第134話 カインと決別。

「キローゲ、様?」

「そう、十年ほど前来ていただろう」

 戸惑ったように目を瞬くチャトゥニに根気よく問いかける。こういう店で本来客のプライベートを明かすことはしない。だが、それをわかっていてなお聞くことにした。キローゲに繋がる手がかりはここしかなかった。もっと時間をかけるなら調べることもできただろうがカインにそんな余裕はなかった。


「頼む、教えてほしい」

 頭を下げて答えを待つ。仮にも王子が頭を下げるなどプライドがないとか言われそうだがそんなもの犬の餌にもならない。何の益にもならないものは捨てた方がいい。王都を離れ傭兵紛いの暮らしをして学んだことのひとつだ。

「………交換条件では?」

 暫くして返ってきた細い声に即答した。

「出来ることなら」

 自分に出来ることならなんでもやるつもりだった。世界を守ろうなんて大それた願いじゃなくたった一人大切なひと、彼のためなら何でも出来ると思った。しかし、カインはチャトゥニが出した条件に愕然とする。

「わたくしを、抱いてくださいませんか」

「…!」


 その気持ちは知って突き放したつもりだったが、相手は諦められず熱のこもった瞳で見つめていた。叶わぬと思っても消し去れない想い。強くじりじりと身を焦がす熱がカインの肌を焼く。かつてその体に体を重ねたことは一度だけあった。それがチャトゥニと会った最後であった。体だけなら与えられる。だが、心は一層彼を求めるだろう。経験したからこそ、この心に欠けたものを…チャトゥニではなく、を。

 そんな気持ちのまま他人を抱くことを今のカインは良しとしなかった。貴族の不正の証明との交換条件だったとしても。


「…悪いが、無理だ」

「お心を頂けなくとも構いません、せめて一度」

 食い下がる美しい耳長族の言葉にも心は揺れない。楔打つがごとく真っ直ぐに想いは彼へと向かっていた。押されれば押されるほどむしろ一層彼への想いが強くなる。

「いや、……すまない」

「カイン様…よろしいのですか?何も、お話ししませんよ」

 涙に濡れた瞳で震える細い声が最後通牒のように突き付ける。だが自分の心に正直になることが誠実な答えと信じカインはゆっくり席を立った。

「ああ…、邪魔をした。おいとまする」

「話がなければ帰るなんて…酷いひと」

 なじられて泣かれても、揺るぎ無い。心は唯一をひたと見据えている。


「……………」


 ドアに手をかけたところで声が引き留めた。

「…お話し致します」

「……いいのか」

 背を向けたまま目だけで振り返るとまだ濡れたままの瞳で、チャトゥニはカインに苦笑う。

「ええ。…でも、少しだけ。カイン様のお心の在処ありかをお話しくださいませ」

「面白いとは思えんが…」

「好いたひとの想いびとに興味があるのは可笑しゅうございますか?」

「…いや。チャトゥニがそれでいいと言うなら」

 チャトゥニは長い灰色の髪を揺らしその奥にくすぶる熱を抱えながら、微笑んで頷いた。



 消えずに残ったその熱の名前をカインは知らない。

 知らぬままに彼の話をし、のろけ、煽るのだった。

 いずれ嫉妬という逆巻く炎となることもわからずに…。

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