カオスアフター

尾坐 涼重

第1話 始まりの夏

 夏。

 夏である。

 ジリジリと太陽に照らされたアスファルトから立ち上る熱気にさらされながら学校までの坂道を上る。鞄が体にあたる部分が蒸れて非常に不快だ。

 夏は暑いものなのだが、それでも文句の一つも言いたくなってくる。言ったところでどうなるものでもないんだけど……。

 そんな不毛な思考の泡沫が絶えず浮いては弾ける位に今日は暑い。脳が煮えているのだ。

 西暦が終わっても夏の暑さは変わらない。と、この間じいちゃんたちが懐かしそうに語っていた。

 そうは言うが、西暦以前の夏と、今の夏とではだいぶ違うんだけどなぁ。

「よう、ケンっ! 一か月ぶりだな!」

 暑さをごまかそうと、とりとめもない思考の海に沈もうとした意識を、後ろからの声が引き戻す。同時になんとも言えない不快な匂いが鼻を刺激した。……死臭だ。

 振り向くと、見知った顔がこちらに向かって手を振りながら駆けてきている。いや、見知った顔ではあるのだが、大分記憶とは違っていた。

「悠斗! おまっ、どうしたんだよそれ!」

 中学からの友人、榊悠斗。その顔は左側が大きく損傷し、目に至っては完全に虚ろな穴と化している。そしてその肌からは血の気が全く感じられず。何よりあたりに漂うこの匂い……。

「いや~、夏休みに入ってすぐに交通事故にあって運悪く死んじまってさ。まさか、高校デビューと同時にアンデッドデビューするとは思わなかったぜ」

「やっぱりかっ!」

 そうだよな、どう見てもゾンビだもんな。しかし、アンデッド化の確率はそこまで高くない。人為的に生み出さないのであれば、年に世界で一人二人出ればいいところなのだ。全く、運がいいのか悪いのか……。

「まぁ、それは分かった。けど、その顔はなんだ? 役所に届け出を出せばエンバーミンングが受けられるし、義眼も用意してもらえるだろ?」

「だって、せっかくゾンビになったんだぜ? それっぽい見た目の方が面白いじゃん。お前も驚いてたし」

 そうだった。こいつはこういうやつなのだ……。

「いいけどさ……。せめて匂いは何とかしろよ。ちゃんと病院で防腐剤交換してもらってんのか?」

「やっべ、そういえば今週忘れてたっ! あ~、やっぱ匂う?」

「そりゃあな……」

 お前の半径10メートル以内に俺しかいないし、さっき鼻と口抑えて駆け抜けていったコボルトの娘なんか泣いてたし、正直俺も友達じゃなかったら逃げ出してる。

「やっちまったなぁ、自分の体臭って気にならねぇってのは本当だったかぁ。てか、今から病院行ってたら入学式間に合わねぇじゃん!」

 それでも、この匂いと一緒に密室の体育館で入学式というのはぞっとしない。新入生全員のために是非とも病院に行きやがれ。……っと言ってもいいのだが。

「……ったく、しょうがねぇなぁ」

 右肩あたりに意識を集中させ、集まった力をそのまま右手へと移動させる。すると掌にピンポン玉くらいの黒いモヤモヤした球体が現れる。

「この不快な匂いを吸え」

 それに命令を与える。すると周りのにおいがどんどん薄くなり、やがて夏特有のじっとりとした風だけが残った。

「おぉ、すげーにゃ。備長炭みてぇだにゃ」

 と、同時に、一人のネコミミ男が駆け寄ってきた。七尾玉吉、同じく中学からの友人だ。恐らく匂いが嫌で、でも俺らを無視するわけにもいかなくて遠巻きに見てたんだろう。っていうか備長炭ってなんだ? 備長炭って。明らかに俺のがすげーだろ!

「タマ、てめぇいたんならちゃんと声かけろよ。友達がいの無い奴だな」

「無茶を言わないでほしいにゃ、俺様の鼻にとってはさっきまでの臭いは凶器だったにゃ。俺様まだ死にたくないのにゃ」

「そうだな、俺もお前でなかったら問答無用で近よんなって全力ダッシュだったわ」

「ひっでぇ!」

 大げさにのけぞる悠斗。それを見て、俺とタマが笑う。中学の時から繰り返してきた変わらないやり取りだ。一人が死にぞこなってしまってもそれは変わらない。

「ところで、それ、どうするにゃ? まさかずっと健太郎が一緒にいるわけにもいかにゃいよにゃ」

「そうだな……取り敢えずっ!」

 俺は闇のエネルギー球を悠斗の眼窩に押し込んだ。

「うおっ! 痛っ……たくはないけど、いきなりなにすんだてめぇ」

「おぉっ! 左目から悪の波動が漏れ出でて、すげー厨二っぽいにゃ」

「まじかっ!? おお、なんだこれスゲーカッケー」

 手鏡を取り出して顔を確認する悠斗。まぁ、見た目だけで脱臭以外なんにも効果ないけどな。

「とりあえずお前の魔力に合わせて調整したから、途切れさせなきゃしばらく持つだろ。つっても、お前の魔力も無限じゃないし、そもそもにおいを消すだけで腐敗を止めてるわけじゃないからな。ちゃんと後で病院行けよ? スケルトンに進化しちまうぞ」

「了解了解。それにしてもほんと器用だよなお前」

「そうにゃ、俺様も妖術にゃ少し自信があるけど、自分の術を相手の力で維持できるように調整なんて真似はできないにゃ」

「器用貧乏なだけだよ。出力が低すぎて荒事には向かないからな。食ってける技術を身に着けようと必死なの、俺も」

 ほんと、いろいろ才能は受けついているけど、どれも皆「三流止まり」。口がさない奴は俺のことを「なんでも出来るけど何にも出来ない(オールアンドナッシング)」なんて呼んだりする。

「母さんかじーちゃんなら、闇の力を分け与えて、腐らない上級アンデッドに進化させることもできるんだけどな」

「そういうのはいいって、役所に届け出を出し直すのめんどっちぃし。それに、そういうのは自分の力でやってこそだろ?」

 そう、こういうやつだから俺はこいつの友人をやってられるのだ。俺に近づいてくる奴は大抵………。

「っていうか、もうこんな時間かよ、急がねぇと初日から遅刻しちまうぜ!?」

「やばにゃ、それじゃ二人とも俺様は先に行かせてもらうにゃ」

 猫に変身して駆けだすタマ。

「ちょ、それはずりーって、俺たちも走るぞ健太郎!」

 この炎天下の中ダッシュとかマジ勘弁してくれ。と言っても遅刻して親の顔に泥を塗るわけにもいかない。

 まったく、ハルマゲドンの影響で季節がずれたんだから行事ごともずらせばいいのになんだってこんな暑い季節に入学式なんだか。

 混沌歴(カオスアフター)41年。

 桜が入学式のシンボルだったのは昔のこと。

 俺たちにとってはセミの鳴き声が四月の象徴である。

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