第4話 鬼ごっこ
「洋介さん、大丈夫ですか?」
私は孝君を抱き抱えまま洋介さんに近付き、腕を引いて立ち上がらせて一階の警備員室に逃げ込んだ。
警備員室の鍵は、警備員に「確認したい展示物が有るから」と言って、頼んで預かることになったスペアキー。
帰りに返すつもりだった鍵が役にたった。気絶させられた時に館長に見付かってたら、隠れる場所は限られて見付かってただろうし、洋介さんの治療も出来なかったと思う。
「ご迷惑をおかけして すみません。脚に怪我をしていなければ」
そう言ってハンカチで抑えている傷口に触れる洋介さんに、私は首を横に振って救急箱を微かな光を頼りに漁る。
一階に降りる前、靴下と靴を脱がせ、少しでも止血しようとズボンの上からハンカチで血を拭ってから縛った。
消毒液や救急絆創膏、粘着包帯を出して机のハサミでズボンの裾を切る。暗闇で色は分からないけど、腫れていることは分かった。
「酷い……」
「まだ血は止まっていません。だから、俺を置いて早く逃げてください」
「私に見捨てて行けと?嫌です」
私の言葉に首を横に振り、洋介さんは腕にしがみ付く孝君の頭を撫でた。孝君は必死に声を出すのを我慢して涙を流している、早く逃がしてあげたい。こんな小さな子供が犠牲になるなんて嫌。
「俺を見捨てるのではなく、泣いている男の子を助けるんです。此処に来るまでの間 調べたドアは閉められて、施錠もされていた。窓も逃げられないように鍵が付けられていた、どこも閉まっています。だが何処かに逃がせる場所が必ずあるはずです。だから…」
「私も、孝君のために外に逃げる方法を見付けたい……。分かりました、でも1つだけ聞かせてください。どうして此処に?」
そう、一番聞きたかったのは二人が此処にいる理由。孝君と浩さんは、夏生さんが入院していることを知ってるので美術館に来る理由は無い。洋介さんとは話し合いは終えているし、何かあったら此方から連絡する約束をしている。
だから3人が美術館に居る理由が分からない。
「鏡が関係してます」
「鏡、ですか?」
洋介さんは、和鏡の歴史や柳子に関する歴史、都市伝説を調べただろう紙を数枚 私に見せた。
よく調べられている。とくに柳子と名の付く貴族の娘のリスト、偉人に関係ある人物じゃないと名前は残らない娘から没落貴族の娘まで調べられている。
「この中には、夢の柳子はいません。見付けられませんでした」
「どうして洋介さんが?」
「千波さんと会った日から鏡の夢を見るようになり、気になって調べました。話をしたくて平井さんの家に電話したんですが誰も出なかったので仕事なのだろうと思い、博物館に電話したら あの男が出て、裏口にやって来たら後ろから襲われて。逃げ切れず、足を切られました」
「ボクも・・・」
孝君は、小さな声で答えた。
「ボクも鏡の怖い夢を見たんだ。女の人に『ママに帰ってきてほしい?』と聞かれて。だから此処に来たらオジチャンに捕まって」
「俺も父を見付けたいかと聞かれました」
私が鏡を見せなければ、二人は柳子の夢を見なかったかもしれない。ううん、館長の娘さんは、2階のフロアに来ていない。どちらにしても、あの鏡は私たちの心を見て呼んだのだろう。
「私も。館長は気付かなかったみたいだけど、私も弟に会いたいかと夢で聞かれていたの」
「多分あの男は、千波さんも鏡の夢を見てること知っているかと」
「どうしてですか?」
「千波さんが、此処に居るからです。あのフロアに居た人たちは、全員夢を見ていました。何か、気付かれる事をしませんでしたか?」
「あっ・・・」
私は、あることを思い出した。
洋介さんが尋ねてきた日、館長にパソコンの画面を見られていた。じゃぁ館長はあの時、私が願いを叶えるためにフロアに来たと思ったことになる。
「館長さんは、箱に人を入れてフロアに運んでいました」
「パパは、悪くないよ。ボクが捕まったせいなの」
「分かってるよ、君のお父さんは悪くない。子供を人質に取られていたんだ、仕方ない。君も悪くないよ」
洋介さんは、孝君の頭を撫で 落ち着かせる。
私は納得した。館長の『強い願い』とは、心の中で想う気持ちが強い人達のことを意味している。あの鏡は、その心を利用して引き寄せたのだと。
「月が上にのぼりきるまで、あと一時間くらい。どこか、孝君を逃がせそうな場所は無いかしら」
私は頭の中で館内を思い浮かばせ、孝君が逃げられる場所を考えた。窓は1階にも有るけど高い位置にある、ドアはパスワードとカードが無いと開けられない、電源は警備員室にあるけどシャッターを開けても防犯ガラスが開かないと意味がない。
「シャッター…。そうだ、地下駐車場のシャッターなら 孝君くらいの小さい子なら出られるかも。地下の警備員室の鍵は無いのでシャッターを上げられませんが、入口のシャッターゲートには小さい隙間が有ります」
「なら、其処へ向かいましょう。見つかったら、俺が囮になります」
「囮なんて、そんな…」
「千波さん、孝君を救う為です。少しでも早く逃がしてあげないと」
「……分かりました」
洋介さんはニコリと笑い、警備室の壁に掛けられていた警棒を1つ手にした。
地下駐車場へは、出入口横のエレベーターか反対側の階段から降りる事が出来る。
先に階段のドアのノブを試しに回してみると閉まっていた。音が響くけど、エレベーターを使うしかない。
館長が入口やロビーに居ないのを確認して、私は起動電源を入れたエレベーターに着くと下のボタンを押した。
--ポーン--
エレベーターのドアが開き、音が館内に響き渡る、誰かが走ってくる足音が聞こえる。仕方ないとしても、今は鳴ってほしくはなかった。
急いでエレベーターに乗り込む。壁に設置された鏡が視界に入り、凄い形相の館長が近付いてくるのが見えた。
「ひーらーいー」
「っ……」
手にはハンマーと銅製の剣が握られ、よく見ると銃らしき物も胸のホルダーに入っている。
偽物かもしれない、でも今の館長なら…。
「逃がさんぞ」
向かってくる館長に洋介さんはエレベーターの横にあった消火器のピンを外し、レバーを握って消火剤を館長に向けて撒き散らした。目の前は白くなり、視界が悪くなる。
館長が咳き込み、立ち止まってる間に、他の何かで足止め出来るのは無いかと見渡すと、ベンチの横に置かれたタバコのダストボックスに気付く。
空になった消火器をフロント辺りに投げると、微かな影が動く。館長は目を開けられない状況だから、音を頼りに動いているのが分かる。
洋介さんは、ダストボックスを掴んで館長に目掛けて投げてエレベーターの中に入り閉ボタンを押した。館長はダストボックスを避けられなかった様で、エレベーターが閉まる時、ダストボックスは館長の足に命中、影が消えドタンと倒れる音がした。足止めすることが出来たようで、閉まった瞬間に私たちは少しの安堵に壁にもたれた。
「もし館長が階段を使うとしたら鍵を開けなければいけないので、走ってシャッターに向かう時間はあるはずです」
「俺は階段のドアを押さえますから、千波さんは孝君を」
私は頷き、ドアが開くと同時に孝君を抱きかかえシャッターに向かって走った。
「孝君、ここから逃げて」
「お姉ちゃんたちは?一緒に逃げようよ」
「お姉ちゃんたちは、別の出口を探さないと出られないの。あっちは1人にこっちは2人、助かる方法は必ずある。大丈夫、すぐに会えるから」
私は 孝君に笑顔を見せた、心配させないように。
「近くに交番があるから保護してもらって。私は、孝君のお父さんを助けるから」
孝君は不安そうな顔のまま、シャッターの間を抜けて外へ走り出す。
「ボク、おまわりさんを呼んでくる」
「お願いね」
孝君が去ったあと、ガンッ!という音が聞こえた。館長が下に降りてきてドアを叩いたのだろう。
「洋介さん」
「千波さん、孝君は?」
「外に出すことが出来ました。交番で保護してもらえるはずです」
「良かった。千波さんは早くエレベーターで逃げてください」
言われてエレベーターを見ると、灯りが消えていた。
「どうやら無理みたい。館長が電源を落としたみたいです。エレベーターが動いてない」
「通れる通路は階段だけ……なら。千波さん、少しだけオトリになってください」
「いきなり、オトリになれって無茶いっ……」
心の準備も出来ていないのに、洋介さんはドアから離れた。叩く音が響いていたドアが勢いよく開き、館長が現れる。
館長は私の姿を見つけると、ジリジリと近付く。私が後ずさると館長の足も一歩前に出る。角に隠れていた洋介さんは、館長がドアから離れたのを確認し後ろから取り押さえた。
「ドアをロックして階段から逃げてください」
「でも洋介さんが」
「早くしろっ!」
二人を横切り、私は階段をかけ上がった。
「カッコいいね君。もしかして平井君が好きなのかな?」
「信用してるんです、あの人なら鏡の願いを悪用しないと。それに今なら鏡を壊すくらいの勢いもありそうなので」
「質問を無視しないでくれないか?腹が立つ。確かに平井君なら、壊しそうだ。壊される前に捕まえないと」
私は、洋介さんを置いて逃げてしまった。
一階に戻ってきても、助ける方法が思い付かない。他の人達は、無事だろうか?館長に捕まってなければ良いけど。
「ごめんなさい洋介さん」
あの鏡が原因で、館長は変わってしまった。なら、鏡に願うのを阻止したらどうだろうか?願いが失敗すれば、私達が館長に殺されたことは世間に知られる。鏡を壊せば、今後 私達のような被害者は現れない。私の命が此処で終わっても、入院中の夏生さんたちは助かるかもしれない。
私は、原因となった鏡を壊そうと2階に向かった。
2階に上がると、そこには民族レプリカの数本の槍が刺さった館長の娘さんと、化石の展示物で頭を割られた女性が倒れていた。私は吐き気を抑えて鏡に向かう。
(こんな世界なんて要らない)
ギャラリーはシーンと静まり返り、元館長とひろしさんが倒れている。一人はぐちゃぐちゃで、直視出来ない。
鏡を見ると、カーテンから月の光が差し込み、もうすぐ鏡に光が届きそうになっていた。
「動くな、平井君」
(そんな……早すぎる)
鏡に手を伸ばしていると、後ろから館長の声がしたので振り返った。館長の姿は返り血で染まり、手にはナイフが光っていた。まるで父親の刀を持って笑う柳子と重なる。
「洋介さんは、どうしたんですか?まさか殺したんじゃ?」
「洋介?あぁ、あの男か。洋介君なら首を切られて、地下駐車場で血を流して今頃 生き絶えてるよ」
「そんな…」
私は、その場にへたり込んだ。
逃がしてもらったのに、何も出来なかった。どうして、たった1枚の鏡に人生を狂わされなければいけないのだろうか。
館長の手に握られたナイフが月の光を反射すると、後ろに女性が立っているのが見える。
「君で終わりだ」
その言葉が耳に入らないほど、私は別の声が聞こえていた。
『アナタノ願いはナニ?』
(私の願い?……私の願いは)
私は館長を睨み叫んだ。後ろにいる女性にも聞こえるように。
「私の願いは、皆を元に戻して。鏡に振り回された1ヶ月前に戻して。そして、私の前から消えて」
ナイフが降り下ろされた瞬間、私は目を閉じた。
「千波、目を開けなさい」
何度も夢で聞いていた声が、私に目を開けろと言う。目を開けてみると、そこには館長の後ろで私を見ていた柳子が立っていた。
「つまらない人ね。『彼の父を見つけ出し、辛い罪を償わせて』とか『弟を生き返らせて』とか『館長を消せ』とか言えばいいのに、貴女は他の人より望みが強いと思ってたのよ。その願いは、入院してる者達と満が殺した者たちで叶えられる。満の願いは、館長として継いだ美術博物館を有名にすること」
「柳子は何がしたいの?好きな人と一緒になれないからと父を殺して」
「言っておくけど、私は柳子であって柳子じゃないわよ」
「えっ?」
柳子はクスクスと笑った。何を言ってるの?目の前にいる女性は夢で何度も見ている柳子の姿、見間違うはずがない。
「私は柳子の心から生まれたリュウコ、世間では呪いと呼ばれているわね。私は柳子の父の血によって新しい呪いとなり、この世に生まれた。そして、柳子の死で完成した」
ケラケラと笑ったかと思うと目の前に立ち、私の頬を撫でてきて悲しそうな表情になった。まるで、呪いとして生まれたくなかったと言いたげに。
「おかげで私は、人の死で願いを叶える鏡となってしまった」
「嫌なら願いを叶えずに、鏡として一生眠ってれば良いじゃない」
そう、叶えたくないなら人間の願いなんて見なければいい。そしたら、誰の命も奪われずにすむ。
柳子は首を横に振ってニコリと笑うと『アナタの願いを叶えます』と言った。
「私、貴女を気に入ったわ。だから千波が望まなくても、再び貴女の前に現れるでしょう」
両肩を掴まれたかと思ったら、後ろに押された。後ろは いつの間にか足場が消え、崖から落ちるように私は落下した。
「人間は、願いの為なら人を簡単に殺す。また会いましょう千波」
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