第130話「王戦」

 あれからシンは家族と暮らしたこの部屋――というよりも、このアラビアル王国にいるのが恐ろしいのか、ずっとベットの上でシーツにくるまったまま震えていた。

 傍には彼の姉であるアリーシャが寄り添っているのだが……。


「シン、もう大丈夫よ。これからは私がずっと傍にいるから、シンをちゃんと守ってあげるから」


 そう言ってシンの肩に触れようとするものの、ビクリと体を震わせて警戒の色を隠せずにいた。

 彼女が姉であるということは理解しているようだが、弟シンの中では姉の姿も幼い頃のまま止まっており、目の前の人物が姉であると、簡単には受け入れられないのだろう。

 それだけではなく、今まで魔物と暮らしていた日々を考えれば、いきなりこの場所に戻れと言われても困惑の感情の方が大きいのだろう。

 なんとかシンのトラウマを拭い去り、彼がこの場所で暮らせるようにできないものか。

 そう悩んだ結果、オレはある人物に助けを求めることにした。


「久しぶりだな、キョウよ。我らに手を貸して欲しいとのことだが、一体どんな内容かな?」


 そう言って、威風堂々とした面持ちで現れたその人物の名をオレは呼ぶ。


「まあ、正確にはあなたというよりもあなたのお兄さんの方に頼みがあるんですよ、帝王勇者ロスタムさん」


「ほお?」


 そこに現れたのはアルブルス帝国を支配する帝王とそれを支える兄ザッハークの姿であった。


 オレが彼らに対し、今回の件に対する助力の手紙を送ったのは二日ほど前だったのだが、そのわずかな間に準備を整え、真っ先にここまで来てくれた。

 正直、こいつらに頼るのは一瞬どうかと思ったし、リリィからも「話がさらにややこしくならない?」との警告も受けたのだが、他に宛もなかったのでダメ元で頼んでみたら、意気揚々と来てくれたので、むしろこっちが焦った。というか、今回はちゃんと男バージョンなんですね、ロスタムさん。


「ザッハークさん。あなたの持つ対象の記憶を操作する能力を使ってもらえないでしょうか?」


「……どういうことか詳しく説明を聞いても良いかな? キョウ殿……」


 オレからの思わぬ頼みに、意外とばかりな表情を浮かべるザッハークさんだったが、オレ達というよりもこの国とシンとアリーシャとの事情を話すうちにオレの考えも理解してくれたのか頷き始めた。


「……つまり私の能力でその弟シンの記憶を改ざんし、トラウマとなっている部分を消去して欲しいと……」


「はい。襲われた部分の記憶だけでも消すことが出来ればシンの恐怖も消えるんじゃないかって」


 あるいは母親が死んだ記憶を消すことで、シンが生きる希望を無くしていることをなんとかできるんじゃないのか?

 そう思いザッハークさんに協力を頼むものの、彼から返答は思わしくなかった。


「……それは正直勧められないな……」


「え? どうしてですか?」


 確かに記憶を改ざんするというのはいい事ではない。

 その点についてはオレも同意だ。だが、それは時と場合、状況にもよる。

 もしも本人に取って忘れたい、トラウマ的な記憶があるのなら、その部分だけも消すことが出来るのなら、それは本人に取って救いとなるはず。

 記憶を消すというのは本来マイナスな行為かもしれないが、場合によってはそれがプラスとなることもあるはず。


「……まず知ってのとおり私の記憶を改ざんする能力は完璧ではない。綻びも生じれば、時間が経てば改ざんした部分は自然と戻っていく……常に私がその子の記憶を消し続けるわけにもいかないだろう……」


「それは……」


 そうだった。

 ザッハークさんの記憶を支配する能力は完璧ではない。

 なによりも時間が経てばその効力は次第に消えていく。

 確かに、彼に常に記憶の改ざんを頼み続けるというのはあまりに無理がある。


「……それに私のこの能力は表面的な部分の書き換えしか出来ぬ。その人物の本質を変えることは不可能だ……」


「? それってどういう意味です?」


「つまりだ、キョウよ。たとえば魂まで武人の如き真っ当な人物がいるとしよう。その人物の記憶を書き換えて、無辜の民に手を下せと言った命令を行ったとしても、その人物がそれをすることはない。なぜなら記憶が書き換えられても、本質はその人物のままだからだ」


 なるほど。要するに性格、というよりもその人物の本質そのものを書き換えることは不可能ってことなのか。

 あれ? でもそう考えると前に領主様がうちの畑を焼いたあれって……ああ、まあ、あの人ならやりそうか。腹黒そうだったし。

 というか冷静に考えれば街のすぐ近くに魔物が大量栽培されてりゃ、そりゃ燃やすわ。


 まあ、それはさておき。


 そう考えるとオレが先程考えていたシンのトラウマを消すということも本質的にはできないのかもしれない。

 すでに心の中にそうした“大事ななにか”を失ってできた“心の穴”があるとするなら、それを消すことは不可能。

 たとえ記憶を消したとしても、“何かを失って出来た空虚な胸の穴”はそのまま。

 彼らの言うとおり本質的な解決にはならないということか。


「こう言ってはなんだが、その少年が自らの意志でトラウマを克服するほかあるまい」


 そのロスタムの言葉にはオレも頷く部分もある。

 確かにそれが一番なのかもしれない。だが、どうやってそれを行えばいい?

 傷ついた人物を癒すには、その失った何かを取り戻すほかない。

 そう悩んでいた時、オレは以前にも似たようなことがあったのではと考え、それに思いつく。


「――そうだ! なら、シンのとっての母親を蘇生できれば……」


 オレの呟きに対し、それを聞いていたロスタムとザッハークは互いに顔を見合わせ、疑問符を浮かべる。


「蘇生? そんなことは不可能であろう。いくら我々の創生スキルでも死人を生き返らせることは出来ない」


 それは無論わかっている。

 しかし、ここでのオレが言う蘇生とは言葉通りの意味ではない。

 シンに取って母親がわりとなっていたマンティコア。その魔物の記憶を引き継いだ魔物を生み出すという意味であった。

 初めて雪の魔女イースちゃんと出会った時、彼女は自分の大事な友達であったドリアードが死にかけ、それでパニックを起こし悲しみに浸っていた。

 そのときはドリアードの体の一部を育てることで彼女の記憶と人格を引き継いだ魔物を生み出すことに成功した。

 ならば同じようにシンを育てたマンティコアの記憶を引き継いだ魔物を生み出すことはできないだろうか?

 今の成長したオレの魔物栽培スキルなら可能なはず。

 それをロスタム達に説明するが、彼の表情は最初と変わらず難しい表情のままであった。


「……確かにそれならばあの少年にとっての心の支えは戻ってくるだろう」


「なら、なにが問題なんだ? そんな表情をして」


「……その魔物が生まれたとしよう。だが、そうなればシンはこの王宮ではなく再びマンティコア達のいる場所へと戻る。そちらのアリーシャとは離れ離れになるだろう」


「あっ」


 そうだった。

 それだとシンにとっての心の拠り所は完全に魔物たちの方へと移り、折角再会出来たアリーシャと別れる可能性が高い。

 今もなお弟に親身になって寄り添っているアリーシャを見れば、その結末を見るのだけは避けたい。

 ならばどうするか。

 ここまで来た以上、オレもアリーシャやシンの力になりたいと思い方法を考えるが、その瞬間、この部屋の扉が開かれ、誰かが中へと入ってくる。


「やはりここにいたか」


「……マサウダ兄様」


 それはいつか見たアリーシャ達の兄にあたる人物。この国の第一王位継承者マサウダと呼ばれた男であった。

 マサウダはオレやロスタム達に一瞥するものの、特に興味もなさげに鼻を鳴らし、そのままベッドでうずくまるシンと彼に寄り添うアリーシャへと近づく。


「シン、いやアリーシャと言ったか。よくもこれまで私たちを謀っていたものだな」


「…………」


 マサウダの責めるような発言にアリーシャは反論しない。

 最初にシンをこの王宮に運んだ際に兵士の何人かにその姿を見られていたし、遅かれ早かれ気づかれるのも時間の問題であっただろう。

 アリーシャからしてみれば生き残るための仕方のない事情であったが、前の前のマサウダにとってはどうでもいいことであった。


「貴様とその弟には今すぐにこの国より出て行ってもらおう。命を奪わないだけありがたいと思え」


「なっ、おい! お前!」


 マサウダの追放宣言に対し、思わず突っかかろうとしたオレを隣にいたロスタムが制し、代わりとばかりに彼が口を開く。


「マサウダ卿。この国の第一王位継承者ともあろう方が随分と軽率に処罰を決めるのだな。聞けば弟シンはこの国の王の血を引く正当なる血筋。姉の方はその血を引かなくとも王の正式な妃の娘であったのだろう? それを問答無用で追放などとはあまりに勝手がすぎるだろう。君はまだ第一王位継承者に過ぎないはず。この国の王を差し置いてのそのような勝手な振る舞いはいかがなものかと」


 さすがは一国の帝王に君臨するだけはあって堂々とした物言いで目の前のマサウダにそう宣言するロスタム。

 それに対しマサウダは忌々しそうに吐き捨てる。


「すでにこの国の王は病により政務も出来ない状態だ。ならば実権を握るべきはその正統な後継者である私しかあるまい」


「だが、まだ存命なのだろう?」


 ロスタムのその返しにマサウダは明らかに不愉快とばかりに顔を歪める。

 どうでもいいけど、ロスタムさん。アンタ楽しんでません?

 と、そんな二人の言い合いに割って入るようにアリーシャがマサウダの前に立つ。


「……マサウダ兄様。私はともかく、弟のシンはこの国の王の血筋を受け継ぐ正統な後継者のひとり。あの子をこの国から追放することだけはおやめください。代わりに私がいかなる罰もお受けしましょう」


 その毅然とした態度にオレを含めた周囲の全員は無論、それまでベッドの中で震えていた弟のシンまでシーツから顔を出し、恐る恐ると言った表情で姉の後ろ姿を見ていた。


「……よかろう。ならば『王戦』による裁定で今回の件を決める、というのはどうだ?」


 王戦?

 初めて出る単語に思わず誰かに聞き返したくなったが、周りの雰囲気がそういうわけにもいかなかったので黙ることにした。


「――分かりました。その勝負お受けします」


 アリーシャのその宣言を受け、マサウダは最初と同じように不愉快そうな表情を浮かべたまま部屋を出るのであった。

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