第1話 プロポーズ

 付き合って2年が過ぎた27才の誕生日、

「怜とならずっと一緒にいられると思うんだ」

 そう恋人の直樹に言われた。


彼は照れながらも婚約指輪をテーブルの上にそっと置く。

怜はキラリと光を放つそれを見つめたまま、固まった。

「怜?」

「あ、ゴメン。ちょっとビックリして」


 相手を不安にさせないように、怜は笑顔をいつも以上に意識する。

「怜に選んでもらおうかと思ったんだけど驚かせたくて」


安心した直樹は手を出すようにせがむ。

「結婚指輪は怜の好きな物を選んでいいからさ」

上機嫌の直樹が優しくはめてくれた指輪はピッタリで 、心地よい感触と違和感を残した。



 次の日、会社の女子トイレで怜は大きなため息をついた。

「先輩、何か悩み事ですか?」

 三つ下の後輩で怜が何かと面倒をみている理佐子が尋ねる。

 怜は鏡越しに理佐子を見てまたため息。

「人の顔見てため息なんて」

 彼女は険しい目でこっちを見る。怜は悪い、と謝ってから話し出す。

「実は昨日…彼氏にプロポーズされた」

 化粧直しをしていた理佐子は軽く受け流してから頷いた後、大声を出す。

「プ、プロポーズ!」

「声がでかいわよ!」

 怜は思わず注意する。落ち着いた彼女は謝罪したが、すぐに興奮した口調で質問が続く。

「なんで、そんないいことあって、ため息なんか。まさかもうマリッチブルーとか?」

 それならばどんなにいいだろう。そうではないことを、怜自身が気づいている。

「なんか私、間違ったかも」

「はい? 何をですか?」

「理佐子は、まだ結婚とか頭に入れて付き合う年令じゃないでしょ」

「そんなわけないじゃないですか~ありますよ。私だって24だし、周りは結婚第2ラッシュだし。ママしてる友達だってたくさんいるし、付き合うってことイコール結婚は、女性なら誰でも考えてますって。最終地点はそこなんですから」

 それを手に入れていながら何が不満なんですか? と理佐子の疑問は消えない。


 その理由は結婚でも直樹でもない。

 怜自身の問題。それは直樹と付き合い始めてから未だに消えることない違和感だ。

『怜となら、ずっと一緒にいられると思う』

 それと同じ台詞を、直樹に言える自信が、正直いって怜にはない。

「はぁ~なんか憂鬱だわ」

 そう呟いてスマホをチェックする。

「憂鬱なんて言ったら罰当たりますよ!もっと楽しく考えましょうよ、結婚ですよ。どこで挙げようかなとか、どんなドレスを着ようかなとか、新婚旅行はどこにしようかなとか~。って先輩聞いてます?」

 怜はさっと顔をあげて頷く。

「それに直樹さんって商社マンでしょ。憧れの寿退社だって出来るわけじゃないですか」

「あっ。仕事は辞めないわよ」

 その言葉だけは迷いなく怜は答える。

 隣にいた理佐子がこっちを見る。

「えっ? 仕事続けるんですか!」

「うん。悪い?」

 その問いに理佐子は首を横に動かす。その動きから納得はしてはいないようだ。

「先輩がそんなにこの仕事を好きだったとは。失礼だけど意外です」

 何度も頷いて化粧を再開し始めた理佐子を横目に、怜はスマホを鞄になおす。

「そう?」

 なんて返したものの今の仕事は好きではない。誰にでも出来る事務処理の仕事だ。将来出世する道など、どこを探してもない。

 それでも怜はこの会社から離れることが出来ずにいる。


 理由は分かっている。

 直樹のプロポーズをすんなり受け入れられなかったことに関係していることだ。

 もう思い出すのも時間がかかるほど昔のことなのに、怜の心は今もそのことでいつも占領されている。

 そんな出来事が起こったことなど、誰も覚えていない話を3年経った今も忘れられない。

『今はそんなこと考えられない』

『どうして? 好きだったら当たり前の』

『それは怜にとっての常識だろう』

「先輩?」

「もうすぐ休憩終わるわよ」

 腕時計で時間を確かめて怜は先に出た。









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