意味のない生き物

言無人夢

1

 高校に入って周りは明らかに変わった。ちょっと残ってくれないと半笑いに引き止められた部室で、先輩は私が気に入ったから付き合って欲しいと言った。悪い人ではない。部に入った時からずっと頼んでもないのに私に構ってくれて色々な放送機器の操作を教えてくれた。話も面白い顔もいい。

 でも私は断った。十二回目だ。

 高校生という生き物はどうしてこうも新入生に粉をかけるのが好きなんだろうと思っていたら、先週末は同じクラスの子にラブメールをもらった。どこかでよーいどんとピストルの音が鳴り響いたのかもしれない。私は聞き逃したのだけど。

 恋を始めるのが普通なのかもしれない。

 どうやら私は一般的には可愛い部類に入るらしい。だから少し多すぎるくらいの男の子に声をかけられて、断り続けている。時々女の子にも好きなのと言われる。

「どうして?」

 その先輩は尋ねた。

 理由を求められる。これが一番嫌だった。当然そんなものはない。でもそれを私は上手く説明することが出来ない。顔ばかり良くても私は本質的に頭があまりよくないから、相手が納得してくれるような嘘も吐けない。

 ただひたすらに、ごめんなさいと無言を繰り返して、相手が諦めるまで待つ。どうして私が謝らなくてはいけないのだろう。その先輩はしつこかった。一度でいいからちょっと付き合ってみようよ。お試しでさ。絶対後悔はさせないし楽しいよきっと。

 私はうんざりと疲れたので、精一杯の申し訳なさを声音に見せて門限があるので失礼しますと、逃げた。

 門限があるのは本当だ。家に帰れば家族がいて夕飯が用意されている。私は会話に混ざることもなく黙々とご飯を食べて、自室に篭もる。そういえばこの自室は中学生に上がった時に割り当てられた。あの時から一向に物が増えず、未だに両親の本や弟が昔使っていた教科書なんかだけが備え付けの本棚を占拠していて、机には筆記用具と教科書だけが積まれている。それでおしまい。

 私はこの部屋の使い方が未だによくわかっていない。ただ買い与えられたベッドの上に横たわって、天井を眺める。時計の針が一周するのを眺める。今までずっとそうして過ごしてきた。すると眠くなってくる。眠る。


   ※


 今日は珍しく朝から告白された。ふられた上でいつも通りの一日を過ごすつもりなのかと思ってたらその同級生は早退したみたいだった。

 そろそろ私が顔だけしか取り柄のないつまらない女の子だと知れ渡ってくれて、私の身の回りがもう少し楽になると良いんじゃないかななんて考えるけどまだまだ甘かったみたいだ。

 放課後、まっすぐ家に帰って寝ようと校門を出る。毎日と同じパターンだけど、その日は放課後の告白も参加義務のある部活もなかったから少し早い。だから嬉しいとも思うわけではないのだけど。

「君は心が先天的に死んでるね」

 右手を同い年くらいの男の子が歩いていた。

「僕と一緒」

 彼はニコリともせず、それどころかこちらを見ることさえなかった。てっきり独り言か何かだと思って、危ないかもなと漠然と考えた。

「君に話しているよ」

 彼は視線だけをこちらに向けた。それでもお互いに歩調を変えない。。視線を逸らせば、再び私たちは正面を向いて平行に歩くだけの他人だった。

「君や僕みたいな人間はこの社会で必要とされない。僕らがこの社会を必要としないように、むしろ邪魔ですらあるんだ」

 その通りだろうと思った。人は生きているだけで色んな影響を振りまくみたいだ。だから私なんかに告白してくる人間がいて彼らは無駄に傷つく。

「でも死ぬのは痛い」

 気付けば、口を開いていた。

「そうだよね。でもそろそろ死なないと、もっと僕たちは取り返しの付かない場所までたどり着いてしまう」

 彼は私の返事なんか嬉しくもなさそうに続けた。

「そんな僕らにいい場所がある」

「いい場所?」

「ちょっと遠いんだけど、来るよね?」

 私は特に迷うこともなく頷いた。


   ※


 そこから新幹線で少し、私鉄を多めに乗り継いで終電までには私と彼は山中にいた。制服姿のローファーではちょっとキツい、道のない木々の間を越えた辺りで、私はその生き物に気付いた。

 のっそりとした大きな蛙だった。

 人目でその生き物がこの世のものではないことがわかった。それは茂みの上に腹ばいにいながらにして虫どころか土くれひとつその肌に付着させず、呼吸もせず、ただそこに存在するだけだった。

 どこかで見たことあると思ったらそれは私だった。何者にも関わらず、何事にも興味なく、ただ生きているから生きているだけの生き物がその場には三匹いた。

「こいつは僕らより徹底してるよ、呼吸も排泄もしないんだ。でも食事はする」

「何を食べるの?」

「君らさ」

 首を傾げてみせると、詳しく説明してくれた。

「彼はこの世界の唯一のゴミ箱みたいなものでさ、子孫を作ることも消化することもなく、この世界に何かを与えることなくひたすらに何の意味もなく食べるだけの生き物みたいなんだ。ちなみに僕はこいつの疑似餌みたいなもので、君らをここまで案内するのが役目」

「あなたが言ってたいい場所っていうのはつまりこれのお腹の中?」

「そう。いいでしょ?」

「……そうね」

 これで私はこの世界に一欠片も残ることなく消えることが出来るらしい。有り余った時間の使い方に悩むことも、勝手に傷ついていく周りの人間にも煩わされることもなくなる。

 何より自分のつまらなさと縁を切ることが出来る。

 その時その生き物がゆっくりと舌を伸ばした。その舌は私の腰に巻き付いて、私は膝をつく。そのまま地面をひきずられて抵抗なんてするつもりもないけど、大きく空けられた無臭の口の奥で舌から離されて喉へと突き落とされる。咀嚼もなく真っ暗な空間の向こう側へと私は落ち続けて私はこの世界から消え去る。

 意味のない生き物が一人死んだ。

 これはただそれだけの物語だ。

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