02 同業者に愛を
台風で停電した。
きっと三分、いや、一時間かな。三時間? 五時間か?――なんて予想を重ねるうちに夜が明けた。
台風一過と呼べるほどではなかったけれども、窓を開けたらひんやりとした空気が流れてくる気持ちいい爽やかな朝だった――ただ、洗濯機が回らなければテレビも点かない、冷蔵庫も電気ポットもうんともすんとも言わず、異様に静かな朝でもあった。
幸か不幸かオール電化なんて金銭的に無縁な我が家は、ガスコンロのおかげで何とか自炊は可能だった。
冷凍庫にあるものを何とかするためという理由で見た目ばかりは豪勢な朝食。
口を開けば停電に対する恨み言ばかりになりそうだったので、夫と二人あえて黙って食べたあと、ひとまず買い物に出かけようかということになった。とはいえ今日は休日だったから元々買い物に出かけるつもりにしていたのだけれども。
しかし、いつ電気が回復するのかわかんない以上、冷凍食品の買い置きは無理だなぁ、と助手席でぼやいていた私は、ふとあるものを見て留めて声を上げた。
「正行さん! ちょっとストップ!」
はあ、という夫の間の抜けた声とともに車は緩やかに減速し、道端に停まる。
何てこと! この人さっきのが見えてなかったのか!
「何完全に停まってんの! すぐにUターン!」
「何でさ」
「間抜けな顔こっち向けてる場合じゃあないって! 電力会社の車が行ったでしょ! 追いかけて捕まえて! いつ復旧するのか訊かなきゃオチオチ冷凍食品も買ってられないじゃない!」
きょとんとこちらを見つめていた夫は、きゅっと眉根を寄せて、悪いけどぼくはイヤだから、と、そして、何事もなかったかのように再び車を動かし始めた。電力会社のワゴンが走っていったのとは逆の方向に。
「何で逆走するのさ!」
あのワゴン、辺りをうかがうようにのろのろと走ってはいたけれど、こうして逆の方向に走る限り、絶対に追いつけない。というか、たぶん、二度と出会えない。
「電気復旧してほしくないの?」
「そんなことないけど、あれ、ワゴンだったじゃあないか」
「何? それってワゴン差別?」
差別なんてしてないよっていうかワゴン差別ってなんだよ、と夫は顔をしかめた。
「普通のワゴンに乗ってるのは大方営業担当で工事担当じゃあないからね。おそらく停電してる地区を調査してるだけだから、訴えたってすぐに復旧するわけじゃあないよ。それこそエネルギーの無駄使い」
「まぁ確かにそうかもしれないけどさ――」
営業担当の人が電柱には登らないっていうのはわかるけれど、でも、
「――営業の人急かしたら、少しは早く復旧するんじゃあないのかな」
しかし、夫は前方を見据えたまま、ならないと思う、とゆるゆると首を小さく左右に振った。
「たぶん、どこが停電してるかっていうのは把握済みのはずだし、復旧の工程とかももう決めてるよ。よほどのっぴきならない状況でもない限りどこかを優先するってことはない」
真面目な顔をして言われると何が何でも反論しようとする気が削がれる。それでも何か言おうとして、でも、と口にしたが、思いつく前に遮られた。
「あの車の人たち、遼子さんが言わなくても、ここに辿り着くまでに何度も取っ捕まえられて色々言われてるよ、間違いなく。だからもういいでしょう」
「でも……でも、それだって給料のうちでしょ?」
「確かにね」
言った私自身ちょっとイヤな感じだな、と思った問い掛けを、不思議なくらいあっさり認めた夫は、一瞬ちらりと苦笑をこちらに向けたあと、ほんの少し澄ました声で言った。
「でも、君はあの人たちと同じような立場にあるぼくの給料見て、その分ちゃんと貰ってると思う?」
「え?」
同じ、立場……?
「ぼくも毎日毎日苦情と向き合わされてる。毎月ちゃんと金払ってるのにこんな不味い水飲ませるなんてどういう了見なんだ、とかね。まぁ、職場にいない時は消費者の立場を全面に押し出してもいいんだろうけど、因果応報なんて言葉もあるし、明日の自分のためにも優しくしようかな、って思う――ダメ?」
しばし夫の横顔を見つめる。そして、どこまでもお人好しっぽい柔和な面持ちに、溜息をついて、
「ダメじゃあないよ」
と、首を振ったのだった。
【了】
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