 ランチを終えて社へ戻ると、私の席のそばになんとも複雑な表情をした瀬戸君が立っていた。

 満腹になり、会議室でのできごとをすっかり忘れていた私は、いつもの調子で「ただいまー」なんて言って席に着こうとしたんだ。

 そしたら瀬戸君「……さっき、一緒にいた奴……誰?」なんて、いつになく自信のなさそうな声で訊いてきた。

「さっき?」

 誰のことだろうと首をひねってから、涼太の顔が浮かんだ。

「ああ。弟だけど。どうして?」

 訊ねられた理由がよくわからずに聞き返すと、なんともほっとした顔をする。

「あっ、なんだ。弟か、そうか、弟か」なんて、繰り返し言いながら笑顔になっている。しかも、余計な一言を付け加えてきた。

「てか、あれだな。弟カッコイイな。西崎に似てねーじゃん」だって。

 それどういう意味よ。

 ムッとした顔を向けると、「しっかり仕事しろよ」なんて弾むように言いながら自席へと戻っていった。

 なんなんだ?

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