犬のクエスト

祢音

1.初めて見る世界

 いつものようにスマートフォンのアラームで起きる。今日はいつもと違ってなんだかやけに犬臭い。昨晩の匂いが服に残ったのだろうか。確か帰り道おばさんの連れている犬と戯れていた。


 目を開け時計を見る。夜中の6時。そろそろ起きる時間。ふと自分の腕に目を落とす。指は分かれてなく、茶色の毛に包まれた棒のような物が目に映る。なんだ夢かと思い、二度寝をする為に再び目を閉じる。

しかしあまりの犬臭さに寝ることができず、目を開ける。やはり、茶色の毛に包まれた棒のような物が目に映る。


 カーテンをその棒のような物で開け、外の景色を見ると、うっすらと犬がこちらを見ている。外はベランダ。つまり、家の中に犬がいる。しかも、こちらの動きを真似てくる。

少しずつ疑問が沸いてくる。尖った耳をピクピク動かしてみる。楽しい。丸まった尻尾をクネクネさせてみる。やはり楽しい。


 そうしている間に仕事に行く時間をとっくに過ぎていた。

今日は平日。仕事に行く日。・・・でもどうやって。とりあえず、職場に電話しなければ。スマートフォンをタップするが反応しない。まったく、何故肉球でも反応するように作らないのだ。そもそも、「犬になったのでしばらく休みます。」だなんて信じる馬鹿はどこにもいないし、というよりも今の自分は「ワン」しか話せない。犬だから。


 しかしこのままではコンビニでご飯を買うこともできないし、大好きなファストフードも食べられない。みるみるうちにやせ細り、やがて骨になってしまう。

それはまずい。犬を飼っている人・・・実家なら犬を飼っているし、餌をきっとくれるはず。だが今の姿ではただの野良犬と勘違いされてしまうので、息子だと証明しなければならない。小さめの鞄に、スマートフォンと免許証を押し込み、口と前足を使ってなんとか体に括りつけた。


 いざ、実家へ向けて出発。自慢の脚力でドアノブを下げ、ドアを開ける。鍵は・・・マンションの中だから大丈夫だろう。

マンションから出て、慣れない四足歩行で歩き出す。実家まで電車で2時間。いくら犬の脚とはいえ、倍以上の時間はかかるだろう。体力も持つか分からない。

そう思った結果、改札を自慢の脚力で飛び越え、ホームで電車を待つ。周りの人がジロジロ見てくる。なんだ、犬がホームにいたらおかしいのか。

そして電車に乗り、邪魔にならないように隅で伏せをする。やはり周りの人がジロジロ見てくる。


「ママー、わんわんがいるー」

「撫でてみる?」


 やめてくれ。寝かせてくれ。そんな想いも叶わず、頭を乱暴に撫でられる。知らない人に頭を撫でられるのはこんなに嫌だったのか。

そして電車を乗り継ぎ、その度にジロジロ見られ、写真を撮られ、そして時々駅員さんに捕まりそうになりながらもようやく実家の最寄り駅へとたどり着いた。

玄関の扉に飛び付き、前足でガリガリと音を立てる。ドアが開いて、中から母さんが出てきた。

 

「ワン!ワン!(母さん!俺だよ!)」

「あら、でもごめんなさいねーうちにはもう犬がいるのよねー」


 そう言い放ち、ドアを閉められる。実の息子が分からないのか・・・。諦めきれず、もう一度音を立てる。


「無理なものは無理なのよ。他を当たってね」


 途方に暮れる。やはり、「ワン」だけでは自分の意思を伝えるのは難しい。しかしとある黄色いネズミは日本語を話せないのに意思を伝えるからすごい。


 朝から何も食べてなく、お腹も空いてきたので、食糧を捜す旅に出る。よくカラスが生ゴミをつついているが、さすがにその勇気はまだ無い。けれど、歩いても一向に食糧は見つからない。次第に空が橙色になっていく。

 

「お前、見かけない顔だな」


 どこからか声が聞こえた。声のする方を見る。犬?そうか、犬になった今、犬の言葉が分かるようになったのか。話しかけてきたのは、この辺りでは有名な意地悪犬だ。リーダー格のビーグル、側近のコーギーとパグ。いつも愛犬のナナを散歩に連れてった時は遭遇しないように気を付けていた。

そういえば、日本犬ではないのに日本語を話すのか。日本で生まれた海外犬はずっと日本語を話すのだろうか。といえば、たまにゲームにジョンとかメアリーとか出てくるが、この人らも日本語を話しているのが疑問だった。

いや、今はそんな設定はどうでもいい。とにかく、逃げなければ。


「おい待て!」


 自慢の脚力を駆使し猛スピードで逃げ、なんとか振り切った。相手の側近はコーギーとパグ。柴犬の自分に敵うわけがない。


 再び実家の前に戻る。辺りはすっかり暗くなっている。一日くらい食べなくても大丈夫だろう。犬だし外で寝るのも余裕だろう。

そう思い、玄関の近くで伏せをし、無数に輝く星を眺めていた。こんなにじっくり星を眺めたのは初めてかもしれない。


 眠りに就こうとしたとき、玄関のドアが開く。出てきたのは、父さんだ。


「お前、まさか・・・」


 そう言い、家の中へ案内される。和室に着くなり、体に括りつけていた鞄を解き、中を取り出す。スマートフォンと免許証。


「やっぱり・・・」

「でも、どうして分かったの?」

「目だよ、目。目は心の窓って言うだろ」


 なんだか逆に気持ち悪い。ともかく、これで暫くは生き延びられる。


「で、ご飯はどうする?」


 それだ。今の自分は、見た目は犬、中身は人間。探偵ではない。気持ちとしては人間と同じものを食べたい。しかし、それが犬の口に合うとは分からない。

せっかく犬になれたのだから、犬としての生活を楽しもうと思い、ドッグフードを口に咥えアピールをする。


「ドッグフードが食べたいみたいだぞ」


 そして、犬用の皿にドッグフードが盛られる。人生初のドッグフード。緊張しながらもまず匂いを嗅ぐ。匂いは強烈。そして、少しだけ口にする。味がしない。白米をそのまま食べている感覚だ。

美味しいと感じる感覚は、人間特有なのかもしれない。人間以外の動物は、生きるために食べ、そこに味は求めない。体に害のないものを食べることが出来ればそれで十分なのだ。

しかし人間は、味をとことん追求し、時には一日以上費やして好みの味を完成させる。そしてその味の為に金を払い、幸せになる。実に面白い。

そう思っていると、いつの間にか完食していた。


 その後しばらく何もすることがなく、ゆっくりと時間が流れ、深夜0時になる。


「じゃ、おやすみ」


 そして電気が消され、自分とナナがいる和室は真っ暗になる。こんな真っ暗だったのか。目を開いても閉じても変わらないので、自分も寝ることにする。


「で、あんた、誰?」


 聞き覚えのない女性の声。この部屋にいる女性は・・・まさか、ナナ?

犬嫌いで、ドッグランに行ってもずっとベンチの近くに座り他の犬に全く興味を持たないのに、珍しい。

しかし、予想通りの気の強そうな話し方だ。


「あ、えっと、たまに帰ってくるそれなりに若いおじさんというか・・・」

「あー、あの、いつも帰ってくるなり『ナナーーーー』って来るあいつか」


 少し傷付く・・・。


「なんで犬に?とか思わないの?」

「別に」

「そっか・・・」

「犬って、退屈だよ。ひたすら同じ毎日を過ごすだけ。ま、あたしはこの退屈さ嫌いじゃないけどね。ちょっとした変化を見つけるの楽しいし。あんたが、『ナナーーーー』ってやってきた日とか」


 人間は退屈をとても嫌う。平日は学校なり職場へ行き、休日は出掛ける。

犬のように、365日のうち300日位ずっと同じように過ごすなんて考えられないだろう。

そして人間は、感情を手にし、喜び、怒り、泣き、楽しむ。非常に忙しい生き物だ。

もしかしたら、ずっと何も変わらない日常こそが、本当の幸せなのかもしれない。誰かが歌っていたように。


「ナナは、今、幸せ?」

「んー、普通」

「え」

「普通。わーーーもうやばい超絶ハッピー☆☆ってわけでもないし、うわああもうだめだあああ・・・ってわけでもないし。退屈で普通」

「そっか・・・」

「ただね、あたしは、この家じゃないと生きられなかったとは思うよ。何でかは分からないけど」


 なんだか少し嬉しかった。幸せではないかもしれないけど、ナナは、この家を、この家族を愛している。あの性格だから、うまく利用しているだけかもしれないが、それでも愛している。


「そうだ、今度さ、おすすめの場所教えて!」

「・・・」

「あれ?ナナ?」


 寝てしまったらしい。ナナらしい。自分もゆっくりと目を閉じ、初めて見る世界での一日を終えることにした。

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