ぼくときみの会話録
どこにでもいる大学生
第1話 神
ねえ。
なんだい?
神様っていると思う?
唐突だね。
疑問はいつも唐突に訪れるものよ。それをいつ解消するかは人によるけれど。
なるほど。
それで、どうなの?神様、いると思う?
うーん、そうだね、その実在を心底から信じることはできない、という感じかな。
微妙な表現ね。
僕の家はキリスト教でね、子供の頃は教会に通っていたんだ。早朝のミサにもいつも出席していたぐらいで、あの時の僕は敬虔な信者だったといってもいいんじゃないかな。
へえ、そうなの?あなたが教会に行くところなんて見たことないのだけれど。
子供の頃と言っただろう。正確に言えば小学校の高学年くらいまでかな。
どうして行かなくなったの?
簡単だよ、信仰心が薄れたからさ。朝早くに起きて教会まで行くのは信者でなければなかなか辛い。
どうして信じなくなったの?
きみは今でもサンタクロースを信じるかい?
、、、神様とサンタクロースを一緒くたにするのはさすがにどうかと思うわよ。
そうだね、その通りだよ。でも日本では、クリスマスといえばサンタクロースだ。中にはイエスの降誕祭だということすら知らない人もいる。特に小学生ともなれば、知っている子の方が少ないと言ってもいい。
、、、確かにそうね。
世の中の人が大体どのくらいの時期にサンタを信じなくなるのかは寡聞にして知らないのだけど、恥ずかしながらぼくがサンタの不在を知ったのは、小学校に入学してずいぶん経ってからだった。キリスト教徒のくせにと思うかもしれないが、ぼくが通っていた教会では、子供の夢を壊さないように、ちゃんとクリスマスにはサンタさんがプレゼントを持ってきてくれることになっていたんだ。他の教会がどうかはよく知らないけれど、少なくともぼくが通っていた教会は、お正月やハロウィンにもイベントをやるくらいでね。そういった日本的な文化に寛容だった。まあ、キリスト教徒とはいってもみんな日本人だからね、みんながやっていることに反発しても仕方ないし、そこらへんはある種日本のキリスト教独自のバランス感覚のようなものがあったのかもしれない。おっと、これは今の話とは関係なかったね。さて、切っ掛けが何だったのかはよく覚えていないのだけど、ある時ぼくはサンタの不在を知った。当時のぼくにとって、これは結構ショックなことでね、1週間ぐらいはそのことを引きずっていたような気がするよ。
そう。それで?その話が神様とどうつながるのかしら?
きみは神様とサンタクロースを一緒くたにするのはどうかと言ったけど、当時のぼくにとって神様とは、まさしくサンタクロースと似たような存在だったんだ。いや、さすがにそれは語弊があると思うけど、つまり、いつも見守ってくれていて、いい子にしていれば、熱心に祈っていれば、困った時に助けてくれる。そんな存在だというイメージだった。サンタはクリスマス限定だけど、神様はいつでも助けてくれる。ぼくにとってサンタと神の違いはそれだけだった。
まあ、小学生ならそんなものかしらね。
さて、少し話が変わるけど、小学校高学年ともなれば、多くの子が人がサルから進化したことを知っている。宇宙がビックバンによって生まれたことを知っている。これはあくまで科学的な学説の一つであって、厳然たる事実というわけではないから、少し語弊があるかもしれないけど、まあ、今では一般常識みたいなものだからね。こういう表現でも許してほしい。
ええ、続けて。
今ある宗教の多くはこういった科学的な学説とどこかで折り合いをつけていくものだし、実際ぼくの通っていた教会でもそうだった。でも、学校は違う。日本人は他の国に比べて無宗教の人が圧倒的に多い。なんせ宗教と聞くと真っ先に詐欺が頭に浮かぶぐらいだからね。その割に神社にお参りに行ったり、結婚式を教会で挙げたり、仏壇に線香をあげたりと、無秩序ながら漠然と神に祈ったりもするんだから、正直どうなんだと思わないでもないんだけど。まあ、そういったことは慣習とイベント性がごっちゃになってある種の日本文化として定着しているから、それはそれでいいのかもしれないけど。それはともかく、僕の身近では神に対して否定的な人が多かった。神なんていない。宗教は支えになるものを欲した人の弱さが作り出したものだ。先生の影響もあっただろうけど、ぼくの学校では漠然とそういった考えが、そういった雰囲気があった。もちろん小学生がそんなに頻繁に神様の話なんてするわけないけど、たまにぼくがキリスト教だということとか、教会に通っていることとかを話すと、そういう雰囲気を感じた。喧嘩になってもおかしくないことだよね。実際ぼくはそのことで喧嘩したこともある。でもだんだんぼく自身神を信じられなくなった。サンタクロースはいなかった。なら神も本当はいないのでは?そんなことを思った。周りに流されたと言えばそうだろうね。それでだんだん教会にも行かなくなった。
なるほどね。
でも、大人になってからもう一度キリスト教について学んでね。もしかしたら神は本当にいらっしゃるのかもしれない。そう思う時もたまにあるんだ。だから心底から信じることはできないけど、いるかもしれない。それがぼくの正直な感想だ。
そう。ありがとう。とても参考になったわ。
きみはどうなんだい?神は実在すると思うかい?
ええ、わたしはいると思うわ。
へえ、意外だね。きみが宗教を信じているとは知らなかったよ。きみはどちらかというと科学の信奉者だと思っていたからね。
その認識で間違ってないわよ。私は宗教を信じているわけではないから。
と言うと?
私がいう神は宗教でいうところの神とは全く違うと思うから。
ふむ、具体的には?
そうね、まず神は人を救わないということかしら。多くの宗教では、神は善行を積んだ人や熱心な信者を救ってくれるっていうじゃない?わたしはそれがどうしても信じられないの。全ての事象は物理法則に従って起こるものであって、それ以外はありえない。、、、そうでなければ、人の不幸と幸福はあまりにも無作為にすぎると思うから。
そうだね、きみの考えはわかるよ。
もちろん現世での行いが死後の世界に反映されるとされる宗教も少なくないわ。かたちは様々だけれど、現世での不幸は死後に報われるであろうというものね。でも、わたしには死後の世界というものもいまいち信じられないの。まあ、この話をすると長いから、それはまた今度にしましょうか。
そうだね。それで?今の話を聞く限り、きみが神の実在を信じているとはとても思えないけれど。それとも多神教の神話のように、神は人智を超えた力を持つけれど、人間に近しい感性を持つ存在だとか?
いいえ、そもそもわたしは神が意志を持っているとは思っていないわ。
意志を持たない?神が?
ええ、この考え方はそんなにおかしいかしら?そもそも意志を持つ存在というのは、人間の上位存在たる超越者としてはいいのかもしれないけれど、人智を超えた絶対者としてはむしろおかしいのではないかしら。特にこの世界に干渉しているとすればね。
神はこの世界に干渉していないと?
ええ、さっき言ったでしょう、全ての事象は物理法則に従って起こるって。其処に神の奇跡はないわ。
なら、きみの言う神とは?
わたしはね、神とは絶対の観測者だと思うの。
観測者?
ええ、科学の世界では、事象は観測者がいて初めて存在しうるとする考え方があるわ。誰にも観測されなければ存在しないのと同じ、という事ね。わたしはこの考えが気に入っているのだけれど、観測者が基本的に人間だというのは納得いかないの。所詮宇宙の中ではちっぽけな存在でしかない人間が観測者たりうるというのは烏滸がましいと思わない?
まあ、言いたいことは分かるよ。
だからね、この世界、限りなく広大な宇宙の全てを、いいえ、もし存在するのなら四次元や五次元といった高次元空間や別の宇宙といったものも含めたありとあらゆる全てをただただ観測する絶対の存在。そういう意味での神というものが存在するのではと、わたしは思っているのよ。ある種の概念存在といったところかしらね。
なるほどね。観測者としての神、か。いかにも科学者っぽい感じだね。でも、面白いと思うよ。そういう考えもあるんだね。
まあ、この話はこんなところね。なかなか有意義な時間だったわ。ありがとう。
、、、有意義、か。
あなたの言いたいことは分かるわ。確かに客観的に見れば、こんな会話には何の意味もないかもしれない。でも、少なくともわたしは意味のあるものだと思った。なら、わたしにとっては有意義な時間だったのよ。誰が何と言おうとね。あなたはどうなの?
いや、ぼくにとっても有意義な時間だったよ。むしろ、きみとの会話が有意義でなかったことは一度もない。
、、、そういう事を真顔で言うのはどうかと思うわよ。
本当の事だよ。今の会話だって、おかげできみの照れた顔が見られたからね。ぼくにとってはこれ以上ないくらい有意義なものだ。
もうっ、知らない!
はははっ、そんなに拗ねないでくれよ。時間はまだまだ気が遠くなるほどある。もっともっと、くだらなくて、最高に有意義な話をしよう。
ぼくときみの会話録 どこにでもいる大学生 @zencha
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