第31話「夫婦喧嘩は犬も食わぬのですか?」

〈妻がうるさいんですよ……〉


 本日は、また家庭の相談です。


 電話を取ってしまったのは、悠でした。


「あら。なら黙らせればよいのでは?」


〈いや、それができれば苦労は……〉


「一生、口がきけないようにしてさしあげなさいな」


〈それは、やっちゃダメなやつ!〉


「ならば、弱みを握って言うことを……」


〈僕の方が握られています……〉


「別れれば万事解決」


〈……解決する気、ありませんよね?〉


 もちろん、悠にはかけらもありません。


 なにしろ、結婚したくともできない悠にしてみれば、夫婦の話など聞いているだけで腹が立ちます。


「ほら。昔からいうではありませんか。『夫婦喧嘩は気に食わぬ』と」


〈それ、あんたの意見だろう!〉


「心理学的観点から申し上げますと、ヘルプデスクに電話するより、お二人で話された方が良いのでは?」


〈……それ、心理学とかじゃなく、ごく当たり前の意見ですよね?〉


「当たり前のこともできずに、泣きつくものではありませんわ!」


〈そこで怒られるの!? ってか、もちろん話し合いましたよ! でも、聞く耳持たないんです!〉


 あきらめた悠は、ため息を小さくつきます。


 どうやら、本当に嫌々のようです。


 まあ、誰しも他人の家庭のことに首を突っこみたくないでしょう。


「それで、うるさいって、どういうこと言われるのです?」


〈聞いてくださいよ! たまーの休みの時にゴロゴロしてると、『休みの時ぐらい家の手伝いしろ』って。私は平日働いて疲れているんだ! それに、アイツはたぶん平日、けっこうゴロゴロしてると思うんですよ!〉


「証拠はありますの?」


〈しょ、証拠? 妻がゴロゴロしてる?〉


「当たり前ですわ。証拠がなければ責められないでしょう! 証拠がないなら、探偵でも雇って証拠集めをしなさい」


〈……え?〉


「雇うのは、若くカッコイイ男性の探偵がいいですわ。その探偵を使い、いつも誰かに見られていると、奥さんに感じさせて、ノイローゼに追いこむのです。もちろん、あなたは『気のせいだ』と冷たくあしらう。そんな一人で悩む奥さんの所に現れる素敵な男性(探偵)。優しく慰めてくれる男性といつしか恋に落ち、二人は肉体関係に。それを証拠にすれば、別れられる上に、慰謝料もいただけますわ!」


〈おお! なるほど……って、別れたくねーんだよ!! しかも、ひでーシナリオ!! 悪魔か、あんた!!〉


「うるさいとか、別れたくないとか、本当にわがままですわね」


 心底、やれやれ顔の悠です。


 ちなみに我関せずの夢子に対して、横に座っている皆藤が不安そうです。


〈とにかく、ボクはうるさいことを言われたくないだけで、妻のことは愛しているんだよ!〉


「かぁ~、ぺっ!(唾)ですわ」


〈おいっ!!〉


「わかりましたわ……。まじめにお話ししましょう」


 悠の声が、豹変して凛と響きます。


「結局、あなたがいけないのですわ」


 その強い言葉に、電話の男も息を呑みます。


〈……え? ボクが家事手伝いをしないのがいけないと言うのか?〉


「違いますわ」


〈え? 違う?〉


「あなた、夜の生活でも不満を言われているタイプでしょう!」


〈ぎくっ!!〉


「きっと主導権は奥様ね」


〈ぎくっ!!〉


「あなたは上に乗られてなされるがまま」


〈ぎくっ!!〉


「それがすべての原因ですわ! 愛しているなら態度で示すのです!」


〈――!!〉


「男は狼! 獣になりなさい! 相手を屈服させるのです! あなたが支配者ですわ!」


〈し、支配者……〉


「そう! あなたが王! 相手は妻ではないわ! あなたのペット……犬ですわ!」


〈犬!〉


「そう、犬! 『夜の夫婦喧嘩は犬も喜び床這いつくばり、寝ても覚めてもご主人様』よ!」


〈ご主人様!!〉


「わかったかしら! 今夜が勝負ですわ!」


〈わかりました!!〉


 相手の男は、意気揚々として電話を切りました。


「ふう……」


 満足げなため息をつく悠は、さわやかな顔です。


 対して、皆藤は無表情のままでひきつった声を出します。


「……上空さん」


「はい、なんでしょう」


「私、あなたが本当に心理学を学んでいるのではないかと、思ってしまう時がありますよ」


「いやですわ、皆藤さんったら。本当に学んでますわよ」


「相談者、どうなりますかね……」


「別れるかもしれませんわね……。まあ、夫婦喧嘩は犬も食わぬともうしますし。うふふふ……」


 悠は正しい諺を知っているようでしたが、本当の意味は知らなかったのかもしれません。



 ちなみに、数日後。


 相談者から「うまく行きました! 夫婦生活円満です!」という電話がかかってきて、悠は血の涙を流していたようでした。



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■用語説明

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●『夫婦喧嘩は気に食わぬ』

 独り身には、夫婦喧嘩さえ腹立たしい時があります。

 いや、まじです。


●『夜の夫婦喧嘩は犬も喜び床這いつくばり、寝ても覚めてもご主人様』

 自分で書いていて何が言いたいのかわからなくなった迷言です。

 派生に、「夫婦喧嘩は犬も歩けば棒に当たる」というのがあります。

 こちらも意味がわかりません。


●「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」

 何でも食っちゃう犬でさえ見向きもしないものだし、夫婦の秘密なんて知りたくないし、たいていすぐ元に戻っちゃうし、だから放置プレイで……という意味です。

 つまり、「すぐ元に戻る」という意味合いがあるのを悠は知らなかったのでしょう。

 まあ、上手く行く時は、喧嘩しても上手くいくものですね。



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