1月 結婚式とフンドシと(5)

 いくら披露宴の会場が広いといえども一般客が立ち入りできる範囲となると案外狭い。

 しかしながら、通行可能な距離自体はそれなりに長いのではないか、と会場を出てふと気付いたものの、捜す相手も自分と同じ立場である以上、行ける場所は限られているよな、と歩き出す。

 それにしても面倒臭い、と田実は溜息をついた。

 テーブルの上に置き去りにしたステーキを案じながら、エントランスからロビー、会場近くの喫煙所とトイレを一通り急ぎ足で見て再び会場をのぞく。が、やはり山木も小寺も宮本も、ついでに佃もいない。

 諦めて食べに戻ろうかと思いつつ、ステーキの誘惑を断ち切って今一度捜しに出たのは、紙を拾う前にちらりと見かけた二人組――会場から出ていく山木らしい人物と佃らしい人物と、そして、今、手もとにある紙の宛名が山木だというのが今更ながら妙に引っ掛かったからだ。

 山木と佃――見かけた時は珍しい組み合わせだなと思い、だからこそその二人だと確信が持てなかったのだが、一ヶ月ほど前にその二人の思惑に巻き込まれたことを田実は思い出していた。

 実は山木に娘がいて、それを偶然知った――正確には小寺と山木に似た少女が一緒にいるのに出くわして、それを山木の娘と看破した佃が山木を軽く脅迫したという一件。

 少しでも楽な仕事をしたい佃は、特殊型止水栓キーを使えるけれど使えない田実の相方になれば未確認生物の処理に当たらなくてすむと考えて、秘密を握られた山木はそれを許可した。そして、その時点では事情を知らず、薄気味悪く思いながら佃と仕事をした田実も、それからまもなく山木の秘密を目の当たりにし、小寺にやんわりと脅されて事情を聞く破目になった。

 その時、小寺は「停水の組み合わせの件以外にも押し付けられたことはいくつかあるんだけどね」と言っていた。

 井上の結婚披露宴のなかに、はたして押し付けたいようなことがあるのか――だが、山木と佃が一緒にいる理由に関しては、まだそれほど時間も経っていないあの一件絡みだというのが何となくしっくりくるような気がすた。

 そうなると、この紙も――手にした紙に視線を落とす。

 山木へ、という手書きの宛名。悪筆でもなければ達筆というわけでもない。佃さんってどんな字書くっけ、と少し記憶を辿ってみたが覚えがない。

 もっとも、おそらく山木に渡せばわかることだろうし、万が一、あの一件絡みだとしたら深入りしないに限る。

 ――色々考えるうち、もしこれで見つからなかったら野口さんにでも預けようかな、あの人なら何も言わずに預かってくれそうだし、と思い始めていたエントランスから会場に戻るその道すがら、

「何してンだ? ボーヤ」

 背後から声を掛けられて田実は足を止めた。

 背後、つまり後ろ。さっき通った場所。一本道ではないが、少し手前、右側に延びていた通路には披露宴会場の控室しかない。新郎新婦やその親族専用で、少なくとも今の声の主には関係ない場所だと訝りつつ振り返る。

「佃さん?」

 予想通りそこにいたのは佃で、

「よお、トイレ探して迷子にでもなかったか」

 と強面におどけた表情を乗せた。

 どうやら機嫌がいいらしい。

「何だったら一緒に会場まで戻ってやるぞ、ボーヤ」

 と横を通り過ぎようとした佃を、待ってください、と田実は呼び止めた。

 会場から出ていった二人組が、確かに山木と佃だったとしたら、ここで佃に訊いた方が早い。

「山木さんを捜しているのですが知りませんか?」

「山木……?」

 こちらに向き直った佃は目を細め、口角の片側を吊り上げて、何とも言えない意地の悪い顔をして頷いた。

「知ってるも何も、ついさっきまで一緒だった」

 やはりさっきの二人組は山木と佃だったのだろう。

 田実は素知らぬ顔で訊ねる。

「どこですか?」

「そこの角曲がったところ、向かって右側の一番手前の部屋」

 佃は悪人面と表現するのがしっくりくる意地の悪い顔をそのままにその方向を指し示した。

 ――何だかひどくいやな予感がした。

 だが、教えてもらった以上、行かないわけにもいかず、ありがとうございます、と一言礼を言って、部屋のドアをノックした。

 ほどなくして、厚そうな革張りのドアの向こうからくぐもった声が返ってくる。

「誰? 佃さん?」

 山木ではなく、おそらく小寺の声。

「田実です。山木さんがここにいると伺って来たのですが」

「え、田実君? えっと、祐一に用事? んー……」

 ぼそぼそと何かしら話している気配は伝わってきたが、内容まではわからない。ただ、直前の小寺の声の感じからして田実の、というより佃以外の人間の登場に戸惑っている、そんな感じがした。

 いったい何をしているのだろう、と首を傾げるうち、ドアの向こうから声が掛かった。

「入ってきていいよー」

「あ、はい。失礼し……」


 田実はドアを開け、そして、閉めた。


 おもむろにノブから手を離し、一歩下がり、足早にその場を立ち去る。

 一気に来た道を戻ろうとしたら、角を曲がったすぐのところに、とっくの前に会場に戻ったものだと思っていた佃が、廊下の壁にもたれて立っていた。

 ――笑っている。

 別にそれほど腹は立たなかったが、一言二言言いたい気分になったので足を止めた。

「佃さん……」

「どうした? ボーヤ」

 白々しい問い掛けに、端的に答える。

「赤フンでした」

「そうか、よかったなフルチンじゃなくて」

「佃さん、あの状況知ってたんですか」

 控室にいたのは捜していた山木、そして、小寺と宮本。

 十数分前までは礼服を一分の隙もなく着こなしていたはずの三人は、赤い褌を着けていた。

 スラックスの上からとかではなく、裸に褌。赤フン。

 佃は知っていたのだろう。知っていて言わなかったに違いない。

 口にしてすぐドアの向こうの様子を思い出して田実は溜息をついた。

「知っていたのならば教えてくださいよ。本ッ当に心臓に悪いです……」

 “本当”の間の力一杯の溜めがおかしかったのか、佃は満面に浮かべた意地の悪い笑みをさらに深くした。

「未確認生物よりかましだろ」

「ましじゃないです」

 間髪入れず田実は首を横に振った。

「ちっともましじゃないですよ。同僚の赤フン姿なんて見たくもないっていうか宮本さん、大変似合いすぎていて怖かったです」

 わずか数秒で視界を閉ざしたが、たったそれだけでも十二分に瞼の裏に焼き付いている。

 足を肩幅に開いてしっかと立ち、威風堂々と胸を張って腕を組む、赤フン一丁の筋骨隆々の大男がいる光景。

 忘れようとしても忘れられそうにない。

「ガリーはともかくタラシと山木は普通だったろ」

 小寺と山木がいたのは確認している。が、全裸に赤い褌を着けていたという印象しかない。

 普通だったのだろう――宮本に比べたらの話だが。

「どう考えたって赤フンって時点で普通じゃありませんよ」

 宮本さえいなければうっかり逃亡することこそなかっただろうが、かといって平静に対処するというのも難しかっただろう。年長の同僚が相手では笑うに笑えない。

 今一度大きな溜息をつくと、そんなにショック受けなくてもいいだろ、と佃は意地の悪い笑みをやや苦みの混ざった微笑に変えた。

「赤フンは局の伝統らしいからな、今回に限ったことじゃないかもしれないぞ」

「……え」

「同僚や上司の披露宴の余興は必ず赤フン一丁で安来節とフレンチカンカンなんだとよ」

「はい? いや、ちょ……え?」

 田実は固まった。

 赤フンは局の伝統、という時点でちょっとばかり固まりかけていたのだが、安来節とフレンチカンカンに一瞬にしてトドメを刺された。

 そんな話聞いていなかったのですけれども、とおそらく目が口ほどにものを言っていたのだろう、訊かなきゃ誰も言わねえよ、と佃はそう言って笑った。

「同じ課の人間の披露宴に呼ばれたら、その呼ばれたヒラのなかから余興の人間をクジで選ぶんだよ。大体三人から四人な。だが、ヒラでも局一年目はその余興のクジ引き免除。ンで、余興のこともクジ引きのことも別に知らせたりもしねえから、大概当日に目を剥くことになる。ちょうど今のお前みたいな感じにな」

 いったいいつ頃からそんなことをしているのか、昔ならさておき今だったらそんな余興拒否する新郎新婦の方が多い気がするけれども、と思うところはなきにしもあらずだが、

「それで、今回は、その、小寺さんと山木さんと宮本さんが……?」

 とりあえずその三名が赤フン踊りの、当たりか外れかよくわからない当たりくじを引いたのだろう。

 しかし、

「実は一本俺が引いていたンだがな」

 そう言って佃は楽しそうに笑った。

 佃さんのことだから四人でやるはずだったのを我儘言って抜けたのだろうかとそう思ったが、しかし、すぐに別の可能性に思い当たった。

 停水の組み合わせの件以外にも押し付けられたことはいくつかあるんだけどね――そんな小寺の言葉を思い出したと同時、

「――もしかして山木さんに替わってもらったんですか」

 考えるより先に口が滑った。

 一度すっかり笑みを消し去った佃は、くいと口角を吊り上げた。

「どうしてそう思った?」

「え、あ……その、先月……じゃなくて、えっと、さっき山木さんと一緒に会場出て行かれませんでしたか? それで、ちょっと、それが何となく、その、佃さんと山木さんが一緒なんて珍しいと思ったから……」

 ごまかそうとすればするほど口が上手く動かない。

 慌てる田実を面白そうに眺めていた佃は、もういいって、と笑った。

「今ちらっと、先月、って言ったなお前。とすると大方タラシ辺りから色々聞いてるんだろ」

 あわあわもごもごとそれでも何かを言おうとしていた田実は、そんな言葉に口を閉じて目を瞬かせる。

 と、

「黙るなよ、鎌をかけただけだぞ」

 毒気の抜けた気怠い笑みを浮かべて佃は言った

「何があったのか知らねえが、随分と余計なことまで知ってるんだろな、お前」

「……は、はい」

 どう答えていいものかわからなかったが、“随分と余計なことまで知って”しまったことには違いない。

「たぶん、もう気づいてると思うが、先月の仕事の組み合わせも、ンで、この余興も、俺が山木相手にちょこっと無理強いした」

 田実が事情を知っていることを確信しながらも少なからず疑っているのか、核心は避けつつ佃は語る。

 核心――山木の秘密――彼の娘の存在。

 離婚歴は隠していないという山木が隠しているその事実。

 それを盾に佃は先月停水で楽をして、そして、今日の余興の褌踊りを免れた。

「――それだけなんですか?」

「あとは二回ほど奢らせたな……おい、少ないなとか思ったろ今、お前」

 的確な指摘に田実はおずおず頷く。

 仕事の組み合わせと余興と二回の飲み代ならば多少たちが悪いという程度のような気がする。

 もっとも、「佃さんにしては」という但し書き付きだが。

「これくらいでちょうどいいんじゃないかって俺は思ってるンだがな」

 ふと笑みを消し、真面目な面持ちで佃は言った。

「ただ見ただけなら黙っておく。けれども、ばったり出くわしちまったしな。程度にもよるが、あれはな……、そのあと何かしらのリアクション起こしてやらんとあっちもつらいだろう」

「え?」

 田実は瞠目した――ひどくやさしい言葉に聞こえたからだ。

「知られているのに相手が何も言ってこないってのは、秘密がデカけりゃデカいほど不安になるもんだ――にしてもまぁしかし、タラシの阿呆が“俺と出くわしたこと”を山木に伝えてなかったのは予想外だった。そうと知ってりゃ何もしなかったのにな、面倒臭え」

 佃の強面に笑みが戻る。口角が吊り上がった意地の悪い笑みだ。

 その口もとを見つめ、訊ねる。

「もし“見ただけで出くわさなかったら”、停水の組み合わせはどうしてたんですか?」

「別に何も口出ししなかっただろうな。未確認生物なんぞ見たくもないし、仕事は楽に越したことないが、逃げ出すほどでもない」

 その返答に、ああ……、と田実は喉の奥で呟いた。この人はこういう人なのか、と。

 決して、むしろ絶対に善人ではないが、かと言って根っからの悪人でもない。

「じゃあ、余興は?」

「最終的に何らかの手段を使って誰かに押し付けただろうが、山木にとは限らんし、山木にだとしても、もう少し軽いネタを使うだろうよ――さっきも言ったが、面倒臭え」

 そして、案外、やさしいのかもしれない。

「余興の方がいやなんですね……」

「誰が赤フン着けて安来節とフレンチカンカンなんぞ踊りたいってンだ。正直見たくもないぞ、ンなもん」

 半ば吐き捨てるようにそう言って会場の方へ向かって歩き出そうとした佃は、ふと足を止め、こちらを振り返った。

「そういえばお前、山木に何の用事だったんだ?」

「あ」

 手もとの紙に目を落とす。

 と、それに気づいたらしい佃があっさりと横から抜き取り、

「ちょ、ちょっと佃さん! わ!」

 取り返そうと手を伸ばした田実を押しやって、何の遠慮もなく二つ折りのメモ紙を開いた。

「佃さん!」

「総務課の塚林だな」

「……え」

 いったいどこからどうして出てきたのかわからない名前。

「塚林さん……?」

 総務課の塚林。

 営業課とはほとんど関わりのないところにいるが、宿直によく入っていて営業課にも顔が利く。

 確か井上ともそれなりに付き合いがあるはずだが、今日の結婚披露宴には呼ばれていない。

「塚林さんが山木さんに宛てた手紙ですか?」

「手紙、というかメモだな、単なる」

 開いた紙を裏に表に二、三度返して詰まらなそうに言い、こちらに視線を向ける。

「お前、これ後生大事に持ってたみたいだが、中身見てないのか」

「見てませんよ、自分宛じゃないですし」

 手紙だろうとメモだろうと他の人のものをのぞいたりしません、と言外に込めたつもりだったが、

「まあ、そうだろうな。これ読んでたら来てないだろうよ」

 佃は苦笑いを浮かべ、

「読んでやるよ」

「え、あ! ちょ……っ!」

 田実が止める間もなく読み上げ始めた。

「『これが披露宴余興褌踊り用の褌。使い終わったら洗濯、アイロン掛けをして総務課に返却するように。派手な赤だけど色移りはしない、たぶん。総務課で保管しているので総務課の人間であれば誰に返しても大丈夫。お前が褌踊りなんて想像もつかないが、しっかり着けてしっかり頑張ってくれ、健闘を祈る。塚林』──な? 読んでたら来てないだろ?」

 阻止しようと伸ばしかけ、メモに届く前に凍りついた手をゆるゆると下ろしながら田実は頷いた。

「申し訳ないですけど野郎の褌姿なんて見たくありませんので。ましてや着替えの最中かもしれないと思うと無理です、痛いです」

 こっそり読んでおけばよかった、と今更ながらに思う。

 もっとも、これからその褌踊りを見ることになるのだろうが、とりあえず先ほど身構えるでもなくドアを開けてしまった時ほどの衝撃はないはずだ。

 それに、

「ま、こいつは披露宴が終わったあとにでも渡しといてやるさ。戻るぞ」

「あ、はい」

 今、目の前にいる怖くていやな雰囲気の同僚が、思っていたほどいやな性格ではなかったということを知ることができたのはよかったと思うことにした。


 ――脳裏に焼き付いた同僚三人の赤フン姿を差し引くとマイナスであることには代わりないにしても。

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