4月 丸に危険の危でマルキ(5)
水道局に戻り、係に顔を出す。
途中車内で停水者の水道料金納入に伴う開栓の指示を携帯電話で受けていた市川は、帰り着くなり原付バイクのキーとヘルメットを持ってまた外へと出て行った。
それを無言で見送ったあと、田実は席について脇目も振らず仕事している山木の傍らに立つ。
何と声を掛けようものか迷っているうちに、
「お帰りなさい、田実君」
と、仕事の手を止めた山木が顔を上げた。
思わず、すみません邪魔して、と謝ると、山木は首を小さく横に振り、目を細める。
「やはり色々納得いかないことがあったようですね」
「いや、納得いかないというか……」
どうにも理解できないという旨をぼそぼそと告げると、山木は頷いた。
「“アレ”を見たのでしょう。そして、それに対処する市川さんを見た──極めて普通の反応です」
淡々とそう言うとデスクの横からごそごそと何かを引き出し、差し出す。
「……止水栓キー?」
何の変哲もない止水栓キー。田実が使いやすいと思ったサイズより長く太めのもの。
どうぞ、と促され、手に取ってみる。やや重さがあり、馴染む感じがしたが、それ以上の感想はない。
「これは?」
手の中のキーをしげしげと見つめ、訝しく思いながら訊く。と、
「今日マルキで市川さんが使用したものと同じ型――マルキ対策用の特殊型です」
さらりとした山木の答え。
市川が使用したのと同じ型のもの。ということは――理解して次の瞬間、わあ! とみっともない声を上げ、キーを放り投げる。
それをこともなげにひょいとキャッチした山木は、大丈夫ですよ、と冷静な声音で言った。
「普通に持っておく分には危険はありません。しょせんは止水栓キーですから」
何事もなかったかのように再び差し出されたキーを今度は恐る恐る受け取り、おずおずと訊ねる。
「じゃあ、こうして持っておくだけならば絶対に大丈夫なのですか……?」
「ええ、断言できます」
抑揚なくそう答え、山木は椅子に腰を下ろし、その椅子ごと田実の方に向き直る。
「市川さんが使っているのを見て大体わかったと思いますが、特殊型止水栓キーは従来の用途に加え、マルキ世帯が検針や停水を妨害するために所有している未確認生物の駆除に使われます」
「未確認生物……」
確かに市川が“すらいむ”と呼んでいたあの青い物体はどう考えても普通の生き物ではなかった。
が、それ以前の問題として、だ。
「停水の妨害云々はともかく、何であんな危険な生き物が一般家庭にいるんです? 警察に届け出なくていいんですか?」
駆除する前に警察に通報する。それが末端の一公務員の正しい対応ではないのか。
大体あんな生き物が自然発生しているにしろ人工的に生み出されているにしろ、一般家庭に出回っているというのは大いなる問題ではないのか。
「もちろん、すでに上には報告済です。おそらく警察も知るところでしょう。最初に未確認生物が発見されたのは今から四半世紀ほど前のことですが、新しい種が確認された時など、その都度報告を行っていますから」
山木は素っ気なくそう答え、銀縁フレームのブリッジを左手の中指でクッと押し上げた。
「上でどういう判断がなされているのかは知りませんが、私たちは何があっても上から命じられている通りに水道料金滞納の制裁としての停水業務を行うだけです」
目を瞬かせて山木を見つめる。
一歩間違えたら命の保障がなさそうなところにまで浸透しているいわゆる『お役所精神』に唖然としていると、もっとも上も現場を放置しているわけではありません、と山木は田実の手のなかの止水栓キーを指差した。
「その特殊型止水栓キーがその証拠です」
「……これが」
「未確認生物の種類は多岐に渡ります。そのすべてに共通して言えることは、駆除が困難だということです。素手で殴ったくらいでは何のダメージも与えられませんし、逆に何の備えもなく挑めばこちらが大ダメージを受ける可能性が高い。しかし、まがりなりにも水道局員が物騒な武器を携帯するわけにもいかず、そのために開発されたのが特殊型止水栓キーなのです」
市川が使っていた時にも思ったことだが、何かしらの種や仕掛けがあるようにはとても見えない。
いったいこのなかにどんな秘密があるというのか──そんな田実の心中を察してか、山木は相変わらずの無表情を保ったまま口を開いた。
「にわかには信じ難い話だと思いますが、それは使用者の強い意志によって使用者が望む武器の性質を帯びます。たとえば刀を望めば物を切断する性質を帯びる、という具合に」
「それって……ものすごく危険じゃないですか?」
信じ難いも何も、実際に得体の知れない生き物と止水栓キーから放出された火の帯を目の当たりにし、それもどうやら夢ではない以上は信じるほかない。
葛藤するより受け止めた方が圧倒的に楽だということを知っている田実が気にしたのは、この特殊型止水栓キーの安全性だ。
現に今日だってヒヤッとした瞬間があった。
市川が放ち鼻先を通っていった火の帯の熱さはどう考えても本物だったし、その火の帯の直撃を受けた生き物が焼けるさまも現実のものだった。
あの火の帯が誰にでも再現できるとなると、万が一、マルキのような人間の手に渡ってしまったら、など、想像したくもない。
そんな不安を汲んだのか、山木はほんの少しだけ抑揚のついた柔らかな口調で言った。
「確かに決して安全だとは言えませんが、使いこなすのは至難の業です。まず、資質がなければどれだけ努力しても使うことはできませんし、資質があっても、習得に至るとは限りません。ここで特殊型を扱えるのは二人だけ。県下でもおよそ十名程度です」
「つまり、たとえばぼくがこれを使おうと思っても、必ずしもマスターできるわけではないということですか」
「ええ、そういうことです」
頷いた山木は、それに……、と続ける。
「たとえ使いこなせるようになったとしても、未確認生物を確実に駆除できるわけではありません。相手は生き物です。そして、十中八九こちらに敵意を抱いています。相手が攻撃してくることを視野に入れて行動しなければなりません」
「あ、そうか」
思い出し、声を上げる。
怪訝そうに眉根を寄せる山木に、田実は言う。
「異動の内示の直後に資産税の課長に言われたんですよ、君は武道経験者だよね、って。違います、って答えると課長焦っていたんですよ」
特殊型止水栓キーを使いこなせても、それを実際に手にしてマルキの飼う未確認生物と戦うことができなければ意味がない。それを考えると、資質の有無はあとからわかることとして、とりあえずは武道経験者を、という発想に行き着くのは自然なことだろう。
「自分はあくまで異動案を出しただけで異動を決めたのは人事課だから元部下のそのあとなど一切関わりないことだ、って割り切れるような人ではなかったですから……」
「苦労の多そうなタイプですね」
そう真顔で返して山木は、残念ながら武道経験者云々はあまり資質にも適性にも関係ありませんし、と言った。
「関係ないんですか?」
少なくとも習得後した暁には武道の経験は役立つのではないかと問うと、首を横に振る。
「マルチューや特注は少なくとも人間ですから武道経験者というのは有効かもしれませんが、マルキ世帯にいるのは人間ではなく、ましてや普通の生き物でもありませんから。この場合有効なのは、それら未確認生物を超越した凶暴性でしょうね」
「凶暴性……」
その時、田実の脳裏をよぎったのは市川だった。
スライムに特殊型止水栓キーを向けた時の獲物を狙う猛禽類を彷彿とさせるまなざしと、始末した直後のどことなく清々しい表情をした顔。
火を放った時、スライムの真ん前に田実がいたにもかかわらず、だ。
「マルキより危険……」
思わずそう呟くと、山木は目を細め、口もとをゆるめた。
「危険だったでしょう?」
田実はこっくりと頷く。
正直なところ今日会ったマルチューや特注やスライムより、戦う市川の方がよっぽど怖かった。
山木は微かに笑って、言う。
「屋外とはいえ建物の近くで火を、それも帯に見えるほど放って未確認生物を始末する水道局員なんて全国でも市川さんだけですから」
特殊型止水栓キーを使う資質や未確認生物と戦う適性の有無、そんなものは最早どうでもよかった。
事実は事実として受け止めるだけだ。
しかし、何としてでも勤務中に焼死なんていう笑えない事態にだけはならないようにしよう。
鼻先を掠った火の熱さを思い出しながら田実はこめかみを強く抑えてそう誓った。
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