第18話 真剣

 日本に降り立った瞬間、怜は大きなくしゃみをした。

「誰よ、私の噂してるの」

 自分の体に負けないくらいの大きな荷物を右手で引っ張りながらあいた左手で鼻を擦る。

「怜さん、タクシーこっちですよ」

 そう呼ばれて振り返る。

 怜と同じくらいの大きさのキャリーバッグを引いている男が少し離れた場所から手を振っていた。

「荒野、なに言ってんのよ」

 歩き出さない怜に向こうが駆け寄ってくる。

 その間、怜はポケットから携帯を出した。

「なにって。誰か迎えに来てくれるような人、怜さんにいるんですか?」

 生意気なコメントに怜は持っていた荷物を放し思いっきり叩く。

「イテッ」

「最近一言多いのよ」

 携帯に相手が出たので話し始めた。

「あ、美保。うん、今着いたから。分かったそっちの方面に歩いてるから」

「なんだ妹さんですか。…ですよね」

 振り返った怜の視線を彼は避ける。

「荒野はタクシーで帰りなさい。じゃーね。来週は上海だからね」

「えっ~。一緒に乗っけてくださいよ!」

 相手は態度をコロリと変えてくる。


 そんな彼を無視して怜は先を急いだ。

「ちょっと怜さん、聞こえてます?」

「はいはい、聞こえてますよ。荒野くんには本当に申し訳ないわ。仕事ばかりで結婚もしないような女と一年中、世界各地を付き合ってもらって。ご自宅まで妹の軽自動車でございますが送り届けさせていただきますから」

 彼は慌てて怜の前に立ち、今さらながらのフォローを繰り返し始めた。

「なに言ってるんですか。設立してまだ五年も経っていない部での怜さんの成果は誰もが認めるところですよ。それに…それに、え~と、それに」

 元々おべんちゃらの苦手な荒野は言葉に詰まって必死に考えている。

「それに、で止まってる。続きはないの?」

 怜は最近、そんな彼をからかうのが結構楽しかったりする。

「あ、はい。ですから結婚出来ないのは仕方のないことで…あれ? いや、違った」

 自分の発した言葉に彼は真っ青になる。


 怜は歩くことをやめず、そんな彼の様子に怒ったふりをして笑いを堪える。

 いつも一緒で仕事をするタイプは彼のような人間が正直楽だ。

 だから恋愛対象としては母親にも断言したとおり眼中外ではあるが、仕事をしていく相手としては長く付き合っていければと思っている。


 向こうがどう感じているかは分からないのだけれど変な誤解だけはしてほしくなくて怜は後をついてくる彼を待った。

「ねぇ!」

「は、はい」

 強い怜の口調に彼は背筋をピンと伸ばす。

「一緒に仕事しているあなたには誤解を招きたくないから言っておくけど、誰にも言わないって誓ってくれる?」

 真剣な眼差しを彼に向けた。


 額にかいた汗を拭いながら荒野は大きく首を動かして頷いた。

「はい。だ、誰にも言いません!」

 真面目な表情を向ける彼に怜は笑う。

「何が可笑しいんですか」

「だって真剣なんだもの」

「当たり前です、僕はいつだって真剣です」

 几帳面なコメントに怜は何度も頷く。

「そうだった、それが荒野のいいところだったね。…理由は二つよ」

「理由?」

「一つはタイミング。もう一つは…。今も変わらず想っている人がいる。以上!」




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