2月11日 橘 俊喜(田実正行の舅)「早とちり」

 この連休、嫁いだ娘が婿を連れて戻ってきていた。

 戻ってきていたのはいいが、ちょっと風邪気味なの、とほとんど横になっていた娘。

 何があったのかと婿に訊ねても、少し風邪気味でして、といつになく頼りなげに曖昧な笑みを浮かべるばかり。

 娘が調子悪そうにしているのにおたおたするばかりで、あとはぼんやりとしているばかりの婿の態度に腹が立ったが、しかし、これはもしかして……もしかするのか?

 娘が嫁いで一年とちょっと。調子が悪いにもかかわらず婿を連れて戻ってきたということは――あれしかないだろう。

 娘たちを見送ってから、俺はそっと妻に訊ねた。

「おい、母さん、遼子はその……あれか」

 皆まで言わせるなよ、我が妻よ。

 だが、察しの悪い妻は怪訝そうな顔をして首を傾げる。

「あれ、って?」

「あれはあれだろうが」

 何でわからないのかこの女。結婚何周年だと思っているんだ? そろそろ三十年だぞ?

 遼子の奴、照れなのか何なのかこの父には何も言わなかったが、母親には言っているに決まってる。それとも何か? 母親と結託して父にはしばらく秘密にしておこうと、そういう算段か? 突然告げて驚かせるつもりかもしれないが……事が事なのだからこの父にも言うべきだろうに。

 とりあえず妻の口を割って事実を確認したら、早速準備に入らないと。

「遼子の身体の具合だ。大事はないのか」

 首を傾げていた妻は、それでようやく合点がいったのか、ああ、と頷いた。

「ノロじゃあないから大事はないって」

「……ノロ」

 ノロ。ちょっと待て。ノロ――とは何だ?

 いや、知っている。先月俺はそれで苦しんだ。苦しんだが……、

「遼子、嘔吐下痢症だったのか」

「うん。でも、お父さんが先月罹ったのとは違って軽いやつね――って、遼子か正行さんから聞いてなかったの?」

「……風邪気味としか」

 そうとしか聞かなかったぞ、俺は、本当に。

「嘔吐下痢症なら……」

 どうしてそれと言ってくれなかったんだ――もごもごとそう呟くと、それをしっかり耳にしたらしい妻は苦笑した。

「言わなかったのかもよ。お父さん先月罹って大変だったって話したし。それに今回手作りのバレンタインチョコ持ってきてたから余計言えなかったのかもしれない」

 ああ、と俺は思い出す。

 毎年前倒しでバレンタインデーのプレゼントを持ってくる娘。今回は確かに手作りだとか何とか言って持ってきていた。

 ――別に俺は気にしないのに。娘が作ってくれたものなら何だって食べるのに。

 そりゃ軽口は叩くかもしれない。大丈夫だろうな、とか。先月本当に苦しかったからな。それは認める。だが、しかし……、とうとう孫ができたかと父が早とちりするような行動は慎んでくれないか、娘よ。


 自業自得だと言われたらそれまでだが、父さんは悲しい。


 堪え切れずに溜息をついたら、妻が横で呑気に笑った。

「だから大丈夫よ、お父さん。うつっても先月みたいに三日三晩吐き続けとかはないから、絶対に食べてやってあげなさいよ? 私は食べないけど」

 ああ、食べてやるさ! 絶対に。

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