5月 五月病予防には飲み会と知恵の輪(2)

「――つまり、飲み会をひっきりなしにやることで、五月病になる暇を与えないようにしようということらしいよ。事務担当の山木さんは一種の予防策だって言ってた」

 帰宅後、夫婦二人きりの夕食の席にて。

 あまりに多い親睦会という名の飲み会、その理由を説明すると、

「何、それ」

 案の定、遼子は眉間に縦皺を作った。

「確かにさ、仕事に慣れて余裕が出てきて要らんコト考えちゃうから五月病になるんだろうけどさ。でも、飲み会で予防って一体どこの学生よ? どこの」

 そんなことしてたら絶対別の病気になっちゃうって、と不機嫌そうに夕食のクリームコロッケを口に運ぶ遼子に田実は苦笑する。

「心配しなくても、週末の予定は反故にしないから」

「あのね、そんなの当然。当たり前」

 コロッケをしっかり咀嚼して嚥下するなり膨れっ面になってキッとこちらを睨み付けたあと、遼子はハァとやや大袈裟な溜息をつき、

「いったい何? 水道局って。五月病に縁があるほど気苦労多いわけ? それとも暇すぎて五月病になっちゃうの?」

 一気にそう言って再び溜息一つ。そして、答えを待つように真っ直ぐに田実を見つめる。

 酒に弱いわけではないが、体力はない。そんな夫のことをしっかり把握している遼子は、これだけ飲み会が続けば約束など反故にされてしまうと思っているのだろう。おそらく納得するまで田実に説明させるつもりだ。

 これまで、仕事の内容に関しては、料金徴収に関する業務を行っているとしか説明していない。というより、できない、というのが正直なところ。

 時に暴力団関係者や危険人物を相手にしなければならないとは告げているが、毎月毎月訳の分からない生き物と戦っているなんてことは言えない。言ったところで信じてもらえないだろうが。

 遼子の真っ直ぐな視線を右へ左へと避けながらしばらく考え、田実は切り出した。

「仕事の密度は濃いわけじゃないんだけど、でも、気苦労はやっぱり大きいかな。ほら、メインは滞納者の取り立てだから――」

 遼子の方を見る。

 不機嫌そうだが、聞く気はあるようだった。

「――ただでさえ悪質滞納者を相手にしていると気が滅入るし、それに、九割の人はちゃんと水道料金払っていて、残り一割の人がちゃんと払ってくれさえすれば、はっきりいってしなくてもいい仕事だろ? 取り立てって。頑張っていても何か後ろめたさが常についてまわるんだよね。税金食いってこちらを罵る匿名の電話も結構掛かってくるし……」

 何より訳分からない生き物と戦わなきゃならないし、と喉の奥で呟いて軽く息をつく。

 実際気苦労は多い。結局先月は十日間の停水期間で四件五匹の未確認生物と遭遇。単に人間に絡まれたというだけなら二十件近くになる。

 飲んで憂さを晴らしたいと思ったことがなかったわけではなかった。

 が、

「うーん、意外と疲れるのはわかった。けどさ、親睦会って逆に疲れない? 友達じゃあなくて上司とか先輩とかと飲むんでしょ? 飲んで気持ちよくなっても傍にたとえば苦手なヒトがいたら沈むだろうし、そうでなくても気を使うでしょ」

「うん、遼子さんの言う通り」

 宮本は異動してきたばかりの田実のためにやってやるのだと主張していたが、本当にそう思うならば逆に放っておいてほしいと思う。

 少なくとも前任地の資産税課ではこういう縦割りの飲み会があまり多くなく、かなり気楽だった。

「そういえば気になったんだけど」

 千切りキャベツにごまドレッシングを掛けながら遼子は少し口を尖らせた。

「さっきさ、アナタ、回数数えながら親睦会の名前をぶつぶつ呟いてたけど、何というか、個人名の入った名称が多くなかった? あれ、何なの?」

「『市川さんを囲む会』とか『宮本さんと漢の飲み会』とかだろ? 他にもあるけど全部同僚や上司の名前だよ」

 目をパチパチと瞬かせて、

「……言っていい?」

 と遼子は一層深い皺を眉の間に刻んだ。

「それって本当に五月病予防なわけ? 逆に病んでしまわない?」

「うーん……、まぁ訓練だと思えば――実際訓練の一環でもあるみたいだし」

「え?」

 訝しげな遼子に対して、ごまかすように曖昧に笑って見せた田実はクリームコロッケを箸でキレイに三つに分けた。

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