第33話「エビデンスはあるのですか?」
――プルルル……
今日もいつも通り、ヘルプデスクに電話が鳴り響きます。
「はい。ヘルプデスクです」
夢子が電話をとりました。
〈すいません。営業企画の吉永です。共有フォルダのアクセス権がほしいのでつけてもらえますか〉
女性の柔らかい声です。
「えーっと、どこのフォルダですか?」
〈営業部フォルダ全体の変更権限です〉
「かしこまりました。……えっと、吉永さんは営業企画室長ですよね。そうすると他の営業部のフォルダにアクセスはできないのですが、どういった理由でアクセスなさりたいのですか?」
〈……はん? なんでそんなこと説明しなきゃならないのよ〉
突然、相手の機嫌が悪くなりました。
「いえ。本来はアクセス権がないところにアクセスするわけですから……」
〈なに? 私が不正アクセスするとかいいたいわけ?〉
「いえ。そういうわけではなく、我々にはアクセスしていいのかどうかのエビデンスがないので、業務内容によって承認を……」
〈うるさいわねぇ。私が営業部全体の部長業務も兼任することになったのよ〉
「そうですか。こちらの人事情報に兼任報告がないので……」
〈どうしてないのかなんて、私が聞きたいわよ。こっちはよけいな仕事を押しつけられただけなんだから!〉
なんだか知りませんが、非常に機嫌が悪いようです。
もちろん、本人がそういう仕事を押しつけられたことなど、ヘルプデスクは知るよしもありません。
〈人事情報がでてない理由なんか知らないから、あんたが人事に確認するなり、私の上司に確認するなりしなさいよ! 毎日、どうせ電話番しかしてない暇人でしょ! こういう時ぐらい、能力をフルにつかって調べなさいよ!〉
「いや、あの、あくまで権限が欲しいのは吉永さんですから、自分の権限の証明は、ご自身で用意してい――」
「知らないわよ! とにかくやっておいてよ!」
――ガシャン!!
いつもは電話をたたききる側の夢子ですが、今日は逆にたたききられました。
「…………」
あまりの剣幕に、夢子は呆然としてしまいます。
「どうかししまたか?」
その様子に皆籐が声をかけてきたので、夢子は事情を説明しました。
「ああ。吉永さんですかぁ。あの人、なぜかいきなり切れるんですよ。そういう人って、どこの会社でも数人はいたりするもんなんですよね」
いますね。
「どうしたら良いでしょうか?」
「うーん。困った人ですねぇ。仕方ありません。ヘルプデスクの力をフルに使って調べろと言うのでしたら、その通りにしましょうか」
「……いいんですかい、ボス」
「フ、フ、フ。やっちまいな」
「御意!」
よくわからないノリのまま、夢子はニヤリと微笑しました。
◆
「ちょっとヘルプデスク! どーいうつもりよ!!」
40代も後半の吉永さんが、全員集合中のヘルプデスクに殴り込みをかけてきます。
「この書類はどーいうこと!?」
長い髪をかき乱しながら、彼女が皆藤の机に放り投げたのは、「フォルダアクセス権申請書」でした。
その申請書には、次のように書かれていました。
――――――――――――――――――――――――――――――
申請者:吉永 沙世
件名:営業部共有フォルダのアクセス権(変更)の取得について
内容:営業部共有フォルダのアクセス権(変更)の取得させてほしい。
理由:
営業本部長と浮気をしていたが、飽きたので別れることにしました。
それを逆恨みし、営業本部長が私に対して仕事を無謀な量の仕事をおしつけてきました。
私は悔しいので、これをすべてやりきって、営業本部長の椅子をすきをついて狙うことにしました。
そのため該当フォルダのアクセス権が必要です。
添付書類:エビデンスとして下記の資料を添付します。
・営業本部長からの指示メール(社内メール)
・浮気の証拠写真(社内メール)
・浮気中のチャットログ(社内回線使用)
・私が営業本部長の席を狙うために送った各部長への根回しメール
――――――――――――――――――――――――――――――
「やったのは、誰です!?」
「誰がやったにしても、責任者は私です。クレームはすべて私が受け付けます」
皆藤、たまに部長らしいことを言います。
特に特出した能力がなくても、こういうことを言ってくれる上司はうれしいものです。
「じゃあ、皆藤さん。どう責任を取るつもり!?」
「全部事実で、証拠もありますよね?」
「証拠って、犯罪ですわよ!」
「吉永さんが指示なさったんではありませんか。ヘルプデスクの全力でエビデンスを収集しろと」
「そんなこと言ってません!」
しかし、そう言われることが分かっていた皆藤は、電話応対中の会話を再生します。
サポート用に、電話応対中の会話はすべて録音されているのです。
「これをエビデンスにIT部へログの収集を依頼しました。というか、こんな危ない話、社内リソースを使ってする方が変ですよ」
「くっ……。で、でも、各部長に送ったメールは、社内サーバーからではないわ! ハッキングしたのね!」
「いえ。その受け取った各部長や室長からいただきました」
「――なっ!? そんな馬鹿な! 嘘です! 彼らはみんな私と親交の深い者たちばかりなんですから!」
「それが嘘のような本当の話でして」
「そんなはずはないわ! 例えば、このメールは総務部長の安田さんが差し出したと言いはるの!?」
「はい」
安田は、ちょっと危険なえっち動画を見ていたことを妻と娘に知られたくはありませんでした。
「じゃあ、営業三課の小泉部長も!?」
「はい」
小泉は、ヘルプデスクに紹介してもらったセブンブリッジのおかげで癌手術が成功しました。
「経理部長の杉田さんも……」
「はい」
杉田は、悠のファンクラブメンバーでした。
「営業企画室の南くん……」
「はい」
南は、牛丼や寿司の話でうざいですが、皆藤とはわりと仲良しです。
「営業一課の狭間部長……」
「はい」
狭間は、助言のおかげで夫婦生活が円満となり、悠を夜の師匠と尊敬しています。
「IT部まで協力して……」
「ええ」
IT部長菊池には、「【DOD師匠】が【ひよこまんじゅう】をいいように使わないようにする」という条件を皆藤が提示しています。
「…………うぐっ」
吉永は脱力したように、その場に膝をつきます。
そして、噛みしめるように言葉を紡ぎました。
「……伝説は本当だったのね」
「はい? 伝説?」
「ヘルプデスクに逆らいし者、神々の怒りに触れ、すべての力を奪われたのちに、会社を去ることになるだろう……」
「……なにか規模がでかそうに見えて、結末が尻つぼみな伝説ですね」
というか、誰が伝えている伝説なのでしょうか。
「……だけど、私はそして伝説へとはならないわ! 見てなさい、ヘルプデスク! かならずあなたたちを倒して見せるわ!」
そう言いながら、彼女は去っていきました。
「……なにか、わたしたち、悪党みたいです」
圭子がさびしそうに呟きました。
「なにも悪いことなんてしてませんのにね」
心底悪意がないような顔で悠も言いました。
「まったくですよ。困った人ですよね」
夢子も同意しました。
(自分たちの問題性を理解していないあなたたちが、実は一番困った人たちなんですけどね)
内心で独りごちる皆藤でしたが、彼もすべて理解しているとは言えなかったのです。
なにしろ社内では、この問題児たちをまとめている皆藤こそ、最も恐れられている悪の元締めとみられていたのです。
その事実を皆藤が知り、さらに心を閉ざすのは、それからもうしばらく後のことでした。
「やれやれ……」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■用語説明
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●共有フォルダのアクセス権
たいてい、企業ではファイルサーバーというのを立てて、そこに共有できるフォルダを設定しているものです。
しかし、そのフォルダすべてにだれでもアクセスできてしまうと、セキュリティ的に問題があります。
そのため、各共有フォルダにはアクセス権が設定され、アクセスできる人が限定されています。
このアクセス権の管理というのは、けっこう大変で、苦労しているIT部も多いかもしれません。
●「我々にはアクセスしていいのかどうかのエビデンスがない」
意外にもめるのが、これでです。
上司に命令されて共有フォルダをアクセスしようとしたらアクセスできないからアクセス権をください……という要望を出されても、本当に上司に命令されたのか、上司はフォルダにアクセスする――つまり、他のファイルにもアクセスすることを許可しているのか等がわかりません。
要求されたからと言って、ほいほいとアクセス権を与えるとセキュリティの意味がありません。
だから、エビデンスというのが必要になります。
●エビデンス
証拠、証明というような意味で使われます。
この話の場合は、「アクセスしてもよいという根拠となる証拠」を示します。
ちなみに、前に打ち間違いなのか、「エビダンス」と楽しそうな感じのメールが来たことがあります。
●「IT部へログの収集を依頼」
どこまで収集しているのかは会社によって違いますが、社内のやり取りはすべてIT部に把握されている、もしくはIT部が把握できると思っておいた方がいいでしょう。
やましいことは、社内のリソースを使わないのが正しいです。
●総務部長の安田
第6話参照。
●営業三課の小泉
第15話参照。
●経理部長の杉田
古株のようです。
●営業企画室の南
第21、32話参照。
●営業一課の狭間
第31話参照。
●IT部長菊池
第25話参照。
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