第92話「贖罪」

 オレ達と対峙するリリィに目立った変化はない。

 ただこちらを確認すると同時にいつかの時のようにリリィの体が変化し、頭からは獣の耳が生え、お尻の部分からは金色の尻尾が生え、両腕は金色の体毛を持つ強靭な獣の爪へと変貌する。


「……帝王勇者はこの先にいるわ。あいつを倒すために来たんでしょう。ならそのためにはまずアタシを倒すことね」


 そう言って構えたかと思った瞬間、即座にこちらへ接近するべく地を蹴るリリィ。

 分かってはいたが予想通りの反応であり、同時に胸が悲しくなる。

 本当にこいつにはなんて言ってやればいいのか。

 だが、そんなオレの思考とは裏腹に事前にリリィとの戦闘を想定して、それに対する対処法を伝えていたヘルが真っ先に行動を起こす。


「くっくっく、汝の行動はすでに見抜いていたぞ、獣人勇者。汝の武器はその飛び抜けた接近戦にある。ならばこそ、接近を許せば我らの勝機は一気に減るだろう。だが、前回あれほど汝の武器を間近で見せられてその対策をなにも考えていないと思ったか?」


 瞬間、リリィとオレ達との間を阻むように床から灼熱の炎が壁となり現れ、目の前の光景が一面を業火へと変貌する。


「――!」


 瞬時にリリィの足が止まる。

 もし、そのまま彼女が突進していれば全身を焼き尽くされていたであろう炎の波。

 それはジャックが放つ冥界の炎すらも上回る獄炎。

 地獄の亡者すらもその存在もろとも焼き尽くす炎熱系最強の浄罪の炎。


「これこそが、我が持つ母より賜りし偉大なる力――メギドの炎だ」


 それは炎熱地獄すら上回る究極の炎。

 ヘルが持つ属性は炎。それはオレ達の母であるSSランク、ファーヴニルから受け継いだ能力であり、その炎によって焼き尽くせぬ存在はこの世界には存在しないという、まさにあらゆる存在を断罪せし炎。


「炎、などとありきたりな能力だと思ったか? 確かにこうした特殊な能力を持つ者同士の対決において炎の能力なぞ履いて捨てるほど溢れておるな」


 厨二に詳しい我が妹が早速お得意の能力解決モードへと移るほど悦に入っているようだ。


「しかし、逆にこうは思わぬか? 奇をてらう能力が必ずしも王道を超越するとは限らぬと。人はある程度の経験や知識を得ると逆にニヒリズムになり王道を否定しがちになる。しかし王道とはそれこそが最も理にかなった能力であり、だからこそ王道と呼ばれるほどに昇華される。世の中、単純なものほど強いものだ。言い換えるならそれは不純物のない純粋な強さとも呼べる」


 言ってヘルの手のひらに生まれるのは先ほどの質量を遥かに越える神炎の塊。

 その質力と威力は目の前の炎の壁をぶち破り、その先にいるリリィすら吹き飛ばすほどのものであることが肌で感じられる。


「まあ、仮にも汝も七大勇者のひとり、これくらいで死にはしないだろうが。しばらく休んでてもらおうか!」


 そう言ってヘルの腕から放たれた神話級の神炎が放たれ、炎の壁の向こう側にいるリリィを飲み込むべく奔る――が。


「そう……奇遇ね。アンタの言うとおりアタシもそう思うわ。奇をてらう能力なんて必要ないのよ。そんな小賢しいだけの能力なんて、所詮は言葉遊びにうつつを抜かしたい連中のお遊び。戦いに必要なもの、それはただ一つ単純な力、圧倒的破壊力。それひとつあれば――十分なのよ」


 瞬間、信じがたい光景を見た。

 リリィ目掛け放たれた神炎は間違いなくオレが見てきた中で最強の呪文。

 それはSランクの魔物であろうと受ければ一撃で勝負が決するほどの規格外の浄罪の炎。

 だが、その炎をあろうことかリリィは右腕に込めた全霊の一撃。ただそれだけで自らに向かった炎を一撃のもと粉砕した。

 無論、全くの無傷とはいかなかったが、それでも致命的なダメージを抑え、右腕は機能しており、その一撃によりオレ達とリリィとの間に張ってあった炎の壁までも衝撃の余波で一瞬で消滅する。

 そこにはまさに文字通り、奇をてらうような能力もなければ特殊な力も込められていない。

 ただただ単純な力。まさにヘルいわく単純ゆえに圧倒的に強い。

 それを地で行くが目の前の獣人勇者リリィであった。


「が、時間は十分に稼いだ。ここからは私流の戦いをさせてもらうぞ、リリィ」


 しかし、炎の壁を払うと同時にこちらもすでに彼女に対する次なる手は打ってあった。

 アマネスの創生スキルはその量と性能によって精製するのにも時間がかかる。

 だが、その時間はヘルによって十分に与えられ、今アマネスを中心に無数の武器、剣、槍、斧、弓、棍、棒、世界中に存在するであろうありとあらゆる戦闘武具が百を越える数で勢ぞろいしていた。


「これだけの大広間だ。遠慮はせん、戦争気分で行かせてもらうぞ!」


 そのアマネスの宣言と同時に無数の武器がリリィ目掛けて放たれる。

 リリィの戦い方が接近に特化したものならば、アマネスの戦い方こそ遠距離に特化した能力。

 一度距離を保てば無数の武器による飛来を全て避ける手立てはなく、それに対応している間に次々と新たなる武器を精製するまさに無限の精製。

 リリィは飛来する武器を避け、あるいは力で打ち落とすものの、圧倒的数の武器すべてを防ぐことは出来ず体のあちらこちらに傷を負う、だが。


「さすがにこれだけの武器を無傷で防ごうってのは都合がいいみたいね。……ならこっちもそれなりに覚悟をして突貫させてもらうわ!」


 そのリリィの宣言と同時に彼女は天井高くまで飛翔し、そのまま天井の床を蹴ると同時に音速を超えた自身の体そのものをひとつの弾丸として、飛来する無数の武器をその身で受け、あるいは弾き、あるい粉砕しながら一気にアマネスの間近まで接近する。

 彼女の懐に入ると同時に渾身の拳を叩き込もうとしたその瞬間。


「前にその手は食った。同じ手は食わんぞ、リリィ」


 アマネスのその笑みと同時に彼女の眼前にこれまでの精度を越える盾が形成される。

 リリィの渾身の一撃を受けて傷一つ受けないその盾。

 それにはさすがのリリィも思わず驚愕の表情を浮かべる。

 それもそのはずであり、アマネスの戦術は全てこの時のために組み込まれたもの。

 先の飛来する武器の数々もあえてリリィの突破されやすいように精度を落としての精製であった。

 全てはリリィをこの懐まで誘い込み、彼女の渾身の一撃を受け止めるほどの防具を生み出すために集中してもらうため。

 そして、もう一つ。接近戦におけるエキスパートはリリィだけではなかった。


「――はぁ!!」


 瞬間、大地が揺れるほどの衝撃を感じ、リリィは咄嗟に背後を振り向くが、時遅し。

 そこにはある独特の構えをしたヘルが、震脚を用いて大地を蹴ると同時に渾身の力を込めた肘打ちをリリィの脇腹目掛け放った。


「……っ!」


 その一撃をまともに受け、リリィは背後の壁へと叩きつけられる。

 脳内を揺さぶる衝撃と共にリリィは膝を付いたたまま動けずにいた。


「確かに汝とはとことん気が合うな。我の真価は炎による遠距離戦ではない。我が母なる故郷に伝わる武術、この八極拳こそが我の本当の武器だ」


 そこには独特の構えを取り、呼気を整える整然とするヘルの姿がリリィの目に映っていた。

 そう、ヘルは幼い頃より母ファーヴニルの指導のもと、地球に伝わる中国武術の一つ八極拳を学んでいた。

 八極拳は数ある武術の中でも特に接近戦最強と謳われる武術。

 そして、この世界にはここまで洗練された武術は存在しないと言ってもいいだろう。


 リリィの接近戦はあくまでも圧倒的力による圧倒的武力の制圧。

 そこに技はなく、単純な力技ですべてを押し通すまさに単純ゆえに圧倒的な強さを誇る。

 対してヘルの接近戦は剛を制する柔の技。

 単純な力だけで言うなら両者の関係は比べるべくもない。


 しかし、ヘルには八極拳による単純な破壊力では生み出せない技術的破壊力が備わっていた。

 重心を移動させることによる攻撃の増加、それに伴った急激な展開動作による自力の底上げ、なにより相手の急所を的確に狙い撃つその技はただの蛮勇の技では決して到達できない何千年と組み上げられた対人戦の奥義の全てが備わっていた。

 先ほどの肘撃によるリリィの脇腹への攻撃がまさにそうであったように、ただ一撃のみでリリィの戦闘能力を限りなく奪っていた。


「……確かに、気が合うわね……けど、まさかこの程度で終わったと思わないわよね……」


 しかし、その一撃を食らってもなおリリィは立ち上がり、なおもオレ達の行く手を阻もうとする。


「今のでアタシの戦闘不能を、狙っていたのでしょうけど、残念ね……。アタシを倒してこの先に進みたいなら、もっと遠慮せず打ち込んできなさいよ……。アタシを本気で倒すつもりで……でないと意味がないのよ。アンタ達は敵になったアタシを倒しに来てるんでしょう……! だったら手加減なんかせずに殺すつもりでアタシを……!」


「いい加減にしろよ」


 思わずオレはそう言っていた。

 気づくとヘルとリリィの間に立ち、ヘルを下がらせてこちらを挑発するかのようなリリィの目を正面から睨みつけオレはそう宣言した。

 そのオレの発言は自分でも驚くほど怒気に満ちており、そんなオレの声を初めて聞いたのだろうオレの肩に乗ったままのロックや、ヘルやアマネス、そしてリリィですら驚いたようにオレを見ていた。


 さっきからずっとリリィの様子を観察し、その可能性を探っていた。

 前回の時は一瞬のことであり、目の前の驚愕に気を取られて観察する余裕すらなかった。

 だが、さっきまでの戦い。先ほどの挑発。そして現在オレの目を睨み返しながらも、どこか視線が迷っているのを見て確信した。

 もしも、そうでないのなら、当初の目的通り帝王勇者をぶっ倒してからリリィを取り戻せばいいと思っていた。

 だが、そうではない。

 やっぱりこいつがやってることはそうであり、どこまで馬鹿なことをやってるんだと腹が立った。


「なによ……そんな凄みでアタシが退くとでも? 何度も言わせないでこの先に行きたいなら本気でアタシを倒して……!」


「リリィ。お前、演技下手すぎ」


 思わず漏らしたオレのそのセリフにリリィの表情が凍りつく。

 ああ、やっぱりそうだ。

 こいつ、洗脳なんかされていない。

 自分の意思でオレ達と戦っていた。


「な、なにをわけのわからないこと言ってんのよ……アタシはアンタ達なんか知らないわよ。アンタ達にとってアタシは行く手を阻む敵でしょう……。なら、遠慮せずにもっと本気で仕掛けて……」


「それをいい加減にしろって言ってんだよ! そうやって自分をヒールに落として何様のつもりだ?! 贖罪のつもりか?!」


 言って気づくとオレはリリィの目の前まで近づき、リリィの腕を掴んでそう叫んでいた。

 それは奇しくも彼女と最初に会った時と真逆のように、今度はオレがリリィに対して彼女がやっている行為に叱咜を行っていた。


「な、なにを……」


「お前の考えてること全部はわかんねぇよ。けど、これだけは分かる。お前はこれまでの自分のすべてを後悔していている。自分がやった罪の深さに懺悔してんだろう。だからってなぁ! お前の仲間にその贖罪をさせようなんて都合がいいんだよ!!」


 気づくとオレは思いのまま叫んでいた。

 オレの胸の内にずっとあったリリィに対しての怒り、これまでずっと一緒にいた仲間への怒りが止まらず溢れ出していた。


「今までの自分が偽りだからってオレ達との関係も偽りだったって思ってんのか? それとも自分の正体がオレ達に知られてオレ達がお前を拒絶するとでも思ってんのか? それこそふざけんな!! 思い上がるのもいい加減にしろ!!」


「っ! あ、アンタに、アンタにアタシの何がわかるって言うのよ! アタシはアンタが知るリリィじゃない! アタシはアンタが思っている以上に化物で、アンタ達と一緒にいる資格もない罪人なのよ!」


「それがどうした! 知らないとでも思ってんのか! オレはもう知っているお前が本当はリリィじゃないことを! お前が一体なにをしてきたのかも!!」


 オレのその発言にリリィは今度こそ凍りついたような表情を見せる。

 だが、それはこれまでとは違う彼女の奥底に眠っていた本当の表情。

 絶望の表情であり、自分の真実を知った仲間が自分を軽蔑し、見捨てるだろうということへの恐怖。

 ああ、それを見て本当にオレは思った。


「なめてんじゃねーぞ!! そのくらいでオレがお前を見損なうか! なによりオレが知ってるリリィは、“お前がリリィになってからのリリィ”だ! 後も前も関係あるか! お前がなにをしても、“なんであっても”見捨てるわけねぇだろうが! なめんな!!」


 オレのその心からの怒声に、しかしリリィは涙をこらえて叫び返す。


「そんなわけないじゃない! アタシは……殺したんだよ! 友達を! アタシは、アタシはただの化物なのよ! 人に殺されるために用意されたこの世界の駒の一つなのよ!!」


 言ってリリィは告白する。かつて自分が犯した許されざる罪を。


「アタシは……唯一の友達を――“リリィ”を殺したんだよ!!」

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